法話に泣く

今日は朝から近くのお寺さんで新潟からいらした布教師の法話を聞く。般若心経を読み、坐禅をしてから90分の法話。
話題は仏壇のお参りの仕方、徳を積むこと、無常に生きる我々、感謝など。説教臭くなく、たとえ話や実例を交えての分かりやすい法話だった。話し方も「えー」や「あー」などがほとんど入らず、さすがプロ。
岩手であったというお話を聴く。
母子家庭の母親が、小学生の娘を残して交通事故で亡くなった。身寄りはほかになく、福祉施設もいっぱいだったため、母親のお葬式で導師をした住職さんがしばらく預かることに。いっこうに心を開かないその子、口を開けば「お母さんは今どこにいるの?」と訊くばかり。
そんなある日、法事で「亡くなった方は、仏壇の中で安らいでおりますよ」という法話をしたところ、その子が陰で聞いていたらしい。お菓子が皿ごとなくなっていたので、おばあさんがその子の部屋に見に行ってびっくり。すぐに呼ばれた住職さんも部屋に入ってびっくり。
部屋の奥にお皿のお菓子。その奥にはダンボール箱が縦に置いてあり、蓋を広げて仏壇のようになっていた。箱の中にはたどたどしい字で「おかあさん」と書かれた紙が貼ってあった……。
ちょっと前、朝日新聞に載っていた母を亡くした子どもを育てる父親の話でもそうだったが、こういう話はもうダメ。途中からうつむいて我慢していたが、とうとう涙が溢れ出してしまった。涙を流したのは何年ぶりだろう。
釈尊は「愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。」と仰った(『法句経』)。しかしたとえ煩悩だとは分かっていても、私は当分の間、愛情というものを捨て去ることはできなさそうだ。
終わってからは気を取り直して美味しい蕎麦とわらび汁を頂く。心身ともにリフレッシュする半日だった。
写真はパソコンを移動した小屋の2階からの眺め。風もよく通り、見晴らしがよくて気持ちいい。
外の眺め

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