2016年8月アーカイブ

法話の会

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お盆明けから月1回、第1日曜日の朝に法話の会をお寺で開くことになりました。説教じみた堅苦しい話はせず、檀家さんでなくても参加できますので気軽に遊びに来て下さい。

「最近あちこちの老人会や婦人会で呼ばれてお話しているようだが、お寺の近所の人がお話を聴く機会がない」という声に応えての開催です。お盆中に全檀家さんにちらしを配り、反応は上々ですが、いったいどれくらいいらっしゃるものか、不安と楽しみが入り混じっています。

法話の会

周利槃特

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物覚えがものすごく悪く、ミョウガの話にもなった仏弟子・周利槃特(チューラパンタカ)の物語を読解(根本説一切有部毘奈耶31)。「愚者を自認する愚者、これを賢者という。賢者だと思っている愚者、これを真の愚者という」と励まし、「塵を取り除こう、垢を取り除こう(ラジョー・ハラーミ、マラン・ハラーミ)」という二句だけで周梨槃特を導いたお釈迦様の指導力が印象に残りました。

チューラパンタカ物語(根本説一切有部毘奈耶卷第三十一)

お釈迦様は舎衛城の祇園に滞在しておられた。そこにあるバラモンが住んでおり、妻を娶ったが、子どもが生まれるたびにすぐに死んでしまっていた。そのうち妻がまた身ごもった。バラモンは頬杖をついて心配そうにしていたところ、近所に住んでいる老婆がやってきて言った。

「バラモンさん、なぜあなたは心配そうにして頬杖をついているんじゃ?」

バラモンは答えた。

「うちの子どもは生まれるたびにすぐ死んでしまうんだ。また妻が身ごもったんだが、生まれてもまた死んでしまうだろう。どうして心配しないでいられるだろうか?」

老婆は言った。

「奥さんの出産のときが来たら、私を呼びなさい」

後に妻が出産するときがやってきたので、すぐにその老婆を呼んだ。老婆は妻のところに至ると、男の子が生まれた。老婆は赤ちゃんを取り上げて沐浴させ、白い布でくるみ、生乳製品を口に含ませ、召使の女に渡して言った。

「この子どもを抱きかかえて大きな四辻に連れて行きなさい。そして出家者やバラモンが通りかかったら、丁寧にお辞儀をして『この子どもが足下の礼をしています』と告げなさい。日が暮れて子どもが生きていれば連れ戻りなさい。死んでいればそのままそこに放置してきなさい。」

召使の女は教えられた通り、子どもを抱きかかえ、大きな四辻に行って道端に立った。異教徒たちが朝早く、いろいろな祠にお参りをして、道を通りかかった。そのとき召使の女は、遠くから彼らが来るのを見て、丁寧にお辞儀をし、子どもを指差して言った。

「聖者よ、この子どもが尊い方々に足下の礼をしています」

彼らは祈った。「この子どもに病気なく、長寿であるように、神様お守り下さい。両親の願いが全て満たされますように」

また、たくさんの長老の修行僧たちが行乞をしようと舎衛城に入り、通りかかった。召使の女はこれを見て同じように言った。そして修行僧たちは同じように祈願した。

午前中にはお釈迦様が、衣を着け、鉢をもって、行乞のため舎衛城に入り、また通りかかった。そのとき召使の女はお釈迦様がやってくるのを見て、厳かに心をこめた五体投地をし、礼を終えると子どもを指差し合掌して言った。

「尊師よ、この赤ちゃんがお釈迦様に足下の礼をしています」

お釈迦様はおっしゃった。

「この子どもに病気なく、長寿であるように。両親の願いが全て満たされますように」

このように礼を続けて日が暮れたとき、子どもを見ると生きていたので、抱きかかえて家に帰った。家の者が子どもを見て生きているかどうか尋ねたので、生きていると答えた。また、この子を抱きかかえてどこにいたのか尋ねたので、ある大きな四辻の道端だと答えた。両親は大いに喜び、祖父母を集めて盛大な誕生祝いをし、子どもに名前を付けることになった。いろいろな人が議論した。

