おの: 2000年12月アーカイブ

東大生のこだわり

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大学生協では,食堂や購買部に寄せられた意見とその返事をまとめた一言カード集を発行している.たいていはクレームだが,なかには冗談としか思えないものもある.「禁無断転載」とあるが,あまりに面白いので少しだけ紹介.
まず食堂に寄せられた意見から.
「前から気になっていたのですが,豚汁の中にはいつもお肉が入っていません.顕微鏡で見たら,成分が入っているのでしょうか?もっと豚肉を増やすか,いっそのこと別の名前にしてしまえばどうでしょう.」
「前にもそうだったが,豚汁に2mm角程の肉しか入ってなかった.確認して入れてほしい.」
餓死するほど空腹なのか,それとも遊び半分なのか本気度はわからないが,豚汁にこれだけこだわれるということは素晴らしい.データに基づいたクレームで,まるで自分の空腹まで理論化できているかのようだ.そしてその返事も至極丁寧で楽しい.
「肉は豚小間を使用しているのですが,どうしても煮込んでいるうちに形も身崩れしてしまい原形はなくなり,エキスとなっているのが実情です.」
このやりとりを漫才といわずして何であろう.
論文調の意見も説得力がある.論文を書きすぎているうちにこういう書き方しかできなくなっているとしたら滑稽だけれど.
「揚げ物を含まないセットメニューがほとんどないのは困ります.学術的にはどの程度裏づけがあるのか知りませんが,マフェトン理論という持久的トレーニング理論にある食事法では揚げ物の脂肪は有害で真っ先に避けるべきとされています.参考文献:『マフェトン理論で強くなる』ランナーズ社」
一方購買部では多様な嗜好を垣間見る.
「チートスを売って下さい.」
「がりがりクンもっと入れろ.」
「がりがりクンヨーグルト味を入れろ.」
「ウルトラマンのフィギア」
「ドクターペッパー大好きで1日に2本は買っています.是非,500ml缶も導入して下さい.」
このひとつひとつに生協の方が返事し,時には実際に動いてくれている.生協とはそういうものだといえばそれまでだが,これだけのサービス力には頭が上がらない.

先週関西に2泊で行ってきた。そもそもの目的は御詠歌の研修会だったが、そのためだけに旅費を費やすのがためらわれたので、大阪のゲーム屋さん「シュピーレブルク」でのショッピング、小林製薬研究所の見学ツアー、京都に住む後輩ネオせん茶氏(仮名)との再会、よしもと観劇とメニューを無理やり増やした。
大阪の雰囲気はいい。温暖な気候、庶民的な街並み、おいしい料理、関西弁の響き、飾らない応対がなぜか落ち着く。
ゲームはHABA社というドイツのゲームメーカーがお目当てだった。この会社は子供用ゲームの傑作を量産しているのだが、それらの多くは大人でも本気で遊べるものである。ルールの妙とコンポーネントの美しさで、単純であるにもかかわらず燃える。店長の説明も上手で、全部買いたくなってしまうほどだった。
小林製薬研究所の見学(※外からのみ)は後で小林製薬のページに掲載するつもりだが、茨木駅バス20分という遠いところまで行った甲斐があったと思えるほど、とにかく感動した。
ネオせん茶氏は相変わらず元気すぎるほど元気だったが、この日のために相当体力をためておいたように思われた。久しぶりの「3度進行」芸やよく見ているという2chの掲示板を見せてもらった。たくさんのエネルギーが消尽されている模様だった。
よしもとは前回新喜劇を見たので今回はbaseよしもとで若手のライブを見た。客はほとんど女子高生だったため、笑いのつぼがずれまくっていたが、出演者の世代が近いためかたいへん面白かった。いちばんうけたのはやはりトリのビリジアン。会館に入っている本屋さんの上方芸能や特撮関係の品揃えもすばらしかった。
と、酒もギャンブルも得意でない私でも堪能できるいい休暇だった。案内役兼お供のやまにし氏には感謝する次第である。

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先日キリスト教式の結婚式に参列した。聖書では、愛(もちろん神の博愛を指すのだが)が人間生活の基礎として大事にされる。ウェディングドレスがいいというだけでなく、キリスト教が結婚式にふさわしい宗教だということを思い知った。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。また、ねたまない。愛は自慢せず、高慢にならない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、人の過ちを思わない。不義を喜ばず、真理を喜び、すべてをゆるし、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」「愛は決して絶えない。信仰、希望、愛、この3つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリントの書簡)
一方、仏教はというとこんな厭世的なことを言っている。キリスト教で説かれる博愛と違って、これは愛欲を意図したものではあるが、そうだとしてももしこれを結婚式で読んだら大ヒンシュクだろう。
愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うもの苦しい。それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか。(ダンマパダ)
にも関らず世の中には結構、仏式の結婚式が存在する。それはなぜかというと、仏教の教義からではなくて「山寺の和尚さん」というようにコミュニティーの指導的立場を果たしてきた僧侶の立場と人格が相応しかったからだろう。
仏教においてキリスト教の博愛に対応するものは恐らく慈悲である。こういった崇高な愛のかたちに、愛欲に縛られがちな人間はどこまで近づくことができるのだろうか?
どこかで聞いたフレーズを思い出しながら、哀れな私。
「愛は与えることである」
「愛、使い古された言葉だけれど今はこれしか浮かばない」
「愛という字は真心で恋と言う字は下心」


2000/12/11(月)

1920年創立の東大オケが80周年を迎え、3日に記念演奏会と記念祝賀会が開かれた。気がつくと実行委員長をしていた私は、大した仕事もせずにあいさつ担当で適当な話をした。
謝辞などは後日出版される記念誌にイヤというほど書き上げているので、これを読んでいる関係者はそちらを参照されたい。今回の記念誌では以前に書いたものも含め7本くらい書いている。
知己というべき懐かしい面々が集まった。みんなが学生時代に戻っていた。老いも若きも「ただひとつ(※東大の応援歌)」だった。私も例外でなく、さまざまな懐かしさに襲われつづけていた。まるで失っていた自分を取り戻したかのような感覚。
旧友と話すたび、旧友の中に住んでいる自分に出会う。その自分は今の自分と相当違った顔をしている。若くて、青くて、馬鹿な自分。逆に自分の中にも旧友は住んでいたようである。お互いに自分自身と話しているだけなのかもしれなかった。これが全ての懐かしさの源泉だろう。
祝賀会に集まった300人の人達のうち、東大オーケストラが100周年を迎える20年後まで生きているのは何人くらいだろうか。しかしこの世を去ることになっても寂しいことはないと思えた。この世に残る人の心の中に自分は行き続けていけるのだ。その自分は他人の思い出ではない。生きている自分自身にほかならない。
そんなことを考え、涙が出るほど楽しい気分になった。

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