2006年12月アーカイブ

『ウェブ人間論』

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『ウェブ進化論』の梅田望夫氏と『日蝕』の平野啓一郎がインターネットの今と未来を語った対談集。

はてなダイアリーの狙い、ネット時代の人脈活用、検索に引っかからない語=空いているスペース、情報がフローするネット時代の本のメリット、グーグル社員のスターウォーズ好きなど、興味深い話が読めて満足。そのほとんどが梅田氏の発言で、平野氏の意見は当たり前すぎて素通りしてしまう。

この分野で圧倒的なデータを持つ梅田氏に対して、平野氏は30歳以下の世代の感覚をぶつけ、その正誤を確かめているような印象を受けた。

自分と同じ志向性をもった人が集まりやすい「島宇宙」についてはそこまで実感がわかなかったが、頭の中の記憶(教養)と外部記憶(調べられる情報)のすみわけがインターネットの検索、とりわけ検索の精度向上で変わりつつあるというところに深く共感。

私自身、頭は使っているのに記憶力だけ減退している気がするのはネットのせいか(年のせいかも)。覚えてなくてもネットで調べられるという油断はある。

2級師範検定

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御詠歌の検定会が港区の本庁で行われ、2級師範を受検してきた。

 2級師範というのは8つある御詠歌の級階で3番目に位置し、全国を教えて回る「特派」に選ばれる資格である。受検資格として1等教師以上の僧階、和尚以上の法階が必要。しかし近年は合格者が増えており、「特派」を任命される確率はだいぶ低い。

 そんな状況もあり、若い人にはもっと研鑽を積んでもらおうということで受検資格の改正が行われようとしているらしい。具体的には令命二等以上の布教師資格が必要になり、3級師範補命から受検可能になるまでの期間が3年から5年に延びる。

 ということで今回は改正前の駆け込み受検となり、24名の3級師範が受検した。

 昨晩は久しぶりに頭を逆剃りして気合を入れる。今朝も6時半に出発して万全の体制で臨んだ。9時受付で10時から筆記試験開始。

 筆記試験は『地蔵菩薩御詠歌』「たらちねのみ親のもとにいる子らは御名を唱うる声ばかりなり」の歌詞解説。現在宗門は、子どもを失った親、特に母親に罪悪感を抱かせる水子供養には否定的であり、この歌詞を賽の河原云々と解説すると多分不合格になる。「み親」=地蔵菩薩、「子ら」=衆生、「御名」=南無地蔵大菩薩と取るのが正解。

 それから実技試験に入るが、受検番号が最後のほうだったので3時間もまんじりともしない時間を過ごした。とうとう自分の番が近づいて緊張してくる中、ふと思った。

 若僧の自分がたいした努力もせず、実力もないのにこんなところにいる。それは何か大きなものが私を動かし導いているからではないか。御詠歌は私が唱えるのではなく、唱えさせられているのだ……。
自己責任を放棄するような考え方だが、宗教である以上そういうふうに感じることがある。

「ただわが身をも、心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに従いもてゆく時、力をも入れず、心をも費やさずして、生死を離れ、仏となる」(『正法眼蔵』生死の巻)

 この感覚になってからは並み居る検定委員の偉い先生方の前でも不思議と上がらずお唱えできた。今回の課題曲は『梅花替節』、『慈念』、『開山忌』の3曲。ただ一番練習していなかった『開山忌』は付け焼刃らしく、最後の一節を歌詞間違い。
 合否は今月中に判明するという(後日追記・合格しました)。

経済成長を続けるBRICsの一国として近年注目される大国と、日本の企業がビジネスでうまくやっていくためのノウハウを書いた本。

著者は東京銀行ニューデリー支店に長く勤務し、現在は「インド・ビジネス・センター」の社長を務める。ただの印象でなくデータに裏付けられた実利的な記述は、「インドの一辺をなぞっているだけ」だとしても具体像がよく見えてくる。

