Buddhism: 1999年11月アーカイブ

観音様について

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 曹洞宗では御供養でよく『大悲心陀羅尼』というお経をお読みします。「ナムカラタンノー」という言葉で始まるのでよく聞いているとわかります。このお経は、インドの言葉をそのまま漢字に音写したもので、しかも中国を経由してくる漢字の読み方が変わってしまったので、聞いても中身は全然わかりません。ですが原典にあたると、このお経は観音様の徳をたたえて,その偉大なるお力にあやかろうというものです。

たとえば冒頭。
 ナムカ・ラタンノー・トラヤーヤー・ナムオリヤー・ボリョキーチー・シフラーヤー・フジサトボーヤー・モコサトボーヤー・モーコーキャールニキャーヤー。 サンスクリットでは、
 namo ratnatrayaaya, nama aarya^avalokitezvaraaya bodhisattvaaya mahaasattvaaya mahaakaaruNikaaya で、意味は、
 三宝に帰依し奉る。聖なる観自在菩薩摩訶薩、たいへん慈悲深い者に帰依し奉る。 となります。

 観音様は本名を観世音菩薩、または観自在菩薩といいまして、これはインド名アヴァローキタ・イーシュヴァラ(スヴァラ)・ボーディサットヴァ(avalokita-ii'svara-bodhisattva,自在に観察する菩薩,avalokita-svara-bodhisattva,音を観察する菩薩)の漢訳名です.もとはヴィシュヌというインドの神様でありました。太陽の光のようにあらゆるものに手を差し伸べて、私たちが生きる上でのさまざまな苦しみを取り除いてくださる神様として信仰されておりました。

 それが仏教に入ると法華経などに現れ、11の顔―これは自分の顔に八方と上下を加えて11になる訳ですが―と1000の手とそれぞれの手のひらについている1000の眼で人々の助けを呼ぶ声を世界中どこでもいちはやくキャッチし、すぐに救済にやってきてくださる菩薩様となりました。

 観音という言葉は「音を観る」と書きます。ふつう音は聞くものですが、なぜ観るでしょうか。運動会で「よーい、ドン!」というときにピストルを鳴らすのを思い出してください。音が聞こえるよりも早く、煙が見えます。音の伝達速度(マッハ)よりも光の伝達速度(光速)の方が格段に速いという訳です。おわかりでしょうか、観音様は光速で我々の助けを呼ぶ声をキャッチしてすぐにやってきてくださる訳です。

 さて、困ったときの神頼みというように,自分の力ではどうしようもなくなってしまうと、私たちはしばしば神様仏様を念じます。そのとき観音様ははたして来てくださっているのでしょうか?

 観音様は、33の何の変哲もない人間に変化して救済しようとする衆生の身近に現れると説かれています。そうしてみると、ここに集まった皆さんも、その家族も、テレビに出ている犯罪者も、果てはただの通りすがりの人も観音様の化身だということになります。そしてもう一つ、自分も観音様になるということを忘れてはなりません。

 中国の偉い和尚様は「観音様はその1000の手で何をするのか」と聞かれて「人が夜に寝相が悪くてどこかにいってしまった枕を探すようなものだ」と答えたそうです。観音様の救済というととてつもない感じがするのですが、実はごく身近で,私たちが観音様になって共に苦しみや悩みを解決していくのは何も難しいことではないということを教えられます。

 観音様というと母親の温かさを連想する方も多いと思います。その温かい思いやりをみんなで分け合って,一緒に生きていこうというのが観音様の教えなのです.難しいことではありません。ひとつ、このことを頭の片隅において下されば幸いです。

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