2009年8月アーカイブ

カラオケ

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土日に子供たちを外に出せなかったので、日曜の夕方から無理やり外出。夕方から子供と遊べる場所なんてないかなと思ったが、タウンページのジャンル分けで「カラオケ」を見つける。その手があったか!

というわけで、家族で初めてのカラオケ。カラオケブームに学生時代を送ったので、妻も私もカラオケボックスに入るとヘンに血が騒ぐ。

以下、私が歌った曲。コミックソングとアニメ特撮ばかりじゃ!
『あったらこわいセレナーデ』(嘉門達夫)
『あったらこわいセレナーデ2』(嘉門達夫)
『漢字読めるけど書けない』(ダンス☆マン)
『商売繁盛』(?)
『ドラえもんのうた』(東京プリン)
『Justiφ's』(ISSA)
『Round ZERO〜BLADE BRAVE〜』(相川七瀬)
『Journey through the Decade』(Gackt)
『侍戦隊シンケンジャー』(サイキックラバー)
『MOTER MAN(秋葉原〜南浦和)』(SUPER BELL”Z)

子供たちは恥ずかしがって歌おうとしなかったため、夫婦で1時間歌い続けた。長男はシンケンジャーを口ずさんでいたけど、歌詞をずっと目で追っていた長女は帰宅後感想を聞かれて「しょぼかった」。次女は始まるや否や就寝zzz。夫婦だけで楽しんだ感じだ。

帰りはファミレスによるつもりが激混みだったので、回転寿司に行って帰宅。

長男の山形弁

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つくばから引っ越して半年、長男がときどき山形弁を話すようになった。小学校では先生が標準語なので、長女は山形弁を話さないでも済む(女の子は、標準語を話す子が多い)。でも保育園は先生も園児もみんな山形弁なので、自然に身に付くようだ。

これまで「見て?」だったのが「見ろ?」、「ヤだ」が「ヤンだ」、そして極め付けは「♪わーりんだーわーりんだ」(いけないんだ、いけないんだ)。家ではこういうと、私や妻が笑うので元に戻す。そしてまた保育園で1日過ごして帰ってくると、山形弁が出てくる。面白い。

そういう私も3歳で山形に来たので、状況は全く同じだ。大学生だった叔母が、標準語と山形弁が入り混じる私の言葉を、大学のレポートにしたという。

女の子はともかく、男の子で山形弁を話さないのは結構浮く。言葉が違うことによる仲間はずれやいじめもよく聞く話である。

長男よ、ワンパクでもいい。たくましく育ってほしい。でも家の中で白虎刀を振り回す(シンケンジャーの影響)のは危険なので禁止な。

子供ゲームは一通り揃えているが、家の子供たちと一緒に遊ぶことは滅多にない。大人が遊んでいる間、子供たちは勝手に箱を出してコマを並べて遊ぶくらい。それが昨日、小1の長女が『ブロックス3D』を自ら持ってきた。快挙。

今月の初めにあった坐禅会のレクリエーションでボードゲームを遊んだとき、いくつか遊んだ中でこのゲームが気に入ったらしい。ルールもしっかり覚えていた。そばにいた妻と3人でスタート。

L字テンプレートで私が経験者の勝利。片付けようと思ったら今度は高層ビルのテンプレートでしたいという。妻と私がつぶしあっている間に長女が勝利。さらにリクエストでピラミッドのテンプレートも遊んだ。これは妻と私の同点。

『ブロックス3D』は、日本ボードゲーム大賞でゆうもあ賞にも選ばれているが、3ゲーム立て続けに遊んだのは初めてである。1ゲーム20分くらいで1時間。テンプレートが変わるごとにブロックの優先順位も変わるので、頭の切り替えが楽しい。

父親が子供たちに無理やり遊ばせるというのが嫌で、積極的に勧めてこなかったボードゲームだが、3歳の長男も知能がどんどん発達しているし、これから活躍する機会が増えそうだ。そのために、ラインナップをよく吟味しておきたい。

ホール内覧会

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今月から近所にオープンするセレモニーホールの内覧会に招待され、出席してきた。ホールを一通り見学した後は、会場を移しての祝賀会。

市内の葬祭ホールはこれで3件目となったが、今回できあがったのはその中で最も小さい50人程度の小さいホールである。近年、親戚・会社づきあいの希薄化によって葬儀の参列者は減少傾向にあるが、大きいホールで前のほうに少ししか座っていないのは高くつく上に格好が悪い。小さいホールにしたのは、この減少傾向に対応するためのようだ。もっとも、50人くらいなら家でもできないことはない。

