おの: 2002年1月アーカイブ

OBとして

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東京大学音楽部管弦楽団第87回定期演奏会
1月27日(日)午後2時〜
サントリーホール
指揮:早川正昭

 同郷の後輩Y君が最後の演奏会になるということで,久しぶりに聴きに行った.Y君は10(イチゼロ.平成10年入団)で年は6つも下である.しかし同郷の関係で一昨年の演奏旅行で長井に来たときや,その後に免許合宿で長井に来たときなどにこの楽年から何人か顔見知りとなった.決して東大オケの現在のレベルをチェックする目的ではなく,顔のわかる後輩が出ている最後の機会になるだろうという気持ちで今回は聴きに行くことにした.1年生のときから知っている彼ら10の,4年間の絶え間ない積み重ねを演奏中に垣間見ることができ,嬉しい気持ちになった.
 会場は8割くらいの入りだったろうか.ステージの上の席にも入っていたのだから上々である(謎の外国人がここで目立ちまくっていたが).チケットは当日券売り場に並んでいたら親御さん風の方から余ったのを安価で譲っていただいた.1階の左隅のほうの席である.
 プログラムはフンパーティンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲(通称“ヘングレ”).一般に知名度は低いが東大オケではなぜか前からメジャーな曲のひとつである.中がフォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」(通称“ペレメリ”).弦を主体にした穏やかな曲である.3曲目の「シシリエンヌ」が有名.休憩をはさんでバルトークの「管弦楽のための協奏曲」(通称“オケコン”).これも東大オケではメイン曲によくあがる.
 思えば9年前,私が1年生のときも同じくサントリーホールでこの曲をメインにしていた.そのときは中がヒンデミットの「画家マチス」,前がベートーヴェンの「コリオラン」序曲という不可思議なプログラムだったが,金管楽器ではバルトーク派とヒンデミット派とがぎくしゃくして(一部主力が中プロにつぎ込まれ,人材がメインに集中していなかった),1年生ながら嫌な雰囲気を感じ取ったものである.とはいえ当時は受付係のみだったので当事者ではない.そんな懐かしい思い出に,9年という歳月の流れを感じた.
 それはさておき今回の演奏は,メイン曲と前中に差が感じられたものの,総じて完成度の高い演奏だった.この完成度の差は曲自体の難易度の差もあるので仕方がないだろう.特に(9年前と違って)10の主要メンバーが集結したメインは絶品だった.おそらく9年前よりも完成度は高かったかもしれない.メインで謎の外国人(何者?)がステージの上の席で手すりから身を乗り出して危なげなのが気になったが,Y君のグリッサンドも見事に決まり,フィナーレの金管テュッティなどは圧巻だった.バルトークのこの曲は民俗音楽をモチーフにしていても,作りは幾何学的である.早川先生のタクトのもと,それぞれの掛け合いの構造を見事に浮き彫りにできたと思う.もちろんそれを可能ならしめたのは,10をはじめとする団員全員の数年間の積み重ねと,この半年間に渡る集中した練習であったことは想像に難くない(余談であるがプログラムの解説文8ページ右37行目「想像しがたい」は「想像を絶する」という意味なのではないかと思う.ついでに余談であるがいつの間にかトレーナー紹介文がなくなったのには大英断だと思った).ブラヴォー!!である.
 さて,今回のプログラムは冒頭に昨年亡くなった現役団員への追悼として,バッハの「G線上のアリア」が演奏された.これも思えば数年前,亡くなった現役団員の追悼演奏があったが,どちらも聴いていて非常にせつない気持ちになった.もし同じ楽年で誰かが亡くなっていたら,私はどうしただろうか.あるいは私が現役で亡くなっていたら,他の同期はどうしただろうか.オケの同期には今でも気のおけない仲間がたくさんいる.そういう気持ちを彼らは味わっているのだと想像すると,いたたまれない.
 だがこのいたたまれなさが裏目に出た.この演奏会は最初の1曲だけでなく休憩までの前半が追悼演奏に思えてならなかった.従って定期演奏会として聴くことができたのはバルトークの賞味38分である.いや,バルトークさえも暗い気分で聴いていたかもしれなかった.そうなればこの演奏会は追悼演奏会そのものである.帰り道は,そのことを考えて再び暗澹たる気分に落ち込んだ.
 喩えるならば,お葬式の弔辞を聞いた直後,お祭りに連れまわされるようなものだ.亡くなった団員のことは残念に思うが,演奏会は基本的に楽しもうとしてきたのだから,暗い気分にさせられたのは予想外である.下がったテンションはなかなか回復しない.
 他の人がどう感じたかはわからないが,聴衆の立場で言わせてもらえばプログラムと別に,公共性の低い(内輪の)人物の死を目の当たりにさせるような追悼演奏を聴くのは耐えがたい.切り替えられる人はいいだろうが,私のように考え込んでしまう人間にとっては残酷である.追悼が「亡くなった団員がそこに座っていたであろうステージで演奏をする」という意味ならば,パンフレットにひっそりとその旨を記して3曲のプログラムで実現すればいいだろうし,また「拍手なしにひっそりと演奏をしたい」ならばしめやかに二食ホールで練習の前に演奏をするべきであろう.あるいは実現可能性は別にして追悼演奏会を定期演奏会とは別に開くという選択もあったかもしれない.結果として楽しい演奏会を期待してきた聴衆の「優しさ」に甘えて,悲しい追悼を強いることになりはしなかったか.
 演奏前に「なお,拍手はご遠慮ください」というある意味非常に不躾なアナウンスがあった.この意味がわからずに拍手していた謎の外国人がいたことを記しておく.他の日本人は,おそらく奇跡的に拍手をしなかった.
 もちろん主催者は東大オケであり,常に聴衆のコンセンサスをとりつけながら演奏しなければいけない訳ではないだろうが,実際に感じたことを正直に書いてみた.読み返してみるとずいぶん薄情な意見にも思える.もしこれを読んだ団員がいたら,是非を少しだけ考えてみてもらいたい.また団員・一般問わず,これを書いた私が間違っていると思ったら,メールください.

