Book: 2006年5月アーカイブ

たとえ話=アナロジーを使ってものの関係を明らかにするという方法。この本自体にアナロジーが多用されており、分かりやす過ぎてうんざりするくらい、分かりやすい。

因果関係から無関係まで10列挙されたアナロジーの頻出パターンは実用的。じゃんけん関係「ニワトリと卵」は、相互依存や循環論法として、議論をチェックするポイントになる。

たとえに使うものは、「題材がよく知られていて、わかりやすい」ものでなければならない。帰納法であれ演繹法であれ論理的にはどんな実例でもよいことになるが、ここであくまで聞く人に合わせて実例を選ぶということが重要なポイントになっている。

聞く人に合わせてといっても、「アナロジーに自分たちが登場する場合」は避けたほうがよい。喩えに使われていない要素を捉えて反論されると、伝えたいことが伝わらなくなってしまうからだ(これは、議論で反論者が意図的に使う方法でもある)。

「データよりも、その評価(意味づけ)が大切」という点は、ものを書くときにも注意したいと思った。「だから何?」と言われないように。

話のうまい人は、たとえ話に感心する。いざ自分で考えてみると陳腐だったり、意味不明だったり、不自然だったりしてなかなかピッタリ来ない。著者が「10考えておいて2使う」というように、関心のある問題については常日頃から考えておくことが大切だと思った。

基本的に文藝評論家入門だが、評論一般に通じることもある。それは数多く素材にあたること、周辺の知識を増やすこと、論理的であること、そして書いた文章を活字にしてもらう努力を続けることなど。

評論と論文の違いを明らかにして、論証の緻密さと閃きの鋭さのほどよい配合を説き、有名な評論を実際に評論してよい評論と悪い評論を提示する。続いてより実際的な出版の話に至り、最後に評論がダメならエッセイをと薦める。

「基本的な事柄とよくある過ち」で指摘される過度の一般化と定義の恣意性、そして「論争の愉しみと苦しみ」で著者自らの体験や文壇の実例から書かれた論争の条件などが興味を引く。

「論争というのは両者が何らかの前提を共有していなければ成り立たない」「批判に応答せずに自説を繰り返すのは、ルール違反である」というくだりは、私の専門であるインドの論争術において「他説承認」と「無駄な繰り返し」にある面において対応しており、ヒントを得た。

ところどころ大学研究室の内輪ネタや自分史、なかなかお金にならなかったり悪口を書かれたりしたことの愚痴などが書いてあって、テーマを逸脱しているしあまりためにならないように感じるが、読んでいて面白かったのでまあよし。

評論家になるには寸暇を惜しんで読書せよと書いてあるが、本書に引用・言及される膨大で多岐にわたる書物の列挙は、ちょっとした文学史の相を見せている。

必読とされながら読んでいない本・著者の多さに愕然。それゆえに、実例を見ても共感どころか理解できなかったところが多かったのが恥ずかしい。せめてレトリック学でもよく引用される福田恆存ぐらいは何か読んでおきたい。

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