おの: 2004年12月アーカイブ

帰国

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今日が帰国の日。大人2人がそれぞれスーツケースをもっているので空港までリキシャー2台が必要となった。今住んでいるところはリキシャーなど滅多に通りかからないので、自転車に乗って大通りまでリキシャーを捕まえに行く。2台を引き連れて家に戻り、荷物を載せてやっと出発となった。空港では500ルピー札しかなかったばかりに、せっかく交渉した額をふいにされてしまう。がっくり。
さて空港で最初にしたことは、紛失した電池とぬいぐるみ探しである。確認して電話すると言っておいて電話がなく、教えられた電話番号はずっと話し中だったのだ。これだけでも十分いらいらしたが、調べてもらうと「プネー空港ではお預かりしておりません」である。デリーで調べてみるのがいいということで、デリーへ。確かに、シュリナガル発デリー行きの飛行機が大幅に遅れて、デリー発プネー行きの飛行機への乗換えが一瞬だったから、デリーに止まっている可能性は十分あった。
そしてデリー。あっちにいけ、こっちにいけとたらい回しに逢い、1時間も待たされた末、電池もぬいぐるみもないと言い渡された。詳しいことを聞きたければ、入場券を買ってオフィスに行けという。ここで怒りが爆発。「紛失したのはお前たちの責任だろう! 何でオレが入場券を買わないといけないのか」「私たちは困っているあなたを助けてあげているんですよ」「助ける?! 探すのはお前たちの義務だ! オレの仕事じゃない」「でも決まりですから」もうとりつくしまがない。オフィス入口では警官が入場券を買えという。そこで事情を説明して、裏口から入れさせてもらった。
エア・サハラのオフィスでは、偉そうなおじさんがひっきりなしになる電話に応対している。しばらく待った後、また同じことを説明すると、バッターチャーリヤというこれまた偉そうな名前のそのおじさんはシュリナガル空港に電話してくれた。結果は×。見つかったら連絡するというが、諦めた方がよさそうなのは目に見えていた。電池と象のぬいぐるみだけで、ここまで時間とエネルギーを費やすのもばかばかしくなってくる。
妻と娘はその間、空港の周りを散歩していた。娘はインドで外を歩きたがらず、いつもだっこを求めるので疲れてしまう。ホテルの運転手はこの不毛な交渉の間、荷物をずっと見ていてくれた。娘にちょっかいを出していたこの運転手は象のぬいぐるみのことをまだ覚えており、紛失したことを聞いて残念そうな顔をしたという。
そんなわけで遅くなり、ホテルで休憩できたのはたった2時間ほどだった。ひと風呂浴びて国際空港に向かう。娘は今頃になって元気を取り戻し、空港で買ってもらったリキシャーのおもちゃで遊んでいる。日本航空、成田行きは定刻出発。娘は乗り込むとほどなく眠り始めた。無理やり起こして下痢止めを飲ませたら、また吐いた。これで吐いたのは旅行中3回目だ。
機内では娘が眠ったこともあってのんびり映画鑑賞。「エイリアンvsプレデター」はただのアクション映画で浅薄もいいところ。邦画の「転校生」は筋は楽しめたが台詞の言い回しがわざとなのか知らないが古臭すぎるのが気になった。その後80年代ヒットソングなどを懐かしく聴いているうち、一睡もしないで成田に着いてしまった。
体調を崩した娘に振り回された感もあるが、総じていい家族旅行になったのではないかと思っている。同じところに数日留まって、そこに住む人たちと交流することは、ただ表面を見て回るだけの観光とは違う魅力がある。妻はぜひまた行きたいと言う。帰国した頃にはすっかり元気になった娘も、写真などを見返してあれこれ言っているところをみるとまんざら嫌な旅行でもなかったようだ。

訪問(2)