「この子どもは生まれるとすぐに大通りに置かれていたので、マハーパンタカ(大路)にしよう。」

マハーパンタカ少年はすくすくと育ち、身長も大きくなった。諸芸能・文字・計算などを広く学び、バラモンの法式や威儀進退、経典の読誦法もみな習得し、四つのヴェーダ、六つの義務に通じ、智慧を具え、やがて五百人の子どもに授業をする程に成長した。

そのころ父親は欲望を捨てることができなかった。喉が渇いて塩水を飲めばますます喉が渇くように、性行為にふける者は欲望がさらに増すものである。父親は性欲を捨てず、妻はまた妊娠した。出産のときになって再び老婆が呼ばれた。老婆は出産に立ち会い、男の子が生まれた。前と同じように子どもを沐浴させ、白い布でくるみ、生乳製品を囗に含ませて、別の召使の女に渡し、子どもを抱きかかえて大きい四辻の道端に連れて行くように言って、前と同じように指示した。その召使の女は生まれつき怠惰で、子どもを抱きかかえて小路の道端に行った。バラモン、異教徒、仏教徒が通りかかるのを見て、子供を指し、皆に祈祷してもらったのは以前と同じである。日が暮れたとき、子どもは生きていたので抱きかかえて家に帰り、両親は喜んで召使の女に尋ねた。

「この子を抱きかかえてどこにいたのか」

「ある小路の道端です」

両親はすぐに盛大な誕生祝いをして名前を付けた。皆はこの子どもは長生きするように小路に置かれたのだから、チューラパンタカ(小路)にしようと言った。

チューラパンタカ少年は成長し、授業を受けることになった。先生はまず文字を教え始めたが、彼は生まれつき愚鈍であったため、後の文字を教えているうちに前に教わった文字を忘れてしまうのだった。そこで先生は父親に言った。

「私は長いことたくさんの子どもに教えてきたが、これほど愚鈍な子どもは見たことがない。兄のマハーパンタカは一をいえば十を理解したものだが、この子どもは二を教えているうちに一を忘れてしまう。学問を教えることなどできない」

父親はそれを聞いて考えた。

「全てのバラモンが文字に精通しているわけではない。それならばヴェーダの暗唱を教えよう」

そこでヴェーダの先生にヴェーダの授業をしてもらった。しかしオウムというときにはブーを忘れ、ブーをいうときにはオウムを忘れてしまうのだった。(「オウム」「ブー」とはバラモンの四つのヴェーダで秘密の文字とされ、多くの意味をもち、これを唱える者には幸福が訪れるとされる。ここでは翻訳することができない。)先生は父親に言った。

「私は長いことたくさんの子どもに教えてきたが、これほど愚鈍な子どもは見たことがない。オウムをいうときにはブーを忘れ、ブーというときにはオウムを忘れてしまう。学問を教えることなどできない」

父親はそれを聞いてまた考えた。

「全てのバラモンがヴェーダを暗唱できるわけではない。生まれつきのバラモンとして生きれば、苦労もないだろう」

この子どもは生まれつき愚鈍であったため、人は皆「愚かなパンタカ」と呼んだ。

父親はその愚かなパンタカに特に愛情を傾け、どこへ招かれて行くにも連れて行った。そのうち、しばらくして父親は重病になった。薬効甲斐なく衰弱すると、マハーパンタカに言った。

「私が死んでも、おまえは心配がない。しかし愚かなパンタカは分からない。軽視せず、いつでも力を合わせて兄弟の義を尽くすのだぞ。私の言葉を憶えておくように。お釈迦様はこうおっしゃった。『集合するものは皆離散し、上昇する者は必ず落下する。出会いは別れに終わり、生は死に帰す』と」

こういうとすぐ、バラモンは亡くなった。二人の息子は泣き叫び、葬儀を行い、林で荼毘に付して、悲しみながら帰った。

そのとき、シャーリプトラ(舎利子)とマウドガリャーヤナ(目連)長老が、五百人の修行僧と共にコーサラ国を遊行し、舎衛城に到着した。舎衛城ではたくさんの人々が、シャーリプトラとマウドガリャーヤナ長老が五百人の修行僧と共にここに来ることを聞いて城を出て出迎えた。そのときマハーパンタカは、城外の木の根もとで五百人に授業をしており、たくさんの人々が城から出ていくのを見て尋ねた。

