2010年2月アーカイブ

後輩の結婚式

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都内で行われた大学の後輩の結婚披露宴に出席した。新婦も同じ研究者で知り合いだったため、2倍楽しい宴会だった。

挙式の報告、新郎への祝辞、新婦への祝辞、乾杯はみんな大学の先生。破我品とか、真知論とか、プラマーナとか、聖典解釈学とか、遠慮ない専門用語が飛び交う。4人でまる1時間、講義を聞いているかのよう。

ちなみに式は文京区音羽の護国寺で挙げてきたという。ちょうど今読んでいる本の中で、徳川綱吉の母が帰依して作られたお寺だというのを読んでいたところ。真言宗豊山派の本山の1つである。すごい人脈(法脈?)だ。

皇居を窓の下に見下ろす絶景の中、和やかに式は進行した。私のテーブルはインド哲学の先輩方がずらりと並び、合宿までして1日中文献を読んでいたころが懐かしくなった。

結婚式に呼ばれることはずいぶん少なくなったが、以前は悲壮感を抱くことが多かった。家庭という重荷が増えて、親戚づきあいも2倍になり、お互いに自由を奪われるのはたいへんだろうなとか、出会いがあれば別れあり、いずれにせよ死別するのにとか不謹慎なことを思っていた。だが、今日はあまりそう感じなかったのは、新郎新婦の明るい性格のためかもしれない。しばらく関東にはいないようで、大学やお寺のしがらみから自由でいられるのも安心だろう。

その後お茶を飲んで2次会。その間にいろいろな人と喋っているうちに、一休みしている博論に着手したいという気持ちがむくむくとわいてきた。

環境がないと勉強し続けるのは難しいだろうと言われ、独りで勉強し続けるというのは実にチャレンジングなことなのだと思うと、やる気が湧いてくる。関西の先生が私なんぞに期待しているという話を聞き、インド留学仲間は学会発表を勧めてくれた。同輩も、自分の研究分野の関係で私の研究成果を聞きたいという。そして指導教官からは「今年中に!」とダメ押し。

こんな怠惰な自分を目にかけている方がいると思うと、本当にありがたい。博士号を取っても今の世の中、お金やポストが付いてくるわけではない。でもこんな先生や仲間たちのために書くのは、悪くないことだと思った。

振り返ると、つくばとの往復生活がなくなった山形生活は、ずいぶん自由時間がある。除雪はしてもらえるし、お葬式は月に1〜2回だし、法事も冬場はお休みである。子供たちが登校・登園すればあとは夕方まで何もない。そこで今はその自由時間のほとんど全てをパソコンに向かい、ボードゲーム関係のブログ更新や翻訳をしているわけだが、博論を書こうと思ったら時間は十分取れる。どこかに勤めている人からみれば、非常に恵まれた環境なのに、生かしていない。

勉強と仕事を両立させよう、そんな決意が急に生まれた1日だった。

日本舞踊を習う

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2年に1度行われる、宮城・山形・福島の合同御詠歌講習会。夜の懇親会では、各県別に出し物を披露することになっている。前回は腹踊り、前々回はパラパラだったが、今回は日本舞踊となった。

直江兼続の踊りがあるというので、天地人がみんなの記憶に残っているうちにしようと話は簡単にまとまった。ところがその踊り、かなり本格的なもので、米沢で一番という高名なお師匠さんが教えにいらっしゃった。普通、素人はお習いできないような方なのだが、お寺の奥さんの口利きで教えていただくことになったという。

はじめはお辞儀の仕方と、扇子の開閉から。あまりに本格的で、みんな引きまくるが、真剣な先生を目の前にしてもう引き返せない。1回目は、ちんぷんかんぷんのまま終わった。中腰の姿勢が多く足が筋肉痛になるほど。

2回目は、先生のお宅に代表が行ってお習いし、ビデオに録画してきた。3回目はそのビデオを見て自主練習。そして迎えた4回目。3時間みっちりお習いし、「足は斜め!」「扇子の持ち方が逆!」と叱られながらようやく、滞らないで一通り踊ることができるようになった。