演奏会

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室内楽アルテ&長井ウィンドオーケストラのニューイヤーコンサート。午後2時より置賜生涯学習プラザにて。
 今回の演奏会はやる気の有無以前に、実現可能性に大きな疑問符が付いていた。
 室内楽アルテとは、長井周辺の出身者で、音楽大学に在籍または卒業した若い音楽家の集まりである。活動9年目になるが、実質3〜4名しかおらず、演奏会の度に人脈をフル活用して演奏者を集めているという実態である。
 長井ウィンドオーケストラはこれに対して一般愛好者による吹奏楽団体である。活動7年目だが、こちらも団員は実質5〜6名と低迷しており、これまた演奏会の度にエキストラをかき集めて何とか形にしている。
 つまり、せいぜい10人足らずである。この現実に加え、室内楽アルテの代表はイギリス留学中、そして長井ウィンドオーケストラの代表(私)は東京にいるとくる。地元で率先してリーダーシップを取ることができないもどかしさ。
 ところで長井ウィンドオーケストラには立派な後援会組織がある。会員数は100名に迫り、会長はじめ顧問には長井西置賜の各界の重鎮が居並ぶ。このような弱小団体を応援してくれるのは、それだけ地元を活性化して若い人材の流出を防ぐという期待が強いからだというが、応援する側とされる側のバランスはどう見ても不釣り合いである。
 このような状態なので、演奏会はすっかり後援会が何から何までお膳立てするという形で準備が進んだ。こちらとしては恐縮この上ない。プログラムの原稿を上げるのと、精一杯の演奏をするくらいしかできない。応援しただけのメリットを感じてもらえるのか全く自信がなかった。その中で、私は誰のための演奏なのか考えこんでしまった。ここまで来ると、自分たちの楽しみのためだけであるとは言い難い。かといってプロでもないのだから、お客様のためだけでもない。
 エキストラも入れて合奏は20名ほど。半分以上が山形大学の音楽文化コースの学生(師事するプロ奏者をもつ学生)なので、出来はよくて当たり前であろう。当日は250名ほどのお客様が聴きにいらっしゃって、まずまずの盛会。私は指揮者兼司会者という無茶苦茶な組み合わせの役割(演奏が終わったら袖に引っ込んでマイクを取って解説し、マイクを置いてまたステージに戻るというのを繰り返す)だったが、内容はともかくとして、曹洞宗の法要に比べたら複雑なことはなかった。
 演奏会が終わって、打ち上げがあり、2次会になるまで、心のもやもやは晴れなかった。今回の演奏会に、どれだけの意義があったのだろうかという疑問である。たくさんの人に手間と時間とお金をかけさせた意味は。
 2次会で、まずあるお客様の話していたことを聞いた。
「今の長井で、若い人の顔を揃って見られること自体、貴重なことだ」
 そして次に後援会の方のお話。
「若い人が集まって楽しいと思える場所を地元で提供できなければ、未来はない」
 また事務局の方のお話。
「こんな世の中で、こういう若い人々が何かやってくれそうだと期待している」
 最後に団員の話。
「これからまた続けていきたい」
 悲愴感も漂う中、私は今回の演奏会の意義を感じとったような気がした。たとえ中心が細くなろうとも、求心力が続く限りこの「運動」は意味をもって存続するのだろう。私はその中で何をしていくべきなのか、また何をしたいのか、じっくり考えなければと思った。

