Book: 2006年11月アーカイブ

臨済宗のお寺に生まれ育ち、近くの同じ臨済宗のお寺に嫁いだ奥さんのこれまでと今を書き綴った本。

大きなお寺だけにとても忙しそうだが、訪れる人・電話する人への細やかな気配りを忘れないお寺の奥さんの鏡であることが分かる。

ただ、読み物としてみると、事細かに数字(お寺の行事で出す料理の皿数とか)が挙げられている割には、その先のだから何?が見えず、「うちあけ話」というよりもただの日記という感じがした。仏教に対するこの方の信仰についてもほとんど触れられていない点もさびしい。

『寺門興隆』に連載されている「なんたって寺族の言い分」のほうがよほど面白いと思う。

どこまで本気なのか分からないような本だが、インド人の交渉の巧みさを実例を通して学ぼうという本。

「言い負かす」とあるが、基本的に相手を尊重して友好的な状態を作り、その中で自分の言い分を聞いてもらおうというものだ。筋さえ通っていればよいというものではない。

インド滞在中、観光地で仏像を10ドル(1200円)で売りつけられ、最後は6ルピー(15円)で買ったということがあった。これは私がヒンディー語で交渉し、相手に自分を見抜かせなかったからできたことと思っていたが、もしかしたらそれでも儲けは出ているのかもしれない。本書でも「手のうち(利益が出る最低のライン)を見せない」「追い詰められたふりをする」の例で出てくる。

「何よりもインド人が優れているのは、人を見抜く力です。いろいろな角度からその人を観察し、その人がどんなタイプの性格なのか、何を望む人なのか、そして何を隠している人なのか、そういったことを鋭い観察眼で見抜くことができます。」交渉に限らず、磨きたい力である。

方向性を失い行き詰ってきた現代において仏教をもう一度問い直し、そこから引き出される答えを社会に還元していくことはできないかを考察する本。

大谷大学と京都・相国寺での連続講義をもとにした講義録であり、話は拡散気味だが鋭い見方が随所にちりばめられ、はっとさせられる。

また内容的にはちくま新書の『仏教vs.倫理』に重複している点が多いが、葬式仏教、神仏、禅学といった仏教特有のトピックから切り込まれており、アカデミックなアプローチに安心感を覚える。

死者を絶対的な他者と捉え、死者の霊魂の有無に関わらず実存的に我々が直面する死者との関係性が論考の骨組みである。ここから、葬式仏教に積極的な意味を与え、経典を読み直し、社会に向けて仏教独自の立場を打ち出していけるという。

また神道と仏教の別、禅万能論、一神教と多神教といった極端に簡素化された二項対立の図式を危険だと警告し、一概に言えない多様な側面があることを示す。迷いながら、悩みながら、しかし地道に進もうとする考察に共感。

「今まで日本の中に仏教が根差してきた、その根底を形成している葬式仏教をむしろ反省し直して、それを出発点として、言ってみればどのようにして葬式仏教を本当の意味あるものにできるのかという視点から見ていく方が、日本仏教をこれから生かしていく道になるのではないかと考えています。」

「それぞれの時代によって、その時代の流行の思想、あるいは時代の価値観というものを単に受け入れているだけではないのか。国が戦争といえば戦争に賛成する、国が民主主義といえば民主主義に賛成するだけではないだろうかという疑問が残ります。」

仏教学者にも僧侶にも示唆に富んだ本であろう。

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