ホール内覧会

今月から近所にオープンするセレモニーホールの内覧会に招待され、出席してきた。ホールを一通り見学した後は、会場を移しての祝賀会。
市内の葬祭ホールはこれで3件目となったが、今回できあがったのはその中で最も小さい50人程度の小さいホールである。近年、親戚・会社づきあいの希薄化によって葬儀の参列者は減少傾向にあるが、大きいホールで前のほうに少ししか座っていないのは高くつく上に格好が悪い。小さいホールにしたのは、この減少傾向に対応するためのようだ。もっとも、50人くらいなら家でもできないことはない。
近隣の長老のお寺さんの意見に賛同して、自宅かお寺での葬儀を強く推進している私であるが、ホール葬を完全否定するわけではない。駐車場がない場合、会葬者が多い場合、隣組や親戚のお手伝いが期待できない場合、車椅子の参列者がいる場合などは、ホールが必要になる。同じことはこの葬儀社に勤める友人も言っていて、誰にでもホールを勧めるわけではないとのこと。経済格差が広がっている今、実際問題として費用の面もあるし、流行に乗るという理由だけでホールを利用するべきではないと思う。
祝賀会では席次表まで用意されたが、寺院や出入りの業者とともに、年金友の会の方が招待されていて思わず笑ってしまった。お客さん、しかも送るというよりも送られる側である。
しかし笑った後に、我が身を振り返ると、寺院もまたお客さんなのではないかという気がしてきた。檀家さんに紹介するだけではなく、お寺で誰かが亡くなったときはご利用くださいということではないか。曹洞宗は、意地でも本堂で葬儀を行うが、宗派によってはそこまでこだわらない(こだわれない)ところもある。
しかしここで考えを止めてはいけない。この祝賀会に出席している人の全員(当然私も含めて)が、間違いなく100年以内に全員亡くなる。そのとき、我々はこの世に何を残していくのか。そして誰がどこに集まって、どのように送るのか。私が亡くなったとき、子供たちは何を考えるだろう。そんなことを考えて、せつない気持ちになった。
今日は葬儀社の企業努力に、大きな刺激を受けた。聞いても意味の分からないお経を読んでいるだけでは、寺院もこの先もたない。檀家さんのひとりひとりに応じた、きめこまやかな仏教を打ち出さなければならないと思う。そのためには日々勉強を重ねることだ。

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