おの: 2008年12月アーカイブ

社会科学、物理学、論理学の3分野にわたって、合理性に限界があることを分かりやすい対談形式で示す。

単記、上位二者決戦、順位評点、勝ち抜き、総当りなど投票方式によって選ばれるものが変わることから、完全に民主的な社会的決定方式はないことを証明したアロウの不可能性定理、ミクロの世界ではある程度から先は観測できない限界があることを示したハイゼンベルクの不確定性原理、あるシステムの中には、そのシステム内では正しいとも正しくないともいえないものがあるというゲーデルの不完全性定理が主なテーマ。それぞれ難解な理論であるが、まったくの素人を対話に登場させながら、喩えを交えながら丁寧に解説しているので理解しやすい。

またこれらの定理の解説に終始せず、そこから派生するゲーム理論、シュレーディンガーの猫やエヴェレットの多世界解釈、クーンの方法論的虚無主義、スマリヤンの認知論理に話を広げ、ちょっとした現代思想事典のようになっている。

筆者は一番最後にアマルティア・センの「合理的な愚か者」を借りて、若手研究者に感受性や開かれた研究姿勢がないことを心配している。哲学者ならずとも、自分が研究している学問体系の全体像を時々チェックしながら、個々の研究を進めるのが望ましいと思う。

このような話から安易に起こりやすいのは、理性とか科学で人間はやっていけないという話だろう。しかし限界があるからといって実用性が失われることは決してない。宗教者の中には科学否定論者や、逆に最先端の科学理論を過大適用したオカルト論者がいるので、そういうものになびかないよう気をつけたい。

年末進行

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2人の子供と過ごす山形6日間はあっという間に過ぎた。つくばと比べると子供たちも刺激が多いので楽しいようだ。つくばでの週末というと、お昼にパン屋さんに行って、午後から本屋さんに行き、家では本かインターネットくらいのものだが、山形ではまずテレビとDVDがあり、長女の好きなVOWや長男の好きなミニカーがあり、それにイレギュラーにお客さんがが訪ねてくる。お出かけも本屋だけでなく、仏壇屋や墓石屋などバリエーションに富んでいる。

月曜日は、午前中に御詠歌の練習が終わった後、保育園に長女を迎えに行って、祖母に見てもらっていた長男と一緒に長井線→新幹線→バス。新幹線では眠くなった長男が久しぶりに大泣きしたが、やがて長女と一緒に眠りについたのでゲーム会のレポートを作ることができた(このごろレポートはほとんど新幹線の中で書いている)。

東京駅では例によってキャラクターストリートに立ち寄り、ウルトラマンとトミカを見る。ウルトラマンはこのごろ長男が大好きで、私が小さい頃に見ていた怪獣図鑑を長女に読んでもらって、結構たくさんの怪獣名を覚えた。特にエースの超獣を気に入っているみたい。長女は博学が趣味なので、どこに行っても一通りチェックしている。

キャラクターストリートではプラレールを扱っていないのと、ウルトラマンと比べて仮面ライダーの扱いが小さいのが残念だ。頑張れ石ノ森プロ。

そんなこんなで遅くなってしまったので、お菓子を買ってバスに乗る。道中好きなお菓子を買ってもらえるのも子供たちが山形に行きたがる理由のようだ。長男はぶどうグミ、長女はチョコレートを好む。

家に帰ると妻と6日ぶりの再会。山形と比べると休日はほとんど家にいて慎ましい生活を送っていたようだ。私なら間違いなく、どこかのゲーム会に行ってしまいそうだが。

火曜は久しぶりに料理を作った。山形では母に任せっきりで、私はお湯を沸かすか配膳をするくらいしかしない。スーパーで買ってきたトンカツを使ったカツカレーとサラダを作る。

水曜は夕方から米沢の温泉で忘年会のようなものがあったため、秋葉原経由で一路北へ。この日記はその道中で書いている。旅のお供は上野駅で買った福岡西通りプリン、期間限定品の紅茶花伝クリーミーいちご、ウコンの力カシスオレンジ味。昼には秋葉原で紅茶花伝ミルクティーを飲んできたし糖尿病になりそうな感じだ。今日も食べすぎ・飲みすぎをしないように気をつけたい。

おもちゃの江口

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今日、長男を連れて江口玩具店に行ってきた。実に24年ぶりくらいになる。

江口玩具店は長井の本町にある老舗のおもちゃ屋さん。私もここで亡き祖父から電子ブロックやガンプラやパーティジョイを買ってもらった。今のボードゲーム趣味の原点といってもいいお店である。

