2018年1月アーカイブ

晋山式に向けた寺役員会。昨年から総代と住職で検討してきた本堂・境内の工事18ヶ所について青木ハウスさんから説明を受けました。

晋山式とは、住職が仮採用から本採用になる一世一代の儀式で、弟子を取って大和尚となり、緋の衣を着られるようになります。その法要のために何十人もの和尚さんを招く必要があり、これに伴って普段はできない本堂や境内の整備を行うのが通例です。

今回の工事のコンセプトは「見えないところをしっかり」。次世代につなぐことを念頭に、排水と構造強化を屋根裏・床下・壁に行っていくことになりました。

会議が終わってからは新年会。晋山式は住職を迎え入れる儀式であるため、住職ではなく、あくまで檀家さんの主催で行わなければなりません。役員のみなさんが熱心で積極的なのが本当にありがたく思います。

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「年の最初に亡くなったのが女性だと、その年は亡くなる人が多い」という俗説が実しやかに囁かれています。

そのように言われるようになった理由として考えられるのは、夫が先に亡くなっても妻はだいたい元気な一方、妻が先に亡くなると夫は家事ができなくて健康でいられなくなることが多いとか、日本神話で、夫より先に亡くなったイザナミが夫のイザナギに向かって「一日絞殺千頭」(1日に千人殺す)といったとか、あるいは謎の経験則なのかもしれません。

実際本当かどうか、過去帳で過去50年分を確認してみました。

結果
男性が最初に亡くなった年に1年間に亡くなった方の数:女性が最初に亡くなった年に1年間に亡くなった方の数=100:96

統計的に有意ではないのですが、僅かの差で俗説とは逆でした。実際は年の最初に男性が亡くなったときのほうが、1年間で亡くなる方の数はわずかに多いです。

スキーの用語

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子供のスキー教室に行くと気になるターンの名称。英語みたいな、ドイツ語みたいな。そこで調べてみました。

日本語 ― 英語 ― ドイツ語
プルークボーゲン ― Snowplough turn ― Pflugschwung
シュテムターン ― Stem christie ― Stemmschwung/Stemmbogen
パラレルターン ― Parallel turn ― Parallelschwung
ウェーデルン ― Wedeln ― Wedeln

「プルークボーゲン」は和製ドイツ語、「シュテムターン」はドイツ語+英語、「パラレルターン」は英語、「ウェーデルン」はドイツ語の英語読み。いろいろと混ぜこぜでした。どうしてこうなったのか分かりませんが、日本らしくて面白いです。

県の機関紙に寄稿した人権擁護委員の年度末活動報告。振り返るとこれをボランティアでやっているのはどうも無理があるように思えてきました。来年度はウェイトを下げたいと思います。

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米沢協議会では、法務局の人員削減、担当職員の大幅な入れ替え、事業や会議の増加に伴い、委員の負担感軽減に取り組んだ一年でした。委員の活動は人権相談、人権教室、人権書道・作文コンテスト、委員研修、幼児向けの人権七夕、ネットワーク協議会事業(講演会)、人権の花、地域の会議や式典への出席など多岐にわたり、さらにいじめ問題対策の一環として中学校の人権教室にも力を入れ始めています。そのため「就任時にはこんなに大変だとは思わなかった」という声も聞かれ、一期でお辞めになる方も少なくありません。今年度は、人権書道を次回から廃止することが決議され、文書の発送は事務局員が月替りで担当することになりました。一方、これまで職員さんにお任せしてきた文書作成など事務の多くを委員が行うことになり、人権教室や人権の花でまだ訪問していない学校に行くことが求められ、高齢者・障がい者人権委員会の事業が検討され始めるなど、軽減した分を遥かに超える業務が控えています。また、肝心の人権相談が「お互いの顔が分かる田舎では行きづらい」という理由で縮小されるケースが起こっており、やり甲斐の維持も課題です。これらの課題をクリアするべく、これまで変革を進めてきたフットワークの軽さを活かし、自主的で楽しい活動にしていこうと思います。

地域づくりで講演

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山形新聞に中央地区公民館での講演の記事が掲載されました。市長さん、教育長さんまでお聴き下さっている中、相変わらずの我田引水ぶりです。

この日、早めに会場に着いたのですがコートを脱いだところ長着だけの状態で真っ青。改良衣のつもりでコートを着てしまったようです。何という正月ボケ。急いで引き返し、改良衣と絡子を着用してギリギリセーフ。早く着いていなかったらこの写真はコート姿になるところでした。

