2つの晋山式

先週、今週と引き続いて近くのご寺院で晋山式が行われ、お手伝いに参加してきた。

晋山式とは住職が弟子をとって大和尚になる一世一代の式である。中心となる法要は、住職が須弥壇に登り次々と浴びせられる法問に答えていく「晋山上堂」と、前日に発表されたテーマに関する禅問答を弟子たちが戦わせる「首座法座」で、非常に見応え、聴き応えがある。「首座法座」はシナリオを丸暗記して行うが、「晋山上堂」はアドリブで答えなければならないため、住職の力量が試される。

試されるのは禅問答の力量だけではない。近隣のご寺院さんを何十人も招き、2日間にわたっていくつもの法要を行うのは莫大な費用を要する。お寺の貯えでは賄いきれないので、檀信徒に寄付を募ることになる。一方、檀信徒が直接的なメリットを感じられる式ではないので、仏教への深い信心と、住職への厚い信頼が不可欠となる。そうした寺檀関係を普段から築く教化力が、この式で最も試されるものだろう。

先週の晋山式は教区のご寺院さん。学校の先生を定年退職なさって、息子さんを弟子にして行われた。曹洞宗の僧侶は、必ずどこかのお寺でこのような弟子にならないと一人前になれない。息子さんはもう修行を終えているので、この式が終わって手続きをすれば副住職になれる。檀家さんとしては後継者育成という目標が立ち、理解も得やすかったのではないだろうか。

式はできるだけ小さい規模でということで、30名の僧侶で行われた。近隣では最少記録ではないかという話である。しかしみんないつもの顔ぶれということもあってチームワークが素晴らしく、またアットホームで雰囲気もよかった。みんなで灰ならしをしたり、掃除をしたりしながらの団欒も楽しい。

「弁事」という小僧さんには小学校1年生の私の長男。最初は無理だとお断りしたが、大丈夫だと推されてデビューとなった。子供用の衣をまとい、「首座法座」で漢文書き下し文を暗記したり、(シナリオの)禅問答をしたりする役だが、1ヶ月くらい前から練習していって、結果的に何とか務まった(ことにする)。暗記文を下敷きに挟んで毎日学校に持っていったのが功を奏したのかもしれない。

「晋山上堂」での長男の問答は「毎朝どうしてお経を読むのですか?」ご住職さんが「お経は心の栄養です。毎朝ごはんを食べるように、お父さんと一緒にお経も読みましょう」とお答えになったのは見事だった。ほかの法問にも終始穏やかに、的確に返していらっしゃったのは、さすが元校長先生である。

さて、今週の晋山式は、私のご本寺(本家に当たる)様。お年は私とほとんど変わらないが、すでに5年前から綿密な準備を行い、檀家さんを1軒1軒回って理解を求め、本堂も大改修して式に望まれた。お弟子さんは近くのご寺院さんのご子息さん。僧侶は72名で、非常に大規模である。人数だけでなく顔ぶれも素晴らしく、法要に明るい方が適材適所に配置されている。私のインド留学中、代わりに葬儀・法事を務めていただくなど、たいへんお世話になった住職さんなので、精一杯恩返しをするつもりでいたが、仕事のできる方ばかりだったために、あまりお力になれなかったのが悔やまれる。

人数が多いことで、ご住職さんの気苦労は計り知れないものがあったと思うが、大学時代の同級生や、本山で一緒に修行された仲間の和尚さんたちが遠方からいらっしゃって励まされていたのが印象深かった。ご住職さんが控え室に戻ると、ボクシングのセコンドのように椅子や飲み物を出し、様子を伺っている。ご住職さんに笑顔が浮かぶのを見てほっとした。

そのお仲間の中に、以前に御詠歌の講習会でご一緒した方がいらっしゃって、ご病気をおして来られたと伺った。先代のご住職さんは、ご住職さんが8歳のときに急逝なされており、それから十数年間、ご住職さんの学業が終わるまで、別の方に住職をお願いしていた。住職に就任されたのは24歳のときだったという。ご住職さんのお仲間も現在8歳のお子さんがおり、他人事ではなく感じていらっしゃった。問答では、ご住職さんから、今年33回忌を迎えた先代さんの50回忌を一緒にしようという言葉をかけられ、感激なさったという。私もその言葉を伺って、露の命であっても、次の代にしっかりバトンを渡したいと思った。

2つの晋山式はどちらもそれぞれご住職のカラーが反映されていて、感動的な法会であった。「次はあなたの番だよ」とよく言われるが、実物を見てくると、今の私にはとてもできそうに思われない。でも一朝一夕に事を成そうと思わず、今日の一日、明日の一日と積み重ねていくしかないのだろう。

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