おの: 2006年1月アーカイブ

早朝祈祷

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4時起きで元旦祈祷。今年のメニューは、暁天坐禅、転読大般若、本朝課とオーソドックスにした。先日『ナムカラタンノーの世界』を読んでから、大悲心陀羅尼を21回読むチャレンジをしようと思っていたのだが、年末に届いた曹洞宗報1月号に、修正会という正月行事を見つけた。
修正会とは中国の年始を祝う儀式で、奈良時代から日本でも行われていた。正法の興隆と国土の昌平を祈念する儀式で現在でも法隆寺などで行われている。禅宗も早期からこれを取り入れたが、修正会という名前は明治になって消滅し転読大般若の部分が現在まで伝わっている。
…お正月には先代住職も転読大般若をしていたが、そんなに伝統のあるものだとは知らなかった。
転読大般若というのは、600巻の経本をパラパラめくって読んだことにするという儀式。10人ならば60巻ずつ分けてやるが、1人の場合は600巻全部をパラパラめくるようなことはせず、そのうちでもっとも功徳が大きいとされる第578巻般若理趣分品だけを全部音読する。かなり早口で読んでも30分以上かかるお経で、けっこうたいへんなのでここ2,3年は省略していた。そんなことではイケナイ。
早朝の本堂は零下。長厚着の衣姿で、温風ヒーターを背中に背負って、マスクと帽子をつけて始める。そんなの上半身裸で滝に打たれながらするものだと思う人がいるかもしれないが、苦楽中道が大切なのだ(といって楽をした言い訳をする)。
坐禅15分、転読大般若30分、本朝課30分。合計1時間15分で元旦の祈祷を終える。今年のお札は自信をもってお出しできる一品。終わると空が白んでいた。
朝食を食べ終えて年始客の接待。今日だけで125件、300人ほどが訪れ、お札や記念品をお渡ししてお茶を出す。1日中しゃべっていたが一番の話題は大雪。2位が第二子の誕生についてで、3位が祖母の具合だった。
修正会では転読大般若は正月の3日間毎日行うとされるが、2日3日は今までやったことがない。もう眠いので寝て、明日起きてから考えよう。

ムチャクチャなタイトルだが、内容はしっかりしている。

筆者は(数学など限られた分野を除いては)正しさは相対的なものであるという観点から、理屈の上に成り立っている議論一般を詭弁とみなす。そして上手な詭弁によって相手を説得することが大事であると説いている。

このことを理解するために、詭弁でないもの=理屈がないもの、理屈があっても説得力がないもの、そして説得力がある上手な詭弁の順で例示していく。扱われる論法の数は100以上。体系的に整理されているので分かりやすい。アメリカの誤謬論に言及している点も面白い。

詭弁というとネガティブなイメージがあるが、誠実な詭弁もあるわけで、その論法を学ぶことは建設的な議論をするのに大いに役立つと思った。

物事の正しさはたいていの場合、アプリオリに与えられるのではなく、反論に堪えることで醸成されていくということは、あまり認識されていない。科学でさえも、その正しさは新説が出るまでのものに過ぎない。詭弁も反論されない限り、正しいものとして説得力をもつのだ。

