『葬式と檀家』

檀家制度は、江戸時代のキリシタン弾圧から始まった。すなわち島原の乱でキリスト教徒を危険視した幕府が仏教への改宗を徹底させ、キリスト教徒でないことを寺院が保証する寺請制度が敷かれて、元キリスト教徒であるかないかにかかわらず全国民がいずれかのお寺の檀家になった。
本書は、この事情を古文書を丹念に取り上げて明らかにしたものである。
伴天連追放令を機に藩の態度が急変―小倉、元キリスト教徒が改宗したことを証明する寺請証文の誕生―熊本、1637年に起こった島原の乱の始終と翌年に発布された密告奨励制度、身分保障機関として指定された寺院の繁栄―浄土真宗、堕落する寺院を排した神道請制度の試み―岡山、キリスト教徒本人だけでなく親戚一同が投獄された恐怖政治―岡山・熊本、戸籍簿となる「宗門人別改帳」と寺院が偽作した「御条目宗門檀那請合之掟」、寺請の拒否をちらつかせて離檀をさせなかったり不義密通を強要した寺院―熊本・神奈川。
古文書(よくぞこれほど残っているものだ)を徹底的に照合し、歴史上無名に等しい人物を丹念に追いかけながら、その社会背景を考察する道筋は見事。当時の状況がありありと蘇ってくるようで引き込まれる。
「つねづね、大不義坊主多く候ゆえ、旦那もはしばし承り候えども、ぬしぬしが口ゆえ坊主を迷惑させ申す儀もいかがと存じ、だまり居り申し候ゆえ、一入年々不義大きにまかりなり候…」(池田家文書)
公僕となって国家権力を後ろ盾に、民衆から派手な収奪を繰り返していた僧侶に、もはや仏教だとか信仰などというものが残る余地はない。
寺院はそんなところではなくて、信仰の拠り所でもあったのではないかという期待も、筆者は切り捨てる。そういう構造になっているのだから。
「信仰心による喜捨に支えられて、堂于が維持され拡大されたというのは表向きの説明にすぎない。われわれの先祖たちは、食い扶持をへらしてもその資金を寺へ運ばされたのである。そしてその資金を拒否すれば身分的差別・宗教的差別をうけたことはすでに指摘したところである。」
寺院には明治元年の神仏分離令、太平洋戦争後の農地解放令に続き、現在は農村の過疎化と葬祭業者の進出によって第三の危機が訪れていると筆者は言う。江戸時代から寺院の拠り所になってきた檀家制度が崩れつつある今、寺院は本当の意味での寺院(修行と信仰の場所)になれるのかもしれないと思った。

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