おの: 2012年3月アーカイブ

オランダ人通訳

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今日は近くのロータリークラブでオランダ人受け入れがあり、通訳を頼まれた。脳のいつも使っていない部分を使って刺激的な1日だった。

やってきたのは20代から50代のオランダ人5名。退役した軍人、雑誌編集長、銀行マン、カウンセラー、フローリストとバラエティーに顔ぶれである。まずは山形市内のリサイクル工場を見学。いきなり会長(president)と社長(executive)を訳し分け損ねて失礼してしまった。あと浄化槽(septic tank)は辞書を見て調べた。マテリアルリサイクル(原料に戻す)とサーマルリサイクル(燃料にする)の違いがあることを知って勉強になった。

その後、今度は白鷹のあゆ茶屋でやな場を見てから鮎(sweetfish)をごちそうになって、お昼の例会会場へ。昼食後、メンバーの自己紹介とオランダの国紹介。英文の原稿があったが今日渡されたもので、事前に1回しか読まないでスピード翻訳。みんなが聞いているので緊張したが、それよりもっとハードなイベントが控えていた。

それは町長の表敬訪問。こちらは台本なしのフリートークである。しかも少子化問題や市町村長の選出方法など話題が込み入っていた。「議会制民主主義」とか「根回し」とか、単語が分からないときは、遠まわしに別の言葉で説明することになるので、頭を使う。初めて町議会議場を見学させてもらったが、インターネットでライブ中継していると聞いて私も驚いた。

さらに今度はお寺に移動すると、華道と茶道の説明が待っていた。町長とのお話は日本語では意味が分かるが英語にできないというものだったが、こちらは「あしらい」とか「禅」とか、お手上げが続出で笑うしかない。手を変え品を変え、ときどきフリーズしながら、何とか終わった。

相当頭がウニになっていたらしく、帰りにスーパーで買い物をしたときは同じ所を何度も行き来したり、品物を手にとっては返したりと、精彩を欠いていたほどである。

自分ではあまり満足のいかない通訳だったが、オランダ人の方々にお褒め頂いたのでよしとする。オランダ語の自己紹介も教えてもらった。オランダ語は、音がドイツ語、発音が英語に近くてハイブリッドぶりが面白い。

Goede morgen/middag/avond!
ホデモルゲン/ミダハ/アーヴォント!
Hoe gaat het met je?
ホー・ハート・ヘト・メト・ユー?
Goed, dank je wel.
ホート、ダンク・ユー・ウェル
Mijn Naam is Takuya Ono.
マイン・ナーム・イス・タクヤオノ
Mijn familieleden zijn frau, moeder, grootmoeder, zoon, twee dochters.
マイン・ファミリーレーデン・ザイン・フラウ、ムーダー、フロートムーダー、ゾーン、トウェイ・ドフター

明日の午前中も行く予定。

ドイツ語講座

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まちの楽校本町館というところで行われている地元の市民講座で先月と今月、4回にわたってドイツ語講座を開いた。「ボードゲーム講座」「仏教哲学講座」に続く第3弾である。資格的なものはドイツ語会話学校のゲーテ・インスティテュートで取ったツェット・デーしかないし、留学経験もない。そんな程度で教えられるか自信がなかったが、私より出来る人が受講しにきたら逆に教えてもらうくらいのつもりで開講を申し込んだ。

先日のドイツ大使講演会に参加して、地元長井にはドイツに関心のある人が多いことを知った。南ドイツのバート・ゼッキンゲンという街と姉妹都市になっており、今年もホームステイ計画があるという。以前、ホームステイに参加したという方の話を伺って、ドイツ語しか分からなくて苦労したという。このような講座を開けば、ホームステイを予定している方のお役に立てるかもしれないと思ったのも、開講した動機である。

申し込んで下さったのは8名。バート・ゼッキンゲンクラブ関係者はおらず、ドイツ語は初めてという方がほとんどだった。4回しかないので、文法などは一切省いて、ひたすら自己紹介を丸暗記することを目標にした。あいさつ、自分の名前、住んでいるところ、家族構成、趣味、さらに3回目くらいで自分と家族の職業がドイツ語で話せるようになった。

