おの: 2013年6月アーカイブ

祖母の逝去(5)

葬の後1週間、お客様がひっきりなしに訪れた。お葬式に都合が悪くて来られなかった方、亡くなったことを人づてに聞いて来た方、初七日にお参りにいらっしゃった方、初七日に都合が悪くて来られなかった方などである。母がお茶を出して思い出などを伺っていた。

私の方は、葬儀より前にいらっしゃった方への香典返しのお届けや発送、葬儀に参列してすぐ帰られた和尚さんへのお布施配りなどで出かけており、やはり1週間くらいは落ち着かなかった。

週末は、長女が東京に行き、妻があちらで迎えるために山形に帰らなかった。そういうときに限って用事が立て込む。土曜日は、長女を駅まで送ってから教区総代会、その後に法事、法事の食事の席から直行で仏壇供養、お寺に帰って庫裏の掃除(毎週週末に行う)とタケノコ掘り、夜から御詠歌の練習、さらに長女のPTA懇親会。ノンアルコールで通して26時に帰宅した。

日曜日は打って変わって法事が1件だけだったが、朝早くから子供に起こされる。母親がいない週末で退屈そうにしていた子供たちを見て、東京から帰ってくる長女を迎えるついでに福島に行くことにした。東北六魂祭が行われていたが、向かったのはそこではなくラウンドワンというレジャー施設。福島に来るまで行くのは初めてだったが、うちからは90分ちょっとで着いた。

毎年、子供会の夏の旅行で議論になるのが、リナワールドかラウンドワンかという選択。ゲームセンターとかスポーツ施設だといわれてもピンとこなかったが、小さい子供でも遊べるボールプールなどもあって、子供たちも気に入った様子だった。

福島のイオンで食事をして帰宅したのが21時過ぎ。子供たちは遊び疲れて車中から爆睡していた。 こちらは出かける前に30分ほど仮眠しておいたのでセーフ。

その後の平日は大きな用事もなく、家の片付けをする余裕もあった。祖母の遺産相続(というほど多額ではないが、人が亡くなると預貯金が下ろせなくなる)の手続きが司法書士さんに書類を作ってもらうなど、意外にたいへんだ。

祖母の逝去(4)

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山形では、葬儀の前に火葬を行う。こちらでは当たり前となっているが、遠くの親戚には珍しいらしい。火葬は11時、葬儀は14時である。この順番になったのは、火葬場の都合という説と、午後から葬儀を行なってその日のうちに納骨するためという説があるが、火葬場は午後も開いているので、後者ではないかと思う。

出棺のお経が10時前ということで、だいぶ余裕があった。施食供養のお供え物にする野菜を切ったり、お手伝いに集まった近所の方や葬儀社の方とお茶を飲みながら最終打ち合わせをしたりできるほどだった。

ちなみに棺は、以前の見積もりで「エコ棺」を頼んでいたが、葬儀社で取り寄せてみたところあまりにお粗末で(段ボール製)、結局桐製となった。前日の入棺の折に、祖母が生前に回った観音参りの御朱印帳を何冊も入れた。あまりに多い御朱印に、入棺に立ち会った和尚さんが「これなら一発で極楽行きでしょう」と仰っていた。

出棺では、お経を読んでから釘打ちの儀式を行い、玄関ではなく窓から出した。これは、もう帰って来られないことを明示して死者の未練を断ち切るためのものとされるが、生きる人にとっても大切な瞬間だと思う。

火葬場へは、母、叔母、妻と共に霊柩車で移動した(ほかの方はバスで移動)。天気もよく、白つつじや藤の花がきれいで、遺影をもった母が棺の中の祖母に話しかける。

火葬場でもお経を読んで焼香してから、火入れとなった。家族は泣いていたが、檀家さんの火葬にいつも立ち会っているせいか泣けてこない。拾骨までの1時間半は、昼食のおにぎりを食べながら、外で遊ぶ子供たちを見たり、親戚としゃべったりしていた。

祖母が亡くなってから、葬儀までの間にたくさんのご寺院さんがお参りにこられ、そこに立ち会わせて頂いたが、これがとても勉強になった。亡くなった人の前でどんなお経を読むか、どれくらいの速さで読むか、回向はどんな文言か、御詠歌を入れるかどうか、普段は見聞できない部分で、早速、檀家さんの法事や葬儀に取り入れることにしたものもある。

拾骨でもあまり感慨が湧かなかったが、祖母の足に埋め込まれていた人工骨頭が出てきたとき、『遺教経』の「仮に名付けて身と為す」という一句を思い出した。苦しみのもととなってきた身体を脱ぎ捨ててこそ、本当の安楽を得ることができるという教えである。白骨はすでに抜け殻のようなもので、もはや祖母ではない。

お骨をもって帰ると、葬儀をお願いしている和尚さんたちが続々といらっしゃった。今回は導師、脇導師2名、伴僧7名で10名での葬儀で、葬儀の後は施食供養も行われる。私は喪主なので脇に座って葬儀の行方を見守っていた。長男は途中で爆睡し、変な格好で寝ている。

