おの: 2012年12月アーカイブ

年末攻勢

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お寺の年末は例年忙しいのだが、今年は比較的余裕があった。

お寺で年末にすることは主に①年賀状、②大掃除、③法事の年回表貼り、④年始客への配り物準備、⑤鏡餅などの飾り付けである。いつもは大晦日の夜中までかかるものが、こんな日記を書けるくらいスムーズにできたのは、早めにスタートしたことと、子どもたちが手伝ってくれたことによる。

27日、最後の法事のお客さんがお寺にいらっしゃったので1時間前からストーブを点火。本堂が温まっていたので、お客様がお帰りになってから掃除もしてしまおうということになる。いつもより2~3日早い。長女と長男がお供え物の片付けや窓のさんふき、妻が掃除機をしてくれたので、私は須弥壇の掃除に専念できた。いつもは半日かかるところを2時間ほどで終了。

28日は次女が今年最後の登園日で午前保育だったので、その間に庫裡も掃除してしまおうということになった。次女がいると自分が散らかしたものを片付けるたびに怒り、お手伝いといってさらに散らかすので能率がすこぶる悪い。また長女と長男が手伝ってくれて、午前中いっぱいで雑巾がけまで終了できた。午後はほうびに家族で日帰り温泉へ入りに行く余裕ぶり。

29日は前机の奉納で1日取られたが、夜から法事の年回表にとりかかる。エクセルに過去帳データを入力して、ソートして印刷。この原簿をもとに、細長い札に戒名を書き込んでいく。これが結局、31日までかかった。

その間に、妻が長女と長男を率いて、年始客への配り物準備にとりかかる。今年注文した立春大吉の御札が封筒に入っていなかったので、大きめの封筒を用意して、熨斗をプリントしたラベルを貼付。これに御札のほか、ポスター、リーフレット、住職だより、食品、それから役員向けに手帳、年明けの大般若寄付帳、カレンダーを封入することになっていた。たいへんな手間だったが、人海戦術で180セットを完了。

そして年回表を少々と、飾り付けだけを残して迎えた大晦日。朝に檀家さんの訃報が入り、枕経に向かう。その後少し具合が悪くなって休憩(低血糖なのか、体温が下がって頭が痛くなる症状)。その間に妻が飾り用の松を切ったり、長女がその松と薄く切った餅を器に並べたりしてくれていた。年回表も妻に手伝ってもらって貼り出し、前机の寄付単を下げて完成。

母はこの間、祖母の介護と食事の準備・片付けをしつつ鏡餅や本堂の花などを準備した。見事な連携だと思う。正直、これだけのレベルの準備を今後も続けられる自信はない。祖母も張り切って「あれはどうなっている」「これは終わったか」と監督役。

こうして31日、日が暮れる前に全ての正月準備が完了。文珠堂と稲荷堂にみんなでお参りして、本堂に食事をあげて晩のお勤め。今年1年無事に過ごせたことをご本尊様に感謝し、今年法事が行われなかった方の戒名を読み込んで供養した。

うちは除夜の鐘もなく、早朝から御祈祷を行うので今日はこれでお休み。子供の頃は0時まで起きていたものだが、めっきり夜に弱くなっている。

前机の改修

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本日、本堂に見事な前机が奉納された。

前机

今年の春、檀家さんがお見えになり、お葬式で大変お世話になったのでと寄進を申し出られたのがきっかけ。そのときにぱっと思い浮かんだのが前机である。

前机とは須弥壇の前に置いて、香炉、花瓶、蝋燭立てなどを載せる台。内陣(本堂中央の板の間)の一番手前に置くため、本堂で最も目立つ仏具である。これまでの前机は、文久元(1861)年に白鷹町山口の石井家から寄進されたものだが、高さを調節するために下駄を履かせており、塗装が剥げている箇所、部品がない箇所も多かったため、打敷で完全に覆ってしまっていた。

新しいものを買うほどの予算もなく、また古いものも大事にしたかったので、部品を取り替えたり付け加えたりして改修することにして、兼務寺の檀家さんである齋藤木工に発注。見ていただくと、当時の節の多い杉材なので、欅で作りなおしたほうがよいのではないかという。そこでデザインと色合いだけ踏襲することにし、寸法、塗り方(漆は高いのでカシューで)、寺紋の入れ方など、細かい打ち合わせをしてお願いをした。

夏は塗りがうまくのらないということで冬に。そして年末になってようやく完成したところである。寄進なさった檀家さんをお招きして、搬入に立ち会って頂いた。

仏具専門ではない木工所の上に、途中の工程を見ることができなかったので、不安があった。そのため想像をはるかに超える出来栄えの良さに舌を巻いた。

まず目を引くのが寺紋。プリントでよいと伝えておいたのだが、彫ってある上に金箔入り。上と下の板が、同じ欅を2枚に切って使われており、木目が同じになっている。前の前机の部品も2箇所使ってくださっていたが、どこがその部品で、どこが新しく付け加えられたものか分からないほど精巧である。前の前机にはなかった部品も、仏具カタログを見て製作したという。予め伝えていたよりもずっと費用がかかったと見受けられるが、予算通りの金額。これもまたありがたい。

