2018年8月アーカイブ

従来ふすまだったところに、金属ワイヤーの筋違(バツ印)を入れて壁にし、建物の構造を強化しています。

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新しい土台をたくさん設置して、今度は墓地みたいになっています。

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講演者の心得

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法務省にて人権擁護委員の研修があり、3日間にわたり9つの講義を受けた。性的マイノリティの人権と障害のある人の人権の話が、リアルで印象に残っている。

これだけ集中していろいろな人の講義を受けると、講義の内容だけでなく進め方もたくさん勉強(主に反面教師だが)になった。自分がお話しする場合に役立てたいと思う。

・与えられた時間に応じた内容にする(ポイントを絞る、詰め込みすぎない)
・講演者として信頼をもってもらえる服装や身だしなみを心がける(ある程度のフォーマル感と清潔感)
・終始機嫌よく(聴いてもらいやすい雰囲気)
・自己紹介を含む前置きを短くする(だいたい5分を超えない程度)
・謙遜しすぎて講演者としての信頼を損うようなことを言わない(「私は〇〇の専門ではありません」といったら、その話は少なめに)
・結論や着地点を最初に簡潔に提示しておく(今日のメニューみたいな感じで)
・専門用語は参加者に応じて分かりやすく言い換える
・演題やテーマと関連性のある話を心がける(看板に偽りのないように)
・脱線したら断ってから本題に戻す(「話が逸れました」「それはさておき」)
・自分が話したい話よりも参加者が聞きたい話を心がける(そのため参加者のリサーチが必要)
・参加者に振る場合は、手を挙げてもらうのか、思いついた人に答えてもらうか、こちらから当てるのかを明確に指示する(手を挙げながら尋ねておきながら、すぐに自分で答えを言ってしまうとずっこける)
・参加者に振った場合は、長い解説ではなく一言コメントに留める(発言の意図を勝手に忖度しない)
・後半は残り時間を見ながら話す内容を調整する
・終わる時間を厳守する(やむを得ず延びてしまう場合は一言断る)
・最後は余裕をもって終わるようにし、質問の時間を設ける(参加者が積極的である場合ほど長めに)

「一度述べたことを貫徹すべし、後から限定するべからず 、相互に矛盾することは述べるべからず、反論に取り上げられたものを隠蔽すべからず、前に述べたことに関連することだけを述べるべし、共通で理解できる言葉で述べるべし、聴衆の期待の順番にそって述べるべし、聴衆が知りたいと欲求する限り話すべし、反論は望ましくないことのみ指摘すべし」(ウダヤナ)

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お盆が明けて本堂改築工事がいよいよ始まりました。270年前の土台は石もそのままで、発掘現場のようです。

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利行は一法なり

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今年のお盆も無事に終わった。正座しすぎて、夕方には伸ばすと膝が痛いという状態。寝ているうちに自然に膝が曲がって、形状記憶合金みたいだ。行く先々でお茶だけでなく寒天や煮物などを頂くので、夕食が要らないくらいである。

お経を読みながら、お盆で生きとし生けるものを供養することは、自分の幸せ感にもつながるということを考えていた。

  • アメリカのスタンフォード大学の実験で、慈悲の瞑想を行っているチベット僧の脳の状態をMRIで調べたところ、幸福ホルモンと呼ばれるセレトニンを分泌する部位の活性度がマックスになったことが分かった。
  • カナダのブリティッシュコロンビア大学が630人以上のアメリカ人に調査したところ、どのくらいの収入があるかに関わらず、他の人のためにお金を使う人は自身の幸福度を高く評価していた。
  • カナダのサイモン・フレーザー大学の実験で、2歳未満の幼児を観察したところ、お菓子をもらうことより、与えることの方に喜びを感じ、さらに単にお菓子を与えるより、自分の持ち物を分けるときの方が喜びが高かった。

人間には利他的な行動が遺伝子レベルでプリセットされているのではないかとのこと(石川善樹『友だちの数で寿命はきまる』)。お経の後のお茶飲みでも、そこにいない方の心配をしていると、その人にとっては余計なお世話かもしれませんが、少なくとも話している人たちは幸せな感じになった。

「利行は一法なり あまねく自他を利するなり」(道元禅師)

二段階の供養

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お盆の行事は、ブータ・ヤジュニャ(バラモン教)、盂蘭盆会(仏教)、中元普度の祭(道教)が入り混じった行事だ。生きとし生けるものを供養し、そこで生まれた多大な功徳で、亡くなった親を供養するという二段構えになっている。

お盆飾りはその第1段階である生きとし生けるものの供養。精霊棚も掛ける供物も、祖霊を祀る仏壇(祠堂)の外に設置されており、先祖以外も家を訪れる前提で行われているように思う。

このことから、今年の棚経の回向では故人の戒名や先祖代々だけでなく「六親眷属、七世父母、有縁無縁三界万霊、法界含識」と広げて読み込むようにした。古い仏様の法事などでも、お盆でお迎えするのは自分が知っている人かどうかといえば、知らない人が大半ではないかというお話をしている。

ブータ・ヤジュニャ:バリ(神々に捧げる料理の一部)を撒いて徘徊する生き物や動物など一切の生き物に献供する。バラモン教が推奨する家長の務めとしての五大供犠(ブラフマン、祖霊、神々、生き物、特別客)のひとつ。日常的に行われる。

盂蘭盆会:僧自恣/鉢和羅/プラヴァーラナの日(雨季の集団生活が終わってめいめいに旅の修行に出る7月15日)に、信者がご馳走をふるまい、その功徳を亡き父母に捧げる行事。盂蘭盆はこのとき出される「ご飯をのせた盆」のこと(辛島説)。

中元普度の祭:地官(道教における大地を司る神様)の誕生日である7月15日に、村ぐるみで孤魂(祀り手のいない霊魂)を救済する行事。故人に功徳を積ませることと、身寄りのない亡者の気をそらすため。

今年の棚経の道中は嘉門達夫の『HEY! 浄土』を聴いている。『墓参るDAY♪』がお気に入り。

檀家さんの家でお盆礼の先客。「車動かしておきますんで、鍵貸してください」エンジンを掛けると『タンバでルンバ』が大音量で流れてきたはず。

♪ 人が死んだら行く霊界どこにある タンバ

短大の授業で輪廻(五火二道・中有・五趣六道)について話したところ、学生の死生観に少なからず衝撃を与えたようだ。「仏教では、死んだら終わりではない」という言説は、大事な家族を亡くした方にとって悲しみが癒やされる一方、多感な青少年期には自死を後押ししてしまう恐れもある。

さらに不殺生戒の説明で、自殺した仏弟子であるヴァッカリやゴーディカを取り上げたこともあり、今回、授業の感想で「死ぬことが楽しみの1つになりました」とか、小論文で「自殺は本当にいけないことなのか」などというものが出てきて心配になっている。

「いつか、来世ででも幸せな生活をおくれる人になれるまで、さようなら。」とスマホに遺して自殺した青森の中学生も、来世に望みを託すしかなかったのかと思うと心が痛む。

若い人に死後の話をするときは、死や死後のことについて考えた後は、そこから翻って今の人生、今日の一日の貴重さについて考えるよう促したい。そして辛いことがあっても、何とか生き続けてほしいと。

お釈迦様が自殺を止めた「牛車の譬え」は知り合いに頼んでいますが典拠がまだ確認されていません。

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