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夕方に再びシュクラ先生の授業。今年はこれで最後となる。数えてみたら半年(賞味4ヶ月)で50回(70時間ほど)習っていた。ジャー先生は1年(賞味9ヶ月)で18回、あまりの突発キャンセルぶりに呆れて10月からもう行っていない。これがお金をもらっているか否かの差だとしたら情けない話だが、どうもそれだけではなさそうだ。2人を見ていると、精神的な余裕が違う。会議と事務仕事に忙殺され、その上膝まで痛めて蒙昧しているジャー先生と、退官して1日中学問に集中できるシュクラ先生。その差は歴然としている。
アムルタ家授業の後、またバスに乗ってアムルタさん家へ。アムルタさんは昨年初めてプネーに来たときにホームステイさせてもらっていた家で、今月お兄さんの結婚式を控え、できたての豪華マンションを購入した。結婚式に招待はされていたが、期日が年末あまりに遅いので家族紹介も兼ねてお祝いに伺ったのである。
少し遅れてやってきたバスはいつもより運転が荒く、娘はまた酔って吐いた。このまま引き返そうかとも思ったが、インド出発は明日である。多少臭くなった服は気にせず行ってしまうことにした。思えば私も幼少の頃、よくバスに乗って吐いたものである。日本のバスは性能が上がり、また道もよくなったためあまり酔うということはなくなったが、交通マナーなど微塵もないインドでは、急ブレーキ・急発進が絶え間なく襲ってくるのにはかなわない。
しかし吐くとお腹が空くのは当然の理屈で、アムルタさん家についてから娘はお菓子を食べ始めた。ただアムルタさんが日本語で話しかけてきても反応しない。インド人ぎらいは結局旅行中治らなかった。

訪問(1)

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プネーで私がしたかったことは、私の知り合いに家族を紹介することだった。前々から家族が来るというと「ぜひ家に連れてきて」と頼まれていたのだ。
そのひとつ、ヴィナヤクさん宅を訪問。彼の家は名実共に敷居が低いのでよく遊びにいっている。今回は丸井教授の忘れ物を届けてくれたI氏も同行した。I氏にとってヴィナヤクさんは後輩で、大学でもよく会っている。バスとリキシャーを乗り継いでヴィナヤクさん宅へ。
行く道では妻が写真を撮り始めた。インドに暮らしていると何が珍しいのかだんだんわからなくなってくるが、ヘルメットをかぶらないで走っているバイクの群れ、箱みたいな大人がやっと1人入れる小さな店、赤電話、妻のシャッターを通して見えてくるものも新鮮である。ちょうどリキシャーが自転車に追突されて幌に穴が開き、自転車の少年と言い争いになっているところも写真に収めることができた。
ヴィナヤク家ヴィナヤクさん宅に着くと、お姉さんと旦那さん、1才になったばかりのサイラージ君も来ていた。サイラージ君は相変わらず目の周りにアンジャンを塗っており、もともと大きい目が一層大きく見える。I氏が「目、でかすぎ」と言ったのでうけた。
ヴィナヤクさんが奥の部屋からキャロム(おはじきビリヤード)の台を出してきて、ヴィナヤクさん、お姉さんの旦那さん、I氏、私と4人で遊ぶ。以前私がキャロムを練習しているというのを聞いてヴィナヤクさんは覚えていたのだ。4人で遊ぶ場合、2対2のチーム対戦になるのだが、位置取りの駆け引きがあって面白い。その後、3人でも遊べるルールとして、どれを落としてもいいけれど黒が1パイサ、白が5パイサ、赤が10パイサという遊びをした。赤は基本ルール通り、直後に黒か白を落とさないと得点にならない。ヴィナヤクさんの腕前はほれぼれするほどで完敗。子どもの頃からやりこんでいるのがわかる。
終わってお母さんの作った食事。これまで何度かご馳走になっているが、絶妙な味付けで美味しい。店で食べるものとはまったく味が違うのである。娘もごはんだけずっと食べていた。
食後に妻は手にメーンディ(ヘナ染料による模様書き)を施してもらう。これが乾くまで1時間程度、手を使ってはいけない。その後映画を見ることにしていたのでちょうどよい。ただ娘は3時間の映画をじっと見ているはずもなかったので、私と娘はFさんの家に遊びに行くことにした。
Fさんは論文の〆切が近づいて相当テンパっていたが、父子2人をお菓子まで出して快くおもてなししてくれた。やはりここでも、娘はFさんになつく。私がおむつを買いに行っている間、Fさんにだっこされていたという。こんなことはインド人に対してはありえない。完全にインド人と日本人を見分けているようだ。
娘が遊んでいる間、Fさんの研究の話を聞かせてもらう。Fさんはアジャンタ石窟寺院を研究していて、壁画が何の物語を表しているか同定していくという作業が中心。美大卒という異色の経歴がここで生きていて、1ヶ月もかけて描いたという綿密なスケッチに舌を巻いた。
映画「スワデース」は、今ひとつぱっとしない今年のヒンディー映画で最後の頼みの綱だった。しかし面白いことは面白いが、ずいぶん地味な映画だったそうだ。NASAのエンジニアをしていたシャールク・カーンが祖国インドの村興しに力を入れるという話だが、村の先生であるヒロインが垢抜けておらず、ダンスのシーンも少ない。妻の反応次第では私も見ようと思っていたが、その話を聞いて行く気が失せた。
スネーハ1才映画が終わって家に帰ると、誕生パーティーをやっている。同じ団地に住むスネーハちゃんの1才の誕生日だった。夕食をどうしようと思っていたところにちょうどよいご馳走だった。珍しいことに、ここの一族は仏教徒で、本尊として釈迦牟尼仏、その前にアンベードカル博士の絵を掲げてお祝いをしている。この界隈で仏教徒と言えばヒンドゥー教で差別されたアウトカーストが改宗したものであるが、こうして立派にお祝いをしているところを見る限り、その社会的地位は向上しつつあるのかもしれない。同じ仏教徒としてエールを送りたい気分になった。
娘はというと、線香の匂いがきつくて鼻をおさえ、家に帰りたがった。食事もまたごはんだけで、家に帰ってパンを食べている。こんな栄養状態ではいけないと思い、家にあった醤油で野菜を煮込んだら食べた。娘は大の和食党なのである。