古代インドでも、竜樹という仏教徒が発明した詭弁は、その後300年ほど正しいものとしてみなされていた節がある。

大般若会

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近くのお寺さんで大般若会がある。インドに留学していたため久々の出席で不安だったので、行く前に法式の解説本を読んで予習していった。
でも、近隣のお寺さんも始まる前に導師席にあったメモを皆で眺めて確認している。年に何回もある法要とはいえ、今年初めてなので勘を取り戻さなければならないらしい。
私は「知殿」の役職を任命された。法要前に道場の準備をして、法要中はお供えするお茶やお菓子を奥から出してきたり、寄付帳を皆に配ったりする。役を与えられた若手で打ち合わせ。
しかし法要が始まってすぐハプニングが起きた。導師が法語を読み終わって進前し、焼香をするとちらりとこちらを見る。あっしまった!ここで献茶湯かぁ!慌てて茶碗にお湯を注ぐ私に冷たい視線が注がれる。
これで動転してしまって、献茶湯の後の帰位が遅れ、普同三拝が揃わなかった。だっせー。
法式の解説本には普同三拝、浄道場、献茶湯と書いてあったが、うちの周りでは献茶湯、普同三拝、浄道場の順だった。以前に導師をしたとき、浄道場で両班上首3名が進前だと思い込んで失敗したことがある。解説本のやり方は一例に過ぎず、地方によって、お寺によってやり方は少しずつ違う。確認が足りなかった。
でもこれで後は大丈夫だろうと安心していたが、転読が終わってお経を読み始めるときに次のハプニングが起きた。鐘の音に合わせて1巻ずつ転読してきたのに、まだ終わっていない人がいるのだ。
その理由は、配られたお経の数にあった。第578巻理趣分品をずっと読んでいる導師と鐘を鳴らす堂行の2人を除き、8人で600巻を転読したのだが、70巻配られた人が4人、80巻配られた人が4人いたのだった。
この責任は知殿にある。檀家さんが出してきたお経が、均等に配られていることを確認するのも知殿の役目。余った40巻は堂行に任せる。これを怠ったことで法要が終わってから注意された。
このほかにも、お茶を先にとって自分だけ飲んだり、食事中に醤油さしを回さないで黙々と食べたりして恥ずかしい思いをした。緊張したこともあるが、気配りが足りない。
次回は2月、今度はうまくやりたいものだ。

出生届

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火曜日に山形からつくばに行き、長男の出生届。母も孫の顔を見に一緒にやってきて一泊。水曜日に帰っていった。私はそのままつくばに留まる予定だったが、檀家さんの葬儀で結局母と一緒に山形に戻ってきた。
子どもの名前は陽平(ようへい)に決定。長女の晶子(あきこ)と「日」つながりでもあり、家族みんなが気に入ってくれた。
この頃ヒドイ名前がはびこっていると思う。氏名欄にひらがなで書いて、振り仮名欄に漢字を書いてほしいと言っている人がいた。
これは6年前に書いた文章である。憎しみすら感じられる。
奇をてらった特別な読み,強い思い入れが入った難字,ちょっとひねりをきかせた普通名前に使わない字.子供がかわいそうだと思わないのだろうか.

初対面の人に呼ばれるとき,テストで名前を書くとき,電話口で名前の漢字を説明するとき,携帯にその人の名前を入力するとき,などなど.いつも苦労しなければならずその子供の人生は真っ暗だ.「どうしてこんな名前をつけたんだ?!」と親を恨むときがきっとくるだろう.

名前はありきたりな方がいいと思う.覚えてもらいやすいし,どんなにありきたりでも同姓同名などという事態はまず起こらないからだ.名前はその子供の定義ではなく,他人と区別するための恣意的な固有名である.

将来,新聞で凶悪犯罪者が凝りに凝った名前だったりする日が来るだろう.そのとき,何人かの人が思うかもしれない.「ああ,こんな名前じゃなければもっとましな人生だったろうに・・・」

というわけで妻と話し合って決めた我が家の名前の決め方は長女も長男も以下の通り。
1.普通の名前(世間で十分通用しているもの)にする
2.女なら「子」、男なら「平」を付ける
(「平」は、妻の祖父、父、兄についている字。私の家系にはそういうシリーズがない)

3.その中で音の響きがよいものを探す
4.その中でよさそうな漢字を探す
5.父母のこれまでの人生で、その字が名前に入っている人物を一通り思い起こし、問題のある人物はいなかったか確認

