おの: 2018年6月アーカイブ

「太初において、これは有のみであった。唯一の存在で第二のものは存在しなかった」「変容は、言葉による把捉であり、名づけである」(『チャーンドゥーギヤ・ウパニシャッド』)」に始まるインド哲学の存在論を系統立てて概説。「世界は一つのものから始まったのになぜ多様なのか」という問題について、増殖説、創作説、転変説、仮現説、多元説に分類して考察する。

インド哲学の概説書は多数あるが、いろいろな思想を辞書のように並べるものが多く、一本の芯を通したことで、六師外道、サーンキヤ学派の二元論、シャンカラの不二一元論といった難解な思想も非常にクリアになっている。特に筆者が専門としてきた文法学者バルトリハリ(5世紀)の言葉=宇宙原理説もオカルトなものではなく、言葉による世界の分節・構築であるということも理解できる。

あとがきで筆者は、倫理学・認識論・論理学については論じることができなかったと書いてあるが、存在論の思想史抜きにしては語れないものであり、存在論の応用問題であるといってもよいのではないだろうか。事実、世界を動かす原理としての業と神のせめぎあいは詳しく論じられており、それは倫理の問題に直結するし、シャンカラの思想の紹介では認識論に、神の存在論証では論理学に踏み込んでいる。

以前、インド哲学と西洋哲学の対論のシンポジウムがあり、そこで因果論の蓋然性について疑問が提起されたことがあった。そのときは最終的に聖典が根拠だから100%しかないというような答えだったと思うが、本書の最終章でニヤーヤ学派の見解として紹介されているように、業のはたらきと、神の助けの二本立てならば「この世の中で懸命に努力している人が、必ずしも懸命な努力の結果を受け取るわけではない」といった事態も説明ができる。机上の空論ではなく、生き方の問題にも関わってくるのだ。

『沙石集』の「神力も業力に勝たず」という言葉や、『正法眼蔵』の「仏性がないからこそ仏になる」という逆説的な説き方に触れられているところも、インドだけでなく日本にも通底する普遍的な問題であることが分かる。

非思量の詠唱

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曹洞宗総合研究センター編「『梅花流指導必携』の変遷」を読み終わる。一番心に残ったのがこの箇所。

私は詠道に於ては「一に信、二に声、三に節」と従来の標語を改める必要があると提唱するものである。少くとも正法を高く掲げて孤高清節を守られた高祖大師の流を掬む我が梅花流の詠道にあっては「信は道元功徳の母」との教意に徹して「信心第一」の心構えを忘れてはならない。
 詠歌道にこの「信心第一」の心が失われる時、詠歌は単なる喉自慢、声自慢となり、小天狗大天狗輩出して、徒らに他人をけなし合い、自讃毀他、百鬼夜行の浅間しい世界を現出するであろう。それでは何の為の詠歌和讃かわからないことになってしまう。(久我尚寛『梅花流詠道要訣』昭和29年)

まるで65年経った今のことを言っているような内容。お唱えの上手下手に気を取られず、お唱えの中の信心の深さ、「非思量の詠唱」を追究していきたいと思うところだ。

約10年に1度開かれるお寺の総会(普段は地区代表のみで開催)と、中1日で18年に1度会場当番が回ってくるご詠歌の特派講習会。総会では2年後に行われる「晋山結制」にゴーサインを出して頂き、合同法事は何回忌から参加可能にするかと、法事札の掲示を継続するかについて協議した。

現在洞松寺の合同法事は、50回忌、100回忌、200回忌、300回忌のみを対象とし、33回忌までは自宅であれお寺の本堂であれ個別に行って頂くことにしている。しかし17回忌以降は親戚を呼ばず、家族だけで行われることも多い。総会では結論が出なかったが、もう少し柔軟に対応したほうがよいのかもしれない。

法事札の掲示取りやめは、宗門で取り組んでいる過去帳の非開示の一環として進められているものだが、継続を希望する声が大多数。申し出たら掲示しないことを確認するにとどまった。ただし水子は数年前から自主的に掲示を行っていない。

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ご詠歌の特派講習会は静岡県富士市の浅野正光師範をお迎えし、35名の受講者で午前午後とみっちりお習いした。お昼は水杜里で「冷やしだしラーメン」。山形名物が一挙に味わえる一品である。

どちらも終わってからは懇親会・慰労会で大盛り上がり。「緋の衣で送ってもらいたいから、あと2年は生きたい」という役員さんたちに、もっともっと長生きしてもらいたいと強く思った。

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人権擁護委員の研修で障がい者自立支援センターの職員さんのお話。先日の新潟の女児殺人事件の後、知的障がいの方が道端で大きい声を出したら、近所の親御さんから「子どもが心配だから目を離さないで」と言われたとか。地元にずっと住んでいる人だからそんなことをするはずがないと分かっているはずなのに、事件があると真っ先に疑われると悲しんでいらっしゃった。

明らかな障がい者差別だが、親御さんの子どもを心配する気持ちもよく分かり、もやもやして帰途についた。せめて普段から子どもたちと障がい者の方が接する機会があればそんな偏見は起こらないと思うのだが、身の回りでもそういう機会がほとんどないのが現状である。

今年度から、人権擁護委員で新たな専門部会「高齢者・障がい者人権委員会」が立ち上がるので、知見を深めて差別解消に何かできることを見つけていきたいと思う。

あくる日は市町村役場で男女共同参画を担当している課長さんの会議に男女共同参画推進員として参加。講演(静岡県立大・犬塚教授)は性的役割分業社会から男女共同参画社会への転換についてで、ジェンダーギャップ後進国の日本が世界から取り残されないため、そしてすでに始まっている人口減少・経済衰退社会で人手不足や失業リスクを軽減するため必須であるという内容だった。地域の担い手がどんどん少なくなる中、住民の半分しかいない男性だけに仕事を負わせていてはいずれ立ち行かなくなる。

PTAも同じ。小中学校PTA会長に占める女性の割合が全国11.2%に対して山形県1.1%! 根本的には家事時間の偏り(男性51分、女性169分)があるが、全国連では5年前に廃止され、東北では今や秋田と山形しかないという「母親委員会」を見直す時期に来ているのではと思っている(PTA会長になってもらいたい母親委員長が多い)。この件について、県の男女共同参画センターに調査を依頼。

障害の有無や性別で一緒くたにせず、その人その人の生き方を尊重すること。言うは易く行うは難しだが、自分ができることを模索している。

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