家でだらだら

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リシケーシュ2才体調は悪くないのだが、家の中が快適でだらだら。娘が外に出たがらない。私ももとよりインドア派だし、唯一のアウトドア派である妻も眠そうにしているからこれが必然的な結果である。観光をしないのはもったいないと思わなかった。むしろインドにこれだけくつろげる空間を見出すこと自体がぜいたくであろう。パソコンでDVDを見たり料理を作ったりしているうちにすぐ1日が経ってしまった。でもそんなのんびりしているお陰で夕方にはシュクラ先生の授業に行くことができた。
夜になって下の階に住むジャダウ家の息子リシケーシュの2才の誕生日に招かれた。同じ団地からやたらたくさんの子どもが集まっている。15人はいただろうか。このように何かあるとすぐ15人とか20人とか集まってしまうのがインドらしいと思う。娘は果たして警戒モードに入り、近づいてくるリシケーシュを突き飛ばすほど。リシケーシュはしりもちをついて転んだが、さすがいつも兄にもまれているだけあってケロリとしている。
出されたお菓子や料理は辛すぎるか甘すぎるかのどちらかで、娘はほとんど口にしなかったが、リシケーシュたちはバクバク食べていた。インドの子どもたちはたくましい。

お出かけ

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プネーでも大半は家で過ごし、1日に1回、ちょこっとお出かけするというパターンが続いた。もとより観光地ではないが、近くにあるアガカーン宮殿(ガンジーが軟禁され、妻を亡くしたところ)も含め、家族で見物したものは何もない。
市内へはバスで行く。土産物屋に寄って、注文していた仏像160体を購入。お正月にお寺で檀家さんに配るお土産である。手彫りなので高そうに見えるけれども、1体250円ぐらいだ。もっとも、空港で買えば同じ物が2倍にもなる。スーツケースはこのお土産でいっぱいになった。
買い物の間、妻と娘は近くの喫茶店でお菓子を食べていた。街の中心部にあるオシャレなオープンカフェはお菓子も甘すぎず、メニューも気が利いている。独りでは何度も来ているところだが立ち寄ったことはなかった。家族で来るといろいろな発見がある。
プネーにはちょうど、指導教官の丸井教授が写本調査でいらしていた。空港で手配したタクシーがこなかったり、写本の撮影代で20万円も取られそうになったりたいへんだったらしいが、I氏とK氏が協力して、順調にことが運んだという。教授はこの日が帰国で、直前にお昼をご一緒した。
モスクワの学会の後、サンクトペテルブルクを観光したときに集団の強盗に逢ったという。それに比べればインド(特にプネー)の治安はとてもいいと仰っていた。もしかしたら近年やたら物騒な日本よりもいいかもしれない。
その後、教授を見送りにI氏も来たが、あれだけインド人を毛嫌いしていた娘は教授にもI氏にも親近感を示すことがわかった。顔で判断しているのだろうか、インド人は男女問わず顔が濃いからなあ。

