おの: 2009年4月アーカイブ

父子だけのお寺

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妻が土曜日から里帰りし、母が観音参りで出かけたため、山形では初めて父子だけで過ごすことになった(祖母は老人ホームにショートステイ)。そんな日曜と月曜。

つくばではよくあるパターンだったが、山形では仕事がある上に、電話と来客がひっきりなし。子供がだいぶ大きくなったからまだましなものの、いつも駆け足しているようで、余裕がない。

日曜の朝は母を送り出してから、子供たちにご飯を食べさせ、片づけをして法事へ。長男がごはんつぶを撒き散らしながら歩き回ったのを一粒一粒拾ったりしているうちに時間ぎりぎり。子供たちを車に乗せ、コンビニでパンを買って、法事の家に塔婆を届けつつ遅れる連絡をして、車で10分ほどの在宅託児サービスに放り込む。

法事が終わって、その足で子供たちを迎えに行って帰宅。それからほどなく仲間が集まり、楽しみにしていた自宅ゲーム会である。 でもはじまってすぐにピンポーン。法事のお客さんの寺参りである。お茶をお出しして、2階の歓声を羨みながら、昨今のいろんなことをお話しする。

お客さんがお帰りになると、私の分は皆が代わりにやってくれていた。終盤のおいしいところを楽しませていただく。ちなみに子供たちは、隣の部屋で本を読んだり、好きなボードゲームを広げたり、ケンカしたりと、独自で遊んでいる。これがいつものパターン。

さらに夕方になると、仲間に留守番を頼み、子供たちにおやつを出して入棺に出発。ちょうど留守中にご寺院さんがいらして、仲間に応対して頂いた(ご寺院さんは妻の弟だと思ったという。ちょっと似てるかも)。

入棺を終えて、コンビニでお弁当を買って帰宅。子供たちはおやつを食べ散らかしていたので、慌てて掃除をして夕食。ほかに家族のいないリビングで、仲間と子供たちと共に平成教育委員会を見ながら楽しく頂く。食べきれないでいる鯉の甘露煮(※この辺の法事では必ず付く)やまんじゅうを食べてもらえてよかった。

仲間は皆さん120kmくらい離れたところからお越しなので、早めの8時半解散。それから食事の片づけをして2階に行くと、子供部屋を見てあまりの散乱ぶりにびっくり仰天する。床にびっしりと、ゲームのコマが散乱しているのだ。ボードゲームは紛失が命取り。気が狂いそうになりながら片付けをする。

ようやく終わって、さっき片付けたばかりのリビングに行くと、またもや散乱ぶりにぶち切れ。長男が棚や脱衣所からいろんなものを出してきて一列に並べているのであった。長女は涼しい顔でテレビを見ている。思わず長男を怒鳴りつけると泣いておもらし。また仕事が増える……。

お風呂場では子供たちの体を洗いながら、明日に向けて髪を剃る。細かい髪の毛がいっぱい入った洗面器に、長男がハブラシをつっこむ。おえぇ〜。風呂上りは速攻で寝た。

さて月曜日。今朝は早く起きてお葬式の書き物。でもそのうち「パパー!パパー!」と泣く長男に中断を余儀なくされる。仏様にご飯やお茶を上げてお経を読んだり、子供にご飯を出したりしているうちに、保育園のバスが来る時間。出かけようとすると「JAの集金でーす!」お金を取りに行くと今度は電話。軽くパニックになった。

頼んであった留守番の方がその頃いらしたので長男を送り出してもらい、ようやく私も朝食を食べられた。お葬式の書き物を何とか仕上げて出発。午前10時から1件目、午後1時から2件目。1件目の葬儀が長引き、お昼は2件目が始まる前のおにぎりのみ。

長男を迎えに行って帰宅したら、もう祖母が帰ってきていて、ほどなく母も帰ってきた。ほっと一安心。葬儀の寺参りを応対して夕食となった。子供を風呂に入れて、疲れ果てて一緒に寝てしまい、22時からスカイプ会議に寝坊。

ここまで駆け足できたが、明日と明後日は久しぶりに何もない(あくまで「今のところ」だが)。妻と赤ちゃんが帰ってくるのは30日。父子だけのお寺にはどうしても無理があるが、子供たちは元気でよい。

忘れ物家族

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4月から入学・入園した長女と長男だが、毎日元気に通っている。

長女は朝6時に起きて、NHK教育のテレビ体操を祖母と一緒にやり、英語講座と「シャキーン!」を見ながらご飯を食べて7時30分に出発。そのころのっそりと起きてくる長男はのんびりご飯を食べて、8時55分にバスのお迎えが来る。タイムラグありすぎ。2ヶ月の次女はその間うつらうつら。