葬儀の様子
10名で執り行われた葬儀の様子。撮影:髙橋良一氏

司会の和尚さんのいざないが実に見事で(これまたとても勉強になった)、葬儀はしめやかな中にもスムーズに進行した。弔辞は6通で、市長と赤十字は省略。管長弔辞をご本寺様に読んで頂き、その後に総代長、梅花講員、寺族会代表、保育士OB、曾孫と続いた。いずれも心のこもった文面で、祖母の知らない一面も知ることができ、胸を打たれる。焼香では梅花講員さんと、近隣のお寺さんの寺族さんたちに追弔御和讃を三番まで奉詠して頂き、また胸を打たれた。

葬儀の後は喪主挨拶。会葬者とご寺院さんへの感謝の気持ちとともに、心配性だった祖母に、これからも後ろから見られているような気持ちで生きていくのだろうという感慨を述べた。続いて外で会葬者をお見送りしたとき、実にたくさんの方が参列していたと知る。外に設置したテントとパイプ椅子もほぼ満席で、200名を超える会葬者だったようだ。一番多かったのは檀家さんだが、母や私の友人もちらほら見かける。ありがたいことである。

終わって施食供養では、五如来幡をお隣のご寺院さんからお借りした。お恥ずかしながら、私が住職になって15年で初めての施食供養だったのである。今まで積もりに積もっていた分まで供養できてよかったと思う。葬儀が始まってから最後の跡祈念が終わるまで、2時間45分くらいを見込んでいたが、説戒と弔電披露を省いた結果、30分短縮することができた。正座している人が多いので、式を長引かせないことを心がけた。

しかしこれで終わりではなく、念仏が行なわれた。お寺は念仏講に入っていないので念仏してもらうことはできないのだが、個別に頼み込んでしてもらえることになった。今年、長井市仏教会で念仏のDVDを制作していた関係で念仏のよさを知り、お願いしたいと思っていたのである。

念仏
念仏は、数珠の輪に入れないほどだった。中越:椎名恒四郎氏。

そしてようやく壇払いの食事。近所の方や親戚に飲み物を注いで回っていたが、すぐ後に檀家さんの入棺があったのでご挨拶して早めに失礼する。目が回るような過密日程だったが、檀家さんのお宅で通夜の食事をがっつり頂いて元気が出た。

お寺に帰ると、お客さんはもうあらかたお帰りになられており、今夜泊まる叔母や義父・義母だけになっていた。本堂を少し片づけし、1日お手伝いをして下さった近所の方を送って、その足で近くの温泉へ。実はこの日、趣味(ボードゲーム)の仲間で合宿していたのである。急遽欠席となった非礼を詫び、少しゲームをして帰ってきた。

翌日は朝からお寺で法事があったため、早起きして葬儀社の方と共に片づけ。この日は法事4件と、昨日入棺した檀家さんの火葬があり、さらに当日お渡しできなかったお布施や香典返しを配っていたため、1日中の外出となった。夕方に帰宅してようやく、祖母を送り出し終わったという気持ちになれた。

祖母の逝去(3)

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この辺りの葬儀は、友引でない限り、亡くなって3日目に行うのが一般的だが、今回の葬儀は4日目に決めた。一番の理由はスイスに住んでいる叔母が参列できるようにするためだったが、土曜日になったことで子供たちが授業を休まず参列でき(小学校の登山があったが)、私もゆっくり準備できた。もっとも、葬儀の準備はこれで完璧ということがなくて、時間があればあるほど、準備することが増えていくものである。

3日目に行ったことは会場設営である。位牌や塔婆を書き、お供え物、椅子、鳴らし物を出して並べ、当日配る次第を作成した。夕方の入棺まで時間が限られている中、近くの若い和尚さんが香炉の灰ならしをしていって下さったのは本当に助かった。

古来インドより、祭主と祭官というのは立場が異なり、祭主が依頼すれば後は祭官任せなのであるが、お寺の場合、当日までの段取りは自分でしなければならない。しかしその分、自分のしたいようにカスタマイズできたともいえる。

葬儀の弔電については、わざわざ足を運んで下さった会葬者を差し置いて、披露の時間を設けることには常々疑問を感じていた。そこで当日配布する次第の中に弔電リストを加え、弔電は紙面をもって披露に代えることに。また、祖母はすでに寺族得度を受けているので、受戒の儀式も省略して時間短縮に務めた。

次第は、このごろ檀家さんの葬儀で親族にお配りしているものを手直しした。葬儀の流れと、その中での作法を簡潔に記してある。

葬儀次第

入棺では、清拭は逆さ水ではなく普通のぬるま湯、葬儀社さんにお願いして草鞋・手甲脚絆・天冠を省略、足袋・腰当て・数珠・頭陀袋だけにして頂いた。暗くて険しい黄泉の道を歩いて行くのではなく、諸仏諸菩薩に導かれて雲にのって行ってほしいという願いを込めた。入棺後の手洗いや、引き出物の清め塩はなくして、いわゆる「死穢」を意識させないようにした。

通夜は早めに終わり、深夜に帰る予定だった叔母の飛行機が遅れたため、残ったビールを飲んで就寝。子供たちは、義父・義母がきたので大はしゃぎで一緒に寝た。明日はいよいよ葬儀である。

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