大学で講義

昨日は飯能の私立大学で講義をしてきた。生まれて初めての経験で緊張したなぁ。
大学で教えたいという希望をぼんやりとは持っていたものの、いかんせんインド哲学という専門では口がほとんどない。おまけに少子化で大学も厳しい時代、大学の教員になるのはどんどん難しくなっていると思っていた。
そんな昨年の暮れ、指導教官の先生から連絡が入る。その私立大学に勤めている先生が、ひとつ口を紹介して下さるという。話を伺って履歴書を送ったらあっさり採用。大学ってコネなんだなぁ……腐っても東大っていうことか。
とても嬉しい話だが、2つほど問題があった。
ひとつは飯能というところの遠さ。つくばからはつくばエクスプレス、武蔵野線、西武池袋線を乗り継いで2時間ちょっとかかる。帰りは池袋周りで東京駅からバスに乗ったら3時間もかかった。もっとも、長距離移動は毎週末の山形往復で慣れているのだが。
もうひとつは科目が「論理学」だったこと。いちおうインド論理学が専門とはいえ、記号論理学となるとちょっとかじった程度。大学1年のときに受けた野矢茂樹の論理学の授業は、途中で挫折した経験がある(朝1限のため起きられなかったというのもある)。
そこで考え直した。記号論理学は、もともと論理的に考えられる人が考える方法を効率的にまとめる手段である。今、学生の多くは論理的に考える方法を身に付けたいのではないか。とすれば、教える内容も今はやりの「ロジカル・シンキング」がよい。
「ロジカル・シンキング」は論理より論証の比率が高くなる。それならば私がここ数年やっている論証術にも近い。ということでシラバスもそのように書いたら、就職の役に立つと思ったのか結構な数の学生が集まった。
第1回は「論理的でない我々日本人」。これから毎週火曜日、ネタを仕込むのがたいへんになりそうだ。山形のお寺につくばの家庭に飯能の大学。これから1年、どうなることやら。

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