 草岡地区の大般若会。毎年1月9日に行われる大祈祷で、新春恒例の行事となっている。草岡地区は2つのお寺があり、お隣の御寺院と交互に行うことになっているため、2年に1度当番になる。
 元旦に草岡地区の寺役員12名にお願いして、ほぼ全戸から祈祷申し込みの寄付を集めてきて頂く。その数約250戸。お札を製作する方よりも一戸一戸まわって下さる役員さんの方がよほどたいへんだ。また寺の本堂の準備に加え、除雪作業もあって到底一人でできるものではない。家族、寺役員、一般檀家それぞれが心を砕いてやっと開催の運びとなる。今年は特に、雪が非常に多かった。
 準備から比べると、当日はあっという間である。近隣の御寺院を10名程度お招きし、檀家さんは40名ほどの来訪。導師を務めるのは住職の私になっているが、何しろ一番の最年少である。住職になって4年の間大般若会の導師をするのはこれで2回目。初めてだった前回は無我夢中で、どこが間違ったかなど全然覚えていない。前日から予習などをして、緊張で迎えた法要だった。
 七下鐘上殿。ここで両班にそれぞれ挨拶をしにいく。東序に一礼、西序に一礼。わざわざお出でいただいた近隣の御住職方への敬意と労いの気持ちを表すということらしい。近隣の大般若では当たり前のようになされている。大きい寺のようにたくさんの僧侶を所属させなければ、挨拶抜きで法要ができないということになるだろうか。両祖忌は住職が導師を務めても挨拶しないようなので、ケース・バイ・ケースかもしれない。挨拶をしたいという気持ちはわかるが法要の美しさや完成度という観点では、ちょっと疑問を感じる。 拈香法語。後で指摘されたが「現前の清衆を集めて」と言うのは丁寧さに欠けるという。例えば「隣邦の緒大徳をここに拝請し奉り」というように集まってくださった御寺院方に敬意と感謝を表すのが礼儀だった。これもそれぞれ住職という立場にある方々がいらっしゃっているということを重く受け止める意味がある。態度で敬意を表し、言葉で敬意を表す。そういうものかもしれない。
 上香献茶湯。予め配っておいた差定には、湯・菓・茶の後に宝牘を薫じて供えることを明記していたのだが、「お札は後で」と遮られた。ここでお札を出さなければいけないのは、ひとつには一般的な差定でそう書かれているからでもあるが、そうしていないこの教区においては我が寺の内陣の配置に理由がある。他の寺の場合、たいてい前机と須弥壇には人が通れる隙間があり、読経中でも侍者1人さえいればこの隙間に入ってお札を献ずることができる。しかし我が寺は、内陣の奥行きが狭くてこの隙間がない。お札ははじめ須弥壇わきの机に置かれているため、ここで献じておかないと、人数が少なくなる後半に須弥壇上にお札を上げることができないのである。ここで遮られた結果、今回はお札を薫じるだけで須弥壇に上げることができなかった。多くの御寺院方はもう何十回、何百回と大般若会をやってきており、そのやり方を変更してもらうにはきちんとした説明と承認が事前に必要となる。要するに今回は説明不足。
