坐禅

普通?の1週間

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月曜日
後輩たちが去って静けさを戻す。おまけにシュクラ先生がサンスクリット教授法のワークショップのため1週間授業がない月曜日。お昼に外に食べに行って、そのまま映画でも見てこようかと思っていたが、秀丸マクロでテキストデータをいろいろいじっていたら午後6時半だった。博士論文は秀丸で書いていて、LaTeXにするときにマクロが必要になってくる。今からちょこちょこ勉強しておかないと。今日は柳井さんのマクロ「グレップ結果置換」を使わせてもらった。

暗くなりかけた頃にちょうど停電したので外出を決意する。6時45分発のバスに乗ってシャーストリナガルのピラミッドスーパーへ。お菓子とラーメンをたんまり買い込む。その足でリキシャーに乗り、カリヤニナガルで夕食。円実さんから教えてもらったステーキ屋さんはボリューム満点で美味しかった。円実さんは、会社でインド人からイヤな目に合うと「くそうお前ら、牛食ってやる!」と言って食べに来るそうな。それを思い出しておかしくなった。

カリヤニナガルから家までは3キロ半。リキシャーもこれぐらいなら乗車拒否しない。帰宅後はDVDで去年の実質ベストフィルム『ハムトゥム』を見る。インドの映画は製作費用がまるわかりで、その最たるものが外国シーンだ。『ハム・トゥム』はアムステルダム、ニューヨーク、パリと縦横無尽。こういう映画はそれだけでポイントが高い。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、水/昼…トムヤンクンラーメン、ビスケット/夕…ペッパーステーキ、ビール

火曜日
朝から雨音で起きる。何ヶ月ぶりの雨だろうか。

今日は午前9時から3時間の計画停電なので、本を読んで過ごした。お昼に外出しようとしたら、また雨が降ってきたので諦めた。ざあっと降って、しばらく止んではまたざあっと降るのは、不器用なインド人を想起させる。日本の五月雨のようにしとしと降り続けるなんて繊細な真似はできなさそうだ。

インド映画ではよく雨なのに傘もささずずぶぬれになるシーンが出てくる。「水もしたたるいい男」ではないが、男優は一枚かっこよくなるらしい。女優は服が体にぴったりくっついてセクシーになる。それ以上に、雨が滅多に降らないインドでは雨に当たること自体嬉しいのかもしれない。今日も喜んで外に出ているインド人が窓から見えた。ぬれた服はどうせすぐ乾く。

昼食は自炊にして、昼寝。このところ夜も早く寝るので、その上昼寝とあっては娘よりもたくさん寝ているのではないかと思う。起きたら頭がすっきりしたので夜9時までぶっ続けで勉強。正しい/正しくない言葉とは何かという興味深い問題に取り組んだ。

ニヤーヤ学派では、神と協約を交わした言葉が正しい言葉とされる。ミーマーンサー学派はヴェーダに書かれた言葉。要するにアーリア人の言葉だけが正しい言葉なのである。でも世界には「牛」と呼んでいる人たちも、「cow」と呼んでいる人たちもいる。それで用が足りるのは結果論なんだそうな。間接的に指示対象にアクセスしているにすぎない。

勉強が一段落したので行きつけのレストランへ。向かいに座っていたおっちゃんの着メロが「蛍の光」だったのが笑う。水にレモンをしぼってレモン水を作ったら、食事が進んだ。食後はすぐ動くと気持ち悪くなるほど食べるので、携帯電話に付いているゲーム「バントゥミ(マンカラ)」を遊んでいる。最高レベルにしても大差で勝つようになってしまって、これからどうしよう。

帰りはシヴァ寺院でお祭をやっていた。今日は「シヴ・ラートリ(シヴァの夜)」という祭日なのだ。私の住むソームナータナガルも、シヴァの異名「ソーマナータ(ソーマ酒の主)」に由来する。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…エビ風味ラーメン、ポテトチップ/夕…30ルピーのターリー

水曜日
午前中で勉強の一区切りが付き、今日は12時から停電だったので外出することにした。









アガカーン宮殿。実際に入れるのは1階の数部屋に限られる
アガカーン宮殿

午後1時発のバスに乗り遅れ、大通りまで歩いてシックスシーターに乗る。バスが新型になってから、定刻どころか少し前に発車してしまうようになり、このところよく乗り遅れる。でもシックスシーターは5ルピーの安さに加えて、どこでも止まってくれるのがいい。アガカーン宮殿の入口で降りる。

