2006年3月アーカイブ

大学へ

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2か月ぶりぐらいになるだろうか、大学へ。もう学籍はないのだが、私と同じくインドのディベートについて研究しているウィーンの先生が来日しているというので教授からお呼びがかかる。
本当は御詠歌の講習会だったが急遽キャンセル。もともとこの講習会のためにベビーシッターを頼んでいたので難なく上京することができた。子どもを2人連れて帰る妻のため、午前中に夕食の買出しと準備を済ませる。
講演の内容はアーユルヴェーダの根本聖典ともいうべき『チャラカ・サンヒター』(2世紀)の医者のたしなみとしてディベートを学ぶ章について。50以上の写本をインド各地から集め、使われている文字(シャーラダ、デーヴァナーガリー、ベンガーリー)や誤字脱字をもとにA写本はB写本の写しで、B写本はC写本の写し…などと系統樹を作っていく。気の遠くなる作業だ。その過程で、刊本では現代のインド人が勝手に解釈して改変している箇所がわかり、古代における専門用語の意味が明らかになる。
理由(hetu)は後代、論証の一部分をなすものになるが、チャラカの時代は4つの認識手段(pramANa)の意味で使われていた。ところが編者が論証の一部分という考えに引きずられて、順番を改変したり、複数形を単数形に変えたりしてしまう。そしてそれは、どの写本からも支持されないことで、編者の改変だと分かるのだ。
オーストリア科学アカデミー・アジア文化思想史研究所の所長であるプレッツ博士は、8年前の来日のとき都内で泊まるところがなく、当時亀有に住んでいた私の6畳一間に約1週間滞在した。浅草に浴衣を買いに行ったり、地下鉄の階段を転げ落ちて病院に連れていかれたり、緑茶を出したら夜眠れなくさせてしまったりしたことを思い出す。4年前に来日したときは奥さんと一緒にお寺を回った。
講義は英語だったが、終わってからもう当然のようにドイツ語で話しかけてくるのでそのままドイツ語モード。時折ヒンディー語が出そうになったが(アッチャーとかイスリエーとかレーキンとか)、それはともかくも存分にしゃべれて満足だった。教授や先輩後輩も交えて、久しぶりに終バスまで飲んだ。

昨日から妻の実家に向かい、妻子を置いて浅草へ。NPO法人世界のボードゲームを広める会『ゆうもあ』主催のボードゲームシンポジウムの当日である。
思うように参加者が集まらず、収支はぎりぎりのライン。早めに浅草に着いたので、浅草寺にお参りして般若心経を唱え、気持ちを落ち着かせる。
着いたら会場設営なんかでバタバタしているうちにもう時間。心配していた参加者だが、東北勢6名のお陰で何とか赤字を免れた。当日参加の東北勢は、ヘルム峡谷でエルフを見た思いでしたよ。
最初にゲーム賞の発表。今回は全部の賞にデザイナーからコメントをもらえたので翻訳して読み上げた。フェデュッティのが受けたかな。そして能勢さんに表彰。
シンポジウムの発表者は新大陸の坂本さん、メビウスの能勢さん、バネストの中野さん。3人がずらりと並ぶと壮観である。
坂本さんはメーカーがロングスパンで取り組むことと、ゲームの露出を多くする必要性を説き、ルーンバウンドの日本語版、ファミレスで導入されつつあるテーブルトーク端末へのブロックス導入など、具体例も示された。
能勢さんは分かりやすい日本語ルール作りのためのノウハウをご披露。ただ言葉を変えればいいだけでなくて、文化的背景やゲームの前提知識も含めて、日本人が読みやすい翻訳をする難しさを感じた。
中野さんはバネストのこれまでを振り返りながら、今後の展望を述べられた。国産ゲーム・日本人デザイナーの応援、そして日本語の環境でゲームが出ることで一般人により親しみやすいボードゲームのあり方を提案している。
後半のディスカッションは、まず邦題統一の可能性という、我々が用意してきたテーマに多くの時間を割いた。話の結果、新大陸でもメビウスでもバネストでも、先行して販売されたタイトルにできる限り合わせるということでお三方が合意されたのは大きな収穫であろう。ゆうもあが邦題が分裂しそうなメーカーの命名権を管理するという案も出たが、事実上無理そうだ。また、ドライマギアやツォッホなど、たくさんの輸入業者が関与しているメーカーでは、このような同意が得られないのも課題として残された。
次に国産ゲームに何を期待するかという話題では、ルールが簡単で多人数向きの日本語ワードゲーム、クイズゲームなどを期待するという声が上がった。確かにこれは、世界中どこを探しても日本にしか作れない。この手のゲームではワードバスケット、アップルトゥアップル、ワードリンク(同人)が出ているが、まだまだ可能性は残っているだろう。
最後にサマリー、フローチャートを作ってつけてほしいという話から、カード訳はシールがいいか対訳表がいいかなんていう話まで。ここまで4時間、本当にあっという間に過ぎてびっくりした。
懇親会も盛り上がった。前夜祭があるため「1時間だけ」という中野さんが最後までいてくれて一本締めまでしてくれたこと、メビウスママさんがお店を閉めてから駆けつけてくださったこと、そのほかウェブではなかなか話せない四方山話をできたことが嬉しい。これまた2時間があっという間に過ぎた。
二次会はお断りして仙台組のお二人とつくばへ。家に着いたら郵便受けに「ボードゲームシンポジウムのご案内」当日かよ!
意外に早く着いたのでちょっとゲームを遊ぶ。明日はゲームマーケットで早起きだ。

