おの: 2008年11月アーカイブ

金曜日から妻が大阪出張のため、子供を連れて行動することになった。金曜はスーパーですぐ食べられる惣菜を買って、宝くじ売り場へ。先日妻の実家のテレビで、銀座の売り場にすごい行列ができているのを見て久しぶりに買おうと思ったのである。15年ぶりであるが、日暮れどき、惣菜を買って2人の子供を連れて宝くじを買う父親の姿はあはれなものである。

夜は子供たちを早めに寝かしつけて、23時からスカイプ会議。結局26時までかかってしまい、風邪を引いたようだ。翌朝にはさっさと朝食を済ませて、妻の実家に移動する。

土曜日はよく考えたら、妻は仕事だが私は何もないことに気づいので急遽ゲーム会を企画する。急なお誘いに応じてくださる方がいらっしゃり、妻の実家にて貴重な息抜きができた。子供たちは妻の両親と義兄におまかせ。

今日は朝から浅草のテーブルゲームフェスティバルへ。子供たちが意外になじんでくれたお陰で2時間も滞在できた。長女があちこちのブースで「これは何ですか?」と質問を繰り返し、長男が後をついていって会場をぐるぐる回っている間に、いろいろな人とおしゃべり。ゲームマーケットもそうだが、ものを買うというよりも人に会うために行くという感じだ。

終わってから、子供たちに約束していた花やしき遊園地へ。長女はロールコースターに乗りたがるが、長男が110cmの身長制限のひっかかってしまう。長女は独りでも乗るというので、長男とスカイシップに行き、帰ってきたらちょうど乗るところ。独りで30分近く行列に並んで、知らない人とコースターに乗る長女の成長を感じた。あとタクシー(本物ではない)に乗ってから、地下鉄で上野へ。

上野駅に着いたのは新幹線が出る15分前。ちょうどよいかなと思っていたが、チケット発券に5分、子供がトイレと言い出して5分。残り5分で地下4階ホームにいかなければならなくなった。しかもエレベーターが逆方向に行ったりして、エレベーターの中から発車ベルが聞こえる。乗れるか? エレベーターのドアが開いたらすぐに新幹線に飛び乗った。10秒くらいの僅差でセーフ。乗ったのがMAXやまびこだったため、大宮でつばさに乗り換えた。

新幹線の車中では長女はマンガ、長男は一通り食べてお昼寝。赤湯駅から先ほど帰ってきたところで、髪を剃って19時から御詠歌の練習がある。

先週の水曜日、私に連れられて山形に来た長男は、後から長女と来た妻が月曜日につくばに連れて行った。今回、私がつくばに連れて帰れなかったのは、寺役員の一泊研修があったためである。

月曜日は、朝から寺役員さんが集まって境内の冬支度を行う。終わって午後から米沢の林泉寺へ。来年1月から始まる大河ドラマ『天地人』の主人公・直江兼続の菩提寺である。上杉藩は関が原の戦いで負けて越後から会津、会津から米沢に減封される。智将として豊臣秀吉に認められていた兼続は、米沢で藩の再生に取り組んだ。

振り返ると、米沢というのはつくづく負け組であり続けたと思う。関が原の戦いでは西軍、忠臣蔵では吉良家側、戊辰戦争では江戸幕府軍、そして今は山形・仙台・福島に囲まれて寂れる一方である。江戸時代にも跡継ぎができず、お家取り潰しは免れたものの石高を半分にされたこともあった。直江兼続や、藩政を立て直した上杉鷹山を見習って、地方格差の時代を生き延びることはできるだろうか。

上杉鷹山が10代に婿として米沢に入ったとき、ひそかに神社に納めたという「立志の誓詞」が印象に残った。学問と武道に励むこと、謙虚であること、言行を一致させることなどが誓われている。言行の一致は耳が痛い。

お寺から小野川温泉へ。お風呂で温まって宴会である。お酒を飲むのは今月2回目。お酒を次に来る役員さんが、コップを空けろ空けろと急かすので9時頃バタンキュー。

翌日は二日酔いだったが、大学に行かなければならない。朝6時に起きて米沢駅から新幹線で埼玉へ。講義が終わって今度は四ツ谷の紀尾井ホールに行き、来夏に山形で行われるコンサートのプログラムを相談。ちょうど声明のコンサートで、衣を着たお坊さんが楽屋で発声練習をしていたのが笑える(私もやりますが)。

