任に当たって他に譲りがたし

長女を連れて10日ぶりにつくばに帰ってくると、訃報が入っていたので翌朝また山形へ。つくばの滞在時間はたったの8時間ほどだった。
睡眠不足もあって朝からだるい。大宮行きのバスも山形新幹線もずっと眠っていたが、お寺に着いて枕経が終わると体温が37度、通夜が終わると39度にまで上がっている。体中に寒気が走り、一瞬たりとも気を抜けないような状態。喘息もひどくなった。
早めに寝たのだが、朝起きると熱はまだ39度ある。しかしお葬式を延期してもらうわけにも行かないし、代役も立てられないので、ガクガク震えながら洗面所で剃髪。朝食を少しだけ食べて出棺のお経を読みに行く。一旦お寺に戻り、火葬場まで母に送ってもらった。お経を読むとき以外は、魂の抜け殻のような状態である。火葬場の寒さも身にしみる……
午後の葬儀まで時間があったので、火葬場からお医者さんに直行。衣を着たままの聴診器はたいへんだった。新幹線の中でインフルエンザに罹ったのではと検査もしたが、幸いにして陰性。もし陽性だったら、喪家に大量の罹患者を生み出していたことだろう。ゲホゲホ咳き込みながらお経を読んでいたからなぁ。
「安静にしていてください。」
「でも午後からお葬式なんです。代役を立てられなくて」
「お葬式? それじゃしょうがないなぁ(苦笑)」
「終わってから安静にします(笑)」
処方された風邪薬を飲んで、1時間ほど眠ってから午後の葬儀へ。症状はだいぶ緩和されていたものの、肉体的・精神的に全くの余裕のない葬儀だった。途中でぶっ倒れるんではないかと思ったが、何とか最後まで務めを果たし、フラフラになって帰りバタンキュー。予定ではこの日のうちにつくばに帰ることになっていたが、無理な話だった。
こんなとき思い出すのが亡くなった師匠(祖父)の最後のお葬式だ。あれは吹雪の12月だった。祖父のお葬式に付き添いで参加した私は、祖父が酸素ボンベでぜいぜい息を切らしながら、導師を務めていたのを見た。亡くなる3ヶ月ほど前のことだった。それを思い出すと、風邪くらいでへこたれてはいけないと励まされる。
翌日も翌々日も、熱は39度から下がらず薬を飲んでまる1日布団の上。結局三日三晩寝続けた。食欲はまだあるのが救い。治ったらつくばに帰るつもりだったが諦めざるを得なかった。長時間眠って意識が朦朧としていると、自分に妻子がいたことすらも夢の中の出来事に思えてくる。子どものアルバムを引っ張り出してきて確認するほど。
夜に妻が電話をかけてきて、みんな元気だというのでほっとしている。週明けに用事があるので、つくばに帰れるのはもう少し先になりそうだ。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


The reCAPTCHA verification period has expired. Please reload the page.