以前、韓国で学会があったとき、懇親会の席で韓国語で自己紹介をしたことがある。また、インド留学中は、マラーティー語やカシミール語で自己紹介したこともあった。どちらも、まともに話せる言語ではないが、自己紹介できるだけで非常にウケがいい。参加者も、たとえドイツ語はほとんどできなくても、ドイツ人の前で自己紹介ができたら、それだけで心を開いてもらえるだろうと考えた。

毎回、はじめに参加者がひとりずつ自己紹介してから始める。とっさにドイツ語にできない単語(「ハローワーク」「農協」「つつじ公園」など)は和独辞典で調べた。同じことを話すので、回を重ねるごとに、みんなすらすら言えるようになってくる。

2回目はドイツのカードゲーム『ぴっぐテン』を持ち込み、ドイツ語で数字を言いながら遊んだ。頭の中で足し算しながらドイツ語で数字を言うというのは頭の刺激になったようだ。3回目は、ゲーテ/ヴェルナーの野ばらを取り上げ、歌詞を翻訳してからCDに合わせて皆で歌う。音楽の先生が参加していて盛り上がった。4回目はグリム童話の『幸せなハンス(Hans im Glück)』をいきなり原典講読。といってもはじめに日本語の絵本を読んであらすじをおさえてから、意味を取らずに音読し、反復してもらう。ところどころで出てくるキーワード(Gold Klumpen金塊→Pferd馬→Kuh牛→Schwein豚→Gansガチョウ→Stein石ころ)だけを確認した。これまたすごいもので、1時間も音読していると、だんだんすらすら読めるようになってくるものだ。

そんなバラエティに富んだ全4回。最後に、語学は0%か100%ではなく、0%より1%、1%より2%だという話をした。全くできないよりは一言、一言いえるよりはふた言と増やしていくのがよい。私もこの講座を通して、何%か積み増すことができたように思う。参加者からは「とても楽しかった」「ニュースなどでドイツ語が聞こえると耳をすませるようになった」という感想を頂いた。今度は是非ドイツに旅行して、自己紹介を試してもらいたいものである。

ニュースといえば先日のニュースでドイツのメルケル首相がこう語っていた。
"Wir werden bis Ende 2022 vollständig auf Kernenergie verzichten.(我々は2022年末までに原発を完全に停止するつもりです。)"
ここでNHKが「停止する」と訳したverzichtenファツィヒテンは、ドイツゲームでよく見られる単語。放棄する、断念するという意味で、ゲームでは「パスする」と訳すことが多い。こういうところで使われていると意味もなく嬉しくなるが、「停止」ではないような。

蛇のジャータカ

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お釈迦様が息子を亡くした信者の家に赴いて話したとされるジャータカ(前生譚)。

バーラーナシーにダンマパーラというバラモンがいた。常日頃から家族と死について瞑想し、申し送りして、いつ不慮の死を遂げても心配のないようにしていた。ある日、そのバラモンと息子が畑に出かけたとき、息子が毒蛇に噛まれて死んでしまう。バラモンは冷静に葬儀を進めた。死んだ息子は天界に生まれ変わったが、家族への憐れみでバラモンの姿になって家族に会いに行く。まずは自分の体を火葬していた父親と会う。立派な息子が亡くなったのにどうして嘆かないのか訊かれた父親はこう答えた。

「蛇が古びた皮を脱ぎ捨てていくように、亡き者は遺骸を捨てていく。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのだ」

続いて母親に会う。手塩にかけて育てた息子が亡くなったのにどうして嘆かないのか訊かれた母親はこう答えた。

「息子は招いてもいないのにここに来て、許してもいないのに行ってしまいました。来たときのように、ただ、行ってしまいました。それを嘆いて、何の役に立ちましょうか。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのです」

妹も泣いていなかった。

「泣いても、私自身がやせ細るだけです。そんな結果はいかがなものでしょうか。親族や友人知己が、私のことまで悲しみ悩んでしまいます。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのです」

奥さんも泣いていなかった。

「『月が昇ってどんどん遠くに行ってしまう』と泣く子供のように、亡き者を嘆く者も同じことをしているのです。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのです」

