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「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」という世の中になったというが、昔は本当にそうでなかったのか明らかにされておらず、パオロ・マッツァリーノ風にいえば「昔は良かった病」の誹りは免れないように思われる。政治体制論と教育論に多くの紙面が割かれているからなおさらそう思うのかも。

それでも、心に残る内田節はあった。
「にこにこ機嫌よくしていないと危機は生き延びられません。眉根に皺寄せて、世を呪ったり、人の悪口を言ったりしながら下した決断はすべて間違います。すべて。ほんとにそうなんです。不機嫌なとき、悲しいとき、怒っているときには絶対に重大な判断を下してはいけない。」(246p.)
「若いときからずっと仕事漬けで、家事も育児も介護もしたことがないという男性の場合は高齢者になったときに、本当に手が負えなくなると思います。生活能力が低すぎて。」(250p.)
「日本は、世界初の実験事例を提供できるんです。人口減少社会を破綻させずにどうやってソフトランディングさせるのか。その手立てをトップランナーとして世界に発信する機会が与えられた。そう考えればいいと思います。」(p.257)

買ってから読み始めるまで時間がかかったが、タイトルほど重くなく、分かりやすい思考実験のおかげで難解でもなかった。

死ぬ前はまだ死んでいないから怖くない。死んだら(魂や来世などを認めない立場では)もう存在しないから怖くない。どちらにせよ死は怖くない。それよりも怖いのは不死である。永遠に死ねないのは怖い。死が悪いのは生きていればいいことがあるのを奪うときであって、生きているのがどう考えてもマイナスだったら(理屈ではありえるというだけであるが)死は悪いものではない。要約すればだいたいこのようなことが書かれている。

人生百年と言われる現代、70代ぐらいで亡くなっても早死と言われる。いや、80代でも90代でも家族は「もっと長生きしてほしかった」という。いったい何歳まで生きれば自他共に満足できるのだろうか。「ながきは人の願いにて 短きものは命なり(『追善供養御和讃』)」私たちの望みは、常に現実よりも少しだけ長いところにあるようだ。

結局、人生を先延ばしにする戦略には限界がある以上、現在の質や幸福度・満足度を高める(少なくとも人生を台無しにしない)戦略がよいということになる。まさに「其の中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の佗生をも度取すべきなり(『修証義』)」である。余命二年でこの授業を受けていた学生のエピソード(p.213)が印象的だった。

どう生きるべきかということについては、小さな達成と大きな達成と、その混合という以上はあえて説かれていない。それは読後に各自が考えるべきことなのだろう。

一切皆苦を説く仏教の目指すものに少しだけ触れている。ただし「人生はネガティブなものだと認めることで喪失を最小化する戦略」は西洋生まれの著者にとっては受け入れられないそうである。もっとも、大乗仏教の世界に生きる私たちにも受け入れがたくなっているかもしれない。

「この世には苦しみがある。病がある。死がある。痛みがある。たしかに、私たちはほしいものもあり、運が良ければ手に入れられる。だが、それから失う。そして苦しみや痛みや惨めさを募らせるばかりだ。それならば全体として、人生は良いものではない。
仏教徒はこの判断に基づき、こうした良いものへの愛着から自分を解放し、それらを失ったときの痛手が最小限になるようにしようとする。それどころか、仏教徒たちは自己が存在するという幻想から自らを解放しようとする。自分が存在しなければ、何一つ失うことはない。
死ねば自分が消滅するのではないかと心配しているから、死は恐ろしい。だが、もし自己がなければ、消滅するものもない。」(p.291)

アシタ仙人はお釈迦様が立派になるまで生きられないことを嘆いたという話があるが、死ぬことで初めて、次の世代に引き継がれることもあるように思われる。先代住職は私が24歳のときに亡くなったが、あと20年も長生きしていれば私は僧侶にならず、立派な姿を見せることはいずれにせよできなかったかもしれない。もっと長生きしてほしかったという気持ちは今もあるが、あの年で亡くなったからこそ今の私があるのも事実である。「死は悪いことばかりではない」という説から、そんなことも考えた(寂しいことであるが、いずれ自分にもその役割が回ってくることも)。