今日は午前中から赤湯でお寺さんの会議がある。そのためつくばには帰らず、草加にある妻の実家に泊めてもらって今朝は5時起き。この日記は赤湯に向う新幹線の中で、イチゴのシュークリームを食べながら書いている。会議が終わったらとんぼ返りで秋葉原に行き、1週間ぶりにつくばに帰ることにしている。

今週末も山形と埼玉での仕事に妻の大阪出張が重なり、なかなか厳しい日程だ。綱渡りはあと1週間続く。

僧侶が結婚するのは日本では当たり前のようになっているが、世界的に見れば日本と韓国のごく一部にすぎない。そんな日本で仏教ブームといっても、教義的なものが主流で戒律が省みられることは少なかった。しかし持戒は釈尊以来の仏教の伝統。本書は、インドから近現代日本に至るまで通史的に戒律の歴史を追う。新書とは思えぬ内容が詰まっている。

鎌倉時代のある僧侶の誓文から、当時、僧侶の間で男色が一般的であったことが分かる。その僧侶は、36歳にして過去に95人の男性と交わったことを告白し、100人で止めることや浮気をしないことなどを誓っている。相手は童子や稚児と呼ばれる垂れ髪の男性で、貴族出身で10歳から寺に入り、給仕など僧侶の身の回りの世話をする者たちである(牛若丸のようなイメージ)。絵巻にもそのような姿の童子が、僧侶と同衾している図が残っている。「男色をしなければ、欲望が溜まって悟りを開くことができない」などと正当化されることもあった。

日本仏教史ではあまり触れられないが、鎌倉時代に起こった叡尊による戒律復興運動(新義律宗)や親鸞による無戒宣言は、こうした男色の広まりを背景にして起こったものだと筆者は見る。確かに10代から坊主にカマを掘られたり、掘るのを見聞していればこのままでいいのか?と思わないほうが不思議だ。

この流れで、中国から招聘された鑑真による東大寺・筑前観世音寺・下野薬師寺の国立戒壇、それを否定して最澄が作った延暦寺の大乗戒壇、さらに叡尊らによる自誓受戒(仏・菩薩から直接受戒する方式)、それに刺激を受けた延暦寺の興円・恵鎮、戦国時代末の西大寺系の明忍、江戸末期に道徳と持戒を説いた慈雲といった戒律復興運動が説明されている。復興しても復興してもすぐに廃れてしまうのは、戒律を守る難しさを物語るものであろう。

筆者はあとがきで、現代の日本仏教にも戒律復興が必要ではないかと述べている。「さまざまな欲望を断って(断とうとして)、利他行に邁進する僧の生きざまは、新たな生きるモデルを生むのではないでしょうか。」「己を捨て、私財や時間すべてをなげうって活動できるのは、独り身のしがらみがない方々ではないでしょうか。」

本当のことである。結婚している僧侶はみな離婚し、これからは僧侶たる以上結婚してはいけない、とまでするのはもうほとんど不可能だろうが、少なくとも「日本の僧侶は牧師だ」とか「大乗仏教が最もソフィスティケートされた姿」などと下手な正当化をせず、破戒していることにただ恥じ入るべきだろう。飲酒や蓄財も同じ。そうでなければ、戒名など与える資格はない。

仏教は葬儀や法事に関わらないで、生きている人の救済に努めるべきであるという主張がある。先祖供養は中国以来の伝統で儒教によるものであり、インドで生まれたものではないとも言われる。しかしこの本では、インド初期仏教の経典で説かれる先祖供養の意義を明らかにし、そうした主張にアンチテーゼを唱える。

『盂蘭盆経』は偽経(中国撰述)であることが知られているが、その元になるお経がインドにあった。『撰集百縁経(avadaanashataka)』と、『餓鬼事(petavattu)』である。前者では目連が通りがかりに500人の餓鬼と会い、後者では舎利弗が4つ前世での母だったという餓鬼と会う。そして救うための供養は、王舎城の縁者やビンビサーラ王によって行われている。『盂蘭盆経』では目連が母のために自ら供養するという話が、出家者として辻褄が合わなかったが、これなら納得がいく。中国撰述とはいえ、全く根拠のないものではなかったのである。