6.パソコンで普通に変換されるか確認
このうち1,6でヘンな名前はたいがい排除できる。ここまで来るともうヘンな名前アレルギーかもしれない。
実は「あきこ」は亡くなった私の叔母の名前で、「ようへい」は母が私の名前の候補にしていた名前である。だからこれにしたという訳ではないが、名づけた理由のひとつとして取り上げられるようにもした。水晶のサンスクリット語はスパティカーで女性名詞、太陽のサンスクリット語はスーリヤで男性名詞、この類の理由なら後付けでいくらでも出てくる。
長女のときはすぐに決まったが、長男ははじめ「しゅうへい(修平)」が濃厚だった。修行の修はお寺の息子らしいだろうと。
しかし子どもが生まれてみると「どうもシュウヘイって顔じゃない」と妻。そこで急遽「ヨウヘイ」が浮上した。そういえば映画で本木雅弘が演じた『ファンシーダンス』の主人公も陽平だったなぁとか言っているうちに決定した。「普通であること」以外は大した思い入れもなく、テキトーである。
「陽ちゃん、陽ちゃん」と呼ぶと陽子さんみたいで最初はピンと来なかったが、だんだんと耳になじんできた。今はまだ1日のほとんどを睡眠に費やしているが、さあ、どんな人間に育つだろうか、陽平君。

人は誰でも誰かを教育したい欲求があるのに、自由を侵すな・強制はいけないという風潮のもと、極度に抑えられてしまっている。しかし行きすぎがいけないのであって、教育自体を否定してはいけない。教育欲を効果的に発揮して、発展性のある社会、豊かな人生を作ろうという話。

孔子を例に出した「師匠と弟子はもちつもたれつ」の章に興味があって読んだ。インドにもguru-shishya-paramparA(弟子と師匠の伝統―弟子がいつしか師匠になり、その連続が伝統を受け継いでいく)という言葉がある。インドは暗記中心の頑なな教育だが、ここでは、弟子のツボを心得た師匠の柔軟な教育の話である。対機説法の釈尊を連想させる。

オタクには教育欲が欠けているという。「自分の好きなことを他人にわかってもらおうとしない姿勢」「自分の世界だけに自閉して、それ以外のことに興味がない」私の趣味であるボードゲームについて当てはまりそうだ。

ごくごく当たり前のことを書いた本なのでインパクトはない。子どもの教育の難しさを感じている人などに(私はまだこれからですが)。

『ウンコな議論』

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世の中にはびこる詭弁をひとつひとつネタにしていく本だというのは思い込みだった。

道徳哲学者による、ウンコ議論(イギリス英語の卑語Bullshitの訳)とは何かという定義の探究であり、実例はほとんどない。真実に無関心でその場しのぎな発言のこと。真実が見えにくい世の中だとはいえ、適当なことを言って済ましてはいまいか。

「爆笑必至の解説」と帯に書かれているが、とても笑えるものではない。これぞウンコ説明。笑えはしないが、真実が見えにくい現代、代わって誠実さが大事だというのも所詮はウンコ議論だというあたり、哲学的に含蓄がある。

