Book: 2007年7月アーカイブ

『反社会学講座』

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『つっこみ力』のマッツァリーノ氏による渾身の秀作が文庫版に。社会学を、個人的な偏見を都合のよい統計で理論化し、ありもしないものに警鐘を鳴らして食べていく「マッチポンプ」と茶化し、その虚構を検証する。

・凶悪少年犯罪が近年増えたというのは捏造
・パラサイトシングルは公平な社会に役立つ
・フリーターが日本経済を救う
・国の「ふれあい」施策は効果なし
・日本人の若者は欧米諸国よりよっぽど自立している
・読書をしても成績がよくなるわけではない
・夏だけ根室に首都移転すれば環境効果あり
・国の少子化対策は効果がないが、やらないと困る人がいる
・65歳で1億円の資産がある人には年金を辞退させよ

社会学者が言い出したのかどうか分からないが、もう十分に一般化している世間の通説がバッタバッタと切り倒されていくのは痛快。ですます調の文体も楽しい。

「ちょっと努力してタバコをやめて健康になろうとか、ちょっと努力してブサイクな女房と子供を作って少子化を防ごうとか、サラリーマンのみなさんがちょっと努力して夏場に背広を脱ぎ、地球温暖化とエネルギー資源の無駄遣いを防ごうだとか、思うのだけれど、実行できない。→落ち込む。→相田みつをの本を読む。→癒される。→その間にも地球環境や社会情勢は、刻一刻と悪化する……と、まあ、こうした負の連鎖反応により、世の中が悪くなるのです。」
「社会学者と心理学者がタッグを組めば、統計操作と深層心理を駆使して、どんな理論も思いのままに正当化できます。」
「仕事と家庭の両立なんてご立派なことをいいますが、実際には―人並み程度に仕事ができて、まずいけれど食えないことはない料理を作れて、洗濯機と掃除機の使い方は知ってます―なんて人がほとんどです。なんでもそこそこ、器用貧乏ってやつです。」
至言名言盛りだくさん。クスクス笑いながら読んだ。

『仏教と日本人』

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インドから中国を経て日本に伝来した仏教が、独特の姿に変容した背景を、仏教が伝来する前からの民族的精神風土から読み解く。

境界を守護する「塞の神」に取って代わった地蔵、地獄が極楽とつながるあの世観、戒律より「聖」の役割を期待された僧侶、わざと醜い姿に作られた不動明王、女性神が転化した観音、両者がお互いに歩み寄った神仏混淆、自然宗教を基礎とする葬式仏教。いずれも、仏教が日本民族の習俗にうまく乗っかる形で溶け込み、現在の日本文化を形成していることが民俗学・文献学から示されている。

斬新な分析ばかりで、これが仏教学的・民俗学的に裏付けられていることなのかという疑問はあるが(例えば五来重の説)、典拠もきちんと示されており納得できる点も多い。「こういう説もある」というかたちで身につく知識多数。

日本の僧侶に対して肉食妻帯が鷹揚なのは、司祭者が祭りのときだけ苦行や精進潔斎を行って、それ以外は普段の暮らしでもよいという神意識に共通するのではないかという。そういう使い分けは確かになされているだろう。大乗とか専修念仏という仏教的な考えは後付けかもしれない。

しかしそれが進みすぎれば僧侶が僧侶たる所以まで失いかねない。

「肉食妻帯や有髪など、俗人と変わらない生活形態を公然と採用しながら、俗的生活と違う、僧侶たらしい生き方を模索する努力を失念しているということだ。」

葬式仏教の主眼を、死者のタマシイを「ご先祖」祖先の霊の集合体にまで昇華させるとした点は秀逸。仏教の教義はほんの飾りでしかないといわれると悲しいが、実際そんなところなのだろう。

著者は仏教の本来の立場を生きている人間の課題に応えること、在家主義を実践することとし、葬式仏教の崩壊を歓迎しつつも、死者を差別せず平等なものとして成仏を願い、安心を与えてきた仏教の恩恵にも銘記を促している。祟り、天罰、報いといった前近代的な思考を離れるのに、仏教の役割は重要だ。

日本人が仏教から学んできた慈悲と、それにすがりすぎて生まれた精神的横着さ。もっと世間と緊張感をもって接し、世間に流されない仏教だけの価値を固めていきたいと思った。

「人に迷惑かけてない」という理由で正当化される電車内での化粧や雄言不実行、「価値の多様性」「人間らしさ」「生命の尊重」というキレイゴト教育を一刀両断。「己の美学」をキーワードに自律的な道徳を提示する。

感動を求める立会い出産、かたちばかりのボランティア、先天的な障害が判明したときの中絶、臓器移植、機会と結果を混同した平等主義、内容が吟味されていない教育勅語、子どもに苦しい選択を強いる夫婦別姓、トリックだらけの死刑廃止論と、具体的な問題に踏み込み考察を加えている。

「己の美学」に従うと(特にジェンダーについて)保守的になるのは必然なのか疑問であるが、親として「いじめられたら先生や親にすぐ相談しなさい」と教えるだけでなく「もしお前が友達をいじめたとして、そのいじめが原因でその子が自殺したとしたら、お前は必ず自分の命で償わねばならない」と付け加えるというような心構えは確かに必要なことだろうと思った。

夫婦別姓論者と死刑廃止論者に対して、その根拠をひとつひとつ崩していく反論が見もの。再反論の余地もありそうなので、議論の深まりに期待したい。

爆笑問題が東大教養学部に殴り込み。教養とは何かを教授連や学生たちと討論したのを収めたDVD。

太田光は人類のためなどと大上段に構えるエリート教育のあり方や、世間との接点を失った象牙の塔を鋭く批判。もっと「共通の言語」で語るべきだとする。学者を、山奥で気に入らない作品を割る陶芸家に喩えたのが印象に残った。

これらに対して小林康夫教授は、基礎(知識だけでなく学問的態度)があってはじめて自発的な意欲が湧いてくることを説き、まずはしっかりした基礎を身に付ける必要を訴える。そして最後は10代後半に出会った感動が学びの核であるということで一応意見の一致を見ている。

学問に対して真摯であることと、世間に対して開かれていることの両立は難しい。蛸壺と大衆迎合のどちらでも、健全な状態ではないだろう。

この討論では、「教養」こそがその両立を可能にするものだと位置づけられていたが、「教養はどのようにして役立つか」にばかり重点が置かれ、「どんな教養が役に立つか」が触れられていないので片手落ちに感じた。

とはいえ、歯に衣着せぬ太田光の発言は鋭く、インテリぶったくらいの人間ではとても太刀打ちできない力がある。ところどころに笑いつつ、大きな刺激を受けた。

学問は本だけではない。多くの人と出逢い、さまざまなものの見方を学び、共通の言語で語ること。めまぐるしく価値観が変わっていく現代では、こうした態度がより大切になっていくのだろうと思う。

それにしても東大生、自信に満ち溢れているなぁ。私も見習いたい。

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