プネーへ

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タヒル家6月に来たときと違ってほとんど観光しないままシュリナガルを後にする日が来た。しかしその分ずっと家にいたお陰でタヒル家と交流ができ、帰りはお母さんがほろりと泣いてしまう。「また近いうちに必ず来てね、今度は寒くないときに……」空港の別れは心に残った。ただ娘が最後までなつかないままだったのは残念である。
3人はデリー経由でプネーへ。見送りのみんなに手を振ってセキュリティーチェックに入ると、いきなりデジカメの電池と象のぬいぐるみを没収される。電池を没収されるのは初めてだし、まさかぬいぐるみまで取られるとは思わなかった。プネーで返すなどという。
さらに飛行機が2時間も遅れてくる。退屈していた待合所では警官が娘にチョコレートをくれたが、受け取ろうともしない。インド人恐怖症は治っていないようだ。
デリーで乗り換えた飛行機は、我々の到着を1時間30分待っていた。待合所に行かず飛行機から飛行機へ直接バスで送られる。さまざまな路線が交錯しているインド国内線は、こうして1つが遅れるとドミノ倒しに遅れていく。ほかの乗客ににらまれたがこっちの知ったことではない。
プネーに着いたのは日も暮れ始める頃だった。案の定、没収された電池とぬいぐるみは来ていない。乗り換えもぎりぎりだったし、デリーの空港で止まっているのだろうと思い、調査して電話してくれるという係の人に名刺を渡す。
プネーは25度。リキシャーの外から流れてくる風が暖かい。娘の下痢は止まっていないが、体調はこの暖かさのお陰でだいぶよくなり、家に着いてからはようやく元気を取り戻した。もしかしたら久しぶりにインド人のいない空間に来たからかもしれない。私も住み慣れた家に着いてほっとする。油断したせいか、空港にバッグをひとつ忘れてきてしまい、翌日取りに行く羽目になった。

大学

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いよいよカシミール滞在の最終日。夜に娘が血便を出す。タヒル家はまた「冬のカシミールにはよくあることだから、心配しないで」と取り合わないが、心配なので医者にいってみると感染症の症状だという。新しい薬をもらった。血便は結局この1回だけだったが、娘のカシミール滞在は最初から最後までさんざんだった。妻も咳が止まらなくて喉が痛いというので、薬を処方してもらう。診察料と薬代を入れて300円もしないので、保険など無用である。
医者に行ったあと、ウィーン大学から頼まれていた写本調査の用件でカシミール大学へ。タイミング悪く元州首相が亡くなり、喪に服す期間ということで図書館長に会うことはできなかった。前回もストライキで休みになっていたが、さらに冠婚葬祭でいちいち休むのではいつ仕事しているのだろう。
幸い写本担当のおじさんは仕事に来ていた。今回は用意周到に教授の手紙を予め送っておいたのだが、おじさんによれば送り先が違うという。話は複雑だがカシミール大学の図書館は写本セクションだけ図書館に属しておらず、別の研究所が管理している。しかもその研究所は冬季、ジャンムに移っているというのだ。
結局目的は果たせず、モスクの前で写真を撮って帰ってきた。夜はタヒルさんの父方の叔母さんの家へご招待。またなみだ目になるほどたらふくご馳走になったが、警察の宿舎はタヒルさんの家とは比べ物にならないほど寒かった。娘は眠っていて起きずじまい。

療養(4)

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カシミールを去る日は近づいてくるのに、外に出たいと思わない。娘が万全でないというのもあるが、とにかく寒いのだ。残念そうにしているタヒルさんにお願いして、夕方ちょっとドライブにでかけてもらった。霧に包まれたダル湖は灰色がかっており、幻想的な雰囲気をかもしだしている。相変わらず機関銃やライフルを持った武装警官が警備をしていたが、寒いのにご苦労なことである。
帰りにタヒルさんの母方の叔母さんの家に遊びに行く。我々が来るというので集まってきた親戚が20人。タヒルさんが「カルホーナホー」の主題歌を歌えというので披露した。娘は出されたりんごをほお張っている。そんな珍しい光景に集まった親戚は喜んでくれたようだ。つい最近、20代の娘をなくした叔母さんの笑顔を見たのは実に久しぶりだったという。
娘に与えられていたペットボトル入りの「沸騰させた水」を妻が飲んでみたところ、そのあまりのまずさに結局この水(または容器)が下痢の原因だったのではないかという話になった。カシミールの水自体はとても美味しいが、沸騰させる鍋や使い古しのペットボトルが悪そうだ。カシミールの水には自信をもっていたタヒルさんをよそにドリンクウォーターを買うことにした。

療養(3)