 さて「お札はいつ献じるんだろう?」という疑問を抱いたまま差定は進行する。普同三拝の後、浄道場。着座の合図が出たので座ろうとしたら、今度は「進前して下さい」。浄道場は花皿、洒水、柄炉の3人がいるが、私の記憶では両班から3名出ると思っていた(後で法要の手引きを確認したがそのようである)。「またもや特別差定か!」と思いつつも法要中に差定の確認もできないので従う。前回は私が行わなかったような気がする。なぜなら、やり方を全く知らなかったのだ!こうなれば適当に、それらしく行うしかなかった。
 前半にさまざまなハプニングで内心大いに焦りながら、後半に突入。十六善神唱礼、読経、大般若転読、読経、回向、普同三拝、散堂である。導師はほとんどの間大般若経の第578巻理趣分品の音読に専念しているので、周囲にはあまり気を遣わない。ただ、消災呪が始まる前までに読み終わって、第600巻に移らなければならない点と、回向の前に600巻の最後の文句を読む(一部差別用語があるので読み替える)点と、回向中に両班の読み込みが終わった所ですかさず導師読み込みが入る点を気をつけるくらいである。
 法要が終了してから、「払子は右手で振りましょう」というアドバイス。左利きなので無意識に左手で振っていたらしい。これは失敗。
 曹洞宗の法要は古代インド祭式(バラモン教)に匹敵する複雑さを有する。法要に明るい僧侶は重宝され、そうでなければやや低く見られる。ハプニングはつきものだが、冷静かつ的確に対処して、間を空けたり混乱させたりしてはいけない。このことが仏教の教義、特に禅の心から見て正しいのかどうかわからない。何至上主義でも同じだろうが、法要至上主義はよくあるまい。しかし「美しい法要は最大の布教だ」という言葉を聞くとき、俗世を離れた彼岸の世界を現前させる一手に頷かざるを得ないのである。
(専門用語が多いため、わかりにくい文章になりましたが、再来年のための備忘録ということでご勘弁ください)

2002年の夢

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08月23日 議論


ホールで新興宗教団体による集会が行われる。大人気の教祖のカリスマで入り口から長蛇の列。私はその中に並んでいる。
 なかなか列が進まないと思っているうちに、突然列が進み始め、建物に吸い込まれるように皆入っていった。満員のはずなのになぜ?と訝ったが、入ってみると座席だけでなく通路にもいっぱい人が座っていた。
 しかし肝心の教祖はいない。しばらく待っても何もないので帰ろうとすると、隣にいた見知らぬ男性に掴まれた。
「どうして帰るのか?」「仕事があるからです。」「ここにいることも仕事ではないのか?」「ここにいても、何にもならない」「帰ったとしても、何にもならないのではないか?」
というように、ここにいても帰っても同じだから、ここにいるべきだという男性と押し問答になる。観念しかけたとき、ホールの観衆がどーっと外に流れ出した。新世界の終楽章のような音楽が流れ、解散の時間となったのだった。
 安心感と共に、その男性に「この音楽は新世界のパクリでしょうか?」と聞いたら、「断じてパクリなどではない。オリジナルだ」と言い張った。

