おの: 2004年1月アーカイブ

一発芸

コメント(0)



 3泊4日で御詠歌の研修。こうした合宿はこれまでのトータルで36泊46日も参加している。朝8時から夜8時まで一日中講習があり、同じ仲間と寝食を共にしてきた。
 そんな仲間と講習が終わってから飲みに行く。1日中声を出して喉が疲れ切っているのにこれまたカラオケ。
今回歌った曲
1.ダンス☆マン『よくある名字「斉藤」』
2.ブリーフ&トランクス『外反母趾』
3.嘉門達夫『ハンバーガーショップ』
4.東京プリン『まゆげ』
5.はなわ『佐賀県』
6.テツ&トモ『なんでだろうオリジナルバージョン』
講師の先生の前で東京プリンを歌ってから、いつの間にかこういうのを歌うのが私の役目になっているようだ。今回特に受けがよかったのは3と6。

床屋

コメント(0)



たいてい自分の頭は「エアーバリカン」という祖父の遺品を使って自分で刈るのだが、何ヶ月かに一回は顔剃りをしてもらいたくなり、床屋に出向く。月曜日の昼間に若い男が現れて、「できるだけ短くお願いします」なんて言うので、床屋さんは興味津々、もしかしたら内心ドキドキかも。
「今日はお休みですか」「ええ」
「いつも月曜がお休みなんですか」「いいえ、バラバラです」
「自分で自由に休みを取れるんですか」「いえ」
さて、私の職業は何と思われたでしょう?

はてなアンテナ

コメント(0)



リファラーを見ていると、ほとんどの方がはてなアンテナから来ているようだ。
アンテナは便利だけど、何となくドライで寂しい感じもする。「ここだけは見ておくべきです」と勧める従来のリンク集と比べて、「ここに並べておくから、勝手に見れば??」というような。
他の人のサイトで、私が真っ先に見るところはプロフィールとリンク集だ。そこで管理者の人となりを自己・他己の両方から見ることができる。真心こもった紹介文が連なったリンク集は、心が温まるものだ。
私のサイトもリンク集には特に気を使っているつもり。一度書いた紹介を見直すなど、頻繁な更新を心がけている。
というわけでみなさん、リンク集をもっと見ましょうね。



恩師、故上村勝彦先生の遺稿集が届けられた。筑摩書房刊。インド詩学の大家であり、インド二大叙事詩のひとつ『マハーバーラタ』の日本語訳に取り組んでおられたさなかに病魔にたおれられた先生が、小さい書籍などに寄せられた法話・インド神話・紀行をまとめたものである。
奥様のあとがきが胸を打つ。
「…仕事、講義、研究の合間に、いかにしたら毎日一行でも多くの翻訳が出切るかと常に考えていました。そしてそれが思うようにはかどった日は、大変機嫌よく、夕食の時に好物のワインを美味しそうに飲んでいました。つい昨日のことのように思われます。(刊行に寄せて)」
翻ってみれば、たいして忙しくもないくせに忙しいふりをしている自分の毎日。「上村先生の分まで」などと言うのはあまりにおこがましい。もっと勉強しよう。