アガカーン宮殿はもともとマハラジャの住まいで、インド独立運動でたびたび投獄されていたマハートマー・ガンジーが21ヶ月間、妻や秘書と共に監禁された史跡である。この間に息子のように愛していた秘書のダサイが50才で亡くなり、次いで妻のカストゥルバが75才で亡くなる。現在はダサイとガンジー夫妻の居室がそのまま残され、館内は小さなガンジー博物館となっている。

入場料はインド人5ルピーで外国人100ルピー。相変わらずの暴利というか、外国人依存型観光というか。資料的なものは貧弱だったが、ガンジー夫妻の居室に白い布団が置かれ、壁に妻をひざまくらで寝かせているガンジーの絵がかけてあったのが印象に残った。いかに豪華な居室でも、インドの命運がかかっている時勢にじっとしていなければならなかったのは、さぞ苦痛であっただろう。いったい何を考えて毎日を送っていたのだろうか。

ダサイとカストゥルバのお墓というかモニュメントも残されている。ガンジーの遺灰が入ったモニュメントがそばに立てられ、2つのお墓を見下ろしていた。建物も豪華さもさることながら、周囲の庭園の美しさも見事である。

さて1時間ほど見学した後、イェルワダのシヴァ寺院に移動。最近シヴァ・シャクティが足りないのでお力を頂こうという訳である。外道に帰依しちゃダメなんだけど。イェルワダのシヴァ寺院は小高い岡の上にあって市内が一望できた。これもなかなかの景色。

お参りが終わった後、シャクティもそこそこに補充されたので昼食をとり、イェルワダの映画館「グンジャン・シネマ」で映画を見ることにする。『ファン』というぶっちゃけC級映画だったが、なかなか楽しめた。

『Fun(ファン)』









後日プロデューサーたちが猥褻図画配布で逮捕された
ファン

〈あらすじ〉お金持ちの妻ナターシャは、女友達にそれぞれの夫を取り替えて楽しもうと提案し、3夫婦で旅行に出た。どの夫を誘惑するかはくじ引きで決めたが、ナターシャだけは自分の夫を引いてしまう。残りの2人はお互いに相手の夫と親密になっていく。
その頃、ナターシャの夫アリアンは海岸で会った女メーガを好きになる。メーガが溺れそうになったのを助けたのが元で急接近するが、女にはラージという夫がいた。ラージがしばらく滞在した後で仕事でムンバイに去ると、アリアンはメーガに近づいていく。
そんなある夜、メーガが腹を刺されて遺体で発見される。ダイイングメッセージは「ラージ」。警察はラージを疑うが、ラージはムンバイにいた。2人の男は浮気中、アリアンもナターシャと一緒にいたので犯人が分からない。
そのうちアリアンはナターシャが寝てから部屋を抜け出してメーガと密会していたことが判明し、留置所に入れられた。こっそり抜け出してナターシャと会ったとき、真相が明らかになる。
実はナターシャは、ラージと恋に落ちており、邪魔なメーガの殺害を2人で計画していたのだ。そのために2夫婦を誘ってスワッピング旅行を計画し、ラージのアリバイを作ろうとした。ラージはムンバイに行くと見せかけてひそかに戻り、ナターシャがいるところで妻のメーガを殺した。
真相を明らかにした後、アリアンを自殺に見せかけて殺そうとしたラージは、さらにナターシャもただ利用しただけだったことを告げる。ナターシャはアリアンをかばって銃弾に倒れた。アリアンも撃たれようというとき、警察が寸でのところで現れ、ナターシャは最後の力を振り絞ってラージを撃つ。アリアンに詫びて絶命するナターシャ。

〈感想〉4夫婦が登場し、人間関係が複雑に交錯する映画だったが、途中からサスペンスに激変。大どんでん返しの結末は予想できなかった。女優がみんなキレイで(というかケバくて)、現実離れしているように感じた。若い頃の八代亜紀といった感じの女優が4人も出てきて、しかも揃いも揃ってキワドイ服を着ているものだから、最初は誰がどれだか分からない。
新聞の書評では酷評されていたが、濡れ場を売りにした映画にしては筋書きも無理がなく、また歌や踊りもふんだんに入っていて意外に楽しめたような気がする。
グンジャンシネマは単館上映の映画館で、1階席が25ルピー、バルコニーが30ルピー。シネマコンプレックスと比べると、3〜5分の1の安さだ。しかし価格相応で、椅子は金属製だし、画面は絶えずぶれるし、時々電圧が弱くなって暗くなるし、映画が終わる前に照明が全部ついてしまうしで、あまり快適とは言えない。最初に国歌が流れて起立させられるが、スクリーンに出る「ご起立ください」という表示が、破ったメモ用紙に手書きというお粗末なものなので笑える。でも近いから、またそのうち行ってしまいそうだ。今週末からは話題作『ベーワファー』が始まるという。

