2011年3月アーカイブ

部屋に皇室カレンダーの切り抜きを貼ったり、オリジナル皇室メンバーを考えたりしている8歳の長女が、本屋に行くたび立ち読みしていたのに根負けして購入。

右翼の本かと思いきや、「皇室はこうあるべき」といってバッシングに走る人たちも批判したり、かと思えば天皇の言葉に反してでも伝統を守ろうとしたり、思考停止に陥らずに論を進めており、毎日1章ずつ、ついに最後まで読んだ。漫画だが、字が多いので読むのに時間がかかる。

一貫した主張は「天皇は権力をもたない祭祀王である。」古来より神聖にして犯すべからざる存在だったがゆえに、いつの世も権力者の傘になってきたが、実際に天皇自身が権力をもつことはなかった。しかしいつの世も、日本国民の幸せを祈り続けてきた稀有な存在である。

曹洞宗の両祖は「承陽大師」と「常済大師」という大師号があるが、いずれも生前に贈られたものではなく、死後600年も経って明治天皇から贈られたものである。これに対して「祖師は名利を求める方ではなかった」という意見から返上しようという動きがある。また、かつてはどのお寺でも今上天皇の位牌が祀られ、朝のお勤めでは天皇の寿命がのびるようにと祈祷されていたが、現在ではこの祈祷文が削除されている。いずれも戦争に加担した反省から、天皇中心の国家観および世界観を見直すということららしい。

しかし、天皇が権力をもたない祭祀王であったとすれば、この理屈は成り立たなくなる。むしろ国土安穏、万邦和楽、檀信徒の福寿長久、海衆安祥など、お寺で毎朝祈っていることは、天皇の祈りと相通ずるのではないか。問題は「皇恩に報い奉らん」といって戦争に檀信徒を送り込んだ僧侶や、当時の政府・教育者であって、天皇に責任転嫁しても反省したことにはならない。

私自身、皇室は「触らぬ神に祟りなし」でずっと無関心だった。この本を読んだだけで崇拝する気にはなれないが、今上天皇が世界の平和の祈りを捧げる姿に、宗教者として深い尊敬の念を覚える。天皇について、右だの左だの面倒なことをいわずに話ができるといいのだが。

長女はこの本を読んでから、よく皇室クイズをしてくるようになった。この本を読み終わっても相変わらず全問不正解である。

読経ボランティア

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先週、檀家さんの火葬で斎場に行ったとき、懇意にしている係員の方から震災で亡くなった方の火葬を引き受けるという話を教えてもらった。宮城では斎場で受け入れきれないほどの方がお亡くなりになり、土葬を余儀なくされている。そこで遺族の希望があった場合は、隣県である山形県内の斎場で引き受けることになったのだという。

震災の被害者に何かできることはないかと思っていた矢先だったので、斎場に駆けつけて読経だけでもさせてもらいたいと思った。とはいえ、ガソリンがなくて車が動かなくなっていたため、その話を近くのお寺さんに伝えたところ、それなら市の仏教会で読経したらどうかと提案していただく。ちょうど会長さんも一緒だったので承認を受けて話を進めることになった。

市役所の市民課に電話してその旨を伝えると「たいへんありがたい」というご返事。遺族とは連絡が取れるので、読経させて頂けるかどうか承諾を取って下さるという。承諾があれば、時間を連絡してもらうよう段取りをし、誤解があるといけないので、お布施などの心遣いは一切辞退することも伝えるようお願いした。

それから1週間、昨日連絡が来て、たまたま時間が空いていたので私自身が行くことにした。幸いガソリンは昨日と一昨日で満タンにしてある。

すると近所の檀家さんから、お経を読んでくれないかという連絡が来た。亡くなった方の親戚が、私の住んでいる地区と姉妹地区になっていて、30年来の付き合いなのだという。また今朝は、別のお寺さんからも連絡。亡くなった方の家の菩提寺の住職が、御詠歌のつながりで読経をお願いされたのだという。何たる偶然。これも仏縁というべきだろうか。

火葬の30分前に斎場に着くと、棺がもう安置されており、遺族と、駆けつけた近所の檀家さんが取り囲んでいた。棺には番号がマジックで書いてあり、名前・年齢と「火葬するので動かさないでください」というメモが貼ってあって、身元確認をした形跡が分かる。戒名はまだ付けられておらず、遺影もなかった。

