坐禅

お盆

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昨日は合計で7時間半も正座していて、しびれはしないけれども膝がジンジン痛む。家族と温泉に行って温めたらずいぶんと回復した。

一昨日は本堂で「♪鬼は外〜福は内〜パラッパラッ…」とか大声で歌っていたら、外に車が停まっていて焦った。幸いお墓参りに行っていて本堂には誰もいなかったが、あやうく「あまりの暑さに和尚さん、おかしくなった」とか言われるところだった。

今年のお盆は、無縁仏について考えている。お盆には、お墓から先祖をお迎えするときに、帰る家のない無縁仏も一緒についてきて、一緒に供養を受けるという。しかしどうしてその家に寄ることになったのかといえば、何らかの縁があったからにちがいない。

血縁はなくとも、知人・友人・恩師・お店の人・たまたまどこかで一言二言喋っただけの人など、私たちが関わっている人は無限に広がっている。もしかしたら、先祖があの世で知り合って連れてくる人もいるかもしれない。そういう人たちが縁を頼りにして、家にやってくるとすれば、もはや無縁仏ではない。

仏典には、ヴァラナシで出家者・貧者・旅人に施しをせず、ひどい言葉でなじるバラモンの妻が、死後に餓鬼に転生し、悪行の報いを受ける話がある。その時に自分が、仏弟子のサーリプッタの、四つ前の生で母親だったことを思い出した。そこでサーリプッタに頼んで、ラージギルのビンビサーラ王に盛大な供養祭を開かせ、その功徳を自分に指定してもらった。するとその女餓鬼は天女になり、安楽に暮らしたという(『餓鬼事経』舎利弗の母)。

この「四つ前の生」というところに、無限の縁を感じる。袖振り合うも多生の縁。このお盆には、縁でつながった無限のものの幸せを祈って手を合わせたい。

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このページは、おの2010年8月15日 14:15に書いたブログ記事です。

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