さらに驚くべきことに、釈尊は先祖が餓鬼道に落ちたときのみ、供養が有効であることを述べている。『増支部』ジャーヌッソーニ章で、天人・人間・畜生・地獄にはそれぞれの食べ物があり、布施の功徳はためにならない、餓鬼も餓鬼の食べ物があるが、友人知人・親族縁者が人間界から「かれらのために」と布施することによっても生き長らえるので、布施の功徳が役に立つと説かれる。

著者はこれを解説して、地獄では人間界とのコンタクトが取れないので、回向に気づいてもらえないとする。回向とは、功徳のやり取りをするのではなくて、善行為に対して心(喜び)が共鳴することだと考えるためである。この功徳回向=心の共鳴という観点から、お盆・お彼岸・葬儀・法事などでの先祖供養も釈尊の教えに適うものであるとしている。

心の共鳴については論証が十分とは言えず、著者の独断だけでなくもっと幅広い観点からの検証が必要だが、釈尊が先祖供養を餓鬼道に限定していたという指摘は特筆すべきである。近年、曹洞宗では施餓鬼を施食と言い換える運動があるが、餓鬼以外に施すことができないのであれば、施餓鬼は施餓鬼でしかないことになる(それを承知の上で、施食と呼んでもよいのかもしれないが)。

もっとも釈尊の教説も、取りようによっては先祖が苦しんでいると脅して布施を強要していると見られなくもない。誤解のないように伝えるのは難しい面もあるが、法事やお盆の意義を再考する貴重な機会となった。

『納棺夫日記』

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映画『おくりびと』の元になったという本。富山県入善で、経営していた飲食店がつぶれ、夫婦喧嘩で妻が投げつけた新聞の求人欄から、葬儀社に勤めることになる。やがて納棺夫と呼ばれるようになり、死者と向き合う日々を綴る。

映画の元にどういう事実があったのかを知るのがまず面白い。映画で仕事を知った妻から「汚らわしい!」と言われたり、友人から「まともな職につけ」と言われるのは腑に落ちないものがあったが、原作では前にも浮気をしていて同じ台詞を言われたことがあったこと、友人ではなく家柄にこだわる叔父が元だったことを読んで納得できた。

それよりも興味深いのは、死者と真正面に向き合う中からつむぎ出される言葉である。死から目をそらして仕事をしている葬儀屋や僧侶、美しい死に際を邪魔する現代医学、生死の現場から離れた観念だけの宗教への痛烈な批判は耳が痛い。

その最大の要因は、『悟り』を説きながら悟りに至る努力もしない聖道門の僧職者たちや『信』を説きながら真に阿弥陀を信じようともしない浄土門の僧侶たちが、教条的に『信をとれ』といったりしているところに起因する。信もないのに、信をとれというのは、愛もないのに『愛しなさい』と言うに等しい。(p.202)

著者によれば、人は誰でも死ぬまでには〈ひかり〉に包まれ、涅槃(成仏成就)に入るという。ただ死ぬどれくらい前にそういう状態になるかは、釈尊のように45年になることもあれば、現代医学で「頑張れ頑張れ」と言われて直前までそうならないこともある。だがいずれにせよ最後には例外なく涅槃に入ることを、著者は多くの安らかな死に顔を見てきた経験から確信している。

まず生への執着がなくなり、死への恐怖もなくなり、安らかな清らかな気持ちになり、すべてを許す心になり、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれ出る状態となる。この光に出合うと、おのずからそうなるのである。(p.102)

生とは何か、死とは何かについて、今までにない見方を与えられて、読後もいろいろ考えさせられる。

長男と山形

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1週間ほど山形に滞在しなければならなくなったので、子育てのワークシェアリングで長男を連れて行くことになった。水曜日といえば秋葉原も捨てがたい。というわけでちょっとだけ顔を出すことに。

まずはスーパー「マスダ」の休憩コーナーで昼食。つくばに限らないことだろうが、平日の昼間に子供を連れてぶらぶらしている男の人は少ない。しかもバンダナをしていたりと正体不明すぎてすれ違う奥様方の視線を釘付け。何者なんだろう?って、私でも思いますもん。

バスに乗ってつくばセンターに行けば秋葉原まで45分だ。だがその前に、前から気になっていた研究学園駅前の巨大ショッピングセンター「イイアスつくば」に立ち寄る。日本最初のトイザらスである荒川沖店が8月に閉店になったのは、ここに開店するためである。というわけで脇目も振らずトイザらスへ。トイザらスでは脇目も振らずボードゲームコーナーへ。