 『般若心経』という仏教で一番メジャーなお経があるが、これは『大般若経』全600巻を要約したものである。唐の三蔵法師玄奘が漢訳したもので、そこには世の中のあらゆるものが「無」「不」「空」といった言葉で否定され、その先に最高の智恵「般若波羅蜜多」が説かれる。
 『般若心経』に「能除一切苦」という文句があるように、このお経は読むだけで功徳があるとされ、宗派を超えて祈祷に用いられてきた。ところが600巻を全部読んでいたところではまる1日でも終わらない。そこで本をパラパラとめくって目を通す「転翻」という方法が取られている。
 私が住職を務めるお寺がある地域でも、大般若の祈祷が行われている。毎年1月9日に行われる新春恒例行事だ。隣のお寺さんと1年交替で行っており、2年に1度当番が回ってくる。今年は私が住職になって3回目の大般若会というわけである。2回目の様子はこちら
 今年は2回目の備忘録を読んでから臨んだこともあり、全体を見渡す余裕が出てきたと思う。それでもインドに行っていた3ヶ月間、衣に袖を通さなかったブランクは大きかった。直前になって、何か足りないような気がしたら、侍者の和尚さんに「坐具は…」と言われて忘れていたことに気付いた。葬式などでは使わないので奥にしまったまま。忘れたまま法堂に出ていたら大恥をかくところだっただろう。
 前回問題になった浄道場は、導師が出ていくのがこの辺の通常だという。今回私はすぐ出ていったが、他に出るべき和尚さんが忘れて座ってしまった。声をかけられて気がつき、やっと出ていらした。この辺はまだよい。
 次に問題だったお札の薫香は、また失敗。せっかく侍者さんが出てきて待っていて下さったのに、第一ケイスで出ようとしてこちらも自位で待っていたため、侍者和尚さんが目配せをしてきた。こちらは「そこで待っていて下さい」という意味で頷いたのだが、それが「お札の薫香はありません」と解釈され、侍者和尚さんが下がってしまう。これでタイミングが合わず、薫香できないまま。予定では知殿和尚さんに出てもらって、薫香の後仏前に上げてもらおうとも思っていたのだが、知殿和尚さんは座ったまま。
 打ち合わせの時間はあったが、遠慮してしまってイニシアチブを取れなかったのが敗因だ。そのうち集まったご寺院さんたちは新年会の日程を相談し始めてしまった。一番若いうえに、久しぶりですっかり気後れしてしまったが、こんなようでは一山の住職は務まらない。
 そのほか般若経の数が等分に配られていなかったので、終わりが揃わなかったりもしたが、全体としては大きく崩れはしなかったと思う。経験豊かな侍者和尚さんに全て支えてもらったかたちだ。この方がいなかったら、かなり危ないところだっただろう。
 終わってからは寄付を集めてくださった寺役員さんたちと新年会。住職の長期不在でも、しっかり寺を支えて下さっているのを感じて複雑な思いになった。檀家さんの中には、住職が帰ってくるまで死ねないと頑張っておられる方もいるという。その厚い信心に応えるのが、住職として一生を費やすべき責務なのだと、強く心に刻み込んだ。

2004年の夢

コメント(0)

09月08日 いやだいやだ


学生最後の定期演奏会。メンデルスゾーンの『ルイブラス』1曲乗りだったが、さらっている暇が全くなくてぶっつけ本番となった。
この曲は頭からハイB♭、ハイEs、ハイDがありステージリハーサルでは出たものの音程が悪い。本番はどうなるか冷や冷やものだった。こんなことならもっと簡単な曲にしておくんだったとか、ファースト・パートは後輩に任せてセカンドやサードパートに回るべきだったとか後悔しても後の祭り。いよいよ本番の時間がやってきた。ステージ裏では高校の先輩や後輩が激励に来ている。いよいよ高まる緊張。
ステージに立っていきなり、楽器にマウスピースが付いていないことに気づく。鼻血を出しそうになりながら慌てて楽屋へ。何とか間に合ったが、ステージに戻ってきて今度は楽譜も忘れてきたことに気づいた。指揮者はもう棒を上げている。不安と緊張だらけの中、結果がどうなるかは目に見えていた。

09月05日 賑やか


私はまだ寝ているのに、娘と息子(※いない)が廊下を騒いでいる。妻も2人を追いかけるのにてんてこまい。
(これでいつまでも寝ていたら家族からヒンシュクだな)と思って起きることにする。

起きてみたらここはインド。孤独感に襲われる(現実)。

07月18日 証明


保育所に娘を送りに行く。ところが今年度になってから初めて送りに行ったものだから、保育所の先生方が私を父親だと知らない。
「父親だと証明できる保険証と免許証などはありますか?」
 たまたま持っていたので両方見せ、照合した結果父親だと分かってもらう。しかし次には服装が悪いだの、言葉遣いが悪いだの、態度が悪いだのと当所として相応しくない父親だと文句を言われる。
 頭に来て反論したが、反論すればするほど自分の印象が悪くなってしまうのだった。このままでは娘の入所も取り消されると心配になりつつ、反論をやめない私。

06月06日 物質


娘が実は人形だった。とても可愛いのだが、何も食べないし話しかけても反応しない。今まで人間だと思ってきた私は、その事実を知って大いに悲しむ。
「いや、たとえ人間だとしてもその体はモノでできているんだ。この人形とどこが違うだろうか」
などと考えてみたところで悲しみは収まらず、娘の顔をじっと見る私。