息子が生まれた日

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1月16日、第二子が誕生した。
長女が予定日よりも20日も早く生まれたので、2人目も同じだろうと年末から待機していたが、結局予定日を7日過ぎての出産だった。この間、私は山形とつくばを3往復している。不在の間は、妻の両親に来てもらっていた。
16日も、小正月の行事を終えてつくばに着いた日だった。米坂線が除雪作業のため1本運休になり、朝8時30分に出たのに予定より1時間遅く14時につくば着。妻が駅まで迎えに来たが、「今日生まれそうだ」とか言っている。妻の両親は私と交替でお帰り。
午後は2人でインターネット。私は専らボードゲームのメールばかりだが、妻は仕事のメール。論文を始めようと思ったころにはもう娘の迎えの時間が来ていた。
娘は帰ってくると笑いながら恥ずかしそうに「パイパイ」と言っておっぱいを吸い始める。これまでもパイパイを吸われているとお腹が張ってくることが多かったが、今日は陣痛が始まった。陣痛の合間に夕食を食べて産科へ。家からは歩いても5分のところにあるが、とても歩いていける状況ではなかった。
産科に着くと、点滴が始まる。そこに母から電話で、お葬式の伴僧を頼まれたという。家にかけても電話が通じず、またインターネットかと思っていた母は陣痛を聞いてびっくり。依頼されたご寺院さんに電話して「ちょうど今陣痛が始まったところでして、今回は申し訳ありませんがお断りさせていただきます。」
妻がうんうん唸っている隣で、娘に絵本を読んでいたが、忘れ物をしたというので取りに行ってくる間に、妻はもう分娩室に入っていた。帰ろうかと思ったら「もうすぐ生まれますので、お部屋で待っててください」と看護師さん。
子どもを連れての立会いはできないので、部屋で絵本を読んだり、分娩室の前でひそひそ話をしたりした。部屋にテレビがあったので「西遊記」を見ていたら、怒鳴りっぱなしの悟空に娘が恐がってスイッチオフ。
また分娩室の前に行くと今にも生まれそうな様子が聞こえてくる。オギャー!……先日生まれた隣りの部屋の赤ちゃんだった。気を取り直して、耳をそばだてていると、オギャーオギャーと元気な声が聞こえてきた。「元気な男の子ですよ!」(性別はまだ聞いていなかった)と先生。
1人目のときほど胸が詰まらなかったし、娘も呆然としていたのでちょっと間抜けだったが、ともかくも無事に生まれたのが嬉しい。3186グラム。
しばらくすると妻は歩いて分娩室から出てきた。やや顔が青ざめているような気がするがすっきりした表情になっている。1人目より長引いたのは大便が邪魔していたせいらしい。夕食も全部吐いてしまったという。
中を覗くとオムツをした赤ちゃんがもう泣くのに疲れたのか手をパタパタさせている。娘が「やっぱり弟だったねー」などと知ったかぶったが、実は私も男ではないかと思っていた。
というのも、私は印象に残った夢を記録しているのだが、6年前に亡き祖父が夢枕に立って平成18年か20年に生まれ変わることができると予言していたのである(http://www.tgiw.info/life/d00.html、2月26日の項)。この日記をつけていたことすら忘れていたが、母が覚えていた。
生まれ変わりだからといって性別が同じになるとも限らないのだろうが、ともかくも祖父、亡くなってから8年を経て復活ということである。母に電話をしたら仏壇に線香を上げて祖父にお願いしていたといい、声を詰まらせた。
しばらくすると部屋に赤ちゃんがやってきて、親子4人で団欒タイム。名前はどうするかとか、今週の生活はどうするかとか、のほほんとしたひとときを送る。妻はまだ痛そう。毛糸の帽子をかぶせられた赤ちゃんはこっちを見ているんだか見ていないんだか分からない視線をときどき飛ばしながら、手をグーパーグーパーしている。顔は、残念ながら今回も妻似のようだ。また負けた……。
娘と帰宅したのは23時を過ぎていた。風呂なしで即就寝。長いような、短いような1日だった。これからが勝負だ。