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冬季のカシミールは、深刻な電力不足に見舞われる。夏でも毎日4時間の計画停電があったが、冬はこれが延び、15時間以上停電している。つまり電気が来ている時間の方が短いというわけで、電気のありがたさが身にしみるという段階を過ぎ、電気なしでも気にならなくなってくる。
暖房は弱々しい電気ヒーターがあったが、タヒルさんが大きいガスストーブを新調してくれた。たいていタヒル家は冬場、ジャンムに移り住む生活をしており、カシミールに留まることになったのは最近だという。そのせいかみんな寒さには弱い。普段家にいるときは体に毛布をまとって過ごす。お母さんがゴム製の湯たんぽを用意してくれ、足元に置いて暖を取っていた。私も、プネーの生活ですっかり寒さに弱くなっている。
夜に停電するとガスランプが活躍した。暖房器具がないから居間に家族全員が集まってガスランプの明りの下で団欒する。親子で抱き合ったり兄弟でふざけあったりしている様子は見ていて心が和むものだ。ただ、体調がまだ回復しておらず、毎食後に赤と黄色のシロップを飲まされている娘だけはなじまず、だっこされるのを頑なに拒む。
娘の下痢はまだ治らない。何がお腹に悪いのか、タヒル家と議論になった。まず娘が食べたがっているバナナはダメ。それは分かる。あとマトンも大好きだったが禁止。かわいそうだがこれも承知できる。クッキーも油脂があるからお腹に負担がかかるだろう。そうかもしれない。でも日本から持ってきたフリーズドライの豚汁―これも娘が飲みたがったものだが―はカシミールの水に合わないとか、あまつさえ砂糖まで悪いというのは納得がいかなかった。父母がたらふくご馳走になっているそばでパンとごはんと水、そしてリンゴという貧しい食生活を余儀なくされる娘。

療養(2)

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娘の熱はだいぶ下がり、食欲も出てきたので一安心。しかし下痢は収まらず、一進一退といったところ。タヒルさんは我々をいろいろなところに連れていこうと思っていたらしいが、外も寒いことだし大事を取って外出は控えた。
とはいえ1日中家の中にいても退屈しない。警察を退職したタヒルさんのお父さんが居間におり、またわざわざ我々に会うためにビハールからやってきた妹のタンヴィーラさんをはじめ家族がかわるがわる話し相手になってくれる。お手伝いのアルターフも加えて、人間観察をしていると面白い。
おしゃべりにはチャイがつきもの。さらにはお母さんの作るマトン料理が絶品で、食べてはおしゃべりしてまた寝るのだらだらした生活。これこそ求めていたものだと、妻は言う。動かないのでお腹はすかないのだが、美味しいのでついついたくさん食べてしまう。妻も私も太ったようだ。

療養

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朝になってまた娘が痙攣を起こしたので、近くの開業医へ行くことにする。熱を測ったら40度。医者も「危険な状態だ」という。しかし体重も減っておらず、のども悪くなっていない。何かの感染症による胃腸炎ということで、やはり熱さましと抗生物質をもらって帰った。疲れ、偏った消化の悪い食事、床をべたべた触った手をなめたりしたこと、カシミールの寒さ、とにかくいろいろなものが重なったのだろう。見ているととても可哀相だ。
インドの医学は意外に発達している。お医者さんがはじめ耳式体温計を出したときは妻と目を見合わせて驚いた。診察はいたって丁寧で、日本の小児科医よりも時間をかけて診てくれる。親が安心すると娘も安心するようで、薬を飲むのだけは嫌がったが、あとは症状も落ち着き、眠り続けている。親も疲れが出て眠りこけた。

