2006年6月アーカイブ

ジョークのレトリックをロシア・ジョークやユダヤ・ジョーク、江戸小咄などの実例を交えながら分析。チャレンジコーナーでオチを予想する問題がついているが、題名の通りジョーク力がつくかは分からない。

それはさておいても、ユーモアとエスプリの違い(ユーモアは感情に訴えるもので、エスプリは知性に訴えるもの)や、ジョークの分類(言葉遊びからブラックまで10種類)など、体系立てられていて面白い。

笑うためには多くの前提(「ジョークのトポス」)が必要とされる。フランス人にとってのベルギー人は馬鹿(インド人にとってのシク教徒もそうだ)、ヨーロッパ人にとってのアメリカ人は無作法の代名詞なのだ。それが社会的差別にもつながっているのだが、内輪うけほど面白がられるのはそのせいだろう。

「ベルギー人を数時間あそばせる手軽な方法とは?―両面に「裏を見よ」と書いた紙をあたえさえすればいい。」

日本のジョークは言葉遊びが多いという。それは同音異義語が多いという特徴と、それをもとにしてできた掛詞の高い評価からだ。でも、近年はオヤジギャグと言われるなど、「うまい事言う」のはあまり評価されないかもしれない。

私も幼い頃からウケ狙いが好きだったが、おかしさの条件である「ほどほどの」「優越感、ズレ、解放」がうまくいかず、人を実際に笑わせるにはなかなか至らない。特にこの頃は加齢のせいか、自分を落として笑いを取るというパターンが減ってしまっている。

「自己を笑う人間は自分の限界を心得ている。誇大な自己幻想から醒めている。そして愚かな自己をいとしんでいる。」……もっと自分を笑えるようになろう。

お寺めぐり

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檀家さんが訪れてすぐ法事。3人の年回忌が当たっているが、お布施は1人5000円しか出せない、法事をしてくれるかという申し出に、そんなことは聞かないで下さい、供養は住職の務めです、お布施の額とは関係ありませんということを申し上げると檀家さんはちょっと涙ぐまれた。
近くのお寺さんで、1人1万円、3人なら3万円、それより少なければ供養しないと公言する和尚の話を聞いたらしい。「それは、ケチったらお布施の意味がないという意味だと思いますよ」とフォロー。どういう意図で仰ったのか分からないが、お寺は商売かと取られかねない発言だ(今どきそんな商売は成り立たないわけだが)。
法事が終わって、御詠歌の講習。南こうせつの新曲を練習した。3番の歌詞「幼い頃に抱かれた ぬくもり今も忘れない この世で受けた幸せを そっとあなたに捧げましょう」は、しばらく会っていない息子を抱っこしたときの暖かさを思い出すせいかいつも胸が詰まる。そういえば別れてからもう1週間になる。
午後からは兼務寺院をしているお寺の役員研修。役員のリクエストによって、私が住職になって初めて行ったものだ。4件のお寺を巡り、参拝して住職の話を聞く。一応会費の中から3000円ずつ置いてきたが、どのお寺でもお茶を用意して待っており、暖かい歓待だった。
どの住職のお話も面白かったが、一番は私の師匠の稲川淳二もびっくりオカルト話。人形供養というのがあるが、いつの間にか場所を移っていたり、髪が伸びたりすることがあるんですと真顔でお仰る。特に魔女の宅急便のジジ人形が一番曲者らしい。でかいトトロも置いてあった。これらが夜の本堂をぴょんぴょん飛び跳ねる姿を想像してちょっと笑えた。
研修から帰ってお寺で反省会。一昨日飲んだばかりだったせいか、あまり酔わなかった。今日の面白かった話や境内の整備の話など。