宗派問わずで引き受けたわけだが、菩提寺が同じ宗派で、住職が御詠歌の先生とあれば、遠慮せず自分のやり方で読経できる。棺前念誦で十仏名、舎利礼文と追弔御和讃で焼香、回向して印金で三通、炉前で聖号。葬儀の一部分を抜粋した法式である。すすり泣きが背後に響く。

火入れが終わって収骨までの間、しばらく遺族とお話をしてきた。そこで後日、菩提寺の住職から葬儀をしてもらえること、遺骨の安置場所は近くのお寺にあることが分かって安心。あとは生々しい津波の惨状が語られた。故人はベッドと壁の間にはさまったおかげで流されなくてよかったという話に返す言葉もない。お寺も、屋根だけ1km流されたり、住職が亡くなったりしているという。

そのまま収骨でもお経を読んで、お骨と遺族を見送って帰ってきた。私自身が逆に救われたような気持ちだった。

お寺では毎朝、お経を読んで万国殉難者諸精霊にも回向しているが、今日の読経の功徳が、老若男女数えきれない被災者の鎮魂につながることを祈る。明日も行く。

ガソリン狂騒曲

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ガソリンが尽きて、車に乗らなくなって1週間。通勤で使っているのではないので、近所へは徒歩か自転車、遠方へは迎えに来てもらうかタクシーで何とか済ませている。

人と会うたび話題になるのはガソリンのことばかり。前の日の夜から並んで何番目だったとか、新潟につめに行ってきたとか。

ガソリンスタンドの前に行列ができるのは東日本全体で起こっているようだが、車を停めたまま帰って来なかったり、交差点まで並んでしまったりして、あちこちで警察が出動する騒ぎに。ガソリンスタンドにも指導が入り、メール会員にだけこっそり知らせて開店したり、ゲリラ的に開店したりするようになっている。

ガソリン待ちの行列でアイドリングしていたのではガス欠になってしまう。そこで湯たんぽや防寒具で防備するわけだが、車中でストーブを焚いて一酸化炭素中毒で運ばれるという事故も起きた。車だけ置いて一旦家に帰ってしまう人も少なくない。

「携行缶(けいこうかん)」という言葉をよく聞く。新潟までいけば、往復で相当のガソリンを消耗する。そこで携行缶を積みこんで、それにも入れてくるという。携行缶を扱っているホームセンターはどこも売り切れ。ふたから漏れたガソリンにタバコの火が引火するという事故も起きた。

家の小屋を探したら携行缶が2つ出てきた。ガソリンが入っている音がするが、もう10年以上も前のものなので使わないほうがよさそう。

今日、近所のガソリンスタンドまで散歩がてら様子を見に行ってきた。1週間前と変わらず品切れと書いてある。もともと今月いっぱいで閉店する予定だったので、早めに閉店したらしいという噂もあるが定かではない。ガソリンについては皆の関心が高い分、本当か嘘か分からない話が行き交っている。

土曜日は、レンタルDVDの期限のため買い物をかねてタクシーで市街地に行ってきた。往復5000円以上かかるが、風景を眺めながら車に乗るのは悪くない。子供たちも久々の遠出で大喜び。またDVDを借りてきたから、今度の土曜日までには車に乗れるようになるといいな。

お店にタクシーで来るような人は見かけずほとんどが自家用車。近所の人とも多く会った。よくみんなガソリンをやりくりしているものだと思う。

修証義の現代語訳

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曹洞宗では『修証義』というお経(仏説ではなく、道元の言葉なので正確には「論」というべきか)を読む。和文ではあるが、鎌倉時代の言葉を明治時代に編纂したもので、ただ読んだだけでは意味は分からない。でも般若心経や法華経、陀羅尼とは違って、呪文のよう唱えてもあまり意味がないと思い、現代語訳を試みた。

『修証義』は5章に分かれているが、第1章からいきなり、因果応報という難問を扱う。仏教者は昔から、現世で苦しんでいるのは過去の悪業が原因であるという「悪しき業論」の過ちを繰り返してきた。今回の震災で、石原都知事が天罰といったようなものである。因果応報や自業自得とは、決して他人の不幸につけこむものではなく、努力を続ければ必ず安楽の境地に至れるという修行の道筋を説き、未来に向かって主体的に生きることを勧める教えである。

