おの: 2007年4月アーカイブ

大学で講義

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昨日は飯能の私立大学で講義をしてきた。生まれて初めての経験で緊張したなぁ。

大学で教えたいという希望をぼんやりとは持っていたものの、いかんせんインド哲学という専門では口がほとんどない。おまけに少子化で大学も厳しい時代、大学の教員になるのはどんどん難しくなっていると思っていた。

そんな昨年の暮れ、指導教官の先生から連絡が入る。その私立大学に勤めている先生が、ひとつ口を紹介して下さるという。話を伺って履歴書を送ったらあっさり採用。大学ってコネなんだなぁ……腐っても東大っていうことか。

とても嬉しい話だが、2つほど問題があった。

ひとつは飯能というところの遠さ。つくばからはつくばエクスプレス、武蔵野線、西武池袋線を乗り継いで2時間ちょっとかかる。帰りは池袋周りで東京駅からバスに乗ったら3時間もかかった。もっとも、長距離移動は毎週末の山形往復で慣れているのだが。

もうひとつは科目が「論理学」だったこと。いちおうインド論理学が専門とはいえ、記号論理学となるとちょっとかじった程度。大学1年のときに受けた野矢茂樹の論理学の授業は、途中で挫折した経験がある(朝1限のため起きられなかったというのもある)。

そこで考え直した。記号論理学は、もともと論理的に考えられる人が考える方法を効率的にまとめる手段である。今、学生の多くは論理的に考える方法を身に付けたいのではないか。とすれば、教える内容も今はやりの「ロジカル・シンキング」がよい。

「ロジカル・シンキング」は論理より論証の比率が高くなる。それならば私がここ数年やっている論証術にも近い。ということでシラバスもそのように書いたら、就職の役に立つと思ったのか結構な数の学生が集まった。

第1回は「論理的でない我々日本人」。これから毎週火曜日、ネタを仕込むのがたいへんになりそうだ。山形のお寺につくばの家庭に飯能の大学。これから1年、どうなることやら。

故人を送る

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「思い残すことはない」という言葉がありますが、実際この世を去るにあたって全く思い残すことがないというのはほとんどないでしょう。仕事に、趣味に、家族に、社会に、自分がやり残したと思うことはきりがないものです。

故人を送り出すにあたって、僧侶が葬儀で行うことはそういう「思い残し」を消し去ることでもなく、また力でねじ伏せることでもありません。むしろその思いをそっくりそのままあの世にもっていって頂いて、その思いの力で成仏できるようにするのです。

遺族にも故人に対する思いはさまざまあるだろうと思います。それは感謝や敬意の念だけではなく、もしかしたら憎しみや恨みだってあるかもしれません。ですがこの思いをどうか、故人の冥福を祈る気持ちに変えて一心に祈って頂きたいと思います。

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これは昨日のお葬式での法話。

住職になって10年、これまで100人以上の方を送り出してきたが、最初の頃は気力をふりしぼって、力ずくであの世に追い出すような気持ちで葬儀に臨んでいたような気がする。

やがて御詠歌を習うようになり、追弔御和讃や無常御和讃を枕経や火葬でお唱えするようになると、遺族の感情に寄り添うという気持ちが生まれてきた。同情ではなくて、遺族の一人になったつもりで一緒に悲しむこと。

遺族の感情に寄り添うことは大乗仏教の流れにある日本の僧侶にとって非常に大切なことだと思うが、それだけでは単なる癒し系であって、宗教とはちょっと違う。昨年の研修会で葬儀の細かい作法をおさらいしてからは、故人をあの世に送り出すという意識を再び強く持つようになった。

しかしはじめたての頃のような力づくではなく、一挙手一投足に神経を集中するかたち。

葬儀前には「ただ我が身をも心もを、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、 仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、 こころをもつひやさずして生死をはなれ仏となる」という道元禅師の言葉をよく反芻している。

私には霊能力なんてこれっぽっちもないので、送り出した100人以上の仏弟子さんたちが今どうしているかは全く知る由がないが、方針がコロコロ変わって(やっていることは同じだが)どうなんだろうかと、ふと気になった。安心を得ていることを信じたい。

