おの: 2001年2月アーカイブ

モリオロシ

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内閣支持率9パーセント。最近の論調は政策云々批判ではなく「首相の資質」の名の元にひたすら個人をいためつけるといういじめに近いものがある。森さんの肩をもつわけではないが、批判の口調が強烈過ぎて辟易する。
社会的な弱者については決して否定的なことを言ってはいけないが、従来「先生」と呼ばれてきた職業の人には何を言っても許される世の中だ。政治家、教師、医者、警察官、僧侶・・・受難である。
批判する側は、好きなだけ理想を押しつけてそれとの乖離を指摘すればいいのだから簡単だ。しかし、そこに「善の切り売り」や「出る杭は打ってやる」といったという偏狭な考えがないだろうか。
自分のことを棚に挙げて人の非ばかり責め立てていては社会が息苦しくなっていく。首相をいじめて満足しているだけで政治がよくなるはずがない。森さんを支える森派、総主流となってしまった自民党、駆け引きに走る連立与党、対案を明確にできない野党にまで目を向けることである。政治家は政治のプロなのだから、何よりも政策の面で批判しなければならない。地域振興券は正解だったのか?
同じ人間であることを思うと、少なくとも人格の面であの人を批判できない。(こういうことも善の切り売りだろうか?)

最終講義の季節

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学科の先生が今年度で定年を迎えられ、その最終講義が先日あった。東大が65歳までの定年延長を決めた今、適用される前に60で辞める心境は如何かわからなかったが、先生はいつも通り終始にこやかであった。
最終講義なので、ある程度専門を離れた自由な感慨を述べることが許されるし、みんなもそう期待している。この講義のためだけに長い研究人生を送ってくるのも悪くないかもしれない。
テーマは「三界唯心」。「この世界は全て自分の心の中に描かれた心象風景である」というお経のフレーズを背景に、「ものは考えよう」の如き思想が生まれていく。インドから日本に至る「三界唯心」の解釈の流れから、最後は身体、生命、社会に関わる問題点の指摘に及んだ。
これら問題点の解決法を考えるとき、つくづく仏教は実践の教えだということを思う。机上の空論を避け、常に何を行っているかが重視され、「雄言不実行」は嫌われるのだ。
しかしそうであるならば「仏教学者」に未来はあるのだろうか?
仏教は真実は実践の中にあると説く(savyaapaaravaadin)。はたして「知ること」(または「知らせること」)は実践にあたるだろうか?慈悲心のうすい私には、容易にわかりそうにない。

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