特に変わったものがあるわけではなかったが、見て満足というところである。長男にはウルトラマンのフィギュアを選ばせたところ、エースとゼットンを購入。そして駅まで引き返して秋葉原に向かう。

秋葉原で知り合いと会ってから、予約していた新幹線で山形へ。新幹線の中もエースとゼットンで間がもった。私がかまわずゆっくり本まで読めるようになるとは、長男も成長したものだと思う。

山形はずいぶん雪が降っていて驚いた。夜にドドン怪獣※で何度か起きたが、お昼寝をほとんどしていなかったので親子とも朝までぐっすり。今朝はさらに降り積っており、30cmほどになっただろうか。まだ葉っぱが落ちていない木々は、突然の雪の重みでずいぶん折れてしまっていた。

※ドドン怪獣 屋根に積もった雪がまとめて下の屋根に落ちるときにする音を、私が幼少の頃からドドン怪獣が来たといって怖がっていたもの。

先週は何をしていたか、妻と話していたがどうも思い出せない。記憶力が減退したかと思ったが……

9日 つくばでのんびり。結局11月で何もない週末はここだけ。
10日 妻が1泊で仙台出張に出発。子供たちと夜を過ごす。就寝直前に訃報が入り、あれこれ予定変更。
11日 車で草加にある妻の実家へ。子供たちを預けてから大学に出講。終わって山形に直行。通夜のお経を読む。妻は仙台から草加に帰り、子供たちを連れてつくばへ。
12日 火葬と葬儀を終えて夜につくばに帰る。予定していたゲーム会は中止。
13日 保育所で個人面談。終わって電車で妻の実家へ。子供たちを預けてから秋葉原に行き、ボードゲーム雑誌のインタビュー。終わって草加に帰る途中、つくばから電車で来た妻とたまたま同じ車両になる。ちょっとときめいた。
14日 同じ新幹線で妻は仙台、私は子供たち2人と山形へ。妻は仙台からバスを乗り継いで山形へ。夜に長男と迎えに行く。
15日 午前中法事、午後伴僧、夜に同級会の反省会で久しぶりに飲む。
16日 午前中法事、お昼はご供養で家族みんなでお餅を頂く。午後も法事。
17日 午前中にご詠歌の講習会、午後からつくばに帰る。

どうも行事が多すぎ&不規則すぎて覚えきれないほどだったようだ。今日はこれから長男だけ連れて秋葉原経由で山形へ。明日から3日間、ご詠歌の講習がある。妻は長女を連れて土曜日に山形に来て、来週の月曜日に子供たちを連れてつくばに帰る。私は月曜日に役員研修で小野川温泉に一泊し、大学に直行。パズルのような日々は月末まで続く。

すぐ最新の物理学とか言ってオカルトに走るのと、どうも他人事のような調子になるのとがピンとこないが、ところどころなるほどと思うこともある。

議論していると、ああも言える、こうも言えるという余裕がなくなってくるのが善くも悪くも日本人だと思います。つまり感情移入能力が高いということかもしれませんが、そういう人はやはりトコトン議論しちゃいけません。(p.21)

ある人が、太っている人に共通の口癖を発見したっていうんですね。それはどんなものかと言いますと、「これを食べなきゃ太らないのに、この一口が我慢できないのよね」とか、「寝る前の、この一口が太るもとなのよね」とか、「私って、水飲んでも太るのよ」って言いながら水を飲む。お菓子を食べる。そうやって期待をかけられると、寝る前の体も、おそらく期待に応えようとするんじゃないでしょうか。(p.44)

今行っていることの結果は、今受けるべきだということです。因も果も今一緒にある。修行も、その結果期待される証(悟り)も、修行そのものにある、という考え方です。将来のために我慢して今を過ごしていたら、そのまま地震で死んじゃうかもしれないでしょ。だから今していることの功徳は今味わうんですね。(p.85)

(日本の僧侶の妻帯について)私の師匠がこんなことを言ってくださいました。「大乗仏教が最もソフィスティケートされた姿だろう」って。つまり修行の悩みに対応するのが我々僧侶だとするなら、とても大きな苦悩を生み出す結婚生活に対しても、してみなきゃ応じられないだろうって。(p.177)

