Book: 2010年6月アーカイブ

『坊主DAYS』

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臨済宗の住職を兄に持つ著者が、兄の修行時代をマンガに描き起こした本。建前と本音、表と裏のギャップに笑いつつも、伝統的な仏教の修行は絶対譲れない部分がある。

類書に『ファンシィダンス』があるが、ストーリーはなく、仏教の解説やツッコミを加えながら楽しく伝える。

曹洞宗は無想禅ということもあって禅問答は形式的なものになっているが、臨済宗は厳しい。1700もの公案を全部クリアして初めて印可がもらえるのだとか。

薪割りはしなかったけれど、修行僧だったころを懐かしく思い出しながら読んだ。

葬儀の平均費用は231万円、そのうちお布施は54万9000円。普段の信仰もないのに、いざというときだけ知らない僧侶を呼んで、こんな金額を出すくらいならば、直葬や家族葬、戒名を自分たちでつけた葬式をしてもいいのではないか、という提案の書。なので葬式自体を否定している本ではない。

日本仏教の歴史やお寺の経済事情まで加味した上での提案なので、お寺の側から見ても一方的ではなく、納得できる内容である。特に寺の檀家であるということはひどく贅沢なことであるというくだりは全くその通りだと思う。

<<寺の住職は、毎日勤めをし、本尊の前で読経などを行う。その際には、寺の檀家になっている故人たちの冥福を祈る。檀家にはそうしてもらっているという意識や自覚がほとんどないが、檀家になることで、私たちは先祖の供養を委託しているのである。(中略)その特権を護るためには、それ相応の負担をしなければならない。それは、当たり前の話である。ところが、私たちは、こうしたことを明確に意識もしていなければ、自覚もしていない。>>

実際、直葬は東京で20パーセント(私が聞いたところでは30パーセント、40パーセントとも)と増加傾向にあり、地方にも波及しそうな勢いであったり、この本が25万部も売れているという事実を、仏教界は重く受け止めなければならない。地方でも「家の格」に見合った振る舞いが求められなくなり、上記のような檀家の自覚が希薄になっており、古来の法式だけでよしとせず葬儀の意義をきちんと説かなければいけない時期に来ている。

個人主義の世相、親子の家業の分断、葬祭業者の台頭など、寺院を取り巻く状況に愚痴をいっている暇はない。「今のお寺は葬式仏教すら果たしていない」「仏教はなくならないが、寺院は近い将来なくなっていく」そんな言葉に真正面に向かい合って、危機感をもってやっていきたい。

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