Book: 2010年4月アーカイブ

お寺といえばお葬式。お坊さんが病院を歩けば誰か亡くなったのかと思われる現代だが、江戸ではそうではなかった。

徳川家の菩提寺の地位を争った芝の増上寺と上野の寛永寺は大奥にロビー活動を行い、成田山と川崎大師は本尊の出開帳で人を寄せる。富くじばかりか貸金業まで行い、門前の茶店から女性アイドルが浮世絵デビュー。芝居や寄席を興行したり、付近には遊女屋ができあがったりと、今とは想像のつかない賑わいを見せていた。そんな江戸のお寺の表と裏を、資料を挙げながら紹介する。

・寛永寺門主の登城行列の歳は、町人に土下座が義務付けられた。ほかに土下座しなければならないのは、徳川御三家だけである。偉すぎ。
・家斉が厄除けで川崎大師に参詣する直前、山主が急死した。家斉は自分の厄の身代わりに死去したと聞き、それ以来、幕府からのバックアップを得るようになった。ストーリーが大切。
・大奥をバックに創建された谷中の感応寺には、寄進の長持ちの中に大奥の女性がこっそり忍び込み、お寺に運び込んで僧侶たちと姦通しているという噂がたち、わずか3年で廃寺になってしまう。お寺と女性には距離がある。
・将軍家から下賜された品で人集めをする寺院が後を絶たず、寺社奉行では、葵の御紋のブランド力低下を防ぐため、開帳を禁止した。しかし大奥を通じた寺院の政治圧力によって、禁止の効果はなかった。 すごい政治力。
・富札は1枚5000円前後で1等8000万円。富突が始まる前に、大般若会が行われた。8000万円当たっても、800万円は主催者に奉納し、次回の富くじを800万円分買い、経費として400万円を取られるので、結局手取りは6000万円くらいになる。宝くじよりひどい。
・建物修復のために集めたお金を、一般に貸し付けて利殖を図った。しかも、幕府の許可を得ることで、奉行所が督促状を出すことになり、債権も保護された。蓄財OK。
・1733年の人口統計では、江戸町人は53万人、男性は63%で、しかも独身者が多かったことから、遊郭や、美少女が給仕する茶屋が流行った。むさい男だらけか。
・浅草寺にお参りに行くと称して実は吉原に。「女房と雷門で出っ食わし」成田山参詣では船橋宿、大山詣では藤沢宿が、遊女屋として流行った。今も残っている。
・本尊が開帳される境内に芝居や見世物が並んだことには、批判も寄せられた。「畢竟見世物の序に参拝するに同じ、開帳仏もし物いはば、憮謐き小言いひ賜はん」花より団子。

巻末に「お寺よ、もっと開かれろ!」というタイトルで著者と彼岸寺の松本圭介氏の対談がある。「若い人がお寺に来てくれない」ではなく、「来てくれるような仕組みを作っていない」と松本氏。世代間交流の場として、来ている人に任せて盛り上げてもらうというのはこれからのお寺のあり方として重要な視点である。

楽しく読めて、振り返れば現代のお寺について新しい視点も見つかるよい本。

まずブッダは女嫌いだったのかというところから。

尼僧の入門にあたって8つの条件(八敬法)をつけたとされる。
1.出家後百年経ていようと、比丘には誰であれ礼拝しなければならない。
2.比丘を罵ったり謗ったりしてはならない。
3.比丘の罪・過失をみても、それを指摘したり告発したりしてはならない。
4.式叉摩那として二年間過ごせば、具足戒を受けても良い。
5.僧残罪を犯した場合、比丘比丘尼の両僧伽で懺悔しなければならない。
6.半月毎に比丘のもとにて、教誡を受けなければならない。
7.比丘のいない場所で、安居してはならない。
8.安居が終われば、比丘のもとで自恣を行わなければならない。
真言宗泉涌寺派大本山法楽寺:仏教徒とはなにか(比丘尼)

さらに許可したのちも、アーナンダに「これで仏法は五百年しか持たないだろう」「女性が多く男子の少ない家は盗人や強盗に荒らされやすいように、女性が出家したなら、その法と律での清浄行が永く続くことはないだろう」「稲田や甘蔗の田に疫病が起こるとその田が永く続かないように、女性の加わっている教団は永く続かない」「ひとが大きな湖水に堤防を築いて水の氾濫を防ぐように、私は尼僧のためにあらかじめ八種の重法を設けて終生犯すべからずとしたのである」などと発言している。

どうやら本当のようだ。その上で、どうしてブッダがここまで女嫌いになったのかを、仏陀を産んで7日目に亡くなった母マーヤー、その妹で養母となったマハーパジャーパティー、そして第一王妃のヤショーダラーを軸に考察するのがこの本である。初期仏典を丁寧に読み込み、繊細な読み方でその秘密に迫る。筆者は「強引な推測・憶測を交えながら」と書いているが、論の展開が丁寧なので読んでいて腑に落ちる。

ポイントは、養母マハーパジャーパティーである。末の妹だったこと、弟王子ナンダを産むまで15年以上かかっていることから、マハージパジャーパティーは童女として正妃に迎えられ、シッダールタとは5,6歳しか違わなかったのではないかと推定する。物心つく前に母をなくしたシッダールタは、幻の母をマハーパジャーパティーに映す。やがて成長した2人は相思相愛の仲になっても、それは許されざる恋である。

ダンマパダの「愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる」という言葉も、マハーパジャーパティーへの愛がもとになっているのではないかと筆者。シッダールタが出家すると、マハーパジャーパティーは身を大地になげうち、傷だらけに壊れ、狂ったように号泣、悲嘆したという。そして夫であるスッドーダナ王がなくなると、ただちに出家を申し出、断られても裸足で追いかける。このときのブッダの気持ち、マハーパジャーパティーの気持ちを推察するに余りある。

一方、悪妻として徹底的に描かれるヤショーダラーはシッダールタの従兄弟で、教団をのっとろうとしたデーヴァダッタの姉とされる。ほかにも妃はいたらしい。シッダールタがマハーパジャーパティーを慕っていたため夫婦仲は悪く、浮気して息子を産んだのではないかと、筆者は推測している。ラーフラ(束縛)と名づけ、その後すぐに出家したのはシッダールタにとっては実子でなかったこととも関係しているだろう。出家を知った妻の逆上ぶり、後からブッダとなって帰ってきたときに遺産を迫る強欲ぶりが醜く描かれている。

シッダールタは出家ではなく家出や出奔であると言うべきだというのも、このような状況ならむべなるかなである。仏教徒としてはシッダールタはこれほど凡夫だったのかと思うと落胆するが、煩悩は菩提への出発点であり、だからこそシッダールタは世を救うブッダになったのであろう。

神格化された伝承が多い中で、あえて人間味溢れる人間模様を描き出したことで、仏教の始まりの始まりに親近感をもたせてくれた。

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