おの: 2003年1月アーカイブ

学問と信仰

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恩師の上村勝彦先生(現東大教授)が突如としてお亡くなりになった。58歳。
かつて印度哲学の学者は長生きだと言われてきた。同窓会では長寿祝の年齢を上げないと祝いきれないくらいだったが、その下の世代で急に亡くなられる方がこのところ多いような気がする。中観思想の江島恵教先生、初期仏教の阿部慈園先生。そこに高齢の先生方も亡くなるから、ここ数年葬式ラッシュになっている。
上村先生には、大学1年生からサンスクリット語の手ほどきをしていただいた。授業が終わると毎回のように、近くの居酒屋でおごってもらった。「近頃の大学生は何を読んでいるんですか?」…上村先生は説教を垂れるタイプではなく、むしろ学生から話をいろいろ聞きたがる。こちらも若いから得意になってつい余計なことを喋っていた。「そうなんですか」と笑顔で聞いてくださる先生が、インド学の大家であるとわかるのはもう少し後の話である。
大学院の授業では、「大学者ほど間違いも多いものだが、それによって研究が無価値になることはない」というのと「日本人はヨーロッパのインド学に目が行きがちだが、もっとインドを見ないといけない」というのが先生の持論だった。海外の翻訳の間違いを見つけたり、インドの留学話をしたりするたびに結論はこれになる。かといって力を入れて強調する素振りもない。実にそっけなく言うだけだが、それがかえって心に残るものだった。
先生は岩波文庫「バガヴァッド・ギーター」「カウティリヤ実利論」や、近年は「マハーバーラタ」全訳というとてつもない量の翻訳に携わっていた。葬儀の中の弔辞で「専門を深く極めるのも大事だが、翻訳を出版して世の中に広めることも学者の任務」ということを先生が仰っていたそうだ。確かに日本で出版されているインド文学や哲学の翻訳は数えるほどしかない。「狭く深く」だけをよしとせず、世間にも目を配る余裕はなかなか持ちにくいものだ。
最後に奥様が先生が最後に観音様をすがり、安らかな死に顔であったことを述べた。学者一辺倒のイメージが強かった先生だが、授業や居酒屋では見られなかった僧侶としての一面を、しかも内面にしまいこまれた信仰として知った。学者と僧侶は、実は別異ではない。しかし安易に結びつけなかった先生の生き方は、心から尊敬する。
ご冥福をお祈りするとともに、後を行くものとして先生の遺志を継いでいけるよう精進したい。

イッセー尾形のひとり芝居を見に行く。「意地悪ばあさん」の巡査役で出演していたころからだいぶ経つはずなのに、見たところまだまだ若い。それでも中年男性の役ははまりにはまっていたけれど。
人間をミクロな視点でとらえるのが大好きだ。歌手のブリーフ&トランクス(「青のり」)、嘉門達夫(「小市民」)、漫才のテツ&トモ(「何でだろう?」)、そして芝居のイッセー尾形。「あるある」という既視感が笑いにつながり、それが微妙であればあるほどおかしい。
2時間ちょっとの舞台で7つの人格が演じられた。ひとつ終わるごとに服装を替え、まるで別人に。口調も仕草も、がらりと変わってしまうだけで見ものである。
それぞれ出てくる人物は有名人でもなんでもなく、身近にいそうな人ばかり。自分はどのタイプに近いかなどと考えてしまいそうなほど身近だ。しかも大事件が起こるというわけでもなく、ごく普通の日常生活を切り取ってきたような場面。
それでもそれぞれの人にはちょっとしたこだわりやプライドがあって、それすらもなかなか叶えられない中で一生懸命になっている。それは自分に通じることでもあり、芝居が終わって照明が落ちると目頭が熱くなるような思いに駆られた。
「何でこんなつまらないことにこだわっているんだろう?」
「いやいや、つまらないことではないはずだ」
「いずれにせよ、オレはこういう生き方しかできないんだ」…
そのうちに、まるでキャラクターの異なる7人の人間が皆同じように見えてきた。ひとり芝居なのだから当然といえばそれまでだが、それで、この世に生きる人間が皆あるところまでは共通なのではないかと思わせた。
ひとりでたくさんの役ができるならば、たくさんの人が同じ人間であってもいいだろう。
だが「みんな同じ人間」とはわかっていても、「人間としてどのように同じなのか」はあまり考えたことがない。人間とは頭があって、心臓があって…などといった外見的な共通性は言えるが、内面的な共通性となるととたんに難しくなるものだ。しかしそれを分かっていないと人同士の意思疎通はできないかもしれない。この点は考察に値する問題である。

2003年の夢

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11月18日 競馬


インドで知り合った日本人の友人に連れられて競馬に行く.
発券機はオランダ製で,オランダ語がずらり.友人の指示に従って用紙を入れ,金額を入力する.1番人気の馬から総流しで行こうと思ったが,1口最低300円になっていたのでやめようと思い,キャンセルをする.そこで機械が止まってしまい,結局馬券は買えなかった.レースだけ見ることにする.
レース場は整備されておらず,障害競走の様相を呈する.友人が買った馬券が当たり,10,000円くらい手に入れていた.私が1番人気から流そうとしたことに触れ,
「君は喩えれば巨人は絶対優勝か2位は取ると考えている人だね.世の中はそんなもんじゃないよ」
とたしなめられた.