06月04日 自己責任


大学祭を妻と見に行く。途中でたまたま知り合った老夫婦と意気投合し、近くのそば屋に行く。そこで老夫婦相手に演説する私。
「日本では古くから、因果応報の考えが浸透していました。よいことをすれば幸せが返ってくる、悪いことをすれば苦しみが返ってくるというものです。自業自得とか、最近言われている自己責任というのはこの考えから来ていると思います。でも、これはあくまで自分自身の生き方の指針とするものであって、他人に対して言うものではありません。『こんなに苦しまなければならないのは、自分が前に悪いことをしたからだ』と反省することと、『そんなに苦しまなければならないのは、お前が前に悪いことをしたからだ』と他人に言うのは同じように見えて全く違うことです。後者は決してやってはいけません。」

06月02日 生きる


実家に帰ると祖父がまだ生きているというので見に行く。祖父は、風水か何かの理由で前の庭に出されている。癌で悪いところを全て取り除いたという祖父の姿は、頭部だけ残っていて体は小さな骨が並んでいるだけだった。庭に長いこと置かれていたため、体の至るところにが生えている。
「これで生きているとは…」と呆気に取られてみていると、祖父の口が開いた。何を言っているか分からなかったが、無性に悲しくなった。

05月30日 姿勢


 都内にある葬儀屋さんの2階に居候することになる。そこでは毎朝坐禅会が行われていた。後ろの方に目立たないようにして坐る。しばらくすると見回りの和尚さんがやってきた。ちょっと緊張していると背中を押さえられる。
 「君は姿勢が悪いな。背中が曲がっているぞ」
自分では真っ直ぐにしていたつもりだったので、骨格が悪くなったのだろうかと心配になる私。実際、姿勢はあまりよくないので気にしていたことを言い当てられた恥ずかしさでいっぱいになった。

04月26日 キレる


 近くのご寺院さんが来訪。檀家さんと話をしている。あまり気が進まなかったが檀家さんがいらっしゃるので出ていった。2人に丁重な挨拶をした後、2人が話しているのを聞く。
 「去年は亡くなった人が多かったな」と言うので、「そうでしょうか、私のところはあまり多くなかったのですが……」と返したら怒り出す。「おまえはいっつも俺の反対ばかりしている。はいはい言っていればいいんだ!」
 それに対して私も逆ギレ。「じゃあこうやってはいはい言ってればいいんですか!」と昭和のいる・こいる(※漫才師)の真似を始める。「はいはいはいはい、そかそかそかそか、よかったよかった、それはよかった」
 それを見たご寺院さんは思わず大笑い。檀家さんは呆れていた。

04月17日 礼


 恩師のお寺を訪問する。しばらく話してから、ちょっと席を外されている間に大きなお土産を持ってこられた。「これ、お土産に」寅さんがもっているようなレトロなスーツケースに入った最中とギョウザのセットだった。
 「いつもありがとうございます!」感謝で深々と頭を下げたら、外にいてお土産を売りに来ていた郵便局員が自分に挨拶されたのだと思って深々と頭を下げてきた。こうして恩師の前で2人はいつまでも頭を下げているのだった。

04月16日 記憶の価格


 風邪を引いて寝込んでいるときの夢。高熱のために日本語をすっかり忘れてしまった私は、漢字を最初から覚えなければならなくなってしまう。医者に行くと1文字1ルピー(2.5円)で思い出せる薬があるという。
 ひとまず3000字で3000ルピーか……インド人ってアコギだなと思いつつも1ルピーずつ払って覚えなおし始めた。

03月03日 勘違い


北海道のTさんとゲームをする。ところが筒井さんのカードゲームはボロボロで補修が必要ということになり、1枚1枚破れたところを直しているうちに終了。でも翌日はまたTさんたちと皆でゲームオリンピックに出ることになっていた。
「あれ、おのさん、それ広島行きの切符じゃないですか?」
「ええ、プレイスペース広島に寄ってから行こうと思いまして」
「でも、ゲームオリンピックの会場は名古屋ですよ?」
と新幹線ホームでやりとりして会場が広島でなく名古屋だったことを初めて知り、どうしようか焦っているうちに広島行きの列車がやってきた。ひとまず乗り込んでから考える私。

01月03日 初夢


オケの後輩とインド国内を観光する。帰国は飛行機の便が違うので空港でお別れとなった。家に着くまで何時間かかるか聞くと、
「途中でバイト先の塾に寄ってから帰るのでわかりません」
と答えられた。12月にデリーで音信不通になっているM君、読んでいたら連絡を!(後日談、日本に無事帰っているそうです)

このアーカイブについて

このページには、おの2004年1月に書いたブログ記事が含まれています。

前のアーカイブはおの: 2003年12月です。

次のアーカイブはおの: 2004年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

アーカイブ

リンク用バナー