客来すぎ

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朝の8時から夜の8時まで来客ラッシュ。明日の葬儀の遣い、供え物届け、祭壇設営、引き出物届け、境内の草刈、境内墓地の契約、墓地の造成見積もり、墓地参道の工事、その見学、庫裏新築の下調べ、子ども会の行事打ち合わせ、宅急便……当初の予定では夜の打ち合わせだけだったはずだが。
お客様の合間を縫って境内の掃除、そして檀家さんが床屋をオープンするというので祈祷、そして明日の葬儀で使う書き物。詰め込みすぎた。体が順応すると、一仕事終えると休む気も起きず次の仕事を探してしまう(そして、仕事はいくらでもある)。危険なことだ。
境内の清掃では、初めてブロアーが登場した。ガソリンエンジンでモーターを回し、強力な風を送る機械で、落ち葉を吹き飛ばすのに使う。昨年、イチョウの葉を片付けるために購入したものだが、すぐ雪が降ってしまい未使用のままだった。
今日は今まで大汗をかいて1時間もかかって箒で掃いていたところをわずか5分という鮮烈なデビュー。葉っぱもゴミも波状に飛んでいくさまは壮観である。これからも活躍してくれそうだ。
夜は子ども会の会長さんがいらっしゃって一泊坐禅会の打ち合わせ。何年か前、近くの公民館で行われた教育座談会で私が「いかにして地域で(非親を巻き込んで)子どもを育てるか」という問題を提起したところに、会長さんが目をつけたという。おそらく当地区で初めての試みである。
私の狙いは2つあって、ひとつはいのちの教育、もうひとつはボードゲーム。
いのちの教育は近年大いに叫ばれているが、学校が政教分離のもと避けて通っている宗教なしには教えられるものではないと私は思っている。なぜなら死を通してしか、いのちの意味は分からず、死は宗教が最も深く扱っている問題だからだ。
ボードゲームは私の単なる趣味だが、外遊びもできず、テレビゲーム一辺倒の子どもたちにコミュニケーションスキルを楽しみながら身に着けてもらえればいいなと思っている。
というわけで、お寺でボードゲーム&坐禅という通常ありえない組み合わせの行事が8月に開かれる。さあ、どうなることやら。ゲームの選定とインストラクターの確保を、ぼちぼちやっていこう。

帰ったらまた

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昨日は午前中火葬、午後から葬儀、帰宅してほっとしているとすぐ訃報が入って枕経。檀家数200件ほどのお寺では、こんなことも珍しい。すっかり気を吐いたので早々と就寝した。
お葬式で伴僧にいらした和尚さんからいろいろ聞く。税理士もなさっているので法人関係に明るい。
まず檀家総会をするかどうか。うちの寺では総代会(5名)、役員会(20名)を行って、檀家総会(200名)は大きな行事がある年だけ開いている。しかし「お金を集める年だけ総会をするのか」という批判もあって毎年開催も考えているが、さすがに年3回も集まるのは集めるほうも集まるほうもたいへん。
和尚さんのお寺では代議員制度を設け、総会はしないようにしているという。大和尚になる大法要では、説明のために総会を設けたが、出席したのがたった10名。それでは意味がない。
うちのお寺は現在役員会が代議員会のような役割を持っているが、それを定める文面はない。規約を作って毎年恒例のことは役員会の決議が効力をもつとしたほうがよさそうだ。
それから伴僧のお布施は帳簿にどうつけたらよいか。伴僧というのは、お寺から頼まれて葬式のお手伝いをするもので、そのお寺からお布施をもらったことにするとそれは給与になり、源泉徴収の対象になる(日雇い)。それでは頼んだほうのお寺の税務がたいへんだし、記載していなければ査察が入ったときに問題になる。
そこで帳簿には寺名・施主名と表記し、施主から直接頂くかたちをとる。そうすれば布施収入となるので非課税だ(もっとも国会で審議されている宗教法人法の改正によっては、これも課税対象になる可能性はある)。
なるほど勉強になるなあと。

取られる

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平日にしては珍しいが午前中に2件法事。定年退職した団塊世代、土日仕事のサービス業が増えると平日のパターンがもっと出てくるだろう。
帰宅すると明日の葬儀の遣いがいらっしゃってちょっと話し込む。お布施の額を聞くのが主目的だったらしいが「だいたいのところは役員さんに伝えてありますのでそちらから聞いて参考にして下さい。」その後、役員さんから電話がかかってきた(笑)。
こんな回りくどいことをするのは、当事者にはっきり額を言うと「取られた」感が強まるからだが、役員経由でも別の強制力が生まれる恐れはある。だから当事者にはしつこく、「額は参考程度で状況によって変わっても全く問題ありません」と言い添えているのだが、十中八九はピタリその額である。
最近こんな話を聞いた。近くのお寺に東京から「お金がないんですけど、お葬式をして下さるでしょうか」という人があった。当然断るはずもない。すると、「それで、おいくらぐらいで……」と聞かれたそうだ。齢八十になろうとするその和尚、「金ないって言うんだったらいくらも何もないべ?」と受け取らなかったらしい。
「対価ではない」というお布施の意味を理解するには、これくらい極端なことが必要なのかもしれない。このところときどきこの話を思い出している。

