『感じて、ゆるす仏教』

藤田一照&魚川祐司『感じて、ゆるす仏教』読了。アメリカで18年にわたり坐禅に打ち込んできた藤田氏が、結婚を機に「命令して、コントロールする」から転換した「感じて、ゆるす」という修行のあり方を、上座部仏教の理論と実践を研究している魚川氏と共に見つめ直す。

タイトルとは裏腹に、激しい議論が繰り広げられていて刺激的である。論点は、「感じて、ゆるす」の前段に「命令して、コントロールする」は必要かどうか(釈尊のような苦行は、ほかの僧侶にも必要なのか)、「感じて、ゆるす」に終始してもよいのかその先があるのか(究極の目標は涅槃寂静なのか菩薩行なのか)だが、僧侶と学者、上座部仏教と大乗仏教の対立点が見えてきて面白い。

魚川氏は、自分たちの考える仏教の内容が、そのまま釈尊の仏説と全く同じだと根拠なく断定する「はずだ論」、修行もせずに自分の現状こそが究極の境地だという「言い張ってる系仏教」、自分を取り巻く環境を重視する余り感覚的なものにとどまってしまう「動物化するいのち系仏教」を批判する。大乗仏教は、原点回帰運動であったとはいえ、一歩間違えれば大きく踏み外す恐れがある。釈尊の教えを虚心坦懐に学び、それをできる限り実践していくという態度の重要性を感じた。

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