本書の最後では自殺について、合理的にも道徳的にも正当化される場合があるというが、読むほどにそれは極めてレアケース(治る見込みのない重病で、医師や家族とよく話し合った上での安楽死ぐらい)のようである。「死んだほうがまし」と思うことは誰しもあるかもしれないが、生きる方に賭けてほしいというのが著者のメッセージのように思われる。

著・池谷裕二、講談社ブルーバックス

正しくないのに、進化の過程か本能かで間違って行動してしまう「認知バイアス」のバリエーションをクイズ形式も入れて辞書的に列挙する。よくある行動パターンに名前がついているのが気持ちよく、今の生活で思い当たることが多い(バーナム効果?)。

社会的地位の高い人ほどモラルにかける行動を取るという「上流階級バイアス」は、人よりも上にいるという思い上がりが原因。無能な人ほど自己を高く評価する傾向がある「ダニング=クルーガー効果」と併せて考えると、謙虚であることは難しいが大切だと分かる。

晋山結制のテーマでこの頃よく考えている因果は、失敗も成功も自ら招いたものだと思う「公正世界仮説」、1回のイベントで因果関係を創作する「錯誤相関」、一度下した決断が自分の次の行動を縛り考えなしに習慣化してゆく「自己ハーディング」、逆も真と考えてしまう「カテゴリー錯誤」、脳が先に決めているのに自分には自由があると感じる「自由意志錯覚」などで見ると明らかになるところがある。こういった錯覚だらけの生活からどうやって脱却し、新しい自分に生まれ変わっていくかは仏教の大きな課題なのかもしれない。

新型コロナウィルス騒動では、現実には無視できる低い危険率でも最悪のケースを想定して過剰に反応する「最悪場面想定バイアス」、落ち込んでいるときには、さらに嫌なことが重なりそうに感じる「悲観主義バイアス」、非常事態への対応を避けたがる「正常性バイアス」、10のリスクを1に減らすよりも1のリスクを0にすることに躍起になる「ゼロリスクバイアス」などがはたらいていると考えられる。
家庭教育面では命令されると反発したくなる「リアクタンス」、他人から指示されなくても湧き上がる「内発的動機づけ」、やればできるということが今やらなくてもよいになってしまう「ステレオタイプ脅威」、終わっていない仕事の内容は終わった仕事よりも思い出しやすい「ツァイガルニク効果」などが参考になる。
あとボードゲーム的には......こんなふうに、自分の関わっている問題意識とリンクさせて集めてくると楽しい。

『善の根拠』

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著・南直哉。晋山結制の本則『百丈野狐』の関係で、因果についてあれこれ考えているが、そこにひとつの答えを与えてくれる。

仏教の諸行無常・諸法無我・一切皆空を推し進めれば、昨日の私は今日の私ではなくなり、責任の所在がなくなる。また善悪の基準にも根拠がなくなり、時と場合によって入れ替わったり善でも悪でもなくなったりすることになる。しかしお釈迦様は戒律という形で善悪を明確にした。これをどのように捉えるべきか正面から取り組んだ本。「他者から課せられた自己」は無根拠で矛盾と困難に満ちているが、それを受容する賭けに出たとき、善悪の根拠が発生するという見解に沿って、菩薩十六条戒を検討する。

帰依仏:自己の再起動
帰依法:無常・無我・縁起による自己の認識
帰依僧:新しい自己を規定する共同体への加入
摂律儀:=十重禁戒
摂善法:=摂衆生
摂衆生:一方的に自己を課す他者を尊重する/赦す
不殺生:自死しない
不偸盗:布施する
不貪淫:子供をもたない
不妄語:自他の存在構造を護持する
不酤酒:他者に自己を忘却させない
不説過:自己判断で他者を裁かない
不自讃毀他:ナルシシズムをもたない
不慳法財:所有という幻想を脱する
不瞋恚:正しさを一方的に押し付けず関係性を調節する
不謗三宝:新しい自己の根拠を認める