私が小さい頃は子供が多かったので、ヤマコーの2階にチャイルドよしのやというおもちゃ屋さんがあり、江口玩具店もサンプラザうめやに支店を持っているほどだった。サンプラザ支店はついこの前まで営業していたが、いつの間にか閉店してしまったので気になっていたのである。

息子さんが出てきて、お父さんも元気だという。もしやお父さんが亡くなったからサンプラザ支店を畳んだのではと思っていたので一安心。

品揃えは決して悪くないが、店内の雰囲気や息子さんの顔にも、積み重ねてきた年月の重みを感じさせる。お店の回りもシャッター通りになってしまって寂しい。木のおもちゃ屋さんに生まれ変わって、ドイツゲームを扱えばいいのに、なんて考えるのは素人の浅はかさだろうか。

長男にエースキラーを買い与えて帰ってきた。パーティージョイはさすがになかったが、年代もののバランスゲームやドミノ倒しなんかが捨て値で置いてあったのでまたゆっくり行ってみようと思う。

子供たちと山形

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結局、今日から来週まで山形にいることにした。その代わり、来週の水曜日はとんぼ帰りにして週末までつくばで過ごす。それでも今月の6割は山形で送ることになる。

当初は長男と私は山形に行き、長女と妻はつくばに残るという子育てシェア計画。ところが保育所を休んで新幹線に乗れるとウキウキの長男を見ていた長女が「私も山形行きたい」と言い出す。保育所の大きな行事もないということで、結局2人とも連れて山形行きとなった。妻は寂しがったが、ま、行きたくないというのを無理やり連れていくよりはいいか。

今日は朝7時前に家を出発。つくばエクスプレス→山手線→新幹線→米坂線という4時間以上の長旅だが子供たちはすんなりと起きて道中も騒がずお利口にしていた。山形の家に着くと長女は早速インターネット、長男はミニカー。これが目当てなのか?

実は2人連れてくると、2人で遊ぶので親としては楽である。今も長女がこの頃はまっている「うちの3姉妹」ごっこを2人でやっている。長男だけだと、パソコンに向かえばウルトラマンの動画を見せろというし、テレビを見ればDVDをかけろというしで何もできない。

明日と明後日は公式の行事がない。パソコンの前でぼうっと過ごさず、年末でたまっている仕事を少しずつ片付けていこう。

戻るか、留まるか

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パズルのような日々が終わって、12月はだいぶ楽になると思っていたら、思ったほどでもなさそうだ。用事の数は多くないが、水曜日にピンポイントで入り続けているために、往復するタイミングがとりづらい。

週末はほとんど山形にいるので、土・日(+金・月)に用事が入っても対応は比較的容易である。火曜日は大学の講義があるので用事が入ったら断る(幸いなことにこの2年間、火曜日に葬儀が重なったことはない)。

問題は水・木に用事が入った場合だ。日帰りでつくばに帰るか、それとも週末まで山形にいるかで悩む。

つくばでは、身重の妻が2人の子供と毎日格闘を繰り広げている。長女はずいぶん大人になったが、もうすぐ3歳になる長男が爆弾。夜は寝ないわ、あたりは散らかすわ、母乳が出ないのに「パイパイ」攻撃を続けているわで妻はゲッソリ。特に週末に私がいなくて親子3人で過ごすとなると、日曜夜にはたいていへとへとになっている(子供たちとしては平日の日中に会えない分を取り返そうとしているんだろうけど)。

山形でも、ひっきりなしの来客の合間を縫って母が祖母の介護をしているので格闘ではあるが、祖母は自分のことを自分でするので、つくばほどたいへんではない。祖母を留守番にして外出することもできる。

こういう状況で、私はできるだけつくばにいて家事をするか、あるいは長男を連れて山形に行くことが望まれる。山形に1〜2泊だと、子供を連れて行くメリットよりデメリット(移動の大変さ、子供の体力消耗など)が勝る。日数がそれ以上になると子供(長男)を連れて行くことになるが、平日につくばにいれば至れり尽くせりの保育所に通えるわけで、元気なのに休むのはもったいない。

そこで平日に用事がとびとびなら、小まめに往復するという手がある。水曜日に用事が入り続けている場合、小まめに往復しないと、火曜以外を全部山形で過ごすことになりかねない(今月がそうなりかけている)。でもこれをやると一往復するごとに諭吉2枚が飛んでいってしまう。