「末代まで使えるものを」と齋藤木工の会長さん。立ち会った檀家さんも殊の外喜んで下さって、住職としても嬉しいひとときだった。

道心利行御和讃

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(一)衆生済度の誓願に 常に在す御仏の
   慈悲の光に照らされて 命耀う嬉しさよ
   あなたの真前に向き合わん 利行の道の同朋として

(二)山河自然の厳しさと 恩恵に而今を生かされて
   利他の功徳を積む人の 花の笑顔ぞ美しき
   あなたと共に伝えあう 正しき法の灯火を

(三)生死流転の現世にも 心を澄まし爽やかに
   今日の勤めを励みなば 菩提の月は宿るなり
   あなたを信じ支えあい 希望を抱き進み行く

震災後の宗門の取り組みのひとつとして、今年発表された新曲。2012年12月21日録音

布教師検定

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今日、東京港区の曹洞宗宗務庁で行われた布教師検定を受検してきた。

布教師といっても街頭で勧誘活動を行うわけではなく、専ら檀家さん向けにきちんとした法話を行なうための資格である。現在は、梅花流の上級師範を受験する際にも必要になっている。今回受けたのは初級の「令命二等」。

私が梅花流の2級師範を取ったのは改正前の駆け込みで、布教師資格をもっていなかったのがずっと気にかかっていた。しかしいかんせん、何を準備したらいいのか分からない。そこへ今年、地元の宗務所が布教師講習会を開いて下さったので、喜んで参加させて頂いた。講師は、全国を巡回して法話を行う「特派布教師」を長年務めた三浦信英老師である。同じ教区の和尚様でもあり、全4回の講習は和やかで充実したものとなった。

検定は法話実演と筆記試験からなる。法話実演は管長告諭と今年の布教教化方針に基いて5分、筆記試験は専門用語の読み書きと、仏教史・禅宗史のマルバツ問題、曹洞宗宗憲の穴埋め問題、人権啓発に関する小論文と、800字程度の法話である。話す法話と書く法話は、テーマが同じだが別の話題にしなければならない。

講習会でも法話実演があって、そのときは不飲酒戒(お坊さんはお酒を飲んでもいいのか?)について話をしたが、今年の課題とあまり関係がないので変更。今年発表された梅花流の新曲『道心利行御和讃』の1番に基いて話すことにした。ただし歌詞は一切出さず、専門用語は「利行」さえも別の言葉で言い換えることにした。梅花の中に法話があってもよいが、法話の中に梅花があるのは望ましくないとされている。

お釈迦様が生きとし生けるものの幸せを祈り、その慈悲の眼差しは遠く2500年離れた私たちにも注がれている。その眼差しに気付き、また私たちも周囲の幸せを祈れるようになろう。そんな内容である。

講習会では三浦老師から、建前で話すのは三宝を謗ることになること、お釈迦様や道元禅師の言葉をただ紹介するのではなく、自分がどう受け止めているかを話すことをお習いしていた。そこで身近な具体例を出しつつ、自分がどう感じたか、何に気づいたかを積極的に話すことにした。この点、事実を伝えることを主眼とする大学の授業とはまるで異なるため戸惑いもあったが、三浦老師の目線、口調を観察して、そのまま真似をしていくうちに感じが掴めてきたように思う。法事の後にも檀家さんの前で練習。

今日の実演は11人中10番目の発表だったので、みんなの実演を聞いて注意点を確認できたのもよかった。始まる前は緊張したが、実演の最中は無我夢中だったせいか上がらなかった。三浦老師から習ったことを思い出して話ができたからだろう。

検定委員の先生からは、社会経験がずっと豊かな人の前で話すということを意識したほうがよいという講評を頂いた。確かに仏の教えがたとえ深遠だとしても、自分が実践できていないことを話したのでは建前だと思われてしまう。誰にでも別け隔てなく、見返りを求めない利他行を実践しましょうといきなり話すよりは、まずは家族からというほうが実践してみようかという気分になる。

筆記試験の出題範囲は予め指定されているので、道中に読んでおいたがいざとなると迷う。マルバツ問題が特に難しい。「第一回結集は目連を中心に行われた」というのは、摩訶迦葉と阿難なのでバツ。「達磨大師に慧能が腕を切って差し出した」というのは、慧能ではなくて慧可なのでバツ、「道元禅師は帰国後、建仁寺で『普勧坐禅儀』を著した」というのは建仁寺は臨済宗だから違うだろうと思いきやマル、「瑩山禅師は諸国行脚の後、大乗寺を開いた」というのは永光寺が正しいのでバツ(大乗寺は義介禅師)。東大の大学院入試より難しいのではないか(sat, cit, aanandaについて解説せよという問題でとんちんかんな答えを書き、面接で「勉強してないな」と言われたのを思い出す)。

人権に関する小論文は、人権擁護委員での経験や思っていることを書くことができたが、最後の法話ははっきり言ってちゃんと準備して来なかった。あれこれ考えて、東日本大震災被災地支援の経験から、思い上がらずに支援することの難しさを書く。予め準備してきた人は、すらすらと書いて先に退出できたが、私は後ろから数えたほうが早いくらいだった。