難解だが、安易に仏典の文言に頼ることなく、自己を徹底的に見つめて、終始一貫した思想が展開されている。もしかしたらブッダもこのようにして、一切皆苦から善悪を導き出したのかもしれない。

友原章典著。経済学者がさまざまな論文から導きだされた幸福をデータとして示す。卒業アルバムの女性、メジャーリーグの選手名鑑に載っている選手でデュシェンヌ・スマイル(口だけでなく目元も笑っている)をしているかどうかで追跡調査をしたところ、笑顔だった人のほうが結婚生活に満足しており、長生きをしていたという。作り笑顔でも脳をだましてストレス反応を緩和できる。そんな気のせいではない話が実証的に紹介されており、いろいろなところで話したくなる。ほかにも......

  • 修道女の自伝を調査したところ、ポジティブな感情を多く書いている人ほど長生きした
  • 1回ネガティブな発言をしてもポジティブな発言を5回以上している夫婦は長続きする
  • 楽観的な人のほうが免疫系が強く、ストレスに強い
  • 親が子どもと時間を共有して怖がらせる行為を慎むように指導されたグループは、ストレスに強い
  • マインドフルネス認知療法(呼吸を意識する瞑想を繰り返し行う)は、抗うつ薬治療と同程度の効果がある
  • アクセプタス&コミットメントセラピー(自分の感情を受け入れ、今この瞬間とつながり、自分なりの価値観に基づいて行動する)は信仰がなくても実践できる
  • 幸福は伝播する。知り合いが幸せならば自分も幸せな確率は15.3%、知り合いの知り合いが幸せならば9.8%、知り合いの知り合いの知り合いが幸せならば5.6%上がる
  • 20代では交流の量、30代では交流の質が、成人後期の生き方に影響を与える
  • 社会支援に性差。彼女に助けてもらった男性はストレスが下がるが、彼氏に助けてもらった女性はストレスが上がる
  • 日本では女性の社会進出が遅れているのに、男性より女性の方が幸せと感じている。社会進出が進むほど男性と比べられるからか
  • 生活満足度が高い人のほうが結婚しており(幸せ→結婚)、結婚は加齢などによる幸福感の低下を緩和する(結婚→幸せ)
  • 孤独な人ほど早く亡くなる傾向。社会的孤立により29%、一人暮らしで32%、孤独感で26%死亡率が上がる
  • 宗教による幸せは、教義や儀式によるものではなく、同じ価値観を共有できる人との交流が幸せの源である
  • 宗教が盛んな国ほど信仰心は自尊心を高める。信心深い人が評価されるため。環境が劣悪な国ほど、信心深い人が幸せ。社会支援や生きる意味を受けて生活環境が改善するため(逆に言えば、生活が豊かになることで信仰が幸せに結びつきにくくなる。教会離れ・寺離れ)
  • 宗教が心の健康に良い理由は、ストレスに対処する力を与え、社会性のある行動や規則正しい生活を推奨するから
  • 自制心が強い人は、めったに自制心を使わない。よい習慣を組み入れて、自制心を使うような機会を回避している
  • 他人と長く話していると幸せに感じるが、世間話のような雑談よりも、実質的な会話をしている人はより幸福感が高い
  • グループで昔のことを話すと幸福感が改善する。

回想法は認知機能や気分改善の効果もある お寺の法話の会でいくつか紹介し、回想法を実際やってもらった。小グループで、昔助けられた話や嬉しかった話を、情景を思い浮かべながら感情豊かに話してもらったところ、楽しそうに盛り上がって頂いた。

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