Book: 2011年7月アーカイブ

仏陀の伝記は、北伝と南伝で異なる点が多々あり、北伝に属する日本人が知らないエピソードも多い。スリランカ僧であるスマナサーラ師が、初期仏典であるパーリ仏典と律蔵、およびその注釈書をもとに、新たな仏陀像を描く。

  • 釈尊が過去世で励んだ修行(波羅蜜)は10あり、大乗の六波羅蜜のほかに離欲、真理、誓願、無執着がある。六波羅蜜では最高とされる智慧=般若は4番目に位置し、絶対視されていない。
  • マーヤー夫人が釈尊を産んで7日目で亡くなったのは、子宮を聖なるものとする(=以降、子供が宿ることができない)という、降誕のための条件だった。
  • 「天上天下唯我独尊」は、パーリ語で「私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である。」ということばに対応し、さらに「これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない。」という部分が付く。これは「人は誰しも尊いものである」ということを言っているのではなく、釈尊が生きとし生けるもののトップランナーとしてに人類の苦しみを解決して下さることを述べている。
  • パーリ伝承では、降誕も成道も入滅も2月15日。一緒なのは教学的には苦しみを滅するという共通の意味合いがあるからではないか。
  • 釈尊の子供ラーフラは「邪魔」ではなく「龍」という意味の名前。誕生の日に釈尊は「ラーフラが生まれた、義務が生じた」といって出家するが、「ラーフラが生まれたのでしがらみが増えた」という意味ではなく、「ラーフラが生まれたので、家長としての責任は果たし、これ以後は生きとし生けるものを救う修行に専念しなければならない」と取るべき。残されたラーフラはヤソーダラー妃が立派に育てた(北伝では悪妻と描かれる)。
  • 王舎城で集団出家が起こり、釈尊は「親を子なき状態にし、妻を寡婦にさせ、家計を断絶させる」との非難があったことから、16歳以上で両親の許可を得た者、王の家臣・借財のある者・指名手配者を除くなど細かい条件が課されることになり、最終的には10人以上の比丘で審査し、10年以上和尚のもとで修行することなどが定められた。
  • アーナンダが釈尊から侍者を頼まれたとき、接待には必ず釈尊が加わること、面会の可否は釈尊ではなくアーナンダが決めることなどの条件を設けた。
  • アーナンダは釈尊のアドバイスに合わせて袈裟をデザインしているが、田んぼの形にしたのは釈迦族の稲作文化で、自然に対する感謝の気持ちが表されている。
  • アーナンダが、プライドや怒りといった煩悩をうまく使って成功する道を説いた。ほかの比丘に負けたくないという気持ち、自分の情けなさ、だらしなさ、未熟さへの怒りが修行を推進する。ただし性欲だけは人格向上に役立たないとして否定した。
  • 釈尊が臨終間際に説いた「法の鏡」の教え。仏法僧に揺るがぬ信頼を備え、五戒を守っているかどうかによって、釈尊亡き後も自分で悟りの境地を判断できるようにした。
  • 釈尊の有名な遺言である「自灯明」とは、自分の主観や思考にしがみついて生きることではなく、自己観察(四念処の実践)をしてほんとうの自由を得ること、「法灯明」とは仏陀の教えを理解することで、自灯明と同義語である。
  • 悪魔が釈尊に対し涅槃に入るよう懇願したのは、仏陀が涅槃に入っても仏教は無事に世に広まるだろうという悪魔の敗北宣言だった。
  • 釈尊亡き後に真の仏法を見分ける方法として説かれた四大教法。釈尊から直接聞いたといっても、僧団・長老たち・ひとりの長老から教えられたといっても、経と律に照らし合わせて合致しなければ捨てなければならない。
  • 釈尊の死因となった料理を出したチュンダに対し、釈尊はチュンダが後悔しないよう、スジャーターの乳粥と同じ功徳があったことを説いた。
  • 釈迦国に侵攻したコーサラ王ヴィドゥーダバに対し、「大王よ、親族の葉陰は涼しいのです」と釈尊は3度にわたって引き返させていた。4度目にあたって、釈迦族の過去の業を察し、皆殺しになることを覚悟した。最初からわれ関せずだったのではない。

北伝は釈尊入滅後400年も経って起こった大乗仏教によるものである上に、日本人は漢訳というステップを間に挟んでおり、伝承されている釈尊の一代記は不十分である可能性が高い。かといって南伝が全て正しいとも言い切れないだろうが、両者を比較してみたとき、新しい釈尊像が得られる。