不安を抱える人には、その不安を共感して寄り添うという方法と、ちょっと別な視点を提供してみるという方法があると思うが、この本は後者を取る。悟ったような口ぶりも、心が弱くなっているときには頼りがいを見出せるのかもしれない。

笑顔の絶えない人、常に感謝の気持ちを忘れない人、みんなの喜ぶ顔が見たい人、いつも前向きに生きている人、自分の仕事に「誇り」をもっている人、「けじめ」を大切にする人、喧嘩が起こるとすぐに止めようとする人、物事をはっきり言わない人、「おれ、バカだから」という人、「わが人生に悔いはない」と思っている人―多くは望ましいとされる美徳に釘をさす。

その根底にあるのは、自分の頭で考えず、世間の考え方に無批判に従う怠惰な姿勢、多数派の価値観を振りかざし、少数派の感受性を踏みにじる鈍感さである。感謝の気持ちを忘れないのはいい。問題はその感謝を他人に当たり前の顔をして期待することだ。

「ひとに迷惑になることだけはするなよ!」と座右の銘のように言い続ける人がいる。これを筆者は思考の脳死状態と断ずる。ある人にとって迷惑でも、別の人にとっては歓迎すべきことかもしれない。大多数にとって迷惑になることというなら、少数派は切り捨ててよいのか。そもそも私たちが生きるということは、他人に迷惑をかけて生きるということなのだ。かといって自殺も膨大な迷惑。ではどうすればいいのかを思考しなければならない。そこまで考えれば、「ひとに迷惑になることだけはするなよ!」などと簡単には口にできないのである。

卒業する学生に対するはなむけの言葉が心に残った。この世は誰でも知っているように、どんなに努力しても駄目なときは駄目だし、たえず偶然にもてあそばれるし、人の評価は理不尽であるし、そして最後は死ぬ。それが社会であり、人生の真実である。普通のはなむけの言葉の各文の後に「どうせ死んでしまうのですが」というワンフレーズを付け加えてみせ、その後に著者のはなむけの言葉を載せる。「個々人の人生はそれぞれ特殊であり、他人のヒントやアドバイスは何の役にも立たない。とくにこういうところに書き連ねている人生の諸先輩の「きれいごと」は、おみくじほどの役にも立たない。(中略)どんな愚かな人生でも、乏しい人生でも、醜い人生でもいい。死なないでもらいたい。生きてもらいたい。」

自分で悩んだり思考したりせずに人にあれこれと語ることはできないということを強く感じた。あと哲学の先生が大学から給料をもらっているのは恥じるべきだというのにも同感。「哲学のような何の役にも立たないことを教えて金になるのがそもそものまちがいです。」

第一版は立ち読みして内輪話(小谷野敦氏との喧嘩とか)に飽き飽きした覚えがあるが、文庫版になって読み返してみると、内輪話も具体例として説得力があった。

昨日の長井線

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私は長井線のヘビーユーザーである。国鉄から第3セクターになり、少子化による高校生減少で苦しい経営を迫られており、赤湯駅で待ち時間が1時間あろうとも、急いでいない限りは極力利用するようにしている。

この頃は観光客の誘致に力を入れており、東京など遠方からはもちろん、中国人の団体客も見かける。車窓から田園と盆地の美しい風景を見られるのがウケているらしい。朝倉さんという車掌が、山形弁全開でガイドをしているのもいい。

昨日も団体客が乗っていて、朝倉さんがガイドしていた。こちらは地元風の2人の子ども連れである。飴玉をもらって赤湯駅を出発。

梨郷駅付近だったろうか、床からガチャガチャと音がして列車が急停止した。床に転がる長男を、朝倉さんが心配してくれたが大丈夫。置石かと思ったら運転士のアナウンスがあった。「ただいま大型動物をはねました。今確認いたしますのでしばらくお待ちください。」

大型動物って何?!

