地獄

火曜日に期末試験が終わってから山形に向かい枕経。風邪が治らないので医者にかかったら体質改善のための「柴胡清肝湯」という漢方薬を処方してもらった。扁桃腺炎になりにくいようにするものだが、カンの強い子どもに飲ませる薬でもあるとか。
さて、山形でもお盆まで1ヶ月をきった。暑い中のお経読みは苦行そのもので、今から思いやられるほどだ。
お盆になると「地獄の釜の蓋が開く」という。もとは単にこの世とあの世に通路ができて、亡くなった人が帰ってくるという意味だが、逆に生きている人が死にやすい(亡者大募集中!)という意味もあるのだろうか。うちの祖母は、お盆に交通事故で死者が出たりすると「地獄の釜の蓋が開くっていうからなぁ」などとコメントする。
それにしてもあの世も極楽から帰ってくるのではなくて地獄から。『仏説盂蘭盆経』では、目連の母が餓鬼界にいるところから話が始まる。なぜ餓鬼界に落ちたのかと言うと、どうも自分の子どもを愛するあまり、他所の子どもに食べ物を分けてあげなかったのが理由らしい。
そんなんで何万劫と、飢えの苦しみを味わい続けなければならないの〜?
罪と罰のバランスが取れていないなぁと言えば地蔵和讃。親より先に死んだ子どもの罪をあげつらう。まず死ぬことで父母を悲しませたこと、赤ちゃんのとき母親のおっぱいが出ないからといって叩いたこと(「胸を叩くその音は奈落の底に鳴り響く」)、父親がだっこしようとしたときに、お母さんがいいと言って泣いたこと(「母を離れず泣く声は八万地獄に響くなり」)。
……どれも親としては子どもの罪とは思えないんですけど。こんなので餓鬼界や賽の河原にいくものかと。
しかし道元禅師はこう書いている。
悪の報あるべからずと邪思惟するによりて、悪報の感得せざるにはあらず。(『正法眼蔵』三時業)
こんなんで悪い報いはないだろうと思うこと自体が、悪い報いを受けるもとになるという。反省反省。でも地獄を盾に取って恫喝的な説教をするのは絶対してはいけない。死ねば皆が仏様、これぞ日本仏教の境涯なり。

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