踊りの世界も奥が深い。指先のかたち、回転するときの足の運び、扇子の持ち方など、やればやるほど課題が増える。でも先生によれば一番大事なのは視線なのだとか。全員が同じ方向を見ているときに、ひとりだけ別方向を見ると浮く。これは皆で行う法要にも言えることかもしれない。

和服姿の先生のお手本は、まるで日本人形が踊っているようで見とれる。この道は言葉ではない。何年もかけて少しずつ芸を盗んでいくんだろうなと、未知の世界に思いを馳せた。

何もない日曜日

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雪国では冬になると雪に閉ざされて墓参りができないので、4月まで法事はない。なので割と余裕のある週末を送っている。とはいえ、友達を集めて遊ぼうにも、猛吹雪で視界0mだったりするので、夏ほど集まりやすくもない。

そんなわけで今日は仕事も遊びもない日曜日。朝食を作りながら、子供たちとテレビを見る。 朝食が終わって、スキーに行く予定だったが長女が「キャンセル」というので長男と外で雪遊びを始める。軒下に積もった雪に穴を開けてかまくら作り。その間、長女はずっと読書。

新しい戦隊シリーズの『ゴセイジャー』は先週始まって、長女が気に入ったらしく、ひそかに公式サイトの掲示板に書き込んでいた(書き込んでいるところを見られて慌てて隠していた)。

ありがとう.
あき/7才/女性/2010年02月16日
7歳の私に,希望を与えてくれそうです.ありがとうございます.「とにかく,やってみないと. やってみないと始まらないから.」

…だって。いつの間にローマ字入力を覚えたんだ? 第2話は、途中から本なんか読み始めてしまってもう飽きている様子。

午後から長女の音楽教室と、母のママさんスキーがあって長男も一緒に送迎でお出かけ。合間に買い物をしたり、時間つぶしで本屋やおもちゃ屋さんで過ごす。

先日、プラレールの「自動ターンアウトレール」というのが売られているのを発見して、長男の「トミカとプラレールの街セット」を拡張したいという気持ちがむくむくと湧き上がってきた。そのためいろんなセットを吟味。でもプラレールって高いのね。帰宅してプラレールのサイトでレイアウトを研究する。それともうひとつ、ベイブレードってすごく流行っているようで、これまた帰宅して調査。面白そうだけど高いな。

そんなふうに遊ぶことばかり考えて過ごした1日だった。夜は祖母の満88歳の誕生日だったので、ちらしずしとケーキでお祝い。子供たちと一緒に寝たが、「睡眠時間が長すぎると寿命が短い」というニュース記事を思い出して起きてきた次第。この頃子供たちに合わせて9時間睡眠になっているダメな大人である。

般若心経の私訳

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地区で開かれている写経教室で、写経の前に般若心経の解説を行っている。45分ずつ3回行っているから、あわせると2時間以上にもなる。できるだけ分かりやすいよう、それでいて正確であるように努めているが、これが実に難しい。

以前、講演で十二支因縁の説明を試みたことがあったが、さすがお釈迦様も説法をためらったほどのもの、聞いている人の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶのが見えるかのようだった。

最後に、出席者から、般若心経を分かりやすく今の日本語に訳したものがほしいと言われた。いろんな人の訳があるが、梵文も参照しながら自分の言葉で翻訳してみた。
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観音さまは、お釈迦様のそばで仏教の奥義を修行して、私と呼べるものは何もないのに、何かあると勘違いするから、何もかも苦しみになってしまうのだと悟った。そこで修行僧代表の舎利子に尋ねられて、次のように答えた。

「舎利子よ。まず私たちの身体は実体でない。実体でないものが身体である。同じように、私たちの感覚・印象・意志・知識も実体でない。舎利子よ。この世の全ては生まれたり、死んだり、汚れたり、きれいになったり、増えたり、減ったりしない。だから、私たちの身体・感覚・印象・意志・知識もない。私たちには見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触ったり、思ったりする器官もないし、逆に見られたり、聞かれたり、嗅いだり、味わわれたり、触られたり、思われたりする対象もない。見える世界から思う世界まで、何もない。煩悩もないし、煩悩を断つということもない。そのため老いや死もないし、老いや死がなくなるということもない。苦しみも、苦しみのもとも、苦しみをなくすことも、なくすための修行もない。知ることも得ることもない。