近隣の長老のお寺さんの意見に賛同して、自宅かお寺での葬儀を強く推進している私であるが、ホール葬を完全否定するわけではない。駐車場がない場合、会葬者が多い場合、隣組や親戚のお手伝いが期待できない場合、車椅子の参列者がいる場合などは、ホールが必要になる。同じことはこの葬儀社に勤める友人も言っていて、誰にでもホールを勧めるわけではないとのこと。経済格差が広がっている今、実際問題として費用の面もあるし、流行に乗るという理由だけでホールを利用するべきではないと思う。

祝賀会では席次表まで用意されたが、寺院や出入りの業者とともに、年金友の会の方が招待されていて思わず笑ってしまった。お客さん、しかも送るというよりも送られる側である。

しかし笑った後に、我が身を振り返ると、寺院もまたお客さんなのではないかという気がしてきた。檀家さんに紹介するだけではなく、お寺で誰かが亡くなったときはご利用くださいということではないか。曹洞宗は、意地でも本堂で葬儀を行うが、宗派によってはそこまでこだわらない(こだわれない)ところもある。

しかしここで考えを止めてはいけない。この祝賀会に出席している人の全員(当然私も含めて)が、間違いなく100年以内に全員亡くなる。そのとき、我々はこの世に何を残していくのか。そして誰がどこに集まって、どのように送るのか。私が亡くなったとき、子供たちは何を考えるだろう。そんなことを考えて、せつない気持ちになった。

今日は葬儀社の企業努力に、大きな刺激を受けた。聞いても意味の分からないお経を読んでいるだけでは、寺院もこの先もたない。檀家さんのひとりひとりに応じた、きめこまやかな仏教を打ち出さなければならないと思う。そのためには日々勉強を重ねることだ。

紀尾井シンフォニエッタ東京の山形公演が、来月の6日(日)の午後から寒河江市民文化会館で行われる。私は裏方でのお手伝いで、いつもどおりプログラムの原稿作成と、当日の司会をすることになった。

プログラムはモーツァルトのフルート四重奏曲、ホルン五重奏曲、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、そしてチャイコフスキーの弦楽セレナーデ。私が当初希望していたフォーレかラヴェルのパヴァーヌは(予算の都合で)叶わなかったが、それでも十分魅力的なプログラムである。ベートーヴェンは眠くなるし、ブラームスは落ち着きが悪い私だが、モーツァルトはすごく現代的で楽しい。チャイコフスキーはあのくどさが好き。

その曲解説原稿。プログラムの曲解説は学生時代からやっているが、当時は図書館で調べて書いていた。今はウィキペディアがあるから便利だ。我田引水なところはご容赦を。
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モーツァルト:フルート四重奏曲第1番ニ長調 K285
1777年、21歳だったモーツァルトは、仕事を探すためパリに向かいました。その途中、ドイツのマンハイムに立ち寄り、ヨーロッパ有数だった宮廷オーケストラへの就職を希望します。就職はかないませんでしたが、このオーケストラのフルート奏者の紹介で、オランダ商人のフェルディナント・ドゥジャンという人物から作曲を依頼されました。ドゥジャンはフルートが趣味だったので、フルートのための協奏曲を依頼したのです。こうして作曲された3つのフルート四重奏曲のうち、本日演奏されるのはその1番目の曲です。
ちなみにドゥジャンはほかにも何曲か依頼しましたが、モーツァルトは結局作らなかったので、謝礼は半額になってしまったそうです。モーツァルトは、「フルートの音色が嫌いなのに作曲しなければならないのでうんざりしている」と、お父さんに愚痴の手紙を書いています。もっとも、モーツァルトはフルートが出てくる作品をほかにもたくさん作っていますから、依頼者が好きではなかったというだけのことかもしれません。

