おの: 2005年5月アーカイブ

映画(27)愉快痛快

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手巻き寿司大会

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昨日頼んだ電気屋は約束通り8時30分に来て、2人で手際よく、かつ入念に掃除していった。金属の薄い板で頑固な苔をはがし、酸性洗剤をかけて仕上げ。新品を買わせようとしていた前の電気屋とは比べ物にならないよい仕事だった。満足したので掃除代750円を言い値で払う(前回は交渉してまけさせた)。

昼からはFさん宅で手巻き寿司大会。料理上手で日本の食材を各種取り揃えているFさん宅では先月、Aさんの誕生日記念でそうめん大会が行われ、昆布だしのめんつゆ、みょうがの酢漬け、シャーベットが振る舞われた。日頃脂っこいカレーと焼きそばばかり食べている身に美味しさがしみこんだものだ。今回はさらにチャレンジング。この日のために一時帰国中のI氏が大葉を手に入れてきた。

手巻き寿司大会寿司の具はエビ・カニ・シーチキン・卵焼きの4点。ちゃんと寿司飯になっていて、海苔もふんだんにある。そのほかに五目ちらしとトンカツ(肉はイェルワダの肉屋から調達)、ナスの煮物に京風味噌汁が用意された。デザートにはマンゴーシャーベット。さらに、円実さんが大量のビールとワインをもってきて、ここはもうパラダイス。幸せ幸せ。参加者は7人で、あっという間に平らげた。Fさんご馳走様でした。

食後はもってきたカードゲームで遊ぶ。まずはコミュニケーションゲームの『アップルトゥアップル』。日本語に滅多に接しない海外で遊ぶとひときわ楽しい。Aさんが3連続でカードを取って勝利条件を満たしたが、協議で2周遊ぶことにした。勝敗よりも、1人1人の審判が面白い。今回の傑作は「ピュアな」「セクハラ」。悪気があってやったんじゃないんですーといったところか。

次にはイタリア・ミラノ発のブラフゲーム『ファブ・フィブ』。カードの引き運による一発逆転の要素と、ウソの演技が楽しい。顔はニコニコ、心臓はバクバクだ。しかも勝ち残り戦なので、HPが残り少なくなってくると否応なく真剣勝負になる。最後はFさんと私の一騎打ちになったが、噛んだふりをしてFさんにブラフと言わせた私の勝利。ニコニコ顔でウソがつけない振りをして、しっかりウソをついていた円実さんのプレイが光った。

それからはI氏が男の子が生まれたK氏のために日本から買ってきた『魁!男塾』の単行本を見ながら昔のジャンプの話をしたり、大阪から来て円実さんの家に住んでいるNさんとインド映画の話をしたり、光GENJIのレパートリーは何だったかとか、お笑いマンガ道場は何分番組だったかとか、髪の薄さと結婚適齢期の関連とか、ぺちゃくちゃおしゃべりに花を咲かせる。椅子がいっぱいあって居心地がよく、気がついたら夜の10時を過ぎていた。このところFさん宅の集まりは10時間以上経つのが相場となっている。

今回は自転車で来たのでリキシャーの交渉に疲れることなく、歌を歌いながらのんびりいい気分で帰った。次回は焼肉大会らしい。まじっすか?

朝から水が出なくなった。2月に掃除した水槽の中にまた苔が増えて出口がつまっているのだ。水が出なくなると一番困るのはトイレ(大)。お尻は洗えなくなるし、流せないから臭くなる。今日は辛うじて1回分だけ確保できたが、下痢で何度もいかなければいけなくなったりしたら、泣く泣く飲料水に手を出さなければならない。