得るものがないから、菩薩たちはこの仏教の奥義によって、自由な心でいられる。心が自由だから、恐怖もなく、迷いもなく、永遠の平安を極めている。また、過去・現在・未来に成仏した方々はみな、この仏教の奥義によって、最高の正しいお悟りを開かれたのである。

だから知っていただきたい。仏教の奥義とは、偉大な呪文のことである。悟りの呪文であり、最高の呪文であり、ほかに比類なき呪文である。全ての苦しみをなくし、必ず効くので真実なのである。さあ、今、仏教の奥義である呪文を教えるのでこれを唱えなさい。

ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー。」
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こうしてみると、般若心経は結局、真言宗のお経だということが分かる。禅宗にも密教的要素がないわけではないが、坐禅しないで(あるいは坐禅中に)真言を唱えていればよいという指導はしない。

そういうこともあって、独りでする朝のお勤めは般若心経を読むが、法事では慈経に差し替えている。

次女1歳

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2月15日、お釈迦様の命日とされる日が次女の誕生日である。早朝の4時35分。前日の夜に呼び出されたときはワクワクしながら凍結した348号線を走ったのを思い出す。

誕生日の5日前から長女がカウントダウンカレンダーを作っていて、その最後の1ページが、家族6人が拍手している絵だ。当日のスケジュールも長女が希望して、カラオケに行くことになった。

前日はお寺の新年会で帰宅は午前様。お酒は飲まなかったが、タバコの煙を吸いすぎてぜんそくが悪化し、わき腹が痛くてろくに眠れない。「明けない夜はない」なんてウソだ。夜中に死んでしまったら明けないぞと、このごろよく思う。

その上当日は朝から写経教室で講演、午後から会議があり、夕方には車の運転もできないほど疲労困憊した。それなのにカラオケに行ったのは、子供たちを喜ばせたい一心だったからに違いない。

カラオケは長女の「ハッピーバースデー」でスタート。でもその後には「嘆きのボイン」(月亭可朝)、「うぐいすだにミュージックホール」(笑福亭鶴光)、「哀愁のジンマシン」(コント赤信号)などが続く……子供の前で歌う歌じゃないな(子供たちはシンケンジャーや仮面ライダーの歌を歌っていた)。歌い終わって燃え尽き、妻に運転してもらって帰る。

帰宅途中に母が予約していたホールケーキを購入。部屋を暗くしてロウソクを消したはいいが、次女はもちろん食べられないし、長女はスポンジケーキが嫌いで、長男は少食。ホールケーキはもう一生分食べた(「もう一生分○○した」はこの頃よく使う台詞)。

妻のアドバイスで風呂に長く浸かり、わき腹に湿布を貼って寝た。ぐっすり眠れたのは言うまでもない。

妻と次女は今日から1週間、埼玉の実家と九州方面にお出かけ。母と妹がいない長女と長男は、まだ父を「ママ」と呼んでしまう。

ブッダの説法に皆が納得したのは、言い争いを避けた優しいコミュニケーション術にあった。インド論理学の専門家である著者が、原始仏典からそのあり方を見る。

時間軸に沿って順次立てて話すこと、質問者の問いに従って答えること(問いと答えの縁起)、怒りには怒りで答えないこと、矛盾を誤解と考えてみること、二重否定は肯定とは限らないこと、正誤より善悪で考えること、対偶は言葉の縁起で捉えられること、断定(演繹)・場合分け(帰納)・反問(帰謬)・捨て置きの4つの答え方を駆使することなどが説かれている。

はじめに論理学用語ありきではなく、分かりやすく説明して、後からさりげなく論理学用語を当てはめるのは見事。

優しさも、コミュニケーションでは重要な戦略であることが分かる。例えば次のようなブッダの言葉。「罵らない私たちを罵り、怒らない私たちを起こり、争論しない私たちに争論をしかけたが、私たちは、それを受け取らない。だから、それは、あなたのものになる」悪意は、受け取らなければ相手にはね返るだけの話ということである。」

「行かないことはない」という人に、「行くか、行かないか、どっち?」と聞いてはならない。会話を進め、事情を少しずつ知るために、「どうしたの?なにかあるの?」と確認するのが、相手の心を大事に考えるということである。