モーツァルト:ホルン五重奏曲変ホ長調 K407
フルート四重奏曲を作ってから4年後、モーツァルトはパリでの職探しも結局うまくいかず、旅に同行したお母さんが亡くなり、失恋も味わって、故郷ザルツブルグからウィーンに移り住みました。幸いにも、その翌年にアロイジアの妹のコンスタンツェと結婚し、その直後、モーツァルトが26歳で作曲したのが、このホルン五重奏曲です。
この作品は、友人のホルン奏者ヨゼフ・イグナツ・ロイトゲープのために作曲されました。ロイトゲープはザルツブルクでの友人で、この後にも4曲のホルン協奏曲が彼のために作曲されています。この五重奏曲でホルンは独奏が多く、華麗で技巧的に書かれていることから、協奏曲を作る前に、ホルンの演奏技術を試す意味があったとも言われています。ヴィオラが2本使われているところが特徴的で、内声部が充実するとともに、ホルンとヴァイオリンと1対1の掛け合いが鮮明になっています。

モーツァルト:セレナーデ第13番ト長調 K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
1787年にこの曲を作った31歳のモーツァルトは、『フィガロの結婚』がプラハで大ヒットしたり、大作曲家ハイドンから認められたりするなど知名度を上げていました。15歳年下のベートーヴェンが訪れたという話もあります。
セレナーデとは、バカンスの夜に歓談のBGMとして流れる曲です。モーツァルトがこれまで作曲してきたセレナーデは、ほとんど管楽器によるものでしたが、第13番は一転して弦楽曲になります。また、もともとは5楽章あったのに、第2楽章を意図的に削除したという説もあります。さらに、この曲はモーツァルトの存命中に一度も演奏されなかったと言われています。これらを考え合わせると、この作品は、発表を意図せず実験的に作られたものと考えられます。セレナーデのドイツ語訳「アイネ・クライネ・ナハトムジーク(ある小さな、夜の音楽)」をわざわざ副題に添えている点も、実験的な感じがします。それゆえに、斬新で印象的なメロディが後世に残り、彼の代表作となったのではないでしょうか。
そしてモーツァルトは、この傑作以降もうセレナーデを作曲することなく、4年後に35歳で死去しました。

チャイコフスキー:弦楽セレナーデ ハ長調 Op.48
1880年、40歳でこの曲を書いたチャイコフスキーは、ヨーロッパ周辺を転々と渡り歩き、大作から遠ざかっていました。遡ること3年前、熱烈な求婚を受けて9歳年下のアントニーナと結婚したものの、彼女は夫の仕事に対して全く理解がなく、結婚生活はたちまち破綻。チャイコフスキーは自殺を図るほど強度のノイローゼにかかってしまいます。結局3ヶ月足らずで結婚は解消し、衰弱していたチャイコフスキーは転地療養を余儀なくされたのです。
弦楽セレナーデは、古典派モーツァルトのセレナーデ形式と、基本的な音階であるハ長調が用いられました。チャイコフスキーは、書簡の中で「この曲は強い内的衝動によって書かれ、芸術的な価値に欠けるところはない」と述べています。帝国主義やナショナリズムを謳う作品が多かった当時、チャイコフスキーはあえて普遍的な音楽を目指したようです。
迷ったら初心に帰るというのは、何についても言えることかもしれません。チャイコフスキーは、離婚後10年かけてようやく、交響曲第5番やバレエ「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」などの大作に取り組むことができたのです。

盂蘭盆とは何か

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お盆の行事も、昨日でようやく一通り終わった。お盆は盂蘭盆(うらぼん)の略であるとされるが、意味が定かではない。

主に3つの説があって、1つはサンスクリット語のउल्लम्बन(ullambana、ウッランバナ、「架けること」)の音写、1つは古代イラン語のurvan(ウルヴァン、「霊魂」)の音写、もう1つは文字通り供物を載せるお盆である。

サンスクリット語の「ウッランバナ」は、倒懸(逆さ吊り)と訳され、死者の苦しみを表すと説明されることもあるが、人間ではなく供物を枝にかけて、お供えすると考えてもよいのではないかと思う。

出典である『仏説盂蘭盆経』のコーパスを見る。

「飯と百味五果吸灌盆器、香油、錠燭、床敷、臥具を具へ、世の甘美を尽して以て盆中に着け」
「初めて盆を受くる時、先づ安じて仏の塔前に在らしめ」
「応に此の盂蘭盆を奉じ」
「百味の飲食を以て、盂蘭盆の中に安じ」
「盂蘭盆を作して仏及び僧に施し」