そんなわけで使った食器もそのままにして、いつもの電気屋(電気器具だけでなく、配水も手がける)にでかけた。
「水槽、また詰まったんだけど洗ってくれないか」
「あの水槽はひびがたくさん入っている。今度取り外したら割れて壊れるよ。新しいのを買いな」
「いくらなんだ?」「1080ルピー(2700円)」
「高いな。俺はあとたった1ヶ月しか住まないんだ。新しいのを買ってもしょうがないよ」
「大家に買ってもらえよ」
大家に電話すると、案の定「金がないから買えない。洗って済ませてくれ」という返事。
「いや洗ったら100%壊れるぞ。新しいのを買うしかない」
つまりどういうことかというと、大家が新品の水槽を買わないと言っている限り、電気屋は今の水槽を洗う気がなく、私はいつまで経っても水を使えないということになる。大家に頼んで、夕方に来てもらうことにした。

トイレが使えないとあっては家にいるのも辛い。そこで昼過ぎからカリヤニナガルの映画館つきショッピングモール、マリープレックスに行くことにした。トイレにかこつけてはいるが、うまい昼食を食べて、喫茶店で涼みながら本を読んで、映画でも見てこようという魂胆である。自転車やバス+徒歩で行くには暑すぎるので、リキシャーで行くことにした。

家の前ではなかなかリキシャーが捕まらないが、バスの終点までちょっと歩くと一台停まっている。
「カリヤニナガルのマリープレックスまで」
「どこ?」「新しい映画館のあるところだ」「あー、あそこか」
エンジンをかけたリキシャーの兄ちゃんは、急に思い出したようにエンジンを切る。
「ちょっとヒゲを剃りたい。5分くらい待っててくれないか」
「何だと?」「ヒゲだよ、ヒ・ゲ!(といってアゴをしゃくる)」
ヒゲ剃りのために客を待たせる運転手。はじめは信じがたかったが、ほかにリキシャーもいないし、何だか滑稽に思えてきて床屋のベンチで待つことにした。

……インドでは5倍の法則によって1分待てというのは5分、5分待てというのは25分のことである。この兄ちゃん、はじめこそ「早くしてくれよー、客を待たせてんだからよ」と急かしていたのだが、仕上げはやたら入念になった。鏡とにらめっこしては口ひげのかたちがかっこ悪い、右のもみあげが長いなどと言って切らせ、髪型が崩れそうにない天然パーマに何度もくしを入れている。「くそー、日記のネタにしてやる」などと思いながら新聞を読む私。

「いくぞ!」それは俺のセリフだと思いながら30分後に出発となった。「いい男になったねー」と皮肉を言うと真に受けて上機嫌になっている。この野郎! しかし出発して間もなく、スピードが出ないなと思っていたらパンクしていた。「ちょっと降りて待ってて」……おいおい!

そして15分。兄ちゃんは通りすがりの男をアシスタントにしてタイヤを交換。通りすがりの男は「金がないんだ」と言って途中までタダで同乗した。たった4キロのところを45分もかかって到着。まあ急いではいないのだが……。降りようとしたとき、兄ちゃんが信じられない提案をしてくる。
「映画を見るのか?」「飯を食べたら見ると思う」
「俺も見たいな、チケット2枚買っておいてくれ」…はあ?
「じゃあ金くれ」「行き帰りのリキシャー代タダにするから、60ルピーのチケットでどうだ?」
「まだ1時過ぎだが、3時の上映まで何するつもり?」「パンクしたタイヤを直して来るよ」

何だか面白いことになってきたなと思いながらチケット売り場に行くと、幸か不幸か満席で売り切れていた。
「満席だった」「しょうがないな。でも帰りは送るよ。何時?」「まだ決まってない」
「そうか、じゃあな」と言って、なぜか握手で別れる我々。リキシャーの運転手の収入はたかだか月1万円ほどだというが、この兄ちゃんは道楽でやっているのだろうか。近くに住んでいるそうだから、もしかしたらまた会うかもしれない。