08月12日 やりすぎに注意


Nさんの家で1泊2日のゲーム会が開かれる。翌日は午後1時から山形で法事があるため、朝早くに出発しなければならなかった。ところが…
 朝から楽しいゲームがどんどん出てきてきりがない。気がついたときにはもう11時になっていた。今から帰っても、着くのは夜になってしまう。焦る私。
 結局他の方に急遽お願いして代わりに法事をしてもらったが、その内容は滅茶苦茶だったらしい。自制できない自分に対する怒りと深い悔悟の念に襲われた。

08月10日 クラス分け


ンド哲学仏教学研究室の飲み会に参加する。奥の席から研究室の要職が座っていき、私が座ったのはその隣のテーブルだった。さらにその隣には後輩が座っている。
宴たけなわとなったところで、Tさんがこれから印哲の学生をクラス分けするという発表があった。
秀才組と、醜態組。」
語呂はいいけれど、ずいぶん乱暴な分け方だった。全員が短時間で研究内容を発表して、それで決めるという。この時点で発表を放棄し、醜態組に自ら入った学生が数名。
私は「ネズミがどうやって電気の罠をくぐり抜けるか」という実験結果を発表した。もはや私が袋のネズミとなってしまった。

06月14日 ワールドカップ


坊さん仲間で日本−チュニジア戦を見に行く。試合前のセレモニーでモーニング娘。が歌っていた。やたらたくさんいて、中には宝塚の男役のようなのもいた。
モーニング娘。の歌が終わると、選手の入場となる。何と、小野伸二選手が改良衣(※動きやすい僧侶の服装)姿で出てきた。我々も改良衣で来ていたので、ただでさえ目立っていたのだが、小野選手がこの服装だったことで、さらに注目を集める。外国人サポーターの中には、我々も選手だと思っている人もいて、やたら騒がれた。

05月22日 お世辞


外の大学に学会で行く.そこの主任教授との話で,
"This building is very clean, for Universities
in Japan are usually dirty, especially toilets..."
このトイレの話をしたところで,教授は大うけしてくれた.

05月21日 ゲーム


者に行ってゲームが強くなる薬を処方してもらう.
「ただしこれは,あなたの寿命を確実に縮めますから,あまり飲まないで下さいね」
飲むのをひたすらためらう私.

03月28日 発表


究例会で「サンスクリット所有接辞vatの単数形について」という題で発表を行う。ところが皆に配ったレジュメは印刷が悪くて読めないところがところどころあった。どう説明したものか戸惑っていると、富士仏教研究所(※実在しない)の所長が、
「これは私が昨年行った発表を読んで頂ければ、全て分かる内容だ」
と切り捨てた。
「今回の発表は、先生のアプローチとは異なり、意味論的に分析をしつつ…」
などと言い訳していると、指導教官が立ち上がって応援演説を始める。その中で所長の発表では不十分であったという指摘があり、所長は怒って部下を連れて退席。波乱の発表となる。
仕切り直しをするため、先生や先輩が発表の概要を説明してくれた。その説明が詳しすぎて発表することがなくなり、再び焦る私。

03月09日 インテツ相撲


相撲春場所の優勝決定戦は、なぜか学科の先生2人と私の三つ巴戦だった。くじ引きの結果、まず指導教官の先生と私の対戦になる。本気で戦ったが、先生の方が一枚上手で、あっさり敗退。この時点で、年齢的に見ても先生の優勝は決まったかに見えた。しかし!
 決勝は、指導教官の先生が完全な八百長でもう1人の先生の優勝となる。ブーイングの中で舞う座布団。私は土俵際でその始終を見ていて馬鹿馬鹿しくなってしまった。