これを見ると、盂蘭盆とは、供物の入れ物を指すのではないかと思われる。つまり3つ目の解釈である。

東アジアの儒教圏では、仏教とは関係なく古来より夏に先祖祭祀を行い、特にこれから収穫を迎える作物の豊作を祈念していた。この先祖祭祀は、夏祭りの盆踊りとも通底している。柳田國男は、お盆とお正月行事との類似性を指摘している。仏教が目連伝説などの由来を説くようになったのは後付けに過ぎない。

このとき、すでに行われていた供養を、先祖から僧侶に拡大したものが盂蘭盆であると考えられる。お供えの中身は変わるかもしれないが、方法に変更はなかったのではないか。

というわけで盂蘭盆というのは、精霊棚や墓座などの供物を載せる入れ物、または枝にかけるほうずき・りんご・そうめんなどのことを直接的には指すと、私は考えている。

日本印度学仏教学会のデータベースを見るといろいろ論文もあるようなので、今度調べてみたい。

意外なことに、仏典の流行は時代によって移り変わっており、『歎異抄』のように近代になって急激に知名度を上げたものもあれば、逆に読まれなくなったものもある。現代において、読むべき書物は何で、伝統的な読み方をいったん脇において、どういう問題が取り出せるのかを、本書は探る。インド・中国・日本と広範な領域において、独創的な読み方の数々に目から鱗。

近年の研究は、古典を異質の他者と見て、その異質性を捉え直そうという方向に進んでいるという。現代人が思いも及ばないような発想を救い上げることで、近代を相対化し、現代をもう一度考え直すという著者の野心が全体に一貫している。

『遊行経』では、釈尊が自分の葬儀を在家者に任せ、弟子には修行に専念するように指示したのに、仏信仰が起こった事情が考察される。仏の死が、仏教の出発点となるのは、死後の存続にほかならない。

『無量寿経』では、阿弥陀仏のいる死者の世界と我々生者の世界の、関わらざるを得ないのに関わりを逃れる関係を説き、外在的な浄土が近代的合理主義で否定されるのに異を唱える。

『法華経』では、ミイラ仏である多宝如来と釈迦仏が並んで坐る(二仏並座)に、死者と合体して永遠の力を獲得する久遠の実仏を見る。

『般若心経』では、「AはAでない、ゆえにAである」という即非の論理を、A=「菩薩が衆生を涅槃に入らせること」とすれば、菩薩は衆生に執着せず、衆生の存在も変化するものであると捉えることで、合理的に解釈する方法を提示する。そして、「空」を、執着を去り原始仏教の実践性を取り戻す方向と、言葉の説明を全て否定した悟りの体験そのものに向かう方向で考える。後者はさらに、密教の新たな実在論につながる。

『摩訶止観』(智覬)では、「三界唯一心」という唯心論を、心を迷いの原理となるものか悟りの原理となるものかによって、唯識と如来蔵という展開に捉える。瞬時のどんな小さな心の動きにも、地獄から仏まで全てが含まれているという思想は、仏の性悪説につながるが、地獄の衆生を救うのに必要である。

『碧厳録』(圓悟)では、「不立文字、教外別伝」のエピソード(拈華微笑や頓悟の優位)が、南宗禅の優位を示すために、慧能の弟子が捏造したものだったことが説かれる。成立期の禅宗は「はっきりいってだいぶ怪しげで、いかがわしい」らしい。

『日本霊異記』(景戒)では、外来の宗教である仏教が、大陸の先進的な文化として入り、そのイデオロギー的背景として、既存の価値観を打ち壊していくさまを、蛇の扱いの変遷から読み取る。蛇はかつて神の使いだったのが、聖人に敗北する話が出てくる。

『山家学生式』(最澄)では、最澄と徳一の一乗・三乗論争が、中国の悉有仏性説・五性各別説にさかのぼる天台宗と法相宗の長い論争の延長線上にあることを示す。また、最澄が打ち出した真俗一貫の理念は、僧侶の社会参加を意識したものだったという。

『即身成仏義』(空海)では、日常生活が悟りだといっても、顕教では到達的でない深遠な世界だといっても、どちらでも分かりにくい即身成仏のジレンマと、死=成仏という死者供養の源泉に触れる。

『教行信証』(親鸞)では、信を如来蔵思想の外在化と捉え、即身成仏と思想構造がまったく同じことを明らかにする。環相回向(往生後の利他活動)は、自力ではないかという疑いを呈し、他力を別様に解釈する。弥陀の第十八願に対して「今まことに」に注目し、自分で努力しながら、ふと振り返ると、そこまで進んできたのがじつは自分の力ではなかったという解釈である。