物質世界の中に生物世界が開かれた構造からの類推を手掛かりに、生物世界の中に開かれる心の世界のありようを執拗なほど丹念に追求する。

人間が心の世界をもったのは、記憶によるところが大きいという。本能、刷り込み、条件反射を経て自由意志へ。記憶から時間と空間が生まれ、論理と感情が生まれる。

論理を原初的には因果律の判断と捉えているところが面白い。インドの論理学も古代には因果関係が大きな軸だった。それが必然かどうかを問われて、演繹論理学の性向を帯び始める。

心というあやふやなものを客観的につきつめていくとき、その限界も明らかになっている。心の世界を維持し、未来を展望するために必要な規範則は、神などの絶対者によらない限り、絶え間ない自己研鑽によってしか得られない。

そこに、人間とは何か、自分とは何かを問い続ける人文学の意義が見出されるのだと思った。最近、文系であることに自信をなくしつつあったが、この本を読んで力づけられた。

遺伝や神経など、高校の頃習った生物学の知識を再確認できると共に、関連する哲学まで紹介されており、新書とは思えない読み応えがある。

子守り

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妻の産休明けに合わせて、平日は私が自宅で赤ちゃんを見ている。幸いお葬式も今のところ入らず、山形のお彼岸は雪でお墓参りもしないから、今週は無事に過ごすことができた。
赤ちゃんはほとんどの時間寝ているので、その間インターネットし放題。ボードゲームのことばかりやっていて、世捨て人だ。インド哲学の論文を書いているのも、十分世捨て人だけれども。
赤ちゃんがときどき起きたら、オムツを替えるか(泣き声が「うぇーん」の場合)、だっこしてゆするか(泣き声が「ひょえーん」の場合)、ミルクを作って飲ませるか(泣き声が「ギャオー」の場合)。
赤ちゃんは4月から保育所入りが決まっているので、こうしていられるのもあと半月ほど。子育ては10年だと、知り合いの和尚さんから言われたが、子どもはどんどん変わっていくから、同じことを10年続けるわけではない。そう思うと貴重な時間に感じられる。
ただ自分を子育てのオリに閉じ込めてしまうと、精神的に持たないような気はする。視線を時折外にも向けながら、子どもと向かい合うぐらいのスタンスがちょうどいいのかも。外出だってしたければできる。花粉症なので決してしないけれども。