年が明けて早くも半月が過ぎた。これをあと23回繰り返すと1年も終わるのか。9日予定の第二子はまだ産まれていないし、3月提出予定の論文も凍結状態になっている。忙しくはないのに、そこはかとない焦りが漂う今日この頃。
今日は午前中に隣のお寺のお葬式のお手伝い。このあたりでは一番若い者が法話をするということになっていて、今日は山折哲雄氏の無常の三原則「この地上にあるもので永遠なるものは一つもない」「形あるものは必ず滅する」「人間は生きて死んでいく」を話してみたが、思いのほか効果が大きかった。
感情に訴える葬儀屋さんの司会は引いてしまう人が多いが、このような教理的なものを淡々と述べるのは理性に訴えかける。無常観は、仏教が日本に根を下ろす際に大きな足がかりになっている。
後の法要では正法眼蔵道心「この生の終わるときは、二つの眼たちまちに暗くなるべし。その時、励みて南無帰依仏と唱え奉るべし。この時、十方の諸仏憐れみをたれさせたもう。」を話そうとしたが、フレーズを覚え切れていなかったのでやめた。
葬儀を終えて、昼から開基檀頭のお宅にて宅祈祷。大般若経理趣分品を40分で読む。「ノーボバギャバテーハラジャハラミタエイタニャタシッレイエイシッレイエイシッレイエイソワカ(namaH
bhagavate prajJApAramitayai tad yathA zriyai zriyai zriyai svAhA)」というマントラがあるが、「世尊に帰依す、般若波羅蜜に帰依す、吉祥(天)に帰依す、吉祥(天)に帰依す、吉祥(天)に帰依す、幸あれ」という意味で、訳さないのは言霊のような信仰があるからなのだろう。効き目バッチリ、でも足イタイ。
お昼をご馳走になって帰宅、ほろ酔いで昼寝。夜からは小正月行事であるヤハハエロ(斎灯焼)の祈祷に出かける。この季節、外でお経を読むのは堪えるものがあるが、引き締まるものだ。
終わって地区の方々と反省会。というわけで法要のトリプルヘッダー、飲み会のダブルヘッダーという1日だった。1月は法事がないのに、毎週週末に行事がある。

宗教法人の税務

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お正月の行事というと、1日からの年始受け、檀家さん宅で宅祈祷、大般若会(1年おき)、本寺と師匠のお寺に年始挨拶、それに年末調整がある。今年は大般若が当番でないが、それ以外を昨日までに終えた。これだけ早いのは住職になって初めてだ。
お寺は宗教法人なので、法人税はかからない。しかし、お寺に勤める住職と寺族は、お寺から給与所得を得ていることになり、お寺として源泉徴収をし税務署に申告しなければならない。
お布施は全部住職のポケットマネーだと思っている人が意外と多いが、その中から備品を揃えたり、お供え物を買ったり、ほかのご寺院さんや檀家さんに挨拶やお礼をしたり、貯蓄に回したりしなければならない。給与になるのは、お寺の全収入の3分の1程度だ。
まず1年の収支をエクセルに打ち込み、お寺の総収入、総支出を計算する。次いで昨年から増えた貯金を引いて、残った分が給与となる。お寺の収入は不定期だから、1年が終わって初めて給料がわかるという具合だ。帳簿の上では月給制なので、年収を月で割って計算する。
幸い母が日誌を綴っているので、それを写すだけでよいがなかなかの作業量である。お布施は領収書がないから、その都度つけておかないとどんぶり勘定になってしまう。ごまかそうと思えばいくらでもごまかせるが、たまに税務署が入ることもある。近くのお寺で高級自家用車をお寺の経費で処理していたのがNGだったらしい。
どこまでがお寺の分で、どこからが住職個人の分かは、分けるのが難しいところ。電気・ガス・水道・電話・灯油などは共用しているので、10分の1〜2分の1の割合で経費から出す。携帯電話は100%経費だ。
このような収支の付け方は、住職研修会でみっちり習ってくる。一時期、宗教法人を隠れ蓑にして脱税する事件が相次いだため、寺院にも透明な財政が求められるようになったというわけだ。
収支を出せばもう終わったようなもの。税務署からもらってきた書類に所得額を入れ、控除や保険料などを引いて、一覧表によって税額を出す。税理士に頼んでいるご寺院さんが多いが、税務署で聞けば親切に教えてくれるので独力でできないことはない。
ちなみに私は妻の扶養家族に入っているため、パートのおばさんみたいに年収が103万を超えないように調整する(給与の大半は母がもらったことにしている)。そのため奨学金だと思っていたものが給与だったときには青ざめた。

2006年の夢

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01月02日 初夢


うどん屋にて。となりに座った見知らぬ女の人が、前の客が残したうどんをすすり始めた。
「おいおい!」私が突っ込むと、「あなたも食べたいんでしょう?ほら。」といって半分食べたうどんを目の前に突き出した。
「……図星です」といってそのうどんを食べ始める私。

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