『正法眼蔵』(道元)では、言葉を解体して言葉で表現できない事態を現出させようとする中国禅とは違って、言葉の深層の意味を問う根源的な肯定がなされているとする。また、修証一等論と本覚思想の奇妙な近似性や、「八大人覚」など十二巻本での原始仏教への回帰といった視点も提示される。

ほかに日蓮の国立戒壇の狙いや、キリスト教と仏教の論争を記すハビアンの書物など、なじみがない領域にも幅広い知識を得ることができた。これに対してそれぞれの領域の専門家がどのような解答をし、どういう議論が巻き起こっていくのか、興味は尽きない。これだけ読み応えのある本が、2000円足らずで買えるのはありがたいことである。

盆供養の心得

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「お釈迦さま、もし亡き親族縁者が餓鬼道に生まれていなかったら、いったいだれがその布施の功徳を享受するのでしょうか?」
「ほかにも親族縁者たちが餓鬼道に生まれています。かれらがそれを享受します。」
「しかしお釈迦さま、もし今生の両親や親族がだれも餓鬼界にいず、ほかの親族もだれ一人餓鬼界に生まれていないとしたら、その功徳はだれが受けるのでしょうか?」
「バラモンよ、餓鬼道に(過去世も含めた)親族がだれ一人もいないままということはありません。しかしバラモンよ、功徳廻向した施主もまた、果報をかならず受けるのです」
『増支部』ジャーヌッソーニ章、藤本晃『仏教の正しい先祖供養』より

今年のお盆の法事は『仏説盂蘭盆経』を再び読み始めた。先祖が苦しんでいるから供養せよという恫喝的な論調に辟易して読むのを止めていたが、その元ネタとなった『餓鬼事経』などパーリ仏典でお釈迦様の意図が分かってきたからである。

お経を読んだ後、以下のように補足している。このように説明すれば、自分の家の先祖が苦しんでいると誤解させずに、慈悲の心でお盆を送ってもらうことができると思う。

「このような話を聞くと、うちの先祖が餓鬼界に落ちているのではないかと心配する方がいらっしゃるかもしれませんが、その心配は無用です。というのも、亡くなった方は戒名を頂いた時点で、もう成仏しているからです。
ではどうして毎年お盆の先祖供養をしているのかといいますと、先祖はとてもたくさんいるからです。お経の中に「七世の父母」とう言葉がありましたが、親が2人、祖父母が4人、曽祖父母が8人……と7代前まで数えますと、実際には重なっていることもありますので延べ人数ですが、全部で250人ほどにも上ります。中には、母方の母方の母方など、どこの方か分からない先祖もたくさんいらっしゃるでしょう。全員成仏しているかといえば、心許なくなります。
そこで、このお盆は、250人の先祖が1人残らず成仏して頂きたい、そのような願いで行うわけです。1回供養すれば十分なのですが、次の年には、新しい親族や縁者が増え、そのたびにまた新しい先祖がつながってきます。そこでお盆は毎年行うのです。
皆さんはそれぞれ250人の先祖を背負って生きています。お盆はその全員に思いを向ける日にして頂ければと思います。」

お盆2日目は順調に終了、50件(うちは新盆と寺役員のみ)ほどの棚経も3割が終わり、明日と明後日で全て回ることができそうだ。

永代供養料

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先祖祭祀の後継者がいないときに、後の供養を全てお寺に任せることを永代供養という。後継者がいないというのは、未婚だったり、結婚しても子供がいなかったり、子供がいてもあてにならないという事情による。その申し込みがうちのお寺にもいよいよやってきた。

儒教の伝統では、子供がいなければ甥姪が引き継ぐことになっているが、一族という観念が薄れ、何でも世帯内で完結しつつある現代においては、先祖の供養も家族や個人の責任になりつつある。本家を頼みにくい世の中なのだ。

永代供養とひとくちにいっても、4つに分けられる。この全部をお寺にお任せすることもあるし、一部を親戚に頼むこともある。それぞれの必要金額を試算してみた。

1.法事
33回忌までの法事をお寺が代行する。現時点で33回忌まであと何回供養があるかを数え、お布施の金額を掛け算する。1周忌から頼む場合は8回あり、1回あたり1.5万とすれば12万円。

