反論しつつ相手を立てる

お寺さんの会議に出ることが多くなったが、これがなかなか気を遣う。
日本人は論理よりも感情に流されやすく、自分の意見を否定されると全人格を否定されたように感じる人が多い。かく言う私もそうだったし、今でもそう思うことがあるが、可謬主義というものを知ってから、自分の意見を自分自身と切り離して相対化できるようになった。
そこで反論するときには、同時に相手の人格を立てるところに最も神経を使う。敵対心は全く持っていないこと、それどころかたいへんな敬意をもっていること、だからこそ、相手の力になりたいがゆえに、私は反論せざるを得ないという調子である。ただし、前置きは長すぎないよう。
幸い仏教の僧団は本来、人より法を重んじる。年長者であっても、偉い方であっても、はたまた師匠であっても、筋が通っていないと思うことには積極的に異を唱えなければならない。

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