忘れ物の多い我が家。長女も早速始まった。教科書、移動図書館のバッグ、空弁当……。慌てて届けに行ったり、その日はあきらめてもらったり。

今日は空弁当を忘れたことに後で気がついて、お葬式に行く前に学校まで届けに行った。衣姿だと、いくら低姿勢でも先生方を恐縮させてしまう。職員室の扉を開けるときは必ず「失礼します」という癖がいまだに抜けないが、それはそれでいいのだろうか。

葬儀の会場に着いたのは開式15分前。カバンを開けると「あれ、袈裟がない!」ちゃんと前の晩にカバンにしまっておいたのに……お寺に戻っている時間もないので、伴僧の和尚さんにお借りしてその場をしのいだが、忘れ物は遺伝するのかな。

日本人の論理の欠如と情緒の重視は、マイナス面を多くもたらしてきた。

・秋葉原無差別殺傷事件の原因を派遣労働にクローズアップするあまり、殺人犯のヒーロー化を招いている
・わずか0.1%の問題教師のために全員に免許更新制を導入するのは、学校の人手不足を助長し、税金の無駄になる
・高速道路バイク二人乗りを禁止したため、危険な交差点が多い下道を走らなければならなくなった
・船に乗る人のライフジャケット義務化は、かえって海上の初歩的な判断や行動をおろそかにさせる
・コンビニで「袋を分けますか」といちいち聞くのは、文句を言うほんの一部の客のために資源の無駄遣いをしている
・「昔はよかった」「今の世の中はおかしくなった」という事実錯誤(殺人件数、幼児死亡率、衛生事情、身分制度などは今のほうがはるかによい)のノスタルジーでは、現在の問題を克服して明るい未来を築けない
・第二次大戦中の無謀な作戦(ミッドウェイ海戦、インパール作戦、ガダルカナル作戦、バシー海峡の被害、特攻隊)は多くの命を奪った

筆者が説く論理とは、屁理屈や詭弁ではなくまず「大局観」である。自分以外の複数の視点を持てば、よりよい解決ができる。つぎに「正確なデータ」。科学的なデータを重視し、先入観を捨てて臨まなければならない。そして「言葉で伝える」ということ。子供を力で抑え込もうとせず、納得するまで対話し、何がよくて何が悪いのかを言語によって意識化させる。そして表現には勇気も必要である。クレームがついたからといってあっさり引っ込めずに、ディスカッションをしていったほうがよい。

帯にある「藤原正彦氏の『国家の品格』に意義アリ!」というのは、「論理」の定義の問題(特に普遍性を含めるか否か)なので、大きな見解の違いではなさそうだ。

子供が悪さをしたとき、怒鳴ったり引っぱたいたりする前に、よく言って聞かせることが大事なのだろうと思った。インタビュー方式になっているのは違和感があったが(自問自答?)、具体例が豊富で読み応えあり。

伴僧(2)

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つい最近葬儀屋さんを辞めた知り合いから聞いた話だが、この頃、葬儀代の不払いが増えているという。葬儀なら多少朝早くとも夜遅くとも慣れているが、後日集金にいって払ってもらえないのが疲れる。そこは葬儀後の食事は扱わない葬儀社だが、食事まで出すところは額も大きくなり、ローンを組ませなければならなかったりしてたいへんだろうという。

世は不況である。特に地方は厳しい。そんな中、親戚の言うがままに、あるいは自身のプライドから大きい(「世間並み」の)葬儀を出して首が回らなくなっている家が増えているのは容易に想像できる。

だとすれば、葬儀費用もカットできるところはカットするのは当然の流れと言えよう。そのひとつが伴僧費用である。伴僧を減らしても、葬儀の流れが大きく変わることはないからである。

しかし葬儀は宗教行事であるので、純粋にコストでは割り切れないものである。なのにお金の話が先に立ってしまうのは、お寺の日ごろからの教化不足も挙げなければなるまい。伴僧やお布施の功徳がいかに大きいかを説いたって、単なるセールストークに取られてしまいかねない。ましてや最初からお金の話ばかりするのでは文句も言えない。説法とともに、「応供」たる僧侶の生活態度がダメでは、安ければ安いほどいいという話になりかねない。

というわけで、伴僧が減っているのは、葬儀社のアドバイスもちょっとあるかもしれないが、それよりも(1)都会風の様式の広がり、(2)経済状況の悪化、(3)僧侶の教化不足が大きい要因だと考えられる。

来月に市の仏教会で取り上げられるので、この考察を披露して先輩方の意見を仰ぎたい。

地元の子供育成会の総会で先ほど帰宅。30分が審議で、3時間半が飲み会。幼なじみ、ご近所さん、檀家さんが幾重にも重複している濃いソサエティである。

若い世代の地域活動が下火になり、地域活動の主役はこれまで地域を引っ張ってきた60代くらいの世代のまま。どうやったら20〜40代くらいの若い世代がもっと地域活動を盛んにできるか?という話をしてきた。