シュリナガルへ

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3日間便秘だった娘が明け方下痢で起きる。原因はおそらくトマトかスイカの食べすぎだと思う。
朝食をゆっくり食べて、空港まで車で行くことになっていたが手配していた車が来ない。旅行会社に電話すると「エンジンの調子が悪くて、今変わりの車を手配しています」などともっともらしい言い訳をするが、予約時間を勘違いしていたのがばればれである。おそらくずっと待っていたら、フライト時刻にホテルにのんびり現れただろう。それから何度も何度も電話をしてやってきた車が空港に着いたのはフライト10分前だった。窓口はもう閉まっている。
これはもう明日にするしかないのか、旅行会社に補償してもらえるのかと考え始めていると、その日のうちにもう1便あることが判明。何かの都合でフライト時間が遅れたものらしい。車が遅れれば飛行機も遅れる。これが神の思し召しというものなのか。娘は空港でもお腹の調子が悪かった。
デリーからジャンムを経由してカシミールまで2時間ほど。飛行機を降りると冬のカシミールは冷え切っていた。デリーは最高気温32度、最低気温12度ぐらいだったのに対しカシミールは最高気温が12度、最低気温は2度にもなる。厚着はしていたがかなり寒い。
カシミール空港は安全のため旅行客登録がある。ところがここに6月に会っていたタヒルさんがお母さん、妹、叔母さんと一緒に迎えに来てくれていた。警察官の叔母さんの力で到着口まで入ってきていたのだ。そして6月と同様、パトカーに護衛されながらタヒルさんの家に向かう。
タヒルさん一家のお目当ては娘を見ることにあった。ところが下痢続きの娘は、カシミールの寒さに加えて次々とやってくるインド人にたじろぎ、すっかり調子を崩してしまう。タヒル家に着いてしばらく眠っていたが、どんどん熱が上がり、夕方には痙攣を起こしてしまった。
痙攣は以前にインフルエンザにかかったときに起こしているが、白目を向いてびくびくいう。こういうときゆすったり、名前を呼んだり、叩いたりしてはいけないそうだ。私には、このまま娘がカシミールの地で帰らぬ旅路につくかとさえ心配になったが、タヒルさんの一家が「冬のカシミールにはよくあることだから、心配しないで」となだめられた。……嫌だな、冬のカシミール。
ひとまずタヒルさんが親戚の医者(この一族は何でもいるものだ)に電話をして、熱さましと抗生物質のシロップを指示してもらう。インドの熱さましを飲むと、娘は深い眠りに着いた。すごい効き目である。どこかホテルを探すつもりでいた我々は、なりゆきでホームステイすることに決定。

アップガル遊園地

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アグラのホテルも豪華だった。のんびり朝食をとると、再び駅に戻ってデリーへ。列車が1時間遅れたので、娘を見にきた列車掃除の子どもたちとおしゃべりしていた。
列車に乗ると、妻は風邪気味だといって寝台に寝たため、娘と2人きりになった。この頃にはすっかり慣れて、ポテトチップを食べたり、動物の鳴き声あてクイズをしたりしていた。「象さんは何て鳴くの?」「象さんは、パオーンって鳴くの」「じゃあ、鹿さんは何て鳴くの?」「……鹿さんは鳴かないと思うよ」もともとよくしゃべる方だったが、3ヶ月でずいぶん成長したものだ。
アップガル遊園地さて、ニザムッディン駅からリキシャーにのってアップガル遊園地に向かった。デリーで一番大きいという遊園地で、カシミールの友人タヒルさんが家族旅行中に、バングラデッシュの友人ジェニファーさんと知り合ったところである。その後私は日本でジェニファーさんと会い、タヒルさんを紹介されて、カシミールに行くことができるようになった。そんな縁の深い遊園地を、娘もいることだし見ておこうと思ったのである。
ところがここでも注目を浴びたのは娘だった。娘を遊園地のアトラクションとでも思っているかのように、中高生が次々に写真を一緒にとってくれとやってくる。そっぽを向いて嫌がる娘。昼食は園内のスナック店でとったが、ハエをこわがって満足に食べられない。でもロープウェイを気に入り、リクエストするので2回も乗った。私も回転系の乗り物が苦手なので、結局乗ったのはこれだけ。
ホテルへの帰り道は日も暮れてものすごく寒かった。デリーはものすごく暑いか、ものすごく寒いかしかない街だと思う。この寒さのせいか娘は体調を崩し始める。リキシャーの中で授乳を余儀なくされた妻も風邪気味が回復せず。