現代語訳がないわけではないが、なかなか一般化しないのは、どうしてもこの悪しき業論に解釈されてしまう恐れが免れなくて、呪文のように読んだほうがましだという判断があるのかもしれない。しかし、せっかくの仏教の心に触れる機会を奪っているのは残念だと思い、試訳してみた。

因果応報はあくまで自身が、自身の幸せのために主体的に取り入れていくものとし、誰にでも当てはまるような法則という捉え方をしていない。唯識では、因果関係は仮説的なものに過ぎないという考え方があったように記憶しているので、あながち強引な解釈でもないと思う。

もう少し推敲したら、法事などで檀家さんに読んでもらおうかと考えているところだ。

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修証義 総序

 生きるとは何か、死ぬとは何かを明らかにすることが仏教徒の根本問題です。人生がそのまま仏の世界であれば苦しみはありません。人生と仏の世界が同じものと心得て、苦しい人生を嫌がることなく、素晴らしい仏の世界を追い求めることもないとき、悩みを離れることができます。生き死にこそ、仏教の一番大事な問題として考えなければなりません。

 人としてこの世に生まれることは得がたく、ましてや仏教にめぐりあうことも滅多にありません。我々は何かの奇跡で人として生まれてきたばかりでなく、滅多にめぐりあえない仏教にもめぐりあえました。かけがえのない今の人生こそ、最高の生涯にちがいありません。その人生を無駄にして、露のようにはかない命を、諸行無常の風の吹くに任せて終わらせてはいけません。

 死はいつやってくるのか、露の命はいつどこで消えるか分かりません。我が身は自分だけの物ではなく、人生は時の移ろいゆくまま、少しの間も引き止めておくことはできません。少年の日の若さにあふれた顔はどこに行ってしまったのでしょう。今さら探し求めようとしても跡形もありません。よくよく考えれば、過ぎ去ったことは二度とめぐりあえないことばかりです。ましてや死に直面すれば、権力者も、友人や後輩も、家族も、金銀財宝も助けにはならず、たった独りであの世に旅立たなければなりません。どこまでも自分についてまわるものといえば、善き行いと、悪しき行いだけです。

 今の世の中で因果応報を考えず、あの世を信じず、善悪の分別もないよこしまな考えの者とは、生き方を共にすべきではありません。因果応報は必ずあり、私情を挟む余地はありません。我々は悪い行いをして自ら苦しむよりも、善き行いをして幸せになる道を選びましょう。もし因果応報を信じなければ、お釈迦様が生まれ、仏教が日本まで伝わってきた意味もなくなってしまうのです。

 因果応報には三つあり、この世での行いの結果は、この世ですぐ受けることも、あの世で受けることも、さらにその次の世で受けることもあります。仏の生き方をしようと願うならば、この因果応報を自らに省みて実践するのでなければなりません。そうしなければよこしまな考え方に陥ってしまいます。そればかりでなく、安らぎを得られず悩み続けることにもなります。

 私たちの人生はやり直しがきかないのですから、よこしまな考えをもって悩み続けることほど虚しいことはありません。それに気づかずに、自分は悪いことをしていないと思い、苦しみもないだろうと思っても、悩みを離れることはできないのです。
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参考文献
桜井秀雄『修証義をよむ』(名著普及会)
水野弥穂子注『正法眼蔵』(岩波文庫)

過剰反応

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原発事故で放射性物質が山形県内にも流入しているのではないかと心配する声をよく聞くが、情報源が曖昧なまま、過剰反応しているように思われる。

チェルノブイリ事故でのドイツの体験からとか、そんな過度の一般化で語られても意味がないどころか、パニックを引き起こす恐れを考えれば迷惑ですらある。次に出てくるのは「政府は真実を隠している」論。そんな真実がないことは調べれば分かるし、あったとしても隠す余裕なんてあるまい。

「佐渡に逃げよう」とかお茶飲み話で冗談を言っているくらいならまだいいが、昨日長男が園児バスから降りたときマスクをかけていたのには閉口した。「悪いものが口に入らないようにだって」と長男。保育園で心配してくれる気持ちは分かるが、こうやって根拠のないものに過剰反応するのは教育上よくないと思う。

