坐禅

伴僧ゼロ時代?

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市仏教会の会議に参加。坐禅会や寺コンは今年は中止ということになったほか、事業費を県の新型コロナ応援金に寄付し、早期収束祈祷をYoutube配信することになった。

その他で出てきたのが、家族葬の一般化で伴僧なしになっている件。10年以上前から言われてきたことだが、減っているのと、ゼロになるのとでは大違いである。

当地では、家族葬であろうとなかろうと導師含め最低3人での法要を標準としているため、伴僧を減らせばその分省略せざるを得ない部分が出てくる。また、法式だけでなく、導師1人だけでの葬儀はずっとお経を読んでいるため(特に老僧ほど)最後までもたないという体力面(私も終わるとグッタリするし、ひとりで葬儀を勤めた後急死された方もいらっしゃるという)、檀家数が少ない寺院が近隣で支え合って安定した寺院運営をするという相互扶助面もある。葬祭ホールや通夜室の費用がかかる中、家族葬・伴僧なしが一般化していくのは寺院や住職の存亡に関わる問題ともいえる。

とはいえお布施は金額も含め自由意志という根本的な教えもあり、また経済的に大変な方もいらっしゃるため、伴僧をお願いするのは伝え方が難しいという意見も出された。伝え方によっては(「伴僧なしでは成仏できない」みたいな)宗教的恫喝にも受け取られかねず、家族の死に悲しむ遺族の心に寄り添えなくなってしまう。

家族がお亡くなりになってからあれこれ説明するのは、「知らなかった」「聞いてない」「教えてもらってない」とネガティブに受け取られかねないので、できれば平常時に伝えたい。

宗報に掲載されていた「菩提寺(住職)に対する不満」。伴僧の話ができるくらいの信頼関係を築くのが先決なのかもしれない。気をつけたい。
・檀信徒とのコミュニケーションが不足しているように感じる。
・態度が高圧的。
・法話ができない。
・住職が忙しいという理由で寺院の運営が不十分であると感じる。
・寺族と檀信徒で口論になることがある。
・近隣の曹洞宗寺院と比べてお布施が高い。

法式に頑なな方もいらっしゃるようだが、それが「態度が高圧的」に受け止められてしまうのかもしれない。周囲のお寺と足並みが揃わなくても、しっかり檀信徒と向きあい、信頼関係が保てていればいいのではないだろうか。

お布施については経済的にもお寺の格差が広がる昨今、一律は実際難しいだろうと思う。かといって何でも安ければ安いほどいいというのもなんか変である。ケースバイケースで落とし所を模索していく柔軟性と、仏の教えを正しく伝えていく信念の両方が必要だろう。その両輪があるところに信頼関係も生まれるのではないだろうか。

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このページは、おの2020年5月16日 20:53に書いたブログ記事です。

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