そもそも地域活動を盛んにする必要があるのかという問題もあると思うが、ひとつの答えが、飲み会を通して親睦を深める、いわゆるノミュニケーションである。今の若い世代は職場も生活もばらばらで、近所でもお互いをよく知らない。そこで飲みながら身の上話や世間話をして、結束を深めようというわけである。

私はあまり飲めないが、正直この効果は認めざるを得ない。実際、飲み会が始まる前は逃げ腰だったのが、終わる頃には自分もここで何かしなくてはという気持ちになっていた。心理学でいうコミットメントというものか。

飲み会では「下を育てる」という言葉がよく使われた。地域活動を1年や2年で盛んにすることはできない、組織的かつ長期的に進める上で、下の世代を育てることが最重要になる。

では下の世代を育てるにはどうしたらよいかといえば、ノミュニケーションなのである。集まって、飲みながら語り合って、その中から面白い企画を出したり、意欲を高めたりする。

こういうのは田舎の古臭い風習だと思うが、ではほかにどういう方法があるのか?と考えるとなかなかない。私は目的を明確にしてさっと集まり、目的を達成したらさっと解散する(イメージはつくばの保育所の夏祭りなど)ほうが動きやすいが、地域ではそうやって動く人は少数かもしれない。お酒もお金もなしで人を動かすのは本当に難しいものである。

これは今私が参加しているほかの活動でも言えることで、このごろ自分が一番苦手としている部分でもある。私の中で、好きでもないことを押し付けて恨まれたくないという気持ちが強くて、つい及び腰になってしまう。安請け合いは得意だが、頼むのが苦手なのである。

そんなわけで頼りにせざるを得ないノミュニケーション。何でもお酒で解決するとは思えないが、山形では飲む機会が確実に増えそう。

本町商店街

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今日は午後から車で買い物に出かける。そこで久々に長井の本町商店街を歩いた。鈴木薬局で妻のスキンクリーム、丹野園でお茶、梅村呉服店でU字シャツを購入。

本町商店街といえば、かつては長井の中心街だったところだ。ミニデパートの末広が2店舗を出し、末広向かいの緑屋、少し離れて新橋、三浦屋書店、おもちゃの江口……大いに賑わっていた。

それがご多分にもれず、郊外店の出店で衰退気味。緑屋はカラオケ屋、新橋は飲み屋として命脈を保っているが、シャッターを下ろしているお店もあり、日中歩いている人はほとんどいない(その代わり、飲み屋が多くなったので夜は結構賑やかだったりする)。

しかしながら、この通りのお店はまだまだ捨てたものではない。末広のブランド力は健在だし、風鈴堂の創作生菓子は絶品。横山カバン店も梅津陶器店もよい品物が置いてある。何よりも、大型店舗にない温かみがある。

今日はどこのお店でも子供がにこやかに話しかけてもらい、丹野園ではお菓子まで頂いた。地元にお金を落とすとか、地元のお店を応援するとかいうことよりも、こういうお店で買い物すること自体が楽しい。店内では思わぬ発見もある。

本町商店街の奥には、トキワ館という映画館の跡にヨークベニマルができ、それを取り巻くように、メガネのヴェルティサイトウや家具のさいとう、イタリア料理のアーリオができた。ヨークベニマルの中には三浦屋書店、CDのサヴァールがテナントとして入っている。ヨークベニマルが撤退するという話を聞いたが、どれもなくなったら困るお店ばかりだ。

この頃は南の大型店舗エリアに行くことが増えたが、こちらで済ませられる買い物はこちらでしていきたい。

本町大通り商店街ホームページ

君が代

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今日は長女の入学式。母校なので保健室やトイレの間取りが懐かしい。

私は集団生活が苦手で、みんなが同じことをしていると別なことをしたくてたまらなくなる性格。それでいつも先生に怒られていた。今日もつい窓を開けて外に飛び出したら、みんなびっくりするかななどとつい考えてしまう。モンスターペアレントってこうやってなっていくんだろうか(違う)。

そういう天邪鬼の血が騒ぐのかどうか分からないが、入学式の君が代は100%全力で歌う。親で歌っている人はなく、在校児童とはりあっていた。しかし!

ちよにーーやちよに
ミソラソラレシラソ

というところが、

ちよにーやちよに
ミソラーレシラソ

と八分音符のソラをラでそのまま伸ばしてしまった。あまりに久しぶりすぎて忘れてしまっていたようだ。国歌を間違うなんてと軽く凹む。インドみたく、映画館で毎回流してくれれば忘れないのに(無理)。

リベンジの校歌はしっかり歌えたのでよしとするか。「ああ一千の同胞(はらから)よ〜♪」

長女は返事も大きくできて、先生の質問にも真っ先に手を挙げて答えていた。自分の考えを自分の言葉でしっかり述べられる子供になってほしいが、学校では浮いてしまうかな。

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