インドで実際に仕事をしていたからこそ得られるような数々のエピソードが出色。快進撃を続ける韓国企業サムソンやLGの売り込み方、IIT出身者の活躍、スズキがインド政府を訴えた裁判、インド産マンゴーの輸入解禁が遅れたわけ、太りすぎの社員を地上職にしたエア・インディアの決断など、とても興味深く、時に笑えるエピソードがいっぱいつまっている。

日本人がインド人と渡り合っていくには沈黙よりも雄弁が必要と説く。そしてカーストなどの因習に囚われないこと。「インド人と対等に付き合えるようになれたら、日本人も国際化したといえるよね。」(インド大使を務めた外交官の言)

お布施の使い道

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毎年この時期になると頭を悩ませるのが、年末まで法事の連絡がない檀家さん。法事はお寺からやれと言われてやるものではないし、かといって黙っているのもお寺の怠慢。

 これまでは年末ぎりぎりになって合同法事を案内してみたり、何も連絡せずに塔婆をもって参上したりしたが、罰ゲームみたいな感じになってよくない。そこで今年は11月末の時点で連絡のない方に「万一お忘れではないかと思い」封書を送って、今日供養をするので必要な方は塔婆を申し込むというかたちにした。

 法要の後で、法事はあくまで施主が主体になってするものであること、時期は寒くなる前がよいこと、場所は自宅がよいこと、祟りなどを恐れてするのではなく感謝の気持ちでするべきことを説明申し上げた。年末も押し迫っていないので比較的ゆったりした気持ちで参列して頂けたと思う。
お昼からは今年亡くなった方の戒名を過去帳データベースに入力し、来年の法事年回表を作ったり、古いマッサージチェアをヤフオクに出品したり、新しいカバンを買いに行ったり年賀状200枚を印刷したりしているうちにこんな時間。

 さて、かねてより調べたいと思っていた近年のお寺の収支の推移を調べた。それを平均するとお布施の使い道が分かる。

 10000円お布施を頂いたとして、洞松寺では以下のように使っている。
車のガソリン代など管理費に600円、書籍や研修会参加など教化費に700円、お礼や香典など交際費に900円、住職がつくばから往復するのに900円、本堂の光熱費に200円、電話代など事務費に200円、設備や機械など大きなものを買うのに500円、生花・線香やほかのお寺さんへのお礼など法要費に1000円。残りの5000円が給与となる。

 つくばやインドから往復しているので交通費がすごいことになっているかと思ったが、月平均6万円くらいだった。交際費と同じというのが「気は心」のお寺らしい。

 いくら仏教で蓄財が禁止されているとはいえ、お寺としての貯蓄がほとんどないのは問題かもしれない。やっと去年あたりから余裕が出てきたが、無駄遣いしないようにしたい。

 利率は確かによいが坊主丸儲けではない。昨今はお寺の会計も透明性が求められているので、近々役員さんに披露してみよう。

相手の意見をよく読まず、文中に使われている単語を見て「脊髄反射」的に批判・反論をされることが多くなったブログ時代に、そういったものにどう対処していくかをフランクに書き綴った本。

著者はまず反論を3種類に分類し、それぞれに合った技術を紹介する。

1.見せかけの論争―論争自体に関心はないがギャラリーからよく見られることを目的にして論争のふりをすること。八方美人ではなく味方になるターゲットを決めて訴えることが必要。
2.論理詰め―理詰めで自分の主張を相手に受け入れてもらうこと。真理はひとつではなく、力関係によって決まること、また外野を排して同じ土俵に立つことが必要。
3.人格攻撃―反論というかたちで相手を潰すこと
。自分も汚れ役となる覚悟(ここ重要)が必要。

一般に議論・論争といえば2を指すが、筆者は「ほんとうに論争をしたいという動機をもっている人は、世の中、そんなに多くありません」という。学者などでさえ、専門をちょっとでも離れると1か3にずれる。全くその通り。