映画が終わるともう夕暮れ時。マンゴージュースを飲んで、バスを30分待って帰宅。楽しい1日だった。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…ミックス・ハッカヌードル(焼きそば)、リムカ(無果汁炭酸飲料)/夕…マトン・ビリヤーニ(ピラフ)、スウィートラッシー

木曜日
夕食以外は外出せず、ラジオを聴きながら論文の準備と読書で終わる1日。しかも昼寝つきとあっては、ぜいたくなことかもしれない。

今読んでいる本は1938年にカルカッタで発行されたものと、1976年にティルパティで発行された本の2種類がある。それぞれコルカタのアジア協会の写本と、チェンナイの東洋学図書館の写本を底本にしている。この2つがかなり違うため、まずはどこが違うのか調べるところから始める。接続詞があったりなかったりするぐらいならまだよいが、否定辞があるとないとでは意味が全く反対になってしまう。この異同を洗い出していく作業は注意力と時間を要する上に、あまり面白くない。

夕食はいつものレストラン「ラスィカー」にて。いつも気になっていたモンゴロイド系の顔立ちの男が注文をとりに来る。腕を組みながら注文を取るので笑ってしまった。「中国人か?」「いや日本人だ、お前は?」「ネパールだ、ヒンディー語がよくできるな」「少しだけ」「仏教徒か」「日本は仏教国だ」「何をしている」「サンスクリットを勉強している」「どうして」「学問だ」「何年」「2年」「結婚はしているのか」「4年前にして、娘がいる」「それは驚きだ、頭の傷は何だ」「交通事故だ」「インドでか」「日本でだ」……インドで初対面の人とする会話なんて、こんなもんだ。でもネパール人の顔立ちや笑顔は、見ていてなぜか安心する。

去年と比べて格段に強くなったものがある。それは皮膚。蚊に刺されるのは毎日だが、2、3分かゆいだけでほとんど腫れなくなった。でも夜は蚊の羽音がうるさいと眠れないので、毎日蚊取りリキッドを炊いている。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…野菜ラーメン、ジュース/夕…パラック・パニール(ほうれん草を煮込んだ緑色のカレーに豆腐風味のチーズを入れたもの)、ローティ(丸いナン)

金曜日
ヴィナヤクさんと会う約束をして、午後1時のバスで大学へ。アパートの前から市役所まで40分、市役所から大学正門まで15分、大学正門から学食まで5分。待ち時間がほとんどなく、全部で1時間ちょうどで着いたのは新記録。交通費は片道14ルピー(35円)である。リキシャーだったら2キロ乗るともうこの額になるのだから、いかにバスが安いかわかるだろう。

昼食を食べ、図書室に行くと日本から1ヶ月滞在中のH氏が勉強していたので一緒にチャイを飲む。就職するとたとえ大学でも一般教養の授業を受け持つことが多く、専門の研究をする時間が少なくなるという。就職しなければ食えないし、就職すれば研究できないというジレンマが、日本の文系研究者には多い。好きなことを研究してお金をもらえるというのは、非常に稀なのかもしれない。









インド・イティハーサ研究所。入口を入るとホールになっている
イティハーサ研究所

さて、授業を終えたヴィナヤクさんのバイクに乗って出発。今日の目当てはインド伝説研究所「バーラタ・イティハーサ・サンショーダナ・マンダル」の写本だ。プネーで写本が見られるところはこれで6件目。ラクシュミーロードとティラクロードの間にあって、意外と近い。となりにはインド演劇研究所(バーラタ・ナーティヤ・マンダル)もあった。行ってみると午後の開館時刻は4時から8時までだったので、近くにあったヴィナヤクさんの学校まで散歩をして時間をつぶす。この学校でヴィナヤクさんは1年生から10年生までを過ごしたという。授業を終えた子どもたちが元気に遊んでいた。

さて、再び研究所に戻ると戸が開いていて、入ってすぐの部屋におばさんが座っていた。カタログを見せてもらうとちょっと珍しいものが2点ほどあったので来週まで用意してもらうよう頼む。ヴィナヤクさんがマラーティー語で話をつけてくれるので早い。