日本でも初期仏教は盛んに研究されてきたはずだが、こういった釈尊像が提示されてこなかったのは、伝統への遠慮があるためであろうか。初期仏教専門の研究者は、スマナサーラ長老や、初期仏教が専門ではない宮元啓一氏の描く仏陀像を検証して、もっと積極的に発信してほしい。

朝日新聞で連載されていた「ニッポン人脈記・弔い 縁ありて」をもとに、記者が全面書き下ろした現代葬儀事情。出来事よりも人を中心にして構成されているのが特徴である。情報が充実しているだけでなく、考察も深い。

本書は新聞記事をベースにした第一部と、15年前の「弔いの場で ルポ・お葬式の祭壇裏」という記事を現代を比較する第二部からなる。第一部では、遺品整理業、桜葬、散骨、生前葬、エンバーミング、エンゼルメイク、納棺師、手元供養、火葬場、葬祭ディレクター制度の10トピックが取り上げられ、第二部では無縁化する社会での葬儀の変化を見る。

注目したいのは葬儀にもエコの動きが見られること。葬送の生前契約の先駆者である「りすシステム」の松島如戒氏が新たに設立したNPO「エコ人権葬推進機構」では、カーボンオフセットを参考に、火葬などで排出される二酸化炭素量を算出し、葬儀の代金に上乗せして植林などの環境保全に役立てるという。また、ウィルライフという会社は、使う木材が少なく燃焼時間が短い棺「エコフィン・ノア」を販売し、1つ売れるごとにモンゴルに10本のアカマツを植林している。これを聞いて近くの葬儀社に問い合わせたところ、仕入れられるという話だったので、うちで何かあったらお願いすることにしている。

とかく葬儀が費用の話になってしまうことを、著者は諌めている。葬儀の価値というものは「葬儀の原点」の有無で決まる。故人を悼み弔う場、故人の人生を振り返る場、遺族が悲しみに浸る場、悲しみからの回復や故人を軸とした人間関係の再構築を始める場、死者の供養の場が、葬儀で満たされたか。

Aさんの葬儀では100万円だったのが、同じ葬儀の内容(というものがあるとしてだが)で、Bさんは80万円だったら、Bさんの遺族は「安くできた」と喜び、Aさんの遺族は「失敗した」と感じるべきなのだろうか。家電製品を買う基準と葬儀は同列の論じ方ができるのか、するべきなのだろうか。

昨年、イオンがお布施の目安を公表したことに、仏教界が反発して削除されるということにも触れられている。寺離れという実態と「本来あるべき姿」のギャップを埋めることが先決である。檀家さんとよく会い、よく話しておくということが、お布施云々よりも大切な「本来あるべき姿」なのだろう。一期一会、もう会えないかもしれないという気持ちで接すると、どんな檀家さんも愛おしくなってくる。

私は、お寺は葬式仏教でいいじゃないか、と思っている。むしろ葬式、人の死という、人生のこれ以上はない一大事に関与できることを、僧侶には誇りに感じてほしい。まさに釈迦に説法だが、葬儀の意義はそれほど深く重い。葬儀の日のためでいい。菩提寺は檀家との日常的なコミュニケーションをとる。戒名をつけるに際し、「ああ、あの人はこんな人だった。だから」とスラスラと戒名を思いつくほどの関係を、日頃から意識してほしい。それは自ずと、寺と人々との関係を近しいものに変えていく。

最後に、「面倒や迷惑をかけないよう、葬儀は身内で」という高齢者が増えていることに著者は寂しさを感じるという。思いやりからだとしても、自ら絆を希薄化したり、否定したりするような印象を受けるからである。同じことは私も感じていて、迷惑をかけあって生きれば、もっと肩の力を抜くことができるんじゃないかと思う。

地域に、行政に、知人に声をあげ、助けを求め、多少の「迷惑」をかければいいじゃないかと私は思う。人と人がつながれば、お互いに多少の迷惑をかけあうのは当たり前のことだろう。そんなことさえ許さない雰囲気の社会になっているのだろうか。社会の絆を取り戻すとは、人は一人では生きられない、多少の迷惑をかけたっていいんだという、「当たり前」なことを再確認するところから始まるように思う。

葬儀という窓を通して、死生観や現代社会が見えてくる。本書では触れられなかった「戒名は必要なのか」「仏式で葬儀をする必要があるのか」といった仏教の問題についても、伝統的な教義と現代の様相を合わせて考えていきたいと思う。

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