11月17日 帰国


久しぶりに日本に帰る。送迎の車に知らない女の人が乗っていると思ったら、妻が雇った乳母さんだった。
家で風呂に入るとき、置いてあった花王のメリットというシャンプーを使ったことを話すと、家族が慌て始めた。よくわからず眼鏡をかけてシャンプーを見直すと、花王メリット 皮革製品用と書いてある! 鏡で頭を見ると、髪の毛がすごく薄くなっていた。でも痛くも痒くもないので、
「かえって風通しがよくていいな」
と思う私。

11月16日 ゲーム


日本で国際ボードゲーム祭が開かれる.『カルカソンヌ2』を遊ぼうとしていたら,韓国人が2人やってきてゲームのルール説明をしてほしいという.そのゲームは,見たことのない新作だった.
「At first, you throw サイコロ and move your figur.」
サイコロだけ日本語になってしまったが,韓国人は理解しているようだったので説明を進める.このゲームは,自分が止まったマスに建物を建てながら進んでいくもので,後からそのマスに他の人が止まると特殊効果がある.建物にはいくつか種類があり,特殊効果もそれぞれ違うというわけだ.プエルトリコとモノポリー(※ゲーム名)を足して2で割ったような感じ.
問題は建物の特殊効果をひとつひとつ英語で説明していくことで,韓国人もうんざりした顔に見えた.しかも隣では大きな声で『指輪物語』のルール説明をしており,その説明をしている人が「そこをどけ」というジェスチャーをしてきた.やる気をなくす私.

05月15日 飲み


小・中学校の同級生宅に車で遊びにいく。途中とても眠くて着いた頃にはヘロヘロだった。そこには幼なじみがいて、みんなでワイワイしゃべりながらビールを飲む。
明け方になって帰ろうというとき、車に乗ろうとして引き止められた。「おい! ビール飲んでるだろ?」
「えっ?ビールってお酒だっけ?」すっかり忘れていた私は、代行を頼んで帰宅した。

05月14日 結婚


オケの同級生(男)と結婚することになる。挙式は彼の実家である福山にて。すごく嫌々な私を尻目に、礼服に身を包んだ彼は親戚に挨拶したりしていた。
先月に引き続き男と結婚する夢。どうしたことだろう。

04月23日 唯名論


テレビのクイズ番組に出場する。最終問題までの差はほとんどなく、優勝は最終問題で決まるところだった。
「足利義満、ゴータマ・シッダールタ、ヘンリー2世、宮本武蔵は実在の人物である」
何か裏があるなと思いつつ、素直に○と回答。正解は、×だった。ひねくれて×を書いた回答者が優勝する。
番組終了後、司会者に文句を言いにいく。
「この4人は、架空の人物だというんですか?!」
「いいえ、足利義満という名前の人物は実在しましたが、『足利義満』という名前そのものは実在の人物ではありません。」
「それなら『足利義満という名前の人物』というのも、実在の人物でないことになってしまうじゃないですか!」
「それでもかまいません。あなたが名前そのものは人物でないと認めるならば。」
「しかし名前そのものが人物ではないとしても、問題で名前は人物を指示しているでしょう?」
「いいえ。問題は 『足利義満』(という名前)、『ゴータマ・シッダールタ』(という名前)、『ヘンリー2世』(という名前)、『宮本武蔵』(という名前)が実在の人物かどうかを聞いたのです」
「世間ではそんな解釈をしない!」
「少なくとも我々の意図はそうです。あなたの解釈が間違っていたのです」
…悔しい思いをしながら楽屋に帰り、寝た。

04月15日 結婚


近所の幼なじみ(男)と結婚することになる。結婚式は用意していた洒水器や香炉が出てこずに自分で出しにいく破目になったりとさんざん。披露宴はホテルの小さい宴会場で、お客様も20人ほどしか来ていない。しかもとなりの広間で大きな出し物があるとかいって皆出て行ってしまった。彼はここぞとばかりに「ごろにゃ〜ん」などと言って私の膝の上に顔をのせてきた。確かにスポーツ刈りにした髪の毛はネコのように触り心地がよかったが、心中は萎えまくっていた。
(私にはもう妻がいるのだと、そして子供もいるのだと、いつ告白しようか)と悩む私。