しかしその後、何か偉そうなおじさんがやってくるとヴィナヤクさんはおばさんと急に口論を始めた。何が起こったのか、マラーティー語なので皆目見当がつかない。後から聞いてみるとそのおじさんは研究者ではなく純粋な趣味で写本を見に来ていて、おばさんがあまりにつっけんどんな態度を取ったのでヴィナヤクさんが見かねて文句を言ったんだそうだ。「プネーにはもっとよい写本の図書館がたくさんありますよ。おじさんそっちに行ったら」「それじゃうちの図書館が悪いとでも?」「そう取ってもらっても結構」……日本人の私がいるから気が大きくなっているのかもしれないが、おばさんがへそを曲げたらどうするんだ? 「そのときは自分たちで図書館に入れてもらって探しましょう。」

そのあともう1件、ティラク・マハーラシュトラ大学の付属ヴェーダ研究所「ヴァイディカ・サンショーダナ・マンダル」にも連れて行ってもらった。前に1度訪れているが、確認したいことがあった。こちらもなかなか写本が充実している。

市役所前まで送ってくれるという言葉に甘えて、しかも途中で本屋に寄ってインド歌の本とサンスクリット詩学書を購入した。何か甘いものでもご馳走したいというと、ヴィナヤクさんは「ママが待ってるから、また今度」と辞退した。23才にもなって理由がなあ。インド人男性はマザコンが多いらしいというのを思い出した。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…プリー・バージー(揚げたナンと野菜カレー)、スウィートラッシー/夕…チキン・ガーリックソース(中華料理)、ライス

土曜日
金曜日の夜、先生宅に電話してみると先生が出て、今日から授業が再開されることになった。授業の準備は今週一週間かけて済ませているので、今日の日中はボードゲームの記事や書類作成をしたり、昨日買ってきた本を読んだり、インド国歌の歌詞を覚えたりした。15分ほどうとうとしてから、先生宅へ。

先生が今週出かけていたのは、サンスクリット語文法を7年生から9年生(中学生程度)に教えるためのワークショップ。現場の教師を招いて研修している。サンスクリット語の名詞は七格あるが、先生はそのうち第四格(「〜のために」)を担当したという。またコンピュータ会社の人が来て自習ソフトを作ろうとしているらしい。

サンスクリット語はマハーラシュトラ州では選択制だが、ウッタルプラデーシュ州などのヒンディー語圏では義務教育科目だという。その割には先生の語学力が落ちてきているのが今回のようなワークショップが開かれる原因のようだ。

1週間ぶりの授業は、いつもより丁寧な気がした。帰りに道端で顔見知りの少年たちに呼び止められ、インドおはじきのキャロムを遊ぶ。2対2のペアマッチで、先攻だったが最後の最後にストライカーを落としてしまい、クイーンをとられた上に1個差で負けた。しばらくやっていないと腕が落ちる。









途中から体がどっと疲れてついていけなくなった
カウボーイパーティ

からはガールスカウトのボランティアでインドに来ているWさんの招待でI氏と「カウボーイパーティ」に参加。サンガム・ガールスカウトセンターは常時世界中からガールスカウトの人たちが集まっていて、催し物に誘われたのはこれで3回目だが、今回は行ってみるまで何のパーティーなのか分からなかった。

それは、みんなカウボーイハットとバンダナ、それに警官バッチまでつけて飲みながら踊るというすごいパーティーだった。参加者はガールスカウトで来ているイギリス、カナダ、アメリカ人に、お金持ちそうなインド人。8時過ぎから始まって、午前2時頃まで6時間、延々と踊っていた。インド人の中にはボリウッド映画に出たこともあるというダンスの先生がいて、確かに何を踊っても上手だった。私は2時間ほどでギブアップし、踊る人たちをぼんやり眺めながらWさんやI氏とお話。音楽の音量があまりに大きくて、話がしにくい。とても楽しかったが、喉がかれそうになった。

インターナショナルなのに英語圏ばかりという偏り方で、日本人はインド人だけの中にいるよりも浮いてしまうような気がした。フランス人が2人来ていたが、他のヨーロッパ人・他のアジア人がいないためにかなり特殊な空間になっていた。Wさんや以前来ていたYさんはこの中に混じってよくやっているものだと思う。Wさんの日記を拝見したが、会うたびにはつらつとした笑顔からは分からないそういう苦労も見て取れた。