ケガ続き

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土曜日の夜、本堂で御詠歌の練習をしていると長女が血相を変えてやってきた。「おばあちゃんが倒れてる!」練習を中断し、庫裡にかけつけると、玄関の土間におばあちゃんが落ちていた。車椅子が倒れ、ザリガニの水槽のわきでヒーヒー言っている。 

どうやら、玄関の電灯をつけようとして車椅子が脱輪し、土間に投げ出されたようだ。すぐに抱えて車椅子に載せたときに、御詠歌の講員さんたちも心配してやってきた。悲鳴を上げているが大丈夫そうだったので部屋に連れていき、練習を再開。お唱えしながら気持ちが落ち着かせるまでしばらく時間がかかった。講員さんたちは心配だから今日はもう中止にしようと仰ったが、休憩時間に見に行ったら、だいぶ落ち着いていた。子どもたち3人がベッドに寝かせ、手当をしている。 

土曜日は妻がアメリカ出張、母が選挙管理委員会で外出しており、私が御詠歌で本堂にいったので子どもたちと祖母しかいなかった。そこで祖母がはりきったらしい。ほどなく帰ってきた母にこっぴどく叱られる。 

翌日、接骨院の親戚に見に来てもらい骨は折れていないことを確認。でも足が打撲で腫れてしまって祖母は1日寝て過ごしていた。 

その今日、大雪が降って子どもたちは喜んで外に遊びに行った。ところが5分も経たないうちに、次女が血だらけで帰ってきた。長女が振り回したスコップが額に当たったのだという。長女も母もパニックになっている。 

私も動転してしまって、長女を思い切り叱りつける。次女の血はすぐに止まったが、額が三日月のように割れていた。休日診療所に電話したところ、総合病院の緊急外来にいって縫ってもらったほうがよいとのことで、母が子どもたちを連れて出発。 

皆は3時間ほどかかって帰ってきた。縫わないで済んだそうがまた明日、病院にいって診てもらうことになって、今度は私が連れて行くことになった。母は昨日から、選挙管理委員会と祖母の世話に加えて、次女の通院でへとへと。妻のありがたみが分かる。 

事故やケガというのは、「こうしていれば回避できたかも」という後悔をどうしてもしてしまって凹むものである。一度動転した気持ちはなかなか切り替えられるものではない。祖母が玄関の土間に倒れているシーン、次女が血を流して泣いているシーンがフラッシュバックするたびに、どちらも大事に至らなくてよかった、と自分に言い聞かせている。明日は次女の通院、さらに事故やケガをしないように、落ち着いて行動したい。

近所に「ペット美容室ぶるーむ&Nilgiri雑貨店」というのがあるのだが、その前を通るたびに禅宗でよく読まれる『大悲心陀羅尼』を連想する。なぜか。

「ニルギリ(Nilgiri/नीलगिरि/நீலகிரி)」というのはインド南部、タミルナードゥ州で取れる紅茶の銘柄だが、翻訳すれば「青い山」という意味。ヒンディー語で「ニール・ギリ」、サンスクリット語では「ニーラ・ギリ」と読む。

大悲心陀羅尼の原題は「ニーラカンタ・ダーラニー(नीलकण्ठधारणी)」で、意味は「青頸(観音)陀羅尼」である。ここでも「ニーラ(青)」が用いられている。ニルギリから大悲心陀羅尼を連想するのは、そのためである。

「ニーラカンタ」はもともとシヴァ神の異名。それが仏教において観音菩薩にあてがわれたのは興味深い。観音信仰は、普く光を降り注ぐ太陽神ヴィシュヌだけでなく、破壊と創造の神シヴァ神にも由来しているのだ。

乳海攪拌の折にマンダラ山を回す綱となった大蛇ヴァースキが、苦しむあまり猛毒(ハラーハラ)を吐き出して世界が滅びかかったため、シヴァ神が毒を飲み干し、その際に喉が青くなったため、ニーラカンタ(青い喉)(Nīlakaṇtha)とも呼ばれる。(Wikipedia)

「ニーラカンタ」という言葉は陀羅尼の中にも出てきて、漢訳では「那囉謹墀(のらきんじー)」となっている。この文句のところで鐘を鳴らすのも、重要な言葉だからだろう。

それにしても「ニル」と「ノラ」が同じ言葉とは、訛りすぎもいいところである。意味を知らずに陀羅尼を読むのは密教だから問題ない(知らない方がいい?)。しかし漢訳して音読したときに発音が全く変わってしまっているのは大丈夫なのだろうか。

観世音言う、もし善男子前女人、この神呪を誦持する者は、広大なる菩提心を発し、誓って一切衆生を度し、身に斎戒を持し、もろもろの衆生において、平等心を起こさん。(千手経)

以下に大悲心陀羅尼の原文を掲載する。現在禅宗で読まれているものと比較しながら読むとその違いっぷりがすごい。意味も、「ライオン顔」「虎皮の服」など観音様のイメージとかけ離れた内容で、神呪のまま訳さなかった理由が分かるような気がする。

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