04月05日 想像力


どこかでボードゲームの講演を行う。
『カタンの開拓者』の開拓地を表す家のコマを手にとって私は言った。
「この抽象的なかたちからどれだけ想像力を膨らますことができるかが面白さなんです。例えば、ここに窓があって、窓の中には夕食の支度をしている奥さんがいる。子供は外で遊びまわっているけれど、もう暗くなったから帰らなくちゃならない。お父さんももう今日の仕事は終わりにしよう。今夜は雨になるから、その前に屋根の雨漏りを直さないとなあ…」

01月23日 普及


『プエルトリコ』のリーグ戦が山形で開催される.会場の公民館に着くと,和室いっぱいに数十組のボードが並べられ,もうゲームが始まっているところだった.空いているところはなかったので,スタッフとしてコマの管理をする.産品コマの中にやけに大きいコマがあったので聞くと,「1個で2個分」ということだった.
小学校の同級生などもたくさん来ている.「地元でこれだけ普及しているならば,もはやカタン以上だな」と感慨深いものがあった.夢中になっている間に他の人の携帯電話を自分のだと思ってカバンに入れてしまい,帰宅してから気がついた.

01月21日 無関係


インド学仏教学会の学術大会で「プエルトリコの成立史的研究」という題の発表を行うことになる.内容はボードゲーム『プエルトリコ』の戦略や拡張可能性ををまとめたものだったが,どう考えてもインドと結びつかない.発表時間が迫り,どうやってインドにこじつけるか悩んでいたところ,オフィス新大陸のSさんが小学館の月刊『小学4年生』を持ってきてくれた.ここに付録として拡張セットがついているとのこと.さっそく中身を見ると雰囲気満点のタイルが入っている.「これ,すごいですね」と言って喜んでいたが,よく考えると全く解決にはなっていないのだった.発表をキャンセルしようと思った.

インド哲学

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『インド哲学七つの難問』 宮元啓一著 講談社メチエ 2002年11月
このところ途中で挫折するか,つまみ食いで終わる本が多い中で久しぶりに一気に読み終えた.もちろんニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派という専門的な内容に踏み込んだ箇所では,前提となる知識なしに読み進めるのはたいへんかもしれない.
昨年末に京都で開かれたインド思想史学会でも誰かが言及していたが,宮元先生がまえがきで「インド哲学」の主流である地域研究や文献学を飛行機の滑走路作りに,そこから飛行機を飛ばすことを哲学に譬えたところはとても印象的だった.インドの本はテキストの問題(誤植や改変)が多く,したがってその校訂作業が研究の大部分を占める.書いてある内容よりも先に,書いてある文字を疑ってかからなければならない.同じ用例を他から隈なく探し,もともとどう書かれていたかを推定する.根気の要る作業だ.
インド哲学研究を志した人のほとんどは,飛行機で自在に空を駆けることを夢見ていたはずである.ところが,そのほとんどの人は,その夢を忘れ,滑走路作りで一生を終えることに人生の意義を見出してしまう.
もちろん宮元先生は,滑走路作りが不要だと言っているのではない.事実,先生の仕事は『勝宗十句義論』という,漢訳しか残っていないテキストを,時代が近い現存のテキストとの比較からサンスクリット語に復元するという,緻密な校訂から始まっている.要は文献学と哲学を両立させることなのである.中途半端な文献学で中途半端な哲学をしている私には非常に耳が痛い.
さてこの本に現われる7つの難問として設定された問題は,「音声は恒久的なものか無常なものか」「神や一切知者は存在するか否か」といったインド独特の問題ではなく,西洋哲学にも通じる言語哲学,存在論,自我論,真知論,因果論である.こういった切り口でインド哲学を解説する本は未曾有であり,刺激的だった.
我々の読書会などで「この人の言ってることって,どう考えたっておかしいよね」という話になることはある.しかしそれが論文に反映されることはまずない.どこがおかしいのかを論証するのは案外難しいし,若い学者が「おかしい」と公言すると何かと厄介だからである.そうした我々の生の意見が的確な言葉で表現されていて,溜飲が下がる思いがする.ところどころにさりげなく書かれている,仏教徒として仏教の無矛盾性を信じて疑わない仏教学者批判も痛烈.「無我はありえない」というくだりなど,仏教徒全般にもう一度考え直したいことでもある。
ところどころ急激に専門的になるところがあるが,そこを適度に読み飛ばせれば,哲学一般に興味をもっている人も十分に楽しめる内容ではないだろうか.

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