2.寺費
寺院の護持に必要な経費を前払いする。一番最後に亡くなった方が33回忌を迎えるまでの年数に、1年間の寺費を掛け算する。1周忌から計算すると32年間で、年5千円とすれば16万円。このお金はお寺ではなく、護持会会計に入る。

3.永代供養墓
管理できなくなるお墓をなくして、お骨をお寺の永代供養墓に入れる。お墓の解体費用は自己負担。永代供養墓は10万円くらいか。

4.仏壇
お参りできなくなる仏壇から、ご本尊と位牌をお寺に納める。無料。

これらを合計した額が、永代供養料ということになる。例えば以下のようなケースを考える。

当主は未婚、両親はそれぞれ23回忌、17回忌まで供養済み。
法事のお布施…1.5万円×5回=7.5万円
寺費……5000円×15年=7.5万円
永代供養墓……10万円
合計25万円(+自分の墓地の解体費用)

最後の当主については、永代供養墓は受け付けるが、上記の法事・寺費の回数・年数に含めない(負担を軽減するため)。

あくまでも総額はお布施としてお寺にお納めいただくので、これを明文化するつもりはないが、納得できる金額の計算方法として提示しようかと考えている。

永代供養は、先祖代々続いてきた家を自分の代でなくすことに抵抗を感じて、ぎりぎりまで何もしないという方が多い。後は野となれ山となれではなく、経済的にも、気力的にも力が残っているうちに、道筋をつけておくのが望ましい。あるいはさらに世の中が変わって、先祖などどうてもいいという人が増え、先祖供養も必要性が感じられなくなっていくのであろうか。

ホール葬

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田舎にも葬祭ホールが次第に増え、わずか数年前は自宅葬が中心だったのが、ホール葬の比率がどんどん高まっている。

そんな中、近隣で長老になるご寺院さんが「やむをえない事情がない限り、自宅かお寺で葬儀を行うように」と呼びかけ始めた。その理由は、自宅には仏壇があり、お寺には本尊があるからだ。ホールにも本尊の掛け軸が下がっているが、あくまで仮に設置されたものであり、明日には取り外されて神棚になっているかもしれない。

仏式の葬儀において亡くなった人は、戒名を授かることで仏縁を結び、仏様の仲間となって、本尊や菩薩の導きによってあの世に赴く。仏壇に安置された本尊や先祖は、受戒式では「三師七証」の証人となり、引導では来迎する役目がある。

今日、枕経に行って遺族に話を伺うと、ホールでということだった。そこでこのように反対申し上げた。

「住職の立場として申し上げますが、やむをえない事情がない限り、自宅かお寺でお願いしたいと思います。自宅には仏壇があり、お寺にはご本尊様があって、先祖代々手を合わせてきました。その仏様の前で、お送りできればよいと思います。それともホールでせざるを得ない事情がありましたら、ご説明頂けますか。」

最後の一言は言葉がきつかったと反省しているが(学会の質問じゃないんだから)、「暑いから」と言っていた遺族も、「1時間だけのことですから」とさらに説得しているうちに、居合わせた近所の方が賛成したこともあって、自宅への変更を了承した。そこに居合わせた葬儀社の方には、遺族とともに私からも一言謝っておいた。

3月からお寺に住んで以来、亡くなってすぐに駆けつけられるようになったため、このように説得する場面が増えてきた。その前は、つくばで連絡を受けてから到着まで半日かかるので、決定を覆すことは無理だった。しかしここまで差し出がましいことをするのは是か非か。

こういう説得は、葬儀社の不興を買うだけならまだしも、遺族の意に沿わないことも多いので、後味のよいものではない。かといって柔らかく勧めるだけではホール葬になびいてしまう。自宅葬、寺院葬の意義を理解してもらいつつ、遺族の心情も考慮してもう少し上手に進められる方法はないものだろうか。あるいは、ホール葬は世の中の流れと、下手に逆らわないほうがよいのだろうか。上山には「ホール葬なら行かない」と強情の和尚さんもいるそうだが、そこまで私は頑なでもない。

ちなみに、ホール葬を行うにやむをえない理由として考えられるものは、冬に積雪のため駐車場がないというくらいしかない。料理やお茶出しのできる家族がいないとしても、お寺ですれば問題はない。また、遺族の前で言うことはないが、自宅かお寺で葬儀をして、祭壇はお寺から借りるのが葬儀費用が一番安い。お寺には椅子もあり、会場費は3万円である。

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