こんなことも起きた。

日本経済新聞:山形県教委「被曝の可能性、すぐ下校を」 小中高に独断で通知

荻上チキ氏は、誰もが誤報の拡大に加担してしまう可能性があり、しかも流言を拡散する人は自分のことを「リテラシーがある」と思い込んでいたりすると指摘している(『ダメ情報の見分けかた』)。ガソリンなどの物資不足についても然り。混乱が全国に広がる中、情報源を確認して正確な情報の把握に努めたいものである。

山形県における放射線の状況

地震前のガンマ線量は0.025〜0.082マイクロシーベルト毎時で、地震発生後は0.114〜0.135マイクロシーベルト毎時。増えてはいるが、1年間にさらされてよい放射線の限度とされる数値(1,000μSv)の約1万分の1のレベルであり、人体への影響はない。

ガソリンがない

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山形は震度4で何も倒れたり落ちたりせず、水道もガスも使えて、27時間の停電だけで済んだが、週明けになってガソリンがない。

「スタンド前に車の列が続いている」「米沢まで行ったが10リットルしかつめられなかった」(ガソリンを「つめる」って方言?)などという話を耳にしていたので、ガソリンスタンドに勤める友人に真偽を尋ねたところ、県内はもうほとんどなくて、入荷も未定になっているという。

土日休んでいた近所のガソリンスタンドが、100台限定で10リットルずつ給油できるという情報を入手。そして40km離れた小国町に行けば満タンにできるとのこと。すでに給油ランプが点灯していたので、今朝は7時から近所のガソリンスタンドに行ってきた。

10台目くらいだったので、田舎だから少ないのかなと思っていると、店の前にいる人から今日は閉店だという話が聞こえてきた。確かに看板には手書きで臨時休業と書いてあるが、それは車を並ばせないようにするための方便だという人もいてはっきりしない。しばらく待っているうちに、今朝の会議で、緊急車両への旧油分を残すため、一般販売をやめたらしいことが分かってきた。

仕方なく諦めて帰る。エンジン音が妙に軽いところを見ると、ガス欠寸前なのだろう。車庫にしまっておいたが、次に車を出せるのはいつになることやら。車で保育園に送迎している次女はこれで自宅待機決定。保育園に連絡したら、灯油が少なくて保育園もお休みになるかもしれないという。

しばらく考えて思いついたのが自転車。これなら買い物にも行ける。しかし家の電動自転車はもう何年も乗っておらず、雪に埋もれた小屋の中から引きずりだしてこなければならなかった。タイヤに空気を詰めて、充電器を探し出して充電したところ、すいすい走るようになった。でも今度は雪。

少しずつ入ってきたようだが、ガソリン不足がこのまま続けば、あらゆるところに影響が出てくるだろう。長男の保育園バスは動いていたが、給油できなくなれば各自の送迎となる。うちは歩いてもいけないことはないが、先生方だって車通勤である。学校も同じ。歩いて登校しても、先生方が来られなければ授業ができない。祖母のデイサービスも、お店も会社もそうだ。

ガソリンがなくても自宅にいる分には支障はないので、太平洋側の東北各県と比べれば、不便さの度合いは比べるべくもない。ほとんど被災しなかったといっていい山形県でもこの有り様なのだから、震災のものすごさを改めて思い知らされる。

ここ数年、急速にホール葬が増えている。宗務所長の呼びかけに応じて「お葬式はできるだけお寺か自宅で」と頑張ってきたが、一住職の無力さを思い知らされる。

お寺か自宅を勧める理由は、信仰の面と寺院経営の面の両方がある。

お寺には、何百年もの間、何千人、何万人ものこの地域の先祖が掌を合わせてきた本尊があり、また位牌壇にはその先祖たちが眠っている。そこで亡くなった人を送るということは、かつてこの地で生きた先祖たちに見守られて、仏様に導かれていく確信がもてるだろう。ホール葬で送った人が、終わってから何か物足りなさを感じるとすれば、その安心感だと思う。

自宅でも先祖を祀る仏壇があれば同じ理屈だが、故人が住み慣れた場所で送ることで安心のもとになる。

また、寺院は大きい建物の維持に檀家さんの理解が不可欠であり、本堂をあまり使わないでいると修理のとき理解を得られないどころか、不要論が出てもおかしくない。そのため、檀家さんや近所の方に現在のお寺の建物に入り、内外を見て頂く機会は多いほうがよい。