奉詠大会

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奉詠大会宗務所主催の奉詠大会が高畠町の文化ホールで行われ、置賜で御詠歌をしている550名ほどの講員さんたちが日ごろの信仰を披露し合った。

私は例年通り大会役員として、前日から準備に入る。つくばからなので高畠駅で降りてタクシー。止まっているタクシーは1台なのに、もう1人タクシーに乗りたい人がいて、運転手さんに相談したら相乗りになった。もう1台配車すれば2倍儲かるだろうに、いいところだ高畠。

集合するとすぐステージ設営。緋毛氈を敷いてテープを張り、中央に本尊仏を設置してお供え物を並べる。20人ほどで一気にやるので、2時間ほどで終了。

その後は恒例の焼肉屋。20人ものお坊さんが一斉に焼肉を食べる姿は見ていてあまり気持ちのよいものではないが、だからといって寿司ならいいという話でもない。ありがたくご馳走になる。帰宅したら母にニンニク臭いと言われる。

そして今日が本番。配役は詠讃師ということで、たっぷり楽しんだ。開会式で三宝御和讃、紫雲、登壇奉詠で正法御和讃、歓喜、閉会式で紫雲替節、同行御和讃の6曲。オイシイ。

昨年からずっと一緒に練習してきた詠範さんたちの「まごころに生きる」二部合唱&手話つきバージョンも完璧に決まる。その後の師範の奉詠は何とか終わったが、寺族さんの集中力、団結力、練習量にはいずれも全く及ばない。

講員さんたちの中には、高齢のため背中がずいぶん曲がった方も足が不自由な方も鈴を一生懸命振ってお唱えしている姿に感動。私も何才になっても一生続けたいものである。

ただ所作が乱雑なのは頂けない。法具や経典の扱い方はこれからもっと時間をかけて教えていくべきだと思った。

御詠歌人口は圧倒的に女性が多く、今回の大会役員になった男性僧侶で御詠歌の心得がある人は半分もいない。楽しんだもの勝ちだとは思うけれど、御詠歌をしない方にお膳立てしてもらって申し訳ない気もした。

かつてはほぼ満員だったホールも、講員の高齢化・新講員の減少でだいぶまばら。今まで通りでなく何かしら考えなければいけない時期にさしかかっているのかもしれない。

帰路は、庫裏建築のため一時的に老人施設に入った祖母に会いに行ってから、夕方に銀行さんと金融相談。お寺の土地や建物は担保にできない(まぁそうだろうけど……)という理由で断られてしまった。果たして建つのか庫裏?!

長女の誕生日

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今日は長女の誕生日である。満5才になった。

誰に似たんだか癇癪もちで、保育所でも一匹狼を好み、家では弟を徹底的に避けている長女だが、大人の会話にもよく参加するようになり、頭の回転の速さに驚くときもある。何よりも家で一番元気なのがありがたい。もう1年以上、風邪を引いていないのではないだろうか。

長女の希望で、誕生日のプレゼントはプリキュアグッズになった。最新の「Yes!プリキュア5」は5人もいるので、人形を5体揃えるのはなかなかたいへん。

バンダイのキュアドールは1体が1300円もするので、5体揃える気になれない。そこで1体300円の食玩を探すことにした。

セブンイレブン、ローソン、サンクスと回ったがコンビニはもう売り切れで、トイざラスとスーパーでようやく揃った。そのほかにアクセサリーやガチャガチャも買ったので、店員にはよほどのアニヲタに見えたかもしれない。

というわけで今年の長女の誕生日プレゼント、プリキュアづくし。
1.キュアドリーム
2.キュアルージュ
3.キュアレモネード
4.キュアミント
5.キュアアクア
6.ピンキーキャッチュ キュアルージュ&キュアアクアバージョン
7.アクセサリー
8.ヘアアクセサリー
9.プリキュアスイング

中に入っているラムネは私が頂きます。

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