列車の後方に駆け寄る団体客たち。見てきた人の話だとカモシカだという。「頭がすっぽりなくなってるよ。見に行かないほうがいい」なんて言ってるおじさんもいる。車掌は外に出て携帯電話を片手に車両をチェック中。

ところがである。運転士が車両に戻ってまたアナウンスした。「カモシカは自分で起き上がって山のほうに帰っていきました。車両に異常がありませんでしたので出発します。」遠目で首がなかったように見えただけらしい。よかったよかった。

列車は2分後れだったが、団体客にはいい土産話になっただろう。こんな長井線が、そして車掌さんたちが私は好きだ。

今日、血液検査の結果を聞いてきた。先週、咳でお医者さんに見てもらったついでに内科検診もお願いしたのである。

その結果、正常値を唯一外れているのが善玉コレステロール(HDL)。これが基準値にちょっと足りない。血液検査の結果、この値だけが低いのはもうかれこれ10年になるが、去年、これが理由で生命保険を蹴られたときはショックだった。

治療の必要はないが、動脈硬化につながる恐れがあるという。これを増やす方法を聞くと継続的な運動と適度な飲酒。1日1合程度を取るとよいらしい。「お酒を飲みなさいということではないですけどね。」

10月にお酒を飲んだのは1回だけ。11月も2回だけになりそう。不飲酒戒を持ち出すまでもなく、毎日飲むなんて無理。お金がかかる、夜中に目が覚めてしまう、集中力が落ちるなどのデメリットが大きい。百薬の長というが、『大智度論』では飲酒の三十五失が説かれている。

となると残るは運動。歩く時間がないことはないが……。

生活支援給付金

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私は、政府による生活支援給付金の交付に反対である。

確かに、4人家族で6万円程度という給付金は、家計が苦しい多くの世帯で喜ばれるだろう。しかしそれ以上に問題が多い。

第一に、金額からみて景気の浮揚にはつながりそうにない。なけなしの水を、焼け石に注ぐようなものである。この金額で1ヶ月の暮らしが少しは楽になったとしても、次の月までもたない。家計を強化している暇なんてない。

第二に、集めた税金を納税者にばらまくのは無駄である。収税コストに、給付するためのコストを乗せたら、だいぶ差し引かれてしまうだろう。かつて失敗に終わった「地域振興券」を思い出す。返すくらいならはじめから減税しろと言いたい。集めたものは、コストの無駄を減らすべく集まったかたちで使ってほしい。

第三に、国の財政を悪化させてはいけない。今回は国債ではなく埋蔵金で捻出するというが、そのお金があるならば国債発行を抑えたり、積極的に償却して国の借金を減らしたほうが、次世代に禍根を残さない。

このほかにも、全世帯に交付すれば不公平感が出て、生活に困窮している人に交付するには収入の把握のための法整備が必要になるという問題もあるという。

政府として同じ金額をもっと別の、効果的な景気浮揚対策に宛てられるはずだ。このようなわけで、私は生活支援給付金の交付に反対である。

独詠師

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今日は近隣のご寺院さんのお葬式だった。つい先月まで法要などで顔を合わせていたのに、持病が急変されたとのことだった。享年73歳。

今回の配役は知殿と独詠師。法要の前に道具の確認をしたり、タイミングをはかってお供え物を裏から出したり、マイクを手配したりと、裏方ながら法要の進行を支える重要な仕事。打ち合わせと違って臨機応変に対応するところもあるため、経験と気配りと積極さが必要である。私だけでは力不足だったが、若手チームの団結力で大過なく終了した。

独詠師は法要のクライマックスで『妙鐘』『高嶺』『不滅』という3曲をソロ無伴奏でお唱えする。会場がしーんと静まり返り、導師の和尚さんが静かに法要を進める中でお唱えするのは緊張する。一番心配していた咳も出ずに無事お唱えできた。

ちょうど『不滅』のお唱えのときだったろうか、ふと昔の法要の配役が目に付いた。25年前、亡くなった住職が大和尚になったときのものである。正面向かって右側の2番目に、「洞松方丈」と書いてある。つまり先代住職、亡くなった私の祖父である。

10歳だった私は、この部屋で弁事という役でお坊さんデビューしたのだった。「てんどうのかくおしょう、じゅにいわく……」意味も分からず暗誦していた。弁事が座る位置は、正面向かって1番目と2番目の間。ちょうど祖父の真向かいである。

私は必死でどこに誰が座っているかなど憶えていなかったが、横に祖父が座っていたとは……。どんな目で10歳の孫を見守っていたのだろう、そして今、同じ場所で御詠歌を唱えている私を見たらどう思うだろうと考えると、急に涙がこみあげてきて、危うくお唱えできなくなるところだった。

祖父が亡くなり、住職になって先月で10年が経った。いまだ私は、いやこれからも私は、亡き祖父の影を慕って住職を続けるのだろう。自分の原点を思い出した今日のお葬式だった。

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