「討論を通じて、人がともに語るにふさわしいのかそうではないのかを知らねばならない。比丘たちよ。もしある人が質問されて、断定的に解答すべき問いに、断定的に解答せず、分けて答えるべき問いに、分けて解答せず、反問して答えるべき問いに、反問して解答せず、捨て置くべき問いを、捨て置かないならば、このような人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしくないのである。」重要な教えならば断定的に解答し、詳しい説明を求められているならば分けて解答し、相手の質問や論に難点があれば反問して解答し、堂々巡りになりそうだったら、捨て置く。一辺倒でない細やかな対応にも、優しさがある。

ブッダの思考法を、西洋論理学の用語で再構築していくのは、かけ離れすぎている分、意欲的な試みである。本書は非常に読みやすい分、物足りなくもあった。著者には今後ももっと多くの経典から、ブッダの思考法を分析してほしい。

朝日新聞の声欄で、「読経中、携帯メールする僧侶」という記事があった(2月4日朝刊)。法事で読経の最中に、お坊さんの携帯電話が鳴り出し、いったんは切ったものの、またかかってきたので、今度はメールを打っていたとのこと。

「私たち参列者は亡母をしのびつつ一緒にお経を唱えておりましたが、僧の態度にびっくり。約20分の法要終了後も、言葉が出ませんでした。」「仏さまも驚かれたことでしょう。仏教界はどうなっているのでしょうか。」

この記事について、中外日報の社説では、投稿者が匿名になっているところに着目する。「内容もさることながら、七十八歳という投稿者が匿名なのも、見逃せない。投書による菩提寺との関係悪化を恐れておられるのだ。」

非常識であることは誰の目にも明らかだと思うが、それと共に、僧侶という伝統的な存在と、携帯電話という現代的な道具のミスマッチもあるのではないかと思う。

私は修行中、法要中は腕時計を外すように指導されてきた。時間を守って行動しなければならない修行僧にとって、腕時計は必需品だが、法要中に合掌した腕についていると、何か違和感を感じる。メガネを黒縁に統一している僧堂もある。

結婚指輪やネックレスなどの装飾品はもちろん、こうした生活必需品であっても統制をかけるのは、第一にはお釈迦様や宗祖の時代と同じように生きようとする心がけの現われだろうが、見た目にミスマッチというのもありそうだ。

今や生活必需品となりつつある携帯電話。これも同じで、衣姿の僧侶が使っている姿はどこか格好が悪い。そう感じるのは私だけだろうか?

私は電源をこまめに切ることができないので、近所の法事には持っていかないようにしている。マナーモードにしていても、静寂の中で鳴ると分かるし、マナーモードにするのを忘れていると雰囲気がぶち壊しになってしまうからだ。

シンケンジャー

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スーパー戦隊シリーズの『シンケンジャー』が今日、最終回だった。長男の目覚まし時計代わりにしていたが、一緒になってほぼ全話を見た。

スーパー戦隊シリーズは、仮面ライダーシリーズと比べると対象年齢が低いのか、子供だましの話が多い。ゲキレンジャーやゴーオンジャーも少しだけ見たが、教訓じみた話や、張り切りすぎていたいキャラクターが見ていられなかった。その点シンケンジャーは、サブキャラクターの伊吹吾郎が全体に落ち着きをもたせていて、安心して見られた。

サムライというテーマもよかった。志葉家の当主が代々務めてきたシンケンレッドの殿様と、同世代のブルー以下4名が、忠節と友情のはざまで揺れ動く。終盤にはシンケンレッドが実は影武者だったというどんでん返し。展開が飽きさせない。漢字をあしらったマスク、折紙のエンブレム、ショドウフォンやモヂカラといった書道をモチーフにして統一された設定も気に入っていた。

敵の外道衆も、それぞれ事情を抱えていて、単純な勧善懲悪にならなかったのもよい。愛人の裏切りに狂った花魁・薄皮太夫、家族の魂を剣に封じ込められていた腑破十臓など、魅力的なキャラクターが多かった。薄皮太夫が血祭ドウコクの腕の中で「そろそろ終わるか」「それもいいわね」と言って消えるシーンが心に残っている。