01月26日 気障


詠歌の合宿講習会の初日の夕食.一同着席して偉いお坊さんの訓話を聞いているところで,友人の携帯が鳴り出した.みんなの注目を集めながら慌ててスイッチを切る友人.
「馬鹿者!!」
前にいたお坊さんが怒鳴る.それを聞いた私はすかさず立ち上がって言った.
「あなたは間違っている」
「何だと!」
「確かにあなたの言ったことは正しいかもしれない.しかし,あなたは無慈悲だ」
「…!」
「無慈悲.ああ,私はあなたのような僧侶に会って胸が痛む
拍手と声援が巻き起こり,すっかり気をよくして着席する私.そんな私こそ,(そのお坊さんに対して)無慈悲なのかもしれなかった.

01月23日 ラベンスの城


祥寺で知らないお姉さんに誘われて仲間4人で山の上のホテル「ラベンスの城」に行く。中はがらんとしていて誰も出てこない。ホールをうろうろしているうちに、暖炉の中に秘密の入り口を見つけた。滑り台になっている。
 下の階にはたくさんのウェイター・ウェイトレスが行き来していた。仲間はばらばらに分かれて様子を見にいく。ウェイターが気軽に料理を手渡してきた。直感的に料理にが入っているような気がした私は食べなかった。
 しばらくして戻ると仲間が減っている。嫌な予感がして我々は脱出を試みる。広いホテルの中を駆け回りながら出口を探す。しかし仲間はいつの間にかひとり、ふたりと減っていき、しまいには私ひとりだけになってしまった。
 実はこのホテル、ラベンスバーガーで廃版になったゲームを復活させるため、1タイトルにつき1人分の魂を集めているのだった。そのことを逃げる途中で知った私は、ゲームを復刻する代わりに新作を考えると約束して、無事に脱出できた。
 新しく作ると言ったゲームは、羽根の生えた妖精が出てくるパッケージのゲームだった。

01月21日 怪しい製品


ウルに旅行に行く。途中立ち止まったあるお店で「お風呂の体感温度を上げる機械」の売り込みを受ける。
「あったかくないお風呂でもぽっかぽか〜」
が売り文句である。早速試させてもらう。まず機械に上カルビ1人前を入れる。それを熱して出て来た成分をイオン分解して風呂に送り込み、その結果脂肪の燃焼が促進されて温まるという。しかし実際入ってみるととても冷たい。「冷たいよ!」と怒ると店員、
「お風呂の水量がある一定以下の場合は、逆に冷たく感じられる場合があるんです」
などと答える。機械からは焼肉の煙。「この煙は風呂場でどう処理したらいいの?」と聞くと店員、
「延長ホースがありますので、台所の換気扇までつないで下さい」
すっかり買う気をなくしつつ、値段を聞くと特価で530円。どうしようか迷う私。

01月14日 テロ


の一味に付け狙われる。車の中のゴミ袋を捨てようとしたら、中から「カチ、カチ、カチ」という音がするので慌てて崖から捨てる。まもなく、その袋は大爆発を起こした。何とか一命を取り留めた。(「シュリ」みたい)

01月13日 田舎


城に引っ越したので折角だからと大学の同級生の実家に行こうとする。まず東京で会って、地図を見せてもらったが、それは等高線の引いてある50000分の1地図だった。「この山と、この山の間だから、このあたり」と指差されるが全くわからない私。

01月06日 ゲーム


学院の授業が「ドイツゲーム戦略研究」だった。講師はメビウス店長。新作ゲームのカードの置き方を解説している。
「ここに1が置かれたら、その向かいには6を置くとよいでしょう」
何のゲームかわからないが、難しそうである。店長はこの授業のほかにコンピュータの授業も持っているらしく、忙しそうだった。

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