タージマハル

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極論だが、インド旅行の醍醐味は人との出会いにあるのであって、ただ見物するだけならタージマハルひとつで十分なのではないかと思う。それほどタージマハルは群を抜いているのだ。この2週間の旅行で、観光らしい観光をしたのはここだけである。
外国人が多く泊まるホテルの食事は娘の口に合ったようだった。特にスイカジュースが気に入って何杯も飲んでいる。ところがスイカジュースというもの、飲みすぎると気持ち悪くなるらしい。朝食を終えて車に乗り、駅に向かう途中に派手に戻した。急発進、急ブレーキで運転が荒いせいもあっただろう。「気持ち悪い」とはまだ言えず「おなかいたい」と言っていたが完全に酔っていたのだ。車を止めて服を着替えさせる。
滞在1日目にして洗礼にあった娘は、しかしけろりとしていて駅についてしばらくすると、猛烈に食べ始めた。どんなに具合が悪くても、食欲を失わないのが娘の強さである。
タージマハルのあるアグラまでは車で4時間。今回は列車の旅を楽しみつつ、高額のタクシー代を節約しようという魂胆だったが、このまま車だったら娘はかなりつらかったに違いない。列車にして正解である。H.ニザムッディン駅から急行列車でアグラ・カントンメント駅まで3時間。車より早い。
さてインド人でもぼられる街として有名なアグラの駅前は、早速客引きがやってくる。またひと悶着しないといけないかなと思っていると、リキシャースタンドには警官がいて、行く場所によってきちんと定められた料金表が掲げてあった。ホテルからタージマハルに行ってまたホテルに戻るという半日貸切で180ルピー。運転手はこれまで乗せたことがある客が評価を書いたノートを見せてくれた。日本人も結構いたが、概ねよい評価になっている。
ホテルに着いて娘の服や抱いていた象のぬいぐるみや、私のズボンを洗濯し昼食をとる。娘は日本で見られないテレビが気に入ったようで、スイッチを入れるようねだってずっとアニメを見ている。「カートゥン・ネットワーク」というアニメ専門のチャンネルでは「トムとジェリー」や「ポパイ」の中に、ヒンディー語吹き替えの「デジモン」も放映されていた。
タージマハルにてさて午後も遅くなってからやっとタージマハルに向かう。相変わらず入場料は750ルピー、2人で1500ルピーもしたが、娘は無料だった。建築350年のお祝いをしたタージマハルは、毎月5日間ほど月の明るい日に夜間開放することになったらしい。月に浮かぶ白い建物の幻想的な風景も見てみたいが、昼間でも遜色はない。
タージマハルは昨年に引き続き2回目だが、今回は家族3人でやっと来たという実感もあってさらに感動的だった。最近ディズニーのお姫様に凝っている娘も、「これはお姫様のお城(ほんとうはお墓なんだが)だよ」と教えられて満足顔。
例によって前庭で写真を撮りながら少しずつ建物に近づいていくのだが、娘がインド人から異様な注目を浴びた。日本人の子どもなど見ることの少ないインド人は、「ソー・キュート!」と言って群がってくるのである。中にはほっぺをつねったり、キスをしてくるお姉さんまでいて、両側の頬にキスマークを付けられた娘はすっかり怯えてしまっている。これが娘のインド人恐怖症の始まりだった。
タージマハルを満喫すると、もう夕方。「ノット・タカイ」「ベリー・チープ」と寄って来るみやげ物売りを軽くいなすと、運転手が勧めるアグラ城もお土産屋も寄らずにまっすぐホテルへ。ヒンディー語で「ドースティー・コー(友達にいかが)」と言ってきたみやげ物売りに、「ドースティー」がみやげ物という意味だと思った妻が「ドースティー・ナヒーンヘー(友達はいらない)!」と言ったのがおかしかった。
見るものは1日に1つずつ。小さい子どもがいると、必然的にのんびりした旅行になるものだ。夜、外が騒がしいので出かけてみたら、結婚式のパレードだった。派手なネオンをバックに馬にまたがる新郎、その前で大音量の音楽を鳴らして踊り狂う若者たち。ぐずっていた娘は、スピーカーの前に来るとなぜか眠ってしまった。

インド家族旅行記

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12月7日から21日まで、妻・娘と3人でインドを旅行した。
インドを家族旅行するのは我がことながらかなり奇特だと思う。ひとつには汚さ。至るところにゴミが散乱しているし、排気ガスは臭いし、お菓子屋の店先にはハエがたかっている。日本人の衛生観念からはかけ離れたこれらの光景は、きれい好きの女性などには全く耐えられまい。プネーの日本人駐在員で、一緒に来た奥さんがあまりの汚さに驚いて、来て3日で帰国してしまったという話がある。
この点、大学時代バングラデッシュでボランティア活動をしていた妻はあまり気に介さないどころか、「生きている実感がわく」という。妻が2週間も仕事の休みをとってインドまで来ることにしたのは、夫に勧められただけではない。
もっともヴァラナシなどではカップルや夫婦をよく見かけるので、汚いもの好きな日本人は意外といるのかもしれない。しかし家族旅行をする上でもうひとつの問題がある。それは子どもに全くやさしくないことだ。何もかも辛い料理、遊び場のなさ、病気……。乳幼児死亡率4〜5%、世界有数の高さを誇るインドの過酷な環境は娘にも試練となった。彼女がこの旅行を楽しめたのかどうか、甚だ心もとない。物心がつく前でよかったと思っているほどだ。そのわけはおいおい書いていこう。

