坐禅

作務衣<スーツ?

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僧侶の服装には法要などで着用する衣、外出時に着る改良衣、そして炊事洗濯などで着る作務衣があります。また衣でも袈裟をかけたり絡子にしたりすることがあります。

ところがこの頃会議や研修などで、スーツ・ネクタイに絡子という姿で現れる方が出てきました。「会議や研修などではきちんとした服装で参加するように」というお達しがあったりすると特に増えます。

そういうとき、作務衣に絡子という服装は「きちんとした服装」とみなされません。作務衣よりスーツがより正装に近いというわけです。

しかしこれっておかしくないでしょうか? スーツはあくまで世間的な正装で、出世間の僧侶から見ればいわゆる「娑婆服」です。仮にも出家者がこれを着て堂々としている感覚が分かりません。

さらに「一日為さざれば一日食らわず」の曹洞宗では、労働は尊いものとされ、作務は修行の本質的な部分と考えられます。であれば作務衣だって、「きちんとした服装」ではないのでしょうか?

出家者の服装は在家より聖なるものでなければならない、という理由から、作務衣<スーツではなく作務衣>スーツであるべきだと思うのですが、これは一般的な考え方ではないようです。うーむ。

やはりスーツが上ですか?
作務衣が上ならどうしてスーツを着てしまうの?
どうやったら作務衣を準正装にできる?

(断っておきますが、作務衣を正装にと主張しているのでは決してなくて、スーツと比べて「きちんとした服装」度が低いことを疑問視しているわけです。「正装」といえば大衣塔袈裟、でなければ改良衣までということに異論はありません。
中国で道元禅師の心を打った椎茸典座はどんな服装だったのか分かりませんが、在家の服ではなかったはずです。)

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このページは、おの2006年9月15日 17:32に書いたブログ記事です。

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