置いてあったお酒がまたどれも高級なものばかりで、アノルというフランス人とI氏の出来上がりっぷりが見事だった。I氏は飲むと普段は見せない個性を発揮して面白い。結局最後まで残って、千鳥足になったI氏が運転するバイクに二人乗りという命知らずな行為で帰る。I氏は「かぶらないと死にますよ」と言ってヘルメットを貸してくれた。途中から私はリキシャーで帰ったが、I氏が無事に帰宅できたかは不明。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…ロブスター風味野菜ラーメン、ジュース/夕…チキン春巻、チキンロリポップ、ビール、チャパティ、マカロニ、鳥ササミ、豆シチュー、ワイン、ジン

日曜日
カウボーイパーティから帰宅したのは結局午前3時だった。リキシャーのおじちゃんも眠そう。朝起きると、案の定二日酔いである。インドでは去年のズボンがはけなくなるくらい明らかに太っているが、その原因は遅く食べる大量の夕食と、たまにやる深酒だということは、わかっちゃいるけどやめられない。

午前中はうつらうつらと過ごして、午後1時のバスで出発。市役所からリキシャーに乗り換えて、ナショナル・フィルム・アーカイブまで合計45分。今日は日本映画鑑賞会である。早く着いたので日本に電話したり、昼食を食べたりした。レストランでは奥さんが日本人でプネーに住むベデカル夫妻と、同じく奥さんが日本人で埼玉に住んでいるというビドゥスリさんという人に会った。

今日のプログラムは北野武監督・主演の『菊次郎の夏』。父を亡くし祖母と2人で東京で暮らす少年が、遠くで働いているという母を尋ねて豊橋に向かう。同行したおじさんは橋にも棒にもひっかからない人で、渡されたお金は競輪ですってしまい、ヒッチハイクの珍道中。やっとのことで着いた豊橋では母が新しい家族と生活を送っているのを目撃してしまい、そのまま会わずに帰途に着く2人。少年を邪険に扱っていたおじさんは、やがて少年が自分と同じような境遇であることを知り、不器用ながらも面倒を見るようになっていく。

日本でも1度妻と結婚前に見た映画だったが、家族を日本に置いてきている自分の状況や、今年になってから急浮上した父親探しのこと class=footnote>*1が手伝ってか、前よりも深い感動を覚えた。私は父親として娘に何をしているだろうか。そして私にとって父とは何なのか。この2つがあいまって、家族をテーマにした映画を見る私は感傷的になる。

インド人が井出らっきょの全裸シーンに爆笑したりするのは何となく誇らしかった。来ていたインド人の大半は、日本語を習得した人たちのようだ。

予め何の宣伝もしていなかったためか、日本人は6名ほどしかおらず、インド人も20〜30名ほどだったようで、入場料タダなのにもったいない。終わってからパラーグ氏とMさん、Aさんの4人でコーヒーを飲んだ。30も過ぎて大学院を終えても就職先が見つからない日本より、喉から手が出るほど日本人をほしがっているインド企業で仕事をするのも悪くないという話になった。給料は月10〜12万円ぐらい。生活費は2,3万円もあれば足りるし、ちょっと旅行したって1万円以内で収まるのだから、東京で20〜30万円もらいながら10万円以上の生活費を出して生活するのとあまり変わらないのではないだろうか。

その後、今度はFCロードでH氏、I氏と夕食。せっかく街に出てきたのだから人に会えるだけ会おうという田舎者の貧乏根性である。昨夜泥酔したままバイクで帰ったI氏は無事生きていたが、左手に「禁酒」とマジックで書いてきていた。しかし「酒」にビールは含まれないだろうと解釈して、3人でビールを飲む。男だけなので、サンスクリット語を勉強している女の子(特にインド人)の共通点など下世話な話をした。

終バスが9時半なので早々と帰らなければならないのが残念。でもバスに揺られてぼんやりするのはとても気持ちいい。

シュクラ先生の授業が1回しかなかった割に、いろいろなことがあった1週間だった。シュクラ先生の授業がある限り、ほとんど毎日が火曜日や木曜日で書いたような生活をしているので、毎日日記はこれでおしまい。また特別なことがあったときに書くことにしたい。



*1:3才のとき両親が離別し母の実家で育った私は、30年間父に会っていない。今年は父方の祖父母の法事があるということで、もしかしたら出会えるのではないかと思っている。神の思し召しがあれば。


〈今日の食事〉朝…卵スープ、ビスケット/昼…マサラ・ドーサ(南インドのスナック)/夕…チキン・レーシュミ・カバブ、魚のから揚げ、チキンチャーハン、チキンカレー、ローティ、ビール

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このブログ記事について

このページは、おの2005年3月13日 00:00に書いたブログ記事です。

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