つまり徹底して「和」にこだわったところがよかったのだと思う。名残惜しいので、今上映中の映画『侍戦隊シンケンジャーVSゴーオンジャー 銀幕BANG!!』を長男と見に行くつもりだ。

『お葬式の雑学』

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お葬式のやり方は、隣町に行っただけで全く異なることがある。なので、長年慣れた自分の地域のやり方が絶対正しいと思ってはいけない。本書は、日本発の葬儀相談員である著者が、全国各地から集めた風習を、葬儀の順序に沿って整理・紹介するものである。

火葬は葬儀の前か後かというのが、地域によって異なるのは知っていたが。前火葬は東北と沖縄と、一部の都市だけで、後火葬のほうが多いというのは初めて知った。そのほか、宗派別の焼香回数の一覧表とか、通夜・葬儀・法事別の服装の例など、丁寧で分かりやすい。

なるほど!と思ったのは次のような薀蓄。
・香典はふくさに包んで
・遺体に刀を置くのは、ヒゲをそって髪を短くしたのが起源
・秩父では会葬者全員が杖と天冠をする。また通夜に紅白の水引を出す(遅れたお見舞いという意味)
・出棺で棺を回すのは行道を表す
・天冠は悪霊や鬼から逃れるためのもの
・玄関以外から出棺するのは戻らず成仏するように
・心臓ペースメーカーは火葬中に破裂する
・葬式で「重ね重ね」「いよいよ」など重ね言葉はタブー
・会葬者まで喪服を着るのは日本だけ
・明治6〜8年まで火葬禁止令があった
・昔は赤飯を魔よけや厄払いのため葬儀で出していた
・喉仏は溶けるので、第二頚骨で代用している
・淳和天皇(840年没)や親鸞は散骨を遺言
・火葬船の構想がある

一方、一般的にそういうならば異を唱えたいこともあった。
・「香典」は葬式のみ→法事でも使えるのでは?
・霊柩車は故人の足から→頭からという葬儀社もある
・十七〜二十七回忌は行わない人がほとんど→こちらは行う人がほとんど
・祭壇は仏教的には意味がない→須弥壇と考えれば意味はある

あとがきで著者は、どんな風習にも、故人への優しさや遺族への思いやり、家族を大切に思う気持ちが溢れているという。そしてお葬式の心得として「故人の旅立ちを、心からの感謝で見送る」と説く。逆さ水や着物の反対合わせなど、死を恐れ、死の穢れから逃れるためのものと捉えがちだが、たいへんよい見方だと思う。本書全体も、単なるネタ帳ではなく、このような意識から作られていて好感が持てた。

5日に1回

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お坊さんが5日に1回するものはなーんだ?

答え:剃髪。僧堂での修行中には、三と八のつく日に剃髪を行っていた。昔は向かい合ってお互いカミソリを立てていたようだが、今は入浴のときにT字カミソリで剃る。

個人差はあると思うが、5日経つと、髪が伸びて頭皮に触れられなくなる。そうすると途端に頭がかゆい。5日おきということを意識していなくとも、頭がかゆくなったときに剃っていると、だいたい5日おきになる。ここ3回の剃髪の日を振り返ると、土曜日、木曜日、火曜日と見事に5日おきになっていた。次は明後日。

5日に満たなくとも、翌日に葬儀や法要や講習会を控えているときは剃る。御詠歌仲間には、髭剃りのように毎日(しかも朝)剃っているという人もいるが、頭皮が傷むのでそこまではしていない。

有髪でもよい宗派があるし、頭だけつるつるでも、行いがまずければ僧侶とは呼べないが、「威儀即仏法」といって形から入るのが曹洞宗の宗旨。つるっとした頭だと、さわやかな1日が送れますよ(誰に勧めてるんだか)。

スキー授業

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スキー場が近くにある長女の小学校は、スキー授業やスキー大会がある。私も同じ小学校の出身で、小学生の頃はクラスで中ぐらいだったが、卒業して初めて、かなり滑れるほうだと分かった。ほとんど毎日スキー場に通っていたし、それがこの小学校では普通だったからだ。いった正規の授業はどうしていたのだろう?