さらに侍女。侍女もまた、息子に大事にされていたのだが泣かない。

「割れた水瓶をもとどおりにくっつけることが二度とできないように、亡き者を嘆く者も、同じ結果しか得られません。焼かれても、遺体は痛みも親族の嘆きも知らない。だから私は嘆かない。彼は、どこであれ行くべきところに行ったのです」

バラモンの姿をした息子は、全員の答えを聞いて喜び、こう言った。

「あなたがたは、ここまでしっかり死について瞑想してきました。私はあなたがたに、もうこれからは耕さなくていいように、食べ物を差し上げましょう」

そして彼らの家を宝で満たし、布施を怠らないように、戒めを守り、定期的に反省会を行うように励まして、自分の正体を明かしてから天に帰った。家族もそれから善行に励み、死後、天界に赴いた。この息子が、お釈迦様の前世である。
(藤本晃『死者たちの物語』国書刊行会)

一昨日、お寺を参拝し、御朱印をもらいたいというメールがあった。希望を伺って日時を設定した後、「ドイツゲームは初心者です。東京プリンは最高です。」と一言添えられていた。ホームページをご覧になったのかなと思っていたら……。

その方は翌日、早速参拝にいらっしゃった。うちのお寺は三十三観音などに入っておらず、御朱印をもらいにお参りにいらっしゃる方は非常に珍しい。御朱印帳に丁寧に記入して押印し、御本尊様にあげて般若心経を読んだ。

終わってお茶を差し上げると、御朱印帳に代わってカバンから出されたものが拙著『ドイツゲームでしょう!2010年版』。「え?!どうしてそれを?」意外な展開に慌てる私。

その方が住んでいる新潟の五泉市には、オーナーがボードゲームにハマっているレストラン「どう夢」がある。ここでときどきボードゲームを遊んでいるのだという。同級生に何人もお坊さんがいた縁で近所のお寺にいったときに勧められ、御朱印集めも趣味となった。その2つの趣味を重ねあわせた結果が、うちへの参拝というわけである。さらに、コミックソングにも詳しく、道中に東京プリンを聴いてきたという。

私の中では、お寺とボードゲームは直接的につながっていなかったので、こういうこともあるのだと驚くばかり。仏教やボードゲームの話が弾んだのは当然のことである。

「どう夢」オーナー、ボードゲーム仲間のお坊さんと3人で今度私のところに行こうという話になっていたそうだが、なかなか皆の都合が合わなくて1人で来たという。今度は是非皆さんで、ボードゲームを遊びに来て下さいといって見送った。

お寺とボードゲームは直接的につながっていないと書いたが、ボードゲームを通して人と出会うことも仏縁だと感じることがある。私がもっている何かを必要としている人と、その人がもっている何かを必要としている私が結び付けられる。そんな縁をありがたく感じたひとときだった。

3月5日から2日間にわたって、山形・赤湯温泉にて御詠歌の研修会が行われ、主催者事務局長を務めさせて頂いた。ハードながら楽しい仕事だった。

この研修会は、福島、宮城、最上村山、置賜の4エリアで御詠歌を教えている和尚さんと寺族さんが、2年に1度集まって研鑽と親睦をはかっているものである。4エリアを順番に回るので、自分のところが当番になるのは8年に1度。前回当番だった8年前はインド留学中で参加できなかったが、その後に事務局長に任命され、準備を担うことに。

わが置賜はほかのエリアよりもメンバーが少ないため、前回も相当苦労したようである。最上村山と共同で当番をしたほうがよいのではという声もあった。検討を重ねた結果、何とかやってみようということになったのが4年前。本格的な準備は去年から始まった。昨年2月の東京研修会の道中、会長と新幹線で構想を練る。

私がこの会に3度参加して思ったのは、各県の知り合い同士で固まってしまって親睦があまり取れないということ、級階別にクラス編成するとどうしても人数にムラができることだった。特に和尚さんのクラスは(お葬式が入るとすぐ帰ってしまうため)参加者が少なく寂しい。前回の最上村山大会で、私が参加したクラスの朝の受講者はたった3人しかいなかった。