「あの人々はどこに行くのか」

弟子たちは答えた。

「みんなはシャーリプトラとマウドガリャーヤナ長老が五百人の修行僧と共にここに来ると聞いて、出迎えに行ったのです」

マハーパンタカは尋ねた。

「どうしてあのふたりに何か見るべきものがあるのか。最高の種姓であるバラモンの身分を捨て、第二の種姓であるクシャトリヤの出家者ガウタマのもとで出家したと聞いているが、どうして迎える必要があるのか」

門人の中に、仏教を信じる学生がおり、先生に言った。

「先生、そのようにおっしゃってはいけません。あの二人は悟りを得、威徳を備えています。先生がその教えを聞かれるならば、教えに従って出家したくなるでしょう」

その頃バラモンの学生たちは、休みの日のたびに都の見物に出かけたり、沐浴場に行ったり、護摩用の薪を採ったり、祠にお参りに行ったりしていた。後日、休みの日に出かけることになった。マハーパンタカは思った。

(学生が仏法を褒めたたえていたなあ。ちょっと行って聴いてみようか。)

城を出て、木の下で修行僧が歩いているのを見つけたので、そこに行って言った。

「修行僧よ、ブッダの素晴らしい教えを少し聞かせてください」

その修行僧は十種の悪い行いと十種の善い報いを詳しく説明した。マハーパンタカはこれを聞いて信心が起こり、修行僧に言った。

「近いうちにまた来たいと思います」

そう言って歩み去った。その後また、休みの日になると彼は修行僧のところに行き、説法をお願いした。修行僧は十二支縁起を詳しく説明した。それを聞いて彼の信心は倍増し、修行僧に言った。

「善く説かれた教えときまりを守って出家し、ブッダのもとで清浄な生活をできないでしょうか?」

その修行僧は考えた。

(私が出家を許可しよう。そうすれば仏法の乗り物を引かせ、仏法のたいまつを伝えさせられる)

そしてバラモンに言った。

「あなたの意のままになさい」

マハーパンタカは言った。

「修行僧よ、私はこの辺りではよく知られたバラモンですので出家することはできません。地方へ行って出家したいと思います」

修行僧は、彼を地方へ連れて行き、出家戒と道具を授けて言った。

「ブッダの説く修行は二種類ある。学習と坐禅である。あなたはこのうちどちらを望むか」「和尚よ、両方とも行います」

こうして彼は日中に経典を学習し、すぐに三蔵を修得した、夜は坐禅をし、全ての煩悩を除滅して、阿羅漢の境地に達した。三つあるいは六つの神通力と八つの解脱を備え、阿羅漢の四つの智慧を獲得し、心には妨げがないこと掌も虚空も同じものとみなし、斧も栴壇も同様であると考えて愛憎も起こらない。金も土も異なることがなく、利得と

貪欲と名誉に背を向け、インドラ神などの神々に尊敬されるほどであった。

こうして悟りを得たマハーパンタカは次のように思った。

(学習と比べると坐禅には苦労した。しかし獲得すべきものは獲得したので、舎衛城に行って、お釈迦様に足下の礼をして供養しよう。)

こうして五百人の弟子と共に衣と鉢をもち、あちこちを遍歴して舎衛城にたどり着いた。城では、あのマハーパンタカが五百人を引き連れコーサラ国への旅から帰ってくると聞いた人々がたくさん出迎えた。

その頃、愚かなパンタカは兄と別れた後、家業が衰え、生活に困窮していた。そこでみんなに尋ねた。

「みなさん、こんなに大勢の人々が、どこへ行くのですか」

「マハーパンタカ尊者と五百人がコーサラ国から帰ってくるんだ。だからみんな城を出て迎えに行くんだよ」

そこで、愚かなパンタカは思った。

(これらの人々はマハーパンタカの兄弟でも親でもないのに出迎えに行っている。私は弟だ。どうして行かないことがあろうか)

こうしてすぐに出発し、兄と出会うと尋ねられた。

「愚かなパンタカよ、久しく合わない間、どのようにして暮らしていたのか」

「暮らしには困っているよ」

「どうして出家しないのか」

「私は非常に愚かで鈍いんだ。誰がそんな私を出家させてくれるというの?」

マハーパンタカは考えた。

(この弟に善根はないだろうか。観察してみれば善根はある。善根があるのに出家が相応しくないことがあろうか)