このような理由から、枕経にはできるだけ早く駆けつけて、やむを得ない理由(雪で駐車場がない、参列者が非常に多い)がない限りお寺や自宅を勧めてきた。ときには一度ホールに決めたものを覆したり、喪主と口論になりそうになったこともある。

しかし昨年、お寺の葬式に呼ばれてひとつ気が付いた。隣組の負担が大きいのである。

うちの田舎では隣組や五人組と呼ばれる制度が続いていて、お葬式の時はご近所の方がわざわざ仕事を休んで駆けつけてくれる。農家が大半だった昔と違い、勤務を休んでくるのは大変なことである。それでいて、今や葬儀の準備の大部分は葬儀社が行っているため仕事は少ない。かつては飾り物の製作や料理もあったが、今では近所へのお知らせ、出棺のときの棺運び、葬儀の受付、念仏、あとは終わった後の飲食といったところだ。

ところが自宅でするとなると、和尚さんたちの接待や葬儀の司会などが加わり、お寺ではさらに花輪の運搬や駐車場係などの仕事が増える。

もちろん、隣組が嫌がることは少ない。そのつもりで集まっているわけだし、暇を持て余していたのでは仕事を休んできた甲斐がない。でもその前に、喪家がそのような仕事をさせることに気を遣って遠慮するのである。それだけ近所付き合いが昔と比べ疎遠になっているということか。

こうして葬儀社任せが加速し、隣組はいよいよ何をお手伝いしたらよいか分からなくなっていく。そんな風潮の中、お寺でお葬式をしたいといえる喪主はどれほどいるだろうか。「近所に迷惑をかけない」というのがホール葬を選ぶ第一の理由ではないかとさえ思える。

喪家だけが大変になるというのなら、一世の一大事と説得して我慢してもらうようお願いできる。しかし隣組を考慮に入れると強硬になれず、ホールでもいいでしょうと妥協してしまう。それが信仰を奪い、お寺の寿命を縮めることになるかもしれないと思っても。

今は大雪なので、駐車スペースがないことを「やむを得ない理由」としてホール葬を承服している。しかしもうすぐ雪が消えてから、喪家でどこまで頑張れるか、はなはだ心許ないところである。

もう先月になってしまったが、地元で御詠歌をしている和尚さんと寺族さんとで、東京に研修に行ってきた。一昨年は会津だったが、雪がないところがいいということで思い切って東京へ。現在、事務局をしているので自分の好みで企画させて頂く。

メインは東京タワーのふもとにお寺がある福井寛隆先生の講習である。先生は音楽大学の出身で、他に類を見ないお話が聴ける。11年前、師範養成所で1コマだけお習いしたときのメモは、その後ずっと指針となり続けてきた。先生が一線を退かれたこともあり、その後はお習いする機会もなかったが、講師に呼ばれているという情報を掴み、思い切ってお手紙を出したところOKのご返事。とても楽しみにして行った。

往復はJRが出している宿泊付き乗車券TYOを使って、とことん安く上げるケチケチ作戦。往復で2万円かかるのに、宿泊付きで23000円。これはお得である。しかも、師範養成所の打ち上げに使った上野の鴎外ホテル水月荘がリストにあるという幸運にも恵まれた。

上野だったら、浅草は近い。そこで学生の頃デートで一度だけ行った駒形どぜうを思いついた。一鍋が1750円もするので、お金がなくて、もっと食べたいと思いつつ帰った記憶がある。ここで懇親会をすればたらふく食べれるだろうとコースに入れた。

翌日は、東京国立博物館で開催中の「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」展を考えたが、母によれば奥様方の多くは広島で平山郁夫美術館に行っているはずだという。そこで東京大学総合研究博物館の「ヒマラヤ・ホットスポット展」に変更(後日、東大病院に「健康と医学の博物館」というのができたことを妻から教えてもらった。こちらも惹かれる)。さらに寛永寺のホームページを調べていたところ、ちょうど清水観音堂で縁日であることも分かり、ご祈祷を申し込んだ。

上野界隈は大学への通り道だったので、庭のようなものである。浅草、寛永寺、東大と極めて近場を回るミニマムなコースで、移動時間を節約し、私が好きな滞在型の観光にした。新幹線も往復ともに上野から。