これを解決するべく考えたのは、くじ引きによるクラス編成と、クラス別発表会だった。元ネタは私が学生時代、毎年参加していた金管奏者のワークショップ。はじめにランダムにグループが組まれ、それぞれアンサンブルを1曲練習して、最終日に発表していた。5つの大学から参加があったが、完全にシャッフルされるのは飲み会も楽しい。これを提案したところ、会長が面白そうだと仰って、役員会でも賛同してもらった。他県からの参加者と交流しづらいというのは、みんなが思っていたようだ。

もう1つ考えたのが、特別講演である。テーマは今年60年目を迎える梅花流の創設当初の話。先ごろ、梅花流発祥の地である静岡・洞慶院様を参拝してお話を伺ったとき、創設者たちの崇高な意志に感激するとともに、それをよく知らないまま御詠歌を続けてきた自分を恥じた。創設者の世代はあらかた他界しており、今のうちに伺っておかないと、第二世代もいなくなってさらに分からなる懸念がある。また、講員減少が著しい今日、御詠歌を続けることに意義を見出せない方も増えていると思われ、原点を尋ねることは、今後の励みにもなると考えた。

コンセプトが決まればあとは難くない。宿を仮予約し、講師を依頼し、各県に開催通知を出し、出欠を取り、宿に申し込む。手間も経費も極力かけないため、パンフレットは広告を入れず、ワードで作ったものをそのまま印刷してもらった。開会式の法要は、祭壇の設置から全て若い衆に丸投げ。

迎えた当日、3月に似つかわしくない大雪で、福島・宮城からの道路が通行止めになるというアクシデントに見舞われた。福島の方は車から新幹線に乗り換え、震災の慰霊供養で前日宮城に集まっていた先生方もぎりぎりの到着。受付でばたばたしたが、正法のために身も心も惜しまない同志に心打たれる。
三県合同梅花流研究会:開会式

人もまばらな中での開会式

事務局は、常に次の時間の準備をして回るのが仕事。特別講演中に分科会の茶所準備、分科会中に懇親会の準備。自分が参加したいような研修会にしたくて企画したものを、特別講演を聴くことも、講習を受けることも叶わないのは皮肉なことである。


三県合同梅花流研究会:柴田先生

柴田弘一師範による特別講演「梅花流の原点を尋ねて」

懇親会も、くじ引きの班別。一緒に練習した後なのですでに打ち解けており、どの班も和気あいあいと楽しそう。私も隣の方と、三時業や祈りについて話し込んだ。毎回恒例となっているエリア別の余興はどじょうすくい。母が講員さんから習ってきたものである。二次会でも講師の先生と涅槃について話し込んだ。

翌日は1時間のリハーサルの後、いよいよ班別発表会である。緊張感を高めるため、業者に録音を依頼し、発表の前に講師の先生から曲解説をお願いした。さすが日頃お寺で指導なさっている方々だ。座席でじっくり聞かせて頂いたところ、作法からお唱えの細部に至るまで見事に揃っていてぞくぞくする。録音はCDに焼いて、後日おみやげとしてお送りすることになっている(少々余分に作りましたので、このブログをご覧の方でご希望がありましたらお頒けします。ご連絡下さい)。

三県合同梅花流研究会:登壇奉詠

緊張の登壇奉詠

閉会式もひと工夫。最後に坐禅の御詠歌を誰かが独りでお唱えすることになっているのだが、そこを5人で、ふすまの影で唱えた。クラシック音楽でステージ外の遠くから演奏する「バンダ」を模したものである。本当は小鳥のCDを流す予定だったが、機材の調子が悪くて流せなかったのが残念である。

講師の先生方と参加者をお見送りして、スタッフで昼食をとって解散。会計さんの報告によると、だいたい予算内で収まったようだ。平日で、私も母も参加したため、仕事を休んで家事をしている妻に迎えに来てもらった。

初めてのことばかりの上に、スタッフ不足で至らぬ点がたくさんあったが(会長が先生の法具を運ばなければならなかったほどである)、先生方からお褒めの言葉を頂き、参加者も概ね好評だったようで感謝している。

それと同時に、後輩を育てる必要性も痛感した。各エリアの事務局で定期的に集まる話も出ていたので、よその取り組みを学んで、本格的に取り組んでいきたいと思う。

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