再会

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朝の便でプネーからデリーに飛んだ私は、映画館で話題作「ヴィール・ザーラー」を見て時間をつぶした後、リキシャーでインディラ・ガンジー国際空港に向かった。3ヶ月ぶりとなる家族との再会に胸が躍る。プネーから買ってきた象のぬいぐるみをもって、プラカードをもったタクシーの運転手たちと出口で待つ。とことことこ…と早足で歩く娘(2才半)とその手を握っている妻の姿はすぐに見つかった。空港での再会というのは、何とドラマチックなことだろう。
手配していた車に乗り込んで行きつけのホテル「アショーク・カントリー・リゾート」に向かう。娘は象のぬいぐるみを気に入ったようでだっこしていた。このホテルは日本航空が国内線と国際線の乗り継ぎの悪いときに手配するもので私はかれこれ7、8回泊まっている。何人かいる運転手も顔なじみになっていて、「今日はあんたか」というほどだ。中級クラスのホテルだが、広さは十分あるので妻は満足したようだった。
娘はというと、照れがあるのかしゃべらない。だが私がトイレに行っている間に妻とぺらぺらしゃべっている声が聞こえてきた。私と普通にしゃべるようになったのは2日後である。

映画(18) 特になし

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ドゥーム1年しかいないのに偉そうな口をきくが、今年の映画は不作なのではないだろうか。去年のカルホーナホー、コーイーミルガヤー、ムンナバイ、バグバン級に上映期間が長い映画が見当たらない。シャールク・カーンが出ても、アイシュワリヤー・ラーイが出ても、どれも今ひとつ。そんな中、意外なロングランを続けている映画がある。バイク・チェイスが売りのドゥーム(Dhoom)だ。予告編を見たとき、超安全運転のバイクチェイスのシーンを見て笑ってしまった。さらにウダイ・チョプラ(写真左、通称「馬場君」)。親の七光りで出演しているこのキン肉マンは、ボリウッド映画で見なくていいもののひとつだ(そこまで言うか)。親の七光りといえば主演のアビシェーク・バッチャンやヒロイン役のエーシャ・デオルもそうだと言ってもいいかもしれない(ファンの方すみません)。

インド人のルパリさんが面白かった、お薦めですと言うが一向に行く気が起きなかった。行く気になったのはお祭の影響である。9月のガネーシャ祭からプネーはずっとお祭が続いているが、ダンスの音楽が決まって「ドゥーンマチャーレー、ドゥーンマチャーレー、ドゥン」なのである。耳にこびりついてしまった私は、CD屋でこれがドゥームの挿入歌であることを知る。いったい、この音楽に合わせてどう踊るのだろうかというのが、見に行ったきっかけだった。

あらすじ。超高速改造バイクを使った4人組の強盗が相次いで事件を起こしていた。ジャイはこれをなかなか捕まえることができず、ふとしたきっかけで知り合ったバイク改造犯のアリと協力する。一方バイク強盗の親玉カビールもアリに目をつけ、ジャイと仲間割れしたのにつけこんで味方に引きこんかに見えたが、アリはジャイについていた。最後にカビールは追い詰められて、バイクもろとも崖から海に飛び込む。

まず驚いたのが、プロダクションがあのヤシュ・ラージ・フィルムだったこと。今まで数多くのヒット作を飛ばし、出す映画は必ず注目されるボリウッド映画界の第一級プロダクションだ。ロングランを続けている一因がこれなのではないだろうか。

スタントシーンは思ったよりも楽しかった。バイクで追いかけているとき、線路に列車が通る。そこでカビールは、貨物列車の荷物のない車両1両の隙を狙って飛び込み、向こう側に渡ることに成功した。最後は走るトレーラーの屋根の上で殴り合い。ヴィジュアルとして飽きる要素はなかった。行くきっかけとなったダンスは、アリが一目で好きになっていたシーナがダンスホールで踊るシーン。シーナは実は強盗の一味で、このダンスホールから大臣の賞金を盗み出すのに手を貸していたが、アリの熱烈さにひかれて、最後は強盗を降りてしまう。

しかし出演者が揃いも揃って大根役者ぶりをいかんなく発揮し、スタントとダンス以外はどうしようもない。アビシェークとエーシャ・デオルの無表情ぶり、やたら白い歯を見せたがるウダイ・チョプラ。圧巻はアビシェークが酔っ払ったふりをしているシーン。小学生のとき学芸会で酔っ払いの役をしたのを思い出した。インド人が映画にはまるツボと、私のツボは決定的に違うのかもしれない。ヒット作必ずしも面白からず。娯楽映画だと言ってしまえばそれまでだが。

はたして今年一番の映画は、何だっただろうか。その前に、ヴィール・ザーラーとスワデースを見なければなるまい。

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