朝遅めの新幹線で上京し、上野のアトレで昼食後、日比谷線1本で福井先生のお寺へ。お寺の前に「梅花流山形県師範詠範」という看板があり、先生が温かく迎えて下さった。

お茶を御馳走になって、1時間ちょっとの講習。11年前のメモをなぞるような講習だったが、当時未熟だったせいで分からなかったことも多々あった。特に、拍子の強弱(いわゆる強・弱・中強・弱)と節の強弱(歌詞に合わせて一節ごとに大きな山を描く)は別物であるという先生の持論は目からウロコ。『廓然』や『妙鐘』の1・3が3・1に聞こえる現象の謎も解明できた。拍子を優先してアヤを入れないという選択もあってよいとか、イロは長さを優先して2回目のアタリとユリを一緒にするとか、興味深い話ばかり。まだまだお話をお伺いしたいところだったが、残念ながら時間切れ。記念写真を取ってお暇した。またぜひお伺いしたい。

また日比谷線で上野に戻り、タクシーで宿へ。鴎外ホテルは駅から離れているため、タクシーで行くと500円のキャッシュバックがある。荷物を置いて、和室でのんびり。

駒形どぜうへは、「めぐりん」という台東区の循環バスがあった。ちょうどホテルの前から出ており、駒形どぜうの近くで止まる。100円。途中、6時半なのにもう閉まっている店が多い下町の商店街を抜け、建設中のスカイツリーも見えて楽しかった。

駒形どぜうでは、どじょう鍋に合うというので久しぶりに日本酒などというものを飲んでみる。古い建物の中で、ネギをたっぷり乗せたどじょうに日本酒というのは乙である。望みどおりたらふくお替わりしたが、1人4000円台で上がった。

タクシーで宿に帰ったが1人300円くらい。歩いたこともあるが、浅草と上野は本当に近い。ホテルのカラオケで二次会をして、『まゆげ』なんかを歌った後、東京周辺に多い黒っぽいお湯の鴎外温泉に入浴して就寝。若い衆はその後上野駅周辺に繰り出してボッタクられてきたらしい。

2日目。宿の送迎バスで上野駅の公園口まで送ってもらい、コインロッカーに荷物を預けて散歩体制になった。今日はずいぶん歩くのである。コインロッカーがスイカ対応のタッチパネル式になっていて、皆さん混乱なさっていた。

公園口からすぐ近くの清水観音堂で10時から大般若法要。となりに座った女性が法華経普門品を(散文から)暗記していたので舌を巻く。天台宗の大般若法要を見るのは初めてで、先月大般若会の導師を務めた身としてはいろいろ興味深かった。

終わってから奥の間のお茶に誘われ、特製のドクダミ茶を頂きながら住職さんから法話をお聴きする。ちょうど鳩山さんが「方便」といって物議をかもしていたころで、方便の話や、一心十界の話など。つかみに時事ネタを取り入れるのは(これこそ方便だが)、大事なことだと思った。

信者さんもいらっしゃって話し込んだりしているうちにもうお昼。おばあちゃんのお土産に千手観音キューピーを買って、一路東大へ。不忍池を抜けて、池之端門から入り、安田講堂の前を通って、まずは赤門のそばのコミュニケーションセンター(東大お土産屋)に立ち寄る。東大泡盛とか、蓮の香水とか、アミノ酸飲料とか、不思議なものが売っている。

研究博物館の「ヒマラヤ・ホットスポット展」とは、ヒマラヤの植物調査標本展だった。夏が短いヒマラヤでは、寒さに耐えるように植物が進化している。シェルパを連れてテントで何泊もしながら、丹念に集めて帰ってくる植物学の研究者の熱意がすごい。

それから安田講堂わきの工学部に入っている松本楼で昼食。ここもたまにデートで来たものだが、1日20食限定のプリン(500円)があることまでは知らなかった。私が食べたのはクリームソースのハンバーグ。相変わらず美味い。

そして東大病院のところからタクシーで上野に行き、コインロッカーの荷物を出すとちょうど新幹線の出発時刻。私はもう一泊することにして、皆さんをお送りした。

お金のかからないケチケチ旅行だったが、私自身も懐かしくて楽しかったし、同行した寺族さんたちは「ひとりでは決して行けないところに連れていってもらえた」と好評。鴎外ホテル、駒形どぜう、清水観音堂、東大コミュニケーションセンターと、変わったお土産を買うところもたくさんあったのもよかったみたい。2年に1度、このような研修を行っているので、アンコールでまた上野ということになるかもしれない。

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