Book: 2006年1月アーカイブ

ムチャクチャなタイトルだが、内容はしっかりしている。

筆者は(数学など限られた分野を除いては)正しさは相対的なものであるという観点から、理屈の上に成り立っている議論一般を詭弁とみなす。そして上手な詭弁によって相手を説得することが大事であると説いている。

このことを理解するために、詭弁でないもの=理屈がないもの、理屈があっても説得力がないもの、そして説得力がある上手な詭弁の順で例示していく。扱われる論法の数は100以上。体系的に整理されているので分かりやすい。アメリカの誤謬論に言及している点も面白い。

詭弁というとネガティブなイメージがあるが、誠実な詭弁もあるわけで、その論法を学ぶことは建設的な議論をするのに大いに役立つと思った。

物事の正しさはたいていの場合、アプリオリに与えられるのではなく、反論に堪えることで醸成されていくということは、あまり認識されていない。科学でさえも、その正しさは新説が出るまでのものに過ぎない。詭弁も反論されない限り、正しいものとして説得力をもつのだ。

古代インドでも、竜樹という仏教徒が発明した詭弁は、その後300年ほど正しいものとしてみなされていた節がある。

人は誰でも誰かを教育したい欲求があるのに、自由を侵すな・強制はいけないという風潮のもと、極度に抑えられてしまっている。しかし行きすぎがいけないのであって、教育自体を否定してはいけない。教育欲を効果的に発揮して、発展性のある社会、豊かな人生を作ろうという話。

孔子を例に出した「師匠と弟子はもちつもたれつ」の章に興味があって読んだ。インドにもguru-shishya-paramparA(弟子と師匠の伝統―弟子がいつしか師匠になり、その連続が伝統を受け継いでいく)という言葉がある。インドは暗記中心の頑なな教育だが、ここでは、弟子のツボを心得た師匠の柔軟な教育の話である。対機説法の釈尊を連想させる。

オタクには教育欲が欠けているという。「自分の好きなことを他人にわかってもらおうとしない姿勢」「自分の世界だけに自閉して、それ以外のことに興味がない」私の趣味であるボードゲームについて当てはまりそうだ。

ごくごく当たり前のことを書いた本なのでインパクトはない。子どもの教育の難しさを感じている人などに(私はまだこれからですが)。

『ウンコな議論』

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世の中にはびこる詭弁をひとつひとつネタにしていく本だというのは思い込みだった。

道徳哲学者による、ウンコ議論(イギリス英語の卑語Bullshitの訳)とは何かという定義の探究であり、実例はほとんどない。真実に無関心でその場しのぎな発言のこと。真実が見えにくい世の中だとはいえ、適当なことを言って済ましてはいまいか。

「爆笑必至の解説」と帯に書かれているが、とても笑えるものではない。これぞウンコ説明。笑えはしないが、真実が見えにくい現代、代わって誠実さが大事だというのも所詮はウンコ議論だというあたり、哲学的に含蓄がある。

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