膨大な量の叙事詩マハーバーラタから抜粋。兄の留守中に兄嫁の浮気を監視するよう頼まれた弟が、恥も外聞も捨てて兄嫁の膣の中に小さくなって隠れ、インドラ神の誘惑を退けたという話(ピプラのお話)や、賭博に狂って国を追われた王様を王妃が救った話(ナラ王物語)など。

マハーバーラタの和訳はいくつか出版されているが、翻訳の精度と読みやすさを両立する難しさを感じる。上村氏の原典訳は精度は高いが必ずしも読みやすいとは言えず(そもそも原文が読みにくい構成なので)、山際氏の和訳は精度は低く誤りもあるが脚色されていて読みやすい。難しいところ。

おそらくサンスクリット原典ではなく、英訳かヒンディー訳から訳したものと思われる。Vaayuをバーユ(馬油じゃないんだから)、Vedaantaをヴェダンタと表記したり、インド六派哲学の総称と説明したりするなど正確さに欠ける。

三県合同梅花流研究会(宮城・秋保温泉)に参加。宮城・山形・福島から僧侶と奥様方が集まり、1泊2日にわたって御詠歌の研修をする。私は初めての参加。
まず仰天したのが驚異の欠席率(笑)。150名も名簿に名前があったのに開講式にいたのは半分で、その後の講習も誰も座らない座布団が空しく広がっていた。
何しろ、このところ寒さが緩んでお葬式シーズンだ。今日がお葬式、今しがた檀家さんが亡くなったとはじめから来なかったり来ても1時間で帰ったり。うちのお寺では何もなく最後まで参加できたのは50%ぐらいの幸運だったようだ。
夜になると、仕事も終わって人も増えた。懇親会の始まりである。この研修会は、御詠歌よりも懇親会がメインのような気がする。
懇親会は、美味しい料理とお酒に舌鼓を打って竜宮城にいる浦島太郎。乾杯が始まってすぐ、ほろ酔いの中で頭に浮かんだのはこの言葉。こんなことをしていていいのかな、オレ?
無常迅速 生死事大
各宜醒覚 慎勿放逸
そんな感慨もそこそこに、宮城チームのマツケンサンバを皮切りに各県の出し物が始まる。うちのチームは恋のマイアヒでパラパラ。
この出し物にかける労力は並大抵ではない。来る前に2回、この出し物のために集まって練習してきた。係の人がビデオを見て研究し、振り付けを紙に書いて配布。延々と練習していた。さらに装束も気合はいりまくりだ。エルビスプレスリー、男装、女装、皆予めパーティグッズを入手してきている。私は白いブレザーにチョンマゲで勝負。
高校の部活・大学のサークルと、余興には命を燃やしていた。
踊りの最中にそのときの興奮がよみがえってくる。練習しすぎたせいで、踊りがあまりに揃いすぎてしまい、観客は呆気に取られていた。後から「準備はご無理のないよう、ほどほどに」といわれる始末。
終わりには全員で手をつないで輪になり、「今日の日はさようなら」を斉唱。二次会は山形チームでカラオケ。当然のように「携帯哀歌」と「青のり」を歌う。母もいるのでちょっと恥ずかしい。さらにラーメンを食べに行く人たちや国分町(仙台の夜の繁華街)もいたが、部屋に帰ってNHK教育の「中国語会話」「フランス語会話」「イタリア語会話」「アラビア語会話」を立て続けに見た。
翌朝も講習、そして閉講式は略布薩だった。正座1時間×5回はかなり堪える。畳の上でないせいか座布団があってももう足が痛くて痛くて......。
この研修会は2年に1度開かれているが、もうやめたらという声も聞かれるそうだ。驚異の欠席率に加えて、講習よりも懇親会という実のなさ、宴会の余興の心配など、そう思わざるを得ない点が多々ある。息抜きとはいえ何をやっているのだろうかと。
しかし、御詠歌は技術の向上が目的ではあるまい。主任講師から「結局は信仰」という話を聞いたとき、人と人のつながりを大切にしながら、ひとつのことを続けていく。遠回りに見えてもそういう道筋もあるのかなと思った。

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