このように小まめに帰っても、長男を連れていっても一長一短。特に水・木に用事が入るともうどうしたらいいのやら。用事は土日だけで、月〜金曜までつくばにいられるならばどんなにありがたいことか。

昨日と一昨日は久しぶりにつくばにいたので、今日は山形へ日帰り往復になった。明後日に入った用事、長男を連れていくべきか、また日帰りするべきか。結局、交通費をケチって、長男を道連れに山形に引きこもることになりそうな気がするのだけれど(不思議なことに、いればいるほど仕事は増える)。

नेति नेति

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अथात आदेशो नेति नेति । न ह्येतस्मादिति नेत्यन्यत् परमस्ति ।(बृ.आ.उ 2.3.6)

金曜日に行われたW.スラーエ・ハレ大学教授の講演のテーマは『ブリハド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』(仏陀以前の成立)でヤージュニャヴァルキヤ仙が説く自己(アートマン)の説明「नेति नेति」の解釈について.従来の解釈に異を唱えるもので終わってからも活発な意見が出されていた.

従来の解釈は「そうではない.そうではない.」と否定を繰り返すものが主流である.西洋だけでなく,国内でも「この我はただ『非也・非也』と説き得べきのみ.」(辻直四郎『ウパニシャッド』),「この『非ず,非ず』という〔標示句によって意味される〕アートマンは不可捉である.」(服部正明『古代インドの神秘思想』),「このアートマンは,ただ『そうではない,そうではない』と説かれる.」(前田専学『インド思想史』)というようにこの解釈を取る.

このような解釈をスラーエ教授は後代にシャンカラ(700-750)がइति=एवम्と解釈したものに基づくとし,もともと別の意味があったのではないかという.そしてもともとの意味を考えるにあたって「आदेश」(代用)に基づき,また「इति न」という語順が自然であるとする.「आदेश」は「नेति नेति」全体を包含し,「इति न」は「〜というならば,そうではない」という前主張の否定形式である.こうして「नेति नेति」は二重否定で解釈される.『ブリハド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』自体の説明を考え合わせると「(アートマンとは,)そういう在り方をしていないものは他にない」=「全てがそういう在り方をしている」と解釈でき,ほかの大文章「汝はそれである」とも合致する.

この解釈がいまひとつ分かりにくいこともあって,たくさんの先生から意見が寄せられた.「इति न」を先に取ると,1番目の「न」が宙ぶらりんで何を否定しているのか分からない.また「आदेश」が否定の繰り返しがあっても問題ではない.『ブリハド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』の説明も,前半と後半を分けて「これ以外はない,ほかに至上のものはない」と否定の繰り返しに読めないこともない.

スラーエ教授は反論に証拠を求め,また分かりやすいことは正しいことにならないと戒められた.文献学の基本的な姿勢である.

それにしてもサンスクリットをローマ字で書くのはどうなんだろう? かつてはワープロの都合で仕方なかった面もあるが,今は技術的に十分可能になっている.連声したままだと分かりにくいならば,分解して表記すればよい.戦後GHQで日本語を総ローマ字化する計画があったそうだが,それに似てどうもインド文化を蔑ろにしているような気がする(第一読みにくくてかなわない).

ドイツ人のインド学者が来日しているというのを聞き、昨日は東大に行って来た。授業は30分遅れて始まり、テキストを5行ぐらい読んで終わり、先生が論文を読んだらほとんど時間になっていた。ディスカッションが始まるかと思ったらタバコ休憩。ポカーン(;゚Д゚)

しかもその後の話が切ない。ドイツではここ数年、インド学の講座をたたむ大学がどんどん増えているという。理由は簡単、学生がいないから。大学も効率経営を迫られているのだ。まだ残っている大学でも、今の教授が退官したら閉鎖される可能性が高い。

そんな状況下で学生が研究を続けるのは難しい。「No Chair, No Hope(ポストなければ希望なし)」である。スラーエ教授は、もし将来に講座を復活することになっても、学者が途切れると再建は難しいと心配していた。

ポストなければ希望なし……大いに首肯するところだが、これを言い訳にして博士論文執筆を怠けてはいけない。

北京大学から来たばかりの何さんは、中国の状況を話してくれた。中国では逆に、今までインド学や仏教学の講座がほとんどなかったが、近年になって政府が力を入れてきているという。何さんも日本での勉強を終えて、中国で博士論文を出したら先生になることが望まれている。ポストがあるので希望があるというわけだ。

