お坊さんのための「仏教入門」


「葬式仏教」と揶揄される日本の仏教。「死者よりも生きている者に目を向けて」という声がよく聞かれるが、東日本大震災で僧侶に求められたのは哲学でも思想でもなく、死者の供養だった。死者の霊魂、お迎え、先祖供養など近代仏教が説明を避けてきたもの、また、お寺の公益性や脳死問題といった現代的な問題について、僧侶は何らかの考えを述べなければいけなくなっている。本書では仏教の実践的な立場からどのような回答ができるかを探っている。

「説教師 見てきたような ことを言い」という川柳で揶揄されるように、死後の世界について明言することは難しい。しかし、現場では「無記(お釈迦様が判断を停止した問題)」だけでは済まされずに、名言しなければならないことがある。「おじいさん、極楽に行けますか」と訊かれて、「さあ、どうなんでしょうね・・・」などとしか答えられないのは失格である。自信をもって答えるためには、経典に親しみ、さまざまな立場の考えに触れ、自ら思索を深めておかなければならない。

震災後、幽霊が見える被災者が相次いだ。支援に関わったある住職さんが「いる、いないは別にして、見ているのは事実。みな、心の構えがないまま多くの人を亡くした。親族や仲間の死に納得できるまで、上を向けるようになるまで、宗教が辛抱強く相談に乗っていくしかない」と話したという。科学的なアプローチとは別に、僧侶でなければできないことがあるというのが、本書の主題である。

「僧侶の品格の五条件」というものが挙げられていた。いずれも、ちょっと油断するとすぐ過ってしまうことばかりである。ときどき見返して、反省材料としていきたい。

  1. 僧侶は聖職者であるという自覚
  2. 修行に完成はなく、自分はまだ途上にあるという自覚
  3. 僧侶にとって、いちばん大切なものは地域とのかかわりであり、僧侶は地域の精神的指導者であるという自覚
  4. 宗門の専門家だけでなく、檀信徒にわかる、やさしい言葉で仏教を語れること
  5. 金銭や物質的な欲望に執着しないこと

紹介する先生方をやたら持ちあげるのと、尼僧・寺庭婦人・母親に関して少々偏っているかなと思う(ジェネレーションギャップかも)箇所もあるが、口語調で読みやすく、実例も豊富で、ためになっている。

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