グーグルってどうやって儲けてるのか全く知らなかったが、羽田空港の駐車場やメッキの話を読みながら納得。

広告媒体がネットに移行することの影響、そしてグーグルが検索だけでなくさまざまな事業を行いつつ広告空間を拡張することで起こる社会影響が書かれている。コンピュータに支配される社会というまさかと思うような将来も、ありえない話ではない。

ネットの話では8:2の法則を打ち破る「ロングテール現象」、あふれる情報の中で選択されるための「アテンション」の話が印象に残った。

田舎で店舗を出しても絶対売れないような品(売り上げグラフの下降線を指して「ロングテール」という)を、日本のどこかでほしい人がいる。ネットは、そういう需要と供給を容易につなげ、新しいビジネスチャンスを作る。ネット通販専門店という形態もたくさんある。ネットがあれば、ヒット商品がなくてもやっていけるのだ。

近年ブログで発信している人が多いが、増えれば増えるほど、読む人があまりいないブログも出てくる。それでいいというならばかまわないが、見てもらいたくて発信しているならば、それなりの工夫(「アテンション」)が必要になる時期がきているのだ。ましてポータルサイトを目指しているならば間違いなく。

個人のホームページに関連広告を掲載して収入を得るというGoogle AdSenseでもやろうかなという気になった。

まごころに生きる

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曹洞宗は今月初めに札幌で開かれた梅花流全国大会にて、新曲『まごころに生きる』を発表した。作詞作曲は南こうせつ。九州の曹洞宗寺院の三男坊なのだとか。
お坊さんでない人が作った曲はこれまで古賀政男の『彼岸御和讃』があったが、あれは唱歌のようでいまひとつ。今回はどうなるだろうと興味津々だったが、かなりいい曲だった。
これが一番の歌詞。ホロリと来た。解説では「諸行無常」「諸法実相」を説くという。
(一)そよ吹く風に小鳥啼き  川の流れもささやくよ
   季節の花はうつりゆき  愛しい人は今いずこ
   ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
   生きてる今を愛して行こう
旋律の特色はファ音を基調とする四七抜き音階。つまりシとミがない。ド音を基調としない曲は涅槃御詠歌に続いて二曲目だが、長調は初めてである。
それ以上にこれまでにない大きな特徴が、拍速70。たいていの詠讃歌は38〜50だったので、異様な速さだ。この速さでは3,4拍目の鈴が振れないため、鳴鈴は3拍目だけとする。
さらに詠衆は詠頭が唱え始めたら撞木も鈴ももって準備する。いつも通り撞木だけをもっていたのでは、鳴鈴が間に合わない。
……こんな講習会が今日の9:00〜15:00。私は助講ということで講習の手伝いをしていた。昼に鴨そばが出たが、昨日の昼は八郷でしゃもそば、夜は宇都宮で天ぷらそばを食べていたことは内緒にしてある。
講習会が終わってから寺に戻り、16:00から寺役員会。決算・予算の承認など。日記でも以前にまとめたが清め塩、シダミ、六曜は迷信であることを強調し、生前戒名を全員に勧める。
今最も難航しているのが総代人事。総代長が体調不良で辞意を表明し、後任選びが難航している。
かつて総代はしかるべき家(いわゆる庄屋)の当主にのみ許されるポストであった。うちのお寺も基本はその路線だが、そのしかるべき家というのが5件しかなく、その中に後継者がいない家や親族関係にある家があって、総代の定数を確保できなくなった。
となると総代の次に来る地区役員の中から、長年の業績があった人物を繰り上げるしかない。地区役員経験のない人物では、お寺のしきたりを知らないまま総代になってはつらい。
しかも総代は最低10年は勤めてもらいたい役職。そうなるとあまり年配の人に頼むわけにもいかない。60代半ばが限度。長年の業績がある50〜60代というと2,3人ほどしかいなかった。つまり、代々地区役員をしている家で、父親が早くして亡くなり、交替して30代くらいからずっと役員をしているという方々だ。
その中で最も有力とされていた方が、他の業務と家庭の事情を理由に断られた。「気力がない」という言葉は勧誘をあきらめさせるのに十分だった。
そこでどうするかという相談。30ちょっとの住職では、やれと強く言うこともできない。ひとまず経過を関係者に伝えて、互選で決めてもらうか、無理だったら総代に一任してもらうようにしてはというアドバイス。こういう段取りは苦手なもので、たいへん勉強になった。
役員会終了22:30。長い一日だった。明日も朝から法事ですよ。

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