ヨーロッパでインド学研究が盛んになったのは、ひとつにはサンスクリットがヨーロッパ諸語と共通の祖先をもつという発見によるが、植民地政策と無関係ではない。現地の文化を知ることは支配するときに不可欠であったが、それは今や見る影もない。むしろ戦後まで研究が続けられてきたほうが不思議だとさえ言える。

一方中国は近年、インドとの国際関係を強めている。もちろん中国には伝統的な訳経の歴史があり、近年は仏教を奉ずるチベット人との融和も求められているなど国内の事情もあるが、外交のための下準備として文化理解が求められているのだろう。韓国やタイも同じことが言える。

このように、地域研究は現代における自国と対象国との国際関係に影響される。翻って日本はどうか。日印関係の経済関係はそこそこだが、ほかと比べて特に強いというわけではない。ドイツよりはましといったところだろう。でも精神的に強い紐帯がある。それは仏教だ。

日本のインド学は、半分くらいは「お寺の息子」たちによって支えられている。また、お寺の息子でない人でもお寺関係の奨学金があるし、各宗派の大学ではたくさんの教員を抱えられる。これもお寺がある程度裕福であってこそ。葬式仏教も悪い面ばかりではない。

その日本も、お寺の息子が不甲斐ないせいか講座が減らされつつある。東大の印度哲学では、かつてパーリ仏教、インド・チベット仏教、インド哲学、中国仏教、日本仏教と5人の先生がいたが、中国仏教は木村教授の退官以降、補充が行われていない。このたび日本仏教の末木教授が退官するが、その後補充されるかどうか。

一方、日本のお寺は学問に対して理解が少ない。禅主学従論(坐禅さえやっていれば勉強などしなくてよいという考え)は公式には否定されているが、まだ一般には根強いと感じる。もっと理解を深め、お金だけでなく人材を出さなければいけないだろう。

終わってから歩いて秋葉原経由で帰宅。顔に温風が当たって足元が冷える演習室の過酷な環境のため、今日は熱が出てダウン。

日曜日のうちに妻は大阪から帰ってきたが、そのまま月曜から都内で学会のため、草加の実家に宿泊。私と子供たちも日曜日の朝まで草加にいたので、行き違いである。

月曜日は朝から御詠歌の検定会。私は二級師範という年不相応な資格を持っている関係で主任検定員なんて偉そうなポストに。緊張して入ってくる母親以上の年齢の受検者を前に点数をつけたり、終わってから手厳しい寸評を加えたりしていた。本当にすみません。

帰宅してからは、じゃれついてくる子供たちを無視して日本ボードゲーム大賞の投票準備。そのうち長女はお絵かき、長男は泣いているうちに眠ってしまった。

何とか準備を終えて、夕方からは高校の同窓会。初めての参加で、おじいさん方しかいないだろうと思ったら、案の定私と友人の2人唯一の平成卒で、しかも最年少だった。叔母と同年代くらいでも下から数えたほうが早い。卒業してから15年以上経っているわけだが……。出席者は社長、医院長、町長、校長と「長」の付く人がずらり。すっかり引いてしまったが、最後に校歌や自治会歌を歌うころまでにはだいぶ打ち解けた(16年経っても応援歌などを忘れないのは、入学直後に新入生全員が受ける、ありえないほど厳しい応援練習の賜物である)。

我が母校は上杉藩の藩校を母体にしていることもあって、帝王教育が染み渡っている。「寧ろ鶏口となるとも牛後となるなかれ」という故事は、高校のときに覚えさせられた漢文に入っている。同窓会に来るのは自然と「長」になるのだろうけれども、私も一山の主として組織におもねることなくやっていく勇気をもらった気がする。

それと高校の近況を聞かせてもらったが、米坂線の本数が少なくなったり直行列車がなくなったりして、長井から通っている生徒は激減しているのだそうだ。かつて、ないことで有名だった修学旅行が今は行われているという。といっても東大なんかの見学が主ではあるが。それから上杉鷹山公の出身の関係で宮崎の高鍋高校と行き来しているという。こういう歴史に力を入れているところは相変わらずだなと思う。

帰宅してから御詠歌の関係でもう一仕事。おかげで夜遅くなってしまったが、今日は大学の講義のため早起きしなければならなかった。5時に叩き起こされて不機嫌な子供たちを連れ、新幹線へ。新幹線の中では子供たちの機嫌が直ったのでのんびりする。

子供たちを義母に預けると、1時間ほど時間ができたので道中のネットカフェでこれを書いている。講義が終わって義父母の家に行くと、妻も帰ってくることになっている。3日ぶりに家族が揃い、つくばに帰る。これでパズルのような日々も一段落というところだ。

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