こう考えてマハーパンタカは言った。

「おまえを出家させてあげよう」

「ありがとう」

そこで愚かなパンタカに出家戒と道具を授けた。

彼に次のような簡単な教えを授けた。

「身体、言葉、心によって、悪を作らないこと。世界の生きとし生けるものを苦しめず、正しく思念し、正しく観察し、諸欲を離れるならば、苦しみは無益であり離れている」

愚かなパンタカはこの教えを唱えてみたが、三カ月たっても暗唱できるようにならなかった。牛飼いたちは、練習を聞いて皆覚えてしまうほどだった。そのとき愚かなパンタカに尊敬の心が起こり、牛飼いたちのところにいって教えを乞うた。かれらは唱えることができた。

ところで、規則としてブッダの弟子たちの会合は二回あった。ひとつは五月十五日、雨安居の初日であり、もうひとつは八月十五日、雨安居明けの日である。雨安居の初日には参集してそれぞれの師匠のもとで坐禅と学習の方法を学び、その後、それぞれの街・村・集落で雨安居を行う。その後、再び参集して学習の課題を要請したり、習得したことを報告したりする。マハーパンタカ尊者と弟子たちもそれぞれの安居を終えてマハーパンタカ尊者のところに集まり、学習の課題を要請し、習得したところを報告していた。そこに愚かなパンタカもおり、六人組の修行僧に仕えていた。六人組はこう言った。

「愚かなパンタカよ、お前の仲間は師匠のところに行って学習の課題を要請している。お前も学習の課題を要請しに行かないのか」

「私は三ヶ月の間に一つの詩さえ、唱えられるようになりませんでした。どうして学習の課題を要請することができるでしょうか」

「尊者よ、聞いたことがないか。『学習しない者たちは日ごとに鈍っていく』と。どうして唱えないで詩を習得できるだろう。教えてくれる人をお願いしてきなさい」

愚かなパンタカは悩んだ挙句、兄のもとに行ってお願いした。

「和尚よ、学習の課題をわたしに授けてください」

マハーパンタカは考えた。

(愚かなパンタカに自発心があったのか。それとも、誰かに勧められたのか)

観察して、彼が他人に勧められたのであることを見てとった。また愚かなパンタカを見た。「彼は激励によって指導すべきだろうか、それとも叱責によって指導すべきだろうか。見たところ、叱責によって指導したほうがよさそうだ」

ついに愚かなパンタカは腕をつかまえられて、僧院の外へ追い出された。

「おまえは本当に愚かで鈍い。仏教に何を望むというのか?」

すると愚かなパンタカは僧院の外で泣いて言った。

「私は在家でもなく、出家でもない。このつらさを何としたらいいだろう!」

お釈迦様はいつも、山や林を歩き回り、墓や僧院に行くこともあった。そのためわけあってマハーパンタカの僧房に来て、愚かなパンタカが僧房の外で泣いているのを見つけ、尋ねた。

「どうして、そなたは僧房の外で泣いているのか」

「尊師よ、私は愚鈍で智慧もなく、和尚の兄に追い出されました。今や私は在家でも出家でもなく、このつらさに何もできないところです」

お釈迦様はおっしゃった。

「実際はそうではない。聖者の教えは、そなたの和尚が長い時間をかけ、数多くの困難を受け、六つの究極の修行を完成して獲得したのではない。この聖なる教えは、私が長い時間をかけて、修行を重ね獲得したものである。私のもとで学ぶつもりはないか」

愚かなパンタカは答えた。

「尊師よ、私は非常に愚かで鈍いのです。どうしてあなたのような偉大な師匠のもとで学習することができるでしょうか」

そのときお釈迦様はこの機会に次のような詩を唱えられた。

「愚者を自認する愚者、これを賢者という。賢者だと思っている愚者、これを真の愚者という」

お釈迦様が学ぶものに一句一字を説かれると思ったら、そのようなことはないのである。

そこでお釈迦様はアーナンダに告げられた。

「そなたが、愚かなパンタカに教授しなさい」

アーナンダは、指示された通り教授し始めたが、教授することができなかった。そこでお釈迦様のところに行き、足下の礼をして申し上げた。

「尊師よ、私はあなたに仕え、説かれたものを習得し、次々にやって来るバラモンたちに教授しなければなりません。ですから愚かなパンタカには教授する余裕がありません」

そこでお釈迦様は愚かなパンタカを呼び、「塵をとり除こう」「垢をとり除こう」という二つの言葉を授けた。しかし彼はこれさえも暗唱することができなかった。これを見たお釈迦様は、その障害を除去しなければならないと考えて愚かなパンタカに告げられた。

「そなたは修行僧たちのわらじを掃除することができるか」

「できます」

「それでは今から修行僧たちのわらじを掃除し始めなさい」

愚かなパンタカはすぐに教えの通りに掃除を始めた。修行僧たちが許可しなかったので、お釈迦様が言い渡した。

「掃除を遮らないように。この者の障害を除去したいと思う。二つの詩句をみんなで教えてあげなさい」

そのうち修行僧たちはわらじを掃除させて二つの詩句を教えるようになった。愚かなパンタカはいつもこの教えを一生懸命唱え、程なくしてうまく唱えられるようになった。そこで、愚かなパンタカ比丘は、夜の明けるころに、このように思った。

(お釈迦様は「塵をとり除こう」「垢をとり除こう」という二つの言葉を私に唱えさせた。この言葉の意味は何だろう。塵には内にたまるものと外にたまるものがある。この教えは、内の塵のことだろうか、それとも、外の塵のことだろうか)

このように考えていたとき、突如として視界が広がり、善根が起こり、障害がなくなり、以前に聞いたことがない三つの詩が心に浮かんだ。

この塵は土埃にあらず、実は欲望を塵というのだ。この欲望を除去するのは賢者であり、怠惰な者ではない。

この塵は土埃にあらず、実は怒りを塵というのだ。この怒りを除去するのは賢者であり、怠惰な者ではない。

この塵は土埃にあらず、実は迷妄を塵というのだ。この迷妄を除去するのは賢者であり、怠惰な者ではない。

こうして愚かなパンタカはこの教えの意味を憶え、教えにしたがって修業を重ね三つの毒を除滅し、真面目に怠らず全ての煩悩を断って、しばらくすると阿羅漢の位を証得して、平等な心をいだき、愛憎がなく、無明の闇を破ってインドラ神を初めとする神々に供養されるものとなった。

大般若経第578巻般若理趣分品後半に現れる3つの陀羅尼を読解。大般若会の祈祷でいつもかんでしまうところなので、今度からカタカナにして読んでみようと思います。
(一)नमो भगवते प्रज्ञापारमितये भक्रिवज्रये अपरिमितगुणये सर्वतथागतपरिपूजितये सर्वतथागतानुज्ञानुज्ञातविज्ञतये तद्यथा प्रज्ञे प्रज्ञे महाप्रज्ञे प्रज्ञाभासकरे प्रज्ञालोकरे अन्धकारविधमने सिद्धे सुसिद्धे सिद्धन्तु मां भगवति सर्वाङ्गसुन्धरे भक्तिविसृजे प्रसारितहस्ते समाश्वासकरे बुद्ध बुद्ध सिद्ध सिद्ध कम्प कम्प चरे चरे रव रव आगच्छ आगच्छ भगवतिं अभिरम्भ स्वाहा
ナモーバガバテー、プラジュニャーパーラミターヤイ、バクリヴァジュラエー、アパリミタグナエー、サルヴァ・タターガタ・パリプージタエー、サルヴァ・タターガタ・アヌジュニャー・アヌジュニャータ・ヴィジュニャタエー、タドヤター、プラジュニェー、プラジュニェー、マハー・プラジュニェー、プラジュニャー・バーサカレー、プラジュニャー・ローカレー、アンダカーラ・ヴィダマネー、シッデー、スシッデー、シッダントゥ、マーン、バガヴァティ、サルヴァ・アンガ・スンダレー、バクティヴィスリジェー、プラサーリタ・ハステー、サマーシュヴァーサカレー、ブッダ、ブッダ、シッダ、シッダ、カンパ、カンパ、チャレー、チャレー、ラヴァ、ラヴァ、アーガッチャ、アーガッチャ、バガヴァティン、アビランバ、スヴァーハー
納慕薄伽筏帝。鉢刺壤波囉弭多曳。薄底筏攃羅曳。罨跛履弭多窶拏曳。薩縛呾他掲多跛履布視多曳。薩縛咀他掲多奴壤多奴壤多邲壤多曳。咀姪他。鉢刺曳。鉢刺曳。莫訶鉢喇曳。鉢刺壤婆娑羯囇。鉢刺壤路迦羯囇。案馱迦囇毘談末埿。悉遞。蘇悉遞。悉殿都漫薄伽筏底。薩防伽孫達囉。薄底筏攃囇。鉢刺娑履多喝悉帝。參磨濕嚩婆羯囇。勃陀勃陀。悉陀悉陀。劍波劍波。浙羅浙羅。曷邏嚩曷邏嚩。阿掲車阿掲車。薄伽筏底。麼毘濫婆。莎訶。
世尊に帰依し奉る。恭敬すべきダイヤモンドの如く、無量の功徳をもち、一切の如来によって供養され、一切の如来の智慧によってよく知られている究極の智慧に帰依し奉る。すなわち、智慧よ、智慧よ、偉大なる智慧よ。智慧を顕現するものよ。智慧の世界にあるものよ。煩悩を除滅するものよ。成就されたものよ、よく成就されたものよ。我を成就せよ。世尊よ。一切の姿が美しく、信仰を生み出し、手を差し伸べ、よく救護をなすものよ。覚れる者よ、覚れる者よ。成就した者よ。成就した者よ。震動せよ。震動せよ。行ぜよ。行ぜよ。叫ばん、叫ばん。来たれ、来たれ、世尊よ、歓喜せしめよ。よろしく。

(二)नमो भगवते प्रज्ञापारमितये तद्यथा मुणिधर्मे संग्रहधर्मे अनुग्रहधर्मे विमुक्तिधर्मे सदानुग्रहधर्मे वैश्रमणधर्मे समन्तानुपरिवर्तनधर्मे गुणसंग्रहधर्मे सर्वकरपरिपूर्णधर्मे स्वाहा
ナモーバガバテー、プラジュニャーパーラミターヤイ、タドヤター、ムニダルメー、サングラハ・ダルメー、アヌグラハ・ダルメー、ヴィムクティ・ダルメー、サダー・アヌグラハ・ダルメー、ヴァイシュラマナ・ダルメー、サマンタ・アヌパリヴァルタナ・ダルメー、グナ・サングラハ・ダルメー、サルヴァ・カラ・パリプールナ・ダルメー、スヴァーハー
納慕薄伽筏帝。鉢刺壤波囉弭多臾。咀姪他。牟尼達謎。僧掲洛訶達謎。遏奴掲洛訶達謎。毘目底達謎。薩馱奴掲洛訶達謎。吠室洛末拏達謎。參漫多奴跛履筏刺咀那達謎。窶拏僧掲洛訶達謎。薩縛迦羅跛履波刺那達謎。莎訶。
世尊に帰依し奉る。究極の智慧に帰依し奉る。すなわち、牟尼の仏法よ。包括する仏法よ。助けとなる仏法よ、解脱を得る仏法よ、いつも助けとなる仏法よ、寂静の仏法よ、普遍的に広がっていく仏法よ、功徳を包括する仏法よ、一切の行為を完全に満たした仏法よ、よろしく。

(三)納慕薄伽筏帝。缽刺壤波囉弭多臾。呾姪他。室麗曳。室麗曳。室麗曳。室麗曳細。莎訶。
नमो भगवते प्रज्ञापारमितये तद्यथा श्रिये श्रिये श्रिये श्रियेसे स्वाहा
ノーモーバガバテー、プラジュニャーパーラミターヤイ、タドヤター、シュリイェー、シュリイェー、シュリイェーセー、スヴァーハー
世尊に帰依し奉る。究極の智慧に帰依し奉る。すなわち、吉祥よ、吉祥よ、吉祥よ、吉祥なるものよ、よろしく。

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