観音様の功徳

法華経の観世音菩薩普門品は、曹洞宗でもよく読まれるお経である。そこでは、観世音菩薩を信仰する功徳が説かれている。このお経はお釈迦様が亡くなって400年ほどして、紀元前後ころから起こった在家信者による宗教文学運動の一環として西北インドで作られたという。どういう経緯で著作されたかは明らかでないが、実話に基づいているような気がしてならない。
パターンは決まっていて、窮地に立たされたときに観世音を念じれば助かるというもの。ひとつだけ、男女産み分けできるというのがある。
・財宝を船に積んで難破し、羅刹の国に漂着しても脱出できる
・処刑されそうになったときに処刑人の刀が折れる。足かせや鎖でつながれていても解ける。
・財宝を持って旅行中に盗賊に襲われても、無事に逃げられる
・息子がほしければ容姿端麗で上品で優雅な息子、娘がほしければ容姿端麗で上品で優雅な娘が生まれる。
(以上散文)
・火が燃え盛る穴に落とされても火が消える
・海で難所や怪物の住処に落ちても海に沈まない
・崖から突き落とされても太陽のように宙に浮く
・大石を頭上から落とされても一本の毛髪も害われない
・剣を持った敵に囲まれても皆改心する
・処刑されそうになっても剣はばらばらに砕ける
・足かせや縄で縛られてもすぐ解ける
・呪いや悪霊を仕向けられても送り主に還る
・鬼や悪魔に囲まれても一本の毛髪も害われない
・猛獣に囲まれても皆逃げ去る
・毒蛇に囲まれても毒が消える
・雷雨に襲われてもすぐ静まる
(以上偈文)
想像だといえばそれまでだが、まず発想が在家である。お坊さんなら、財宝を持って旅行したり航海したりしないし、息子や娘を望むこともない(日本仏教なら跡継ぎの息子がほしいところだろうが)。それからやけに迫害されている。今の新興宗教の一部のように、法華経を編纂した人たちは強烈な信仰心のゆえに非社会的な集団として迫害されたのではないだろうか。法華経を奉じた日蓮の佐渡流罪を思い起こさせる。
ただ、今の日本では功徳としてあまり魅力的ではない。猛獣や毒蛇に囲まれたりしないし。せいぜいオヤジ狩り・オタク狩りに逢わないといったところか。
今風に解釈すると、こんな感じだろうか。あまりに現実的だと、観世音を念じたのにダメだったということもありそうだが。
・預金先の金融機関が破綻して、借金まみれになっても逃げおおせる
・冤罪で懲役や死刑になっても、無罪判決が出る
・家が火事や地震に襲われても、無事に脱出できる
・交通事故に遭いそうになっても、無事でいられる
・詐欺に遭いそうになっても、騙そうとした人が損をする

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