坐禅

初夢は御詠歌で

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フラワー長井線で終点の荒砥駅まで行き、御詠歌の講習会に参加する。若い人も集まっていて、全部で35人くらいいた。始まる前、納豆アイスを糸を引きながら食べている友人に「まずそー」と言ったら、周りにいた人から「そんなことを言うなんて見損なった」と口々に言われ、「冗談だよ〜」と必死に火消しをする。

講師はシキ先生という方で、女性だが尼僧さんではない。当てられた人たちが、なぜか先生ではなくて私にばかり意見を求めるので、先生はイライラしている。おまけに隣に座っている妻が「シキ先生はホラー映画がお好きですか」なんて質問をするものだから、「それは御詠歌と関係ありません!」と怒り出した。

私がお唱えしようとすると、先生は「あなたは上級者ですから教えることはありません」などと嫌味を言う。そこで何とか頼み込んでお唱えさせてもらった。永平寺第一番『渓声』である。ところが「い〜ろ〜♪」の上のレからドに下りるアヤが大ハズレ。音程が高すぎるのか、声が出ない。調を下げてもう一回(のつもりが同じ調)。「い〜ろ〜♪」あまりの酷さに目が覚めた。

なんだろう、この夢(ほんとうの初夢は今日か明日の夜に見る夢である)。

お水をあげ、坐禅をして、朝課は般若心経・理趣分品・消災呪で大般若祈祷、参同契・宝鏡三昧で祖堂諷経、大悲呪で開山歴住諷経、寿量品偈で檀越先亡供養。これで1時間半ほど。終わってから実際に『渓声』を唱え初めしてみたが、夢ほど酷くはなかったので安心する。

年始客への引出物は、立春大吉のお札、お寺のマッチ、ごまふりかけ、七福神飴、住職だより、石屋さんから頂いたパンフレットの6点。もうすぐお客様がいらっしゃる頃だ。

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このページは、おの2009年1月 1日 07:13に書いたブログ記事です。

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