学校からのお知らせで、スキー授業のスケジュールが来て、その日に協力できる方はお願いしますという。長女の学年の日にマルを付けたら、「講師依頼」が来た。スキーの先生などやったことはなかったし、だいたいもう10年近くスキーをしていない。大丈夫だろうか?

長女が新しいスキーを試しばきするついでに、私も小屋からスキーを出してきてはいてみた。スキーは思いのほか古くなっておらず、エッジのサビを紙やすりで取るぐらいでよかった。ちょっと歩いているうちに昔の感覚がよみがえってくる。こういうものって、体のどこが覚えているものだろうか。

そして先週の1日目。開会行事が終わると、もう準備運動から班に分かれる。3人の男の子とイッチニ、イッチニ。カニさん登りから始めて、プルーク。後半からちょっとだけプルークボーゲン。教えたことといえば、転んだときの起き上がり方くらいで、あとは習うより慣れろという放任主義。

でも子供の上達は早い。ほとんど滑ったことがなくても、何回か転んでいるうちにすぐコツを掴む。ロープも始めは転んでばかりだったのが、3,4回でマスターした。

今週の2日目にはクラスで一番上手い女の子の班。小学校に入る前から滑ってきた様子だ。すぐに頂上まで登り、スキー大会の大回転用ポールを何度もくぐった。

長女は時折見かけたが、物怖じしないで直滑降するけれど止まれない。ストックを持たないでプルークから丁寧に教えてもらっていた。ありがたいことである。

今やこの小学校も全員が滑れるわけではなく、滑れるか滑れないかは親次第だという。私の母はママさんスキーの会長を務めていてアクティブだが、私は寒がりのインドア派。休みには奮起して連れていくか。太ももの筋肉痛が治ってからだが。

スキー用語には、ドイツ語が多い。プルーク(Pflug、ハの字の構え)、シュテム(Stemm、曲がるときだけハの字になる)、ゲレンデ(Gelände、地形)、ストック(Stock、棒)、ヒュッテ(Hütte、小屋)、シャンツェ(Schanze、ジャンプ台)、ラングラウフ(Langlauf、距離走)、シーハイル(Ski Heil!、あいさつ)など。当時は何とも思わなかったが、ドイツ語に親しんでいる今日この頃、改めて感心した。

ぜんそく

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去年の暮れに風邪を引いて、それからというもの咳がずっと続いている。咳止めをもらってさらに2週間、何の改善もないのでお医者さんにまた行ってきた。

つまりは季節性のぜんそくということになった。確かに毎年のように、1〜2月は咳で医者にかかっている。痰が絡んでぜいぜいすることはないし、アレルゲンとして思い当たるものはないが、天候(温度と湿度)が発作を起こす要因になるという(非アトピー型)。

処方は従来の咳止めであるフスコデと、新しい漢方薬である五虎湯に、吸入ステロイド薬のパルミコート、そして花粉症の薬であるアレジオン(のジェネリックであるエピナジオン)を前倒しして服用ということに。吸入ステロイドは、咳が治ったと思っても、自己判断で中止せず続けることが大事のようだ。

お医者さんで見せてもらったNHKテレビテキスト「きょうの健康」1月号を帰りに本屋で購入。ぜんそくで亡くなる若い人もいる(といっても50歳未満で子供を含め全国で200人くらいだが)ことを知る。

ぜんそくは生活環境病だという。手洗いやうがいなど、かぜの予防に努めることはもちろん、たばこの煙・線香の煙を避ける、アルコールは控える、急な温度変化や乾燥に注意するというのがあった。喫煙者が多い飲み会は欠席する、寒い本堂にはマスクをかけていく、法事では線香から抹香に切り替えるなどの対策をしよう。

ぜんそく持ちまではいかないが、気管支が弱いのは家系らしく、曽祖父も冬はゲホゲホしていたというし、大叔母も咳に困っているという。咳の発作で眠れないときなど、死を意識せざるを得ないこともあり、人の生き死にを考えるべき立場にある僧侶としては天から与えられた病気なのかもしれない。南直哉さんが僧侶になったのも、小児ぜんそくだった幼少時と深い関係があるようだ。だからといって、治療しないで苦しみに耐えるなんてことはないのだけれど。

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