であるので1と3に習熟して、状況に応じて使い分けたり、相手の動機を察知して対処したりするのが賢いやり方になるだろう。

インド哲学で行ってよいとされる議論は「真理を知るためのもの」と「相手に勝つためのもの」までであり、「名利のためのもの」は禁止されている。相手に勝つことは、自分が所属する派の基盤を守るために正当化されるが、そのような拠って立つ組織がない現代人にとっては、相手に勝つことがそのまま名利になってしまうのだろう。個人でやっていかなければいけない現代はツライのである。

右翼左翼やフェミニストとの論争を繰り広げてきた筆者の具体例はとても分かりやすく、突き放したような書き方に思わず笑ってしまうこともあって、マニュアル的な要素だけでなく読み物として十分愉しめた。

いったん世間の常識となってしまうと、それが嘘でもなかなか翻せない。専門的な知識がなくても初歩的な段階でそういった世間の常識のウソを見破る本。

筆者は5つのチェックポイントを基準に挙げる。
1.単純なデータ観察で否定されないか
2.定義の誤解・失敗はないか
3.無内容または反証不可能な言説
4.比喩と例話に支えられた主張
5.難解な理論の不安定な結論

2と3は特に宗教・哲学関係で頻繁に用いられる議論であり、注意が必要だと思う。インド哲学の議論で誤謬とされる「すでに成立しているものの論証(siddhasaadhana)」はこのことを言うのではないか。

また4にちなんで筆者は拡大理論(日常の話題からの類推を社会全体に適用するもの)と縮小理論(歴史的な大事件を日常的な課題に用いるもの)を紹介するが、これは説得力が高いために注意したい論法である。

このチェックポイントに沿って、最近の若者は夢がない、ニートは根性がない、日本の物価は高い、日本の輸入依存度は高い、日本の財政は破綻状況にある、バブルが長期不況を招いた、政府が企業を統制する時代は終わった、日本の国際競争力は下がっているという、どこかで聞いたことのある半ば常識化した議論に批判を行う。どれも目からウロコの批判ばかり。

何となくそうだろうと思うと、そのフィーリングに合ったデータばかり集めてしまう。それが実際に真実であるにせよ、根拠を探す努力を惜しまないようにしたい。

移動、移動

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妻が海外出張のところに葬式手伝いの依頼が入り、急にせわしなくなった。
山形からつくばに日帰りしても、保育所の迎えは間に合わない。いっそのこと子どもたちを車に乗せて山形に行こうかと思ったが、ノーマルタイヤでは雪道が心配だし、往復8時間子どもたちがじっとしているとも思えない。
あれこれ考えた結果、妻の実家にすっかりお世話になることにした。だが預けたまま山形にずっといるわけにもいかないので、すべて日帰りすることに。
というわけで日曜日は車でつくば→草加。午前中チャットや部屋の掃除をして、草加では子どもたちを義父母に任せて本まで読めた。のんびりした1日は嵐の前の静けさだったが、体力をだいぶ蓄えることができたと思う。
そして月曜日、子供たちを預け新幹線で草加→山形。山形では午前と午後に葬儀があり、終わってすぐ草加に戻る。ここで子どもたちを車に乗せてつくばに行く予定だったが、お昼に食べた青い蓮ゼリーとコーヒーの組み合わせで午後からお腹の調子が悪く断念。
火曜日の朝、車で草加→つくば。赤ちゃんを耳鼻科で見てもらって、子どもたちを保育所に預けほっと一息。買い物やホームページの更新などをする。あと予約していた粗大ゴミも出した。夕方、保育所から直行でつくば→草加。
水曜日は月曜日と同じパターンで草加→山形→草加。つくばには行かないことにしていたので、ちょっくら郡山に途中下車して『盗賊の親方』を遊んだが、22時帰宅になってしまい子どもたちはもう寝ていた。義父母もお疲れである。
そして木曜の朝に草加→つくば。たいへんな移動だったが、草加では至れり尽くせりだったので、ずっとつくばで父親一人子どもを見ているよりも楽だったのではないかと思う。
いずれにしても妻のありがたみわかり機。

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