中華料理店「よっチャイナ(日本人のために洒落たのではないだろうが、このネーミング)」で昼食、喫茶店「カフェ・コーヒーデイ」で涼みながら勉強した。コーヒーデイはまだ出来たばかりで手際が悪く、注文を取りに来るまで20分、ティーバッグの紅茶を出すまでまた20分。出てから20分飲まないでいたので結局1時間も気まずくなく勉強することができた。映画は見られなかったが、食事+喫茶店で勉強というこのパターンを週に2,3度繰り返してもいいかもしれないと思う。

約束の夕方が近づいてきたのでリキシャーに乗って帰宅。たかが4キロでも、田舎の方角なので乗車拒否された挙句、一割増し料金になった。映画館ではミリンダ某とかいう有名なクリケット選手がコカコーラのキャンペーンでやって来ていて騒然となっていたが、私にとってはブサイクな男が来ているにすぎない。

さて約束の夕方。たいてい1日2日には平気で遅れてくるいい加減な大家にしては珍しく、30分だけ遅れてやって来た。しかも驚いたことにもう水槽を掃除する男を連れてきている。
「じゃ明日の朝9時でいいね」
「OK。遅れないようにしてくれ。ところでこの人、どこから連れてきたの?」
「別の電気屋だよ」
そうか、そういう手があったか。掃除をせずに新品を買わせたがっている電気屋に見切りをつけ、別の電気屋にあっさり頼む。私にはない発想だった。これで明日ちゃんと電気屋が来てくれれば、意外なほど早い一件落着……のはずだが、どうなるかは予断を許さない。



お世話になった地元の奨学会に寄稿。偉そうな文章でスミマセン。
再考・何のために学ぶのか
ほんの一握りの富豪と大多数の貧者から成り立っていたインドに、経済発展の波が押し寄せている。都市部ではプール付きの豪華マンションに住まう者が増え、マクドナルド、映画館、デパートがどんどん建ち始めた。その源泉となっているのがIT(情報技術)産業で、アメリカと取引しているコンピュータ関連の企業がどんどん成長している。子どもたちが将来なりたい職業の1位は男女ともプログラマーだ。
そんな中、3000年の歴史をもつインドの伝統的学問は急激に廃れている。国立サンスクリット高等研究センターで私が師事するV.N.ジャー教授は嘆く。「みんな金、金、金。でも私は問いたい。それは何のための金なのか? いいところに住む、うまいものを食べる。それだけで人は幸せなのかと。」
インドの諺に「伝説の宝石を捨てて水晶を取る」というのがある。伝統的学問がめざす崇高な知の探究を諦めて、現世の利益を求めることを指す。確かに哲学的な真理に到達したところで、衣食の足しには全くならない。しかしだからといって金の亡者になりながら一生を終えてしまうのは、はたして幸せな人生と言えるだろうか。
現代ではお金になる学問だけが重宝され、お金にならない学問は切り捨てられる。これはインドだけでなく今や世界中の現象となっている。日本でも国立大学が独立行政法人化され、人文系のお金にならない学問は予算や人員が縮小傾向にある。ここで我々は――大学生やその親御さんだけでなく、社会人なら誰でも――何のために学問をするのかを、しばし立ち止まってもう一度考えるべき時期に来ている。
日本もかつては、義務教育以上の教育を享受できる人はほんの一握りだった。進学したくても家の事情で叶わなかった人がたくさんいたのである。そんな中でも子どもにできる限りの教育を施したいと、親たちは額に汗水たらして働き、中には祖田を売ったり、親戚中から借金をしたりもした人もいる。そんな親たちは教育を単なる投資だと思っていただろうか。子どもが将来お金になると思って教育を受けさせていたのだろうか。そうではあるまい。立派な人間になってほしい、そして幸せな人生を送ってほしい。それこそが子を思う親の願いだったはずである。
しかしやがて経済成長に伴いどの家庭も裕福になってくると、お金はあるのにお金の話ばかりになるという皮肉な事態になってきた。勉強するのがお金のためならば、お金があるならば勉強しなくてもよいということになる。かくして何のために勉強するのかが分からなくなり、何も身につかないからニート(NEET。学校にも行かず、働いてもおらず、職業訓練も受けていない人。Not in Education, Employment or Trainingの頭文字をとったもの。全国に52万人いるとされる)のような若者が増え、人生がなげやりになっていく。その一方で,拝金主義に歪められ、収賄,詐欺,強盗といった金に目が眩んだ犯罪に手を染める者が後を絶たない。「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったものだ。日本の将来を憂う。
そもそもお金のために勉強すること自体が間違いではないのか。インド古代の賢人たちのように哲学的な真理に到達する必要はなくとも、かつての親たちが望んだように、立派な人間になること、そして幸せな人生を送ること、そのために学問があるのではないか。その結果としてお金が生じるのはよい。お金がなければ生活していけないのも真実だし、いい仕事には然るべき報酬がなければならない。だが、お金が目的となってしまっては本末転倒であろう。
お金の呪縛から逃れることができれば、学問には新しい魅力が立ち現れる。世の中が新しい視点で見えてくるかもしれないし、どんな非常事態に瀕しても冷静で正しい行動を取れるようになるかもしれない。嫌いだと思っていた人のことを理解できることもあるだろうし、志を同じくする新しい仲間を作っていくこともできる。つまりは、よりよい自分を見つけ出すことができるのだ。
夏目漱石は、学問をすることによって権力やお金に惑わされず自分を見失わない強さが養われることを次のように説く。

いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。(夏目漱石『私の個人主義』)

学問によって修養を積んだ者,これこそが理想の社会人ということになる。「ナンバーワンよりオンリーワン」というが、自分を磨き続け、花を咲かせてこそオンリーワンといえるのではないだろうか。
とはいえ、そんなかたちのないものを目標にして勉学に励むというのも容易なことではない。ひとまずはよい成績を取るという目標でもよいし、希望の職業に就くというのでもよいだろう。私の目下の目標は博士論文を提出すること。しかしその先に、自分の人間としての成長という目標をおいて学んでいこう。
そして学問に終わりはない。

少年易老学難成  一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢  階前梧葉已秋声
(朱子『偶成』)

洗礼

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日本からインドに戻ってきてすぐの数日は、一番インドらしさを体感できるような気がする。不動産屋のプラモードではお土産がないことで非難され、新聞紙を集めに来る子どもにはとうの昔に終わったホーリーのバクシーシを要求された。飲料水配達のグッドウィルは届けるまで4回も電話したし、シュクラ先生の家では蚊に6ヶ所刺された。今日はバスがストライキで全休の上に日中11時間の停電。そして一番が日中40度を超す暑さで、外を歩くとまるで火のすぐそばにいるようだ。それでもここはまだましな方で、インド内陸部中央に位置するナグプールでは最高気温が48度をマークし、人や動物が死んでいるという。








屋上に全員で寝ている家族。暑すぎるため蚊は少ない
寝坊おとなりさん

でも嫌なことばかりではない。朝から漂ってくるニンニクを炒めた香りで食欲を刺激され、日本では手に入らないオレンジ色のマンゴー※1に舌鼓を打ち、名前も知らない真っ赤な花を眺め、夜に流れてくる近所の歌を聞く。サトウキビやニラーのジュースもうまい。日本では100円単位で減っていくお金が、こちらではせいぜい10円単位だ※2。朝起きてベランダに出ると、前の家の家族がみんな屋上に寝ているのを見て笑った。

11月にコルカタで頼んでいた写本のコピーがやっとできあがって送られてきた。半年かかったことになるが、その分とても嬉しい。暑いけれど勉強に打ち込もう。一寸の光陰軽んずべからずだ。

※1 日本でよく売られているマンゴーはフィリピン産の黄色いもの。味が薄い。
※2 今朝の朝食はポーヘーとチャイで20円、シックスシーターが10円、路上で飲んだニラーのジュースが10円、トマトとオクラとタマネギが全部で35円。

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