今年は遅刻しないよう、早め早めに行動するということを心がけよという教訓です。

新春を祝う集いでは千恵子さんにじゃんけんで勝って賞品の切り絵を頂いて参りました。役員の千恵子さんが練習でグーを出したので、次は素直にチョキを出すと予想したら当たりました。何というメンタリスト。

今年は相手の気持ちをよく考えて行動せよという教訓でしょうか。

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お正月で大般若経を読んでいて、ふと南直哉さんの言葉を思い出しました。

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数十年前までは、地域の暮らしで「お互いさま」という言葉が生きていました。実際、助け合わないと生きていけない毎日の中で、お互いに迷惑をかけたり・かけられたり、という関係が当たり前だったのです。この「迷惑」を折り込み済みの「和」であり、「ムラ社会」でした。
ところが、近代化の進展以降、「他人との軋轢・摩擦は最小限にしなければいけない」という倫理観は依然として根深いまま、次第に「自己決定・自己責任」が強調されるようになってきました。
このふたつが最終的に合体すると、「とにかく自分が他人に迷惑をかけてはいけない」となります。すると翻って、「他人に迷惑をかけられたら許せない」となるでしょう。
私はこの「迷惑」観が結果的に共同体を劣化させ、個人を生き辛くさせると思います。仏教は人間の実存を「苦」と喝破しました。だったらそれは、他人にとっての「迷惑」的実存ということでしょう。ならば、人間が人間として実存する限り、「苦」と「迷惑」は止むことはなく、それを許容しないということは、人間の存在を否定するのと同じことです。
「迷惑」を許し合う社会を再建する必要があると、私は思います。
(『「悟り」は開けない』)
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迷惑を許し合えるようになるには何が必要か。全て自分の責任と思って許す忍辱波羅密多か、迷惑をポジティブに捉える上機嫌さか、迷惑を迷惑と感じない平常心や鈍感力さが考えられます。

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「私だって昔、誰かに迷惑をかけたかもしれない。だから、かつて誰かに迷惑をかけた私が、これくらいの迷惑を被るのは当たり前である。」このように考えるならば、現在の苦痛を忍ぶことができます。苦しみは自分の過ちから起こったものなのに、どうして他人に対して怒るのでしょうか。
私に迷惑をかける人がいるのは、私のせいかもしれません。その人の心が汚れて不幸になってしまったら、私が不幸にしたことになるのではないでしょうか。
その人の迷惑を耐え忍ぶならば、私の過ちは全てなくなるでしょう。それでもその人は、心が汚れたままで不幸になってしまうでしょう。その意味で実は、迷惑をかけているのは私のほうであって、その人は私に恩恵を与えてくれる人なのです。それなのにどうして、私に迷惑をかける人を怒るのでしょうか。
ですから「生きとし生けるものは、仏様と等しく、幸せを生ずる原因である」とお釈迦さまは説かれたのです。
(『菩提行経』第4章)
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数学者のマルシャル・ロサダは、10年間にわたって、業績のいいチームと悪いチームを研究した。そして、その膨大な数学的モデルに基づき、ビジネスチームに成功をもたらすためには「メンバー間のポジティブな相互作用とネガティブな相互作用の比率」が、最低でも2・9013対1でなければならないことを突き止めた。これは「ロサダライン」、または「3:1の法則」と呼ばれている。
一つのネガティブな意見や行動の悪影響を打ち消すのに、3倍の量のポジティブな意見や行動が必要だということだ。ポジティブとネガティブの割合がこのライン以下だと、チームの仕事ぶりは急速に落ち込む。ラインを上回る比率であれば、チームは能力を存分に発揮する。調査結果によれば、6対1くらいが理想だという。こういう点からすれば、上機嫌を周囲に振りまいてくれる人には感謝すべきであろう。一方、自分の感情のままに不機嫌を振りまいてしまう人は職場に対して大きな害を及ぼしていることになる。
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会社に必要なのは「やる気のある人」より「機嫌の良い人」
http://www.gentosha.jp/articles/-/7599

大般若経は煩悩なども結局のところは般若波羅蜜の現れであると肯定します。しかしその肯定は、ありのままでよいという肯定ではなく、仏の世界から見ればという肯定です。自分や自分の身の回りに起こっていることを、仏様の視点で見たらどうなるだろうと考えた上でポジティブに捉えられれば、上機嫌でいられるのかもしれないなと思いました